第10話 絶対的少女

 白銀色の髪が夕日に照らされ、虹色に煌めいて見える。

 流石に見間違う筈もない。彼女はエリーと呼ばれていた、あの少女だ。


「ユーリちゃん。遅くなってごめんなさい。調べ物をしていたら遅くなってしまって」

「え、エリザベス様‼ど、どうしてこんな廃村に……」

「モールス、それからゼフィール。その二人を離しなさい。」

「ですが、これは法に則った裁きです。領主様に任された仕事です。例えエリザベス様であろうと……」


 ユーリは何が起きたのか分からず、茫然としていた。

 そんな兄の腕を妹が引っ張る。


「あの髪の綺麗な女の子、お兄ちゃんの名前を呼んだ?知り合い?」

「……知り合いも何も。領主様の娘だ。そしてとんでもない魔力を持っているサラブレッド」

「サラブレッド……?」

「あぁ、エリートってとこ。それにしても、何が起きているんだ」


 捕縛は免れたが、安心してよいのか分からない。

 今のところ彼らの言動は法律に則っているように思える。

 そのせいで殺されかけているのだけれど。


「私も法律は守るべきだと思います。でも私、この耳で聞きました。ユーリちゃんはお父様に教区を越えて良いと言われてました。それはつまり教区を越えた自由市民ってことだと思うんです‼当然、連座制から外されるべきです。」


 は?確かにそう言われたけど、あれは子供一人だけを追放するような意味で使われたような……。それに絶対に冗談で言ったことで。


「そんな話は聞いていません。第一、それが本当なら勅許状が発行されている筈です。」

「私がこの耳で聞いたんですよ?それともゼフィールはお父様が嘘を吐いたと言いたいんですか?」

「そ、そういう問題じゃありません‼これは……」

「そういう問題です。それとも私が嘘つきって言いたいんですか?」

「それも違います‼エリザベス様が嘘を吐くなんて考えられません‼」


 それはとても奇妙な光景だった。

 高い魔力を持っていると言っても、彼女はまだ子供だ。

 それに言っていることも子供の駄々と同じ、特許状も勅許状も何も貰っていない。

 それでも、彼らは少女に言い負ける。


「あと、ユーリちゃんの妹さんも連座制からは外されるべきです‼ですよね、司祭様‼」

「え……。いえ、聖典や教会の記録を紐解けば……」

「歴史を紐解けば、昔は六歳までは人と扱われていません‼さっきから記録だの歴史だの煩いですよ‼」

「ひ……。ですが、それが教会というもので……」

「弱者救済から始まった教会組織……が、どうかしましたか?建国期に遡って話をしましょうか?」

「それは話のすり替えで」

「すり替えているのはどっちかしら。はっきり言ったらどうですか?今回の件、ミスをしたのは安寧期に胡坐をかいた騎士団、そしてそれを束ねる私たち領主一族です‼」


 トンっと薄い胸を叩き、少女は堂々と領主のミスであると宣言した。


「マジ……?何を言っているのか、分かっているのか?」

「お兄ちゃん……、あの子、大丈夫?大人の人にあんなに囲まれてるのに」


 妹の指摘は尤もだった。

 この国は男子世襲制だから、例え伯爵家の娘と言えど、そこまでの力があるとは思えない。

 下級貴族とはいえ、貴族は貴族。それに教会まで敵に回してしまっては、領主の屋台骨だって危ない。

 そもそも、平民を犠牲にして貴族諸侯は責任逃れをする計画だった筈なのに。


 何故、あんなに堂々と出来るのだろうか。


「……そうだよ。やっぱおかしいって。ぼく達はひたすら畑を耕しているだけだ。それを何もせずに食いものにしてる奴らがおかしい」

「本当よ。ジョージさんにも悪いところはあったかもしれないけど、税金泥棒に悪人呼ばわりされる筋合いはないわよ」

「それに……、死んじまったんだぞ。死人に罪を擦り付ける気、満々じゃねぇか」


 ただ、明らかに空気が変わった。

 元々、領民は城壁の向こうにいる連中を嫌悪している。

 収穫を奪う者を恨んでいる。

 俺様達がいるから平和を謳歌できると言ったことが嘘だったと分かっている。


 そして何より、少女には人を惹きつける力があった。


「煩いぞ、愚民ども‼お嬢様、そういうのは良くないなぁ。お父様も嘆かれるでしょうよ」

「違いない。そういや、八歳って歴史を紐解いたら、事故なんかで簡単に死んじまう年齢だよ。その現場に鉢合わせる人間には、俺もなりたくねぇなぁ」

「てめぇらもだ。俺達の力を舐めんじゃあねぇぞ。死にたくなけりゃ、教会にでも逃げ込んでな。」

「まぁ、君たち二人は別だけれども、ね?」


 兵士の体の色が変わった、いやこれは魔力の光か。

 マーガレットも空気の変化を感じたのだろう、兄の体にしがみ付いている。


 だけど……


「化け物……かよ」

「うん。急に怖い。あの魔物みたい……」

「いや、そっちじゃないよ。メグ。怖いのは……」


 ここまで来ると疑問が違う意味に変わってくる。


 どうして——


「へぇ……。私に勝てると思ってるんだぁ……、高が雑兵の分際で?」


 彼らはあの化け物に立ち向かえると思ったのか。

 蟻んこが群がったら、戦車を破壊できると本気で信じているようにしか思えない。


 だが、蟻んこだから、考えなしに突っ込んでしまう。


「司祭殿、一字一句書き漏らさねぇようにな。王に進言して、それで終わりだぁ。伯爵位なんて、腐る程いるんだよぉ‼」


 確かに。いくら上の階級と言っても、なんでもありってわけじゃない。

 更に上の階級、特に王族は上げ足を取られないように、その辺りを気にするだろう。


 そして、鈍色の光を帯びた中年金属鎧男が、長槍と薙刀の間のような武器を少女に打ち下ろした。


私を守れ、守護精霊プロテクトシールド


 だが、呆気なく長物は消し飛び、男は鎧と共に弾かれて、地面に二度、三度と叩きつけられた。

 一応、動いてはいるが、重傷を負ったに違いない。


「司祭様。子爵殿が先に私に斬りかかった、これも追記お願いね」


 魔力でも圧倒し、挑発行為はあったものの反撃する大義名分まで掠め取った。

 これがエリザベス・フォーナー。しかも……


「八歳ってお兄ちゃんと同い年?……えっとお兄ちゃんって」

「煩い。小さい頃の栄養は大事なんだ。それにこれから伸びるかも……だし」

「伸びる前に死ぬから、無理ですよ。二人を殺してしまえば、それで仕事は終わりなんですよ。」


 このゼフィールという男は本当に厄介だ。

 優男のフリをして、何かを狙っている。


【私を運べ、風の精霊】


 だが、しかし。


「ぐはぁぁ……、な、何を?僕はただ正義を……」

「ゴメンなさい。でも、通り道に居る方が良くないわよ。それに領主様が特許を与えた有能な人間だもの。どう足掻いても、貴方達に正義はないわ」


 正に風に乗って、少女はやってきた。

 先のオジサン子爵同様に、優男が跳ね飛ばされる。

 そして、少年少女の前で、同じく少女が仁王立ちをした。


「もう日が沈むわよ。仕事の時間は終わり。お父様がお休みになる前に報告に行かないとでしょう?それでまた明日も、この続きをする?」


 騎士団は圧倒され、皆尻餅をついている。

 そして、領民も初めて見る領主の娘を見惚れてしまっている。


 結局、彼女はたった一人で、この場を支配したのだ。


 そんな英雄的な少女は、憂いに満ちた顔をしていた。


 そして、肩を落として、溜め息を吐いた。


「ユーリちゃん。ゴメン。私にできるのはここまでなの……」

「え……、ここ……まで?」


 村全体が静まり返る中、少女は悲しい顔で瞳をふるわせた。


「騎士団の怠慢に対する賠償は父に約束させる。……でも、貴方のご両親と長老様がゴブリンを招いてしまった事実は消えない。それを有耶無耶にしたら、それこそ法が成り立たない」


 ユーリは、彼女の鮮烈な登場で、後回しにしていた自身の罪を思い出した。

 それは確かに言い逃れの出来ないこと。

 エリーが主張していたのは、ユーリとマーガレットの免罪だった。


「パパとママが罪人になっちゃう……の」

「えぇ。それに君たちは罪人の子供のまま。……ゴメン……なさい」


 そして少女は気まずそうに立ち去った。

 砦の方で騎士団と会話をして、団長もへこへこと頭を下げて頷いている。


 つまり、これが彼女の考える今回の落としどころだったのだ。


 俺はマーガレットに顔向けできない本当の罪を免罪されてしまった。

 重い十字架を背負ったまま、父から託されたことを為さねばならない。


「……ぼくは死ぬわけにはいかない。」

「うん、死んじゃヤダ。私が一人ぼっちになっちゃう……」


 ただ、見ることしかなかった。


 無理やり生かされ、そして混乱の中で老衰したジェラが吊り下げられるところを。

 ジェラと共に良くしてくれて、約束通り家族を守ってくれた英雄であるトーマスが吊り下げられる悲しみを。

 マーガレットを助け、父親として華々しく散った傷だらけのジョージが吊り下げられる悔しさを。

 最期までお腹の子を守ろうとしたのだろう、下腹部の臓物が脆び出る残酷な姿で死んだ母バーバラが吊り下げられる屈辱を。


 両親の下にジョナサンの骨と名前をつけてやれなかった胎児の作りかけの乳歯を埋まっている。


 エリーのお陰で連座制から外してもらった二人だ。


「パパ……、ママ……、トーマスお兄ちゃん……、ジェラお婆ちゃん……、ジョナサン……、……」


 マーガレットは泣き続けた。

 だからか、村人がパンを持ってきてくれた。

 でも、直ぐに彼らは去ってしまう。


 村を壊滅させかけた罪人の子供、二人。


 全ての領地の教会が繋がっている。彼らの言う歴史や資料に間違いなく刻まれる。


 これから先のことなんて分からない。一寸どころか、全方向闇の中。


 納得なんて出来ない。でも、分からないことだらけでどこに文句を言ったらいいのか分からない。


 だって。


「誰も間違ってない。……ぼくを支えてくれた優しい家族が罪人なんて、認められるわけないじゃないか……」


 ——そして、色んな人たちに託されてしまった人生は、ここから大きく変わることになる。


 この時の俺は、重過ぎる十字架に押しつぶされていたのだけれど。

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