第8話 ウォーカー伯と家族を失った少年

 赤毛の男は家屋に入るや否や、自慢の魔法剣でゴブリンを駆逐していた。

 そして、外で待っている子供の父親の姿を見つけていた。


「おい。大丈夫か?」

「あん……たは……?済まないが、この子らを安全な場所に連れて行ってくれ……。俺は……バーバラを」


 奥の部屋で仁王立ちしていた男は、少しだけ微笑んでそのまま前向きに倒れた。


「おい‼お前……、既にやられていた……のか。この子を、……いやこの子をしっかり庇ったんだな。よくやった……」


 幼児二人が倒れていて、その一人は既に肉塊も同然だった。

 ただ、もう一人は意識を失ってはいるが、ちゃんと息をしている。


「ここに隠れるように教育されていたか。それでどうにか一人だけでも助かった。あんたは父親の鑑だよ。ただ……、この状況をあの子にどう伝えれば……」


 状況から見て、最初に襲われた家の一つがここだった。

 危険が迫った時の対策まで練っていたようだから、ただの物取りや野生生物程度だったら二人とも助かったに違いない。

 でも、魔物に対しての対策としては不十分だった。


「助かったのは女児だけ……か。子供の数は外の子を入れて、1、2、3……4人。どう言えばいい。全く、フォーナー伯め——」

「父さーん?おじさーん‼どこー?」


 赤毛の男、シャルル・ウォーカーは両肩を跳ね上げた。


「あいつ……。あそこで待っていろと言ったのに‼」


 勘が鋭いのか、運がいいのか。シャルルの見立てでは、この家のゴブリンは全滅している。

 ただ、他の家には潜伏しているだろうし、再び入ってくる恐れも残っている。

 そして、何より——


「お前‼あそこで待っていろと行った筈だ。今すぐここから出て……」


 ワザと大きな足音を立て、如何にも怒っているという雰囲気で入口へと戻る。

 こうすることで外で様子を伺っているゴブリンへの警告にもなる。

 だが、家の中で呆然としている子供を見た瞬間、その大声と大足が止まった。


 瞳から光を失い、青ざめている子供を前に、何を言ったらよいか分からない。


 一人の若者がボロクズのようになって死んでいた。今になって気付くが、彼はここの家の人間ではない。

 手伝いに来ていたか、助けに来たのか。


 そして、もう一人、いや二人。


「母……さん。……ひどい。こんな殺され方……。トーマスも……ゴメン。ぼくが約束をしたせいで……。婆ちゃんに……なんて言ったらいいか……」


 茶色の髪の青年はトーマスだった。

 そして、子供の母親は腹を食い破られている。

 死んで食い破られたか、食い破られて死んだか、どちらが先かは分からないけれど、単に臓腑を喰われたようには見えなかった。


「父……さんは?先に入った父さん……いる……でしょ?」


 その声に、いや子供の目にシャルルは一瞬だけ肩が竦んだ。

 だが、そこは歴戦のツワモノである。ゆっくりと剣を納め、右手の親指で後ろを指した。


「あぁ。俺の後ろだ。まだ……、辛うじて息はある。だが……」

「そか……それじゃあ助けに行かないと……。マーガレットも……」

「待て。後は俺がやる。」

「うん。魔法使いでしょ。父さん、まだ生きているから助けてよ……。僕には無理……だから。マーガレットも心配だし」


 亡霊のような顔の子供が、シャルルの隣をすり抜けていく。


「無理だ。お前の父親の怪我は魔法じゃ治らない。それに……」

「嘘だ。魔法使いならなんでもできる筈だ」


 言いながら、彼はどんどん奥に進む。

 迷うことなく歩いて行けるのは、彼も避難用の部屋の場所を知っているからか。

 いや、それよりも魔法を過大評価する子になんて言ったらいいか。


「父さん?……父さん‼」


 そこまで大きな家じゃない。だから彼は直ぐに父親の下に辿り着いてしまった。

 つまり彼は今、あの惨状を見ている。


「……ユーリ?ごめんな。お父さん……最期まで情けなくて。でも、どうにか……ジョナサンと……マーガレットは」


 その瞬間、少年は大きく目を見開いた。

 後ろに立って、ゴブリンの警戒をするしかないシャルルは顔を顰めるしかなかった。

 クリーム色の少年の目から涙が滝のように零れ落ちる。

 そして、この後の彼の言葉にシャルルは声を失った。


「うん。マーガレットは大丈夫みたい。……ジョナサンも父さんが来てくれたから、安心して眠っているよ。」

「そう……か。本当に……良かっ……た。ユーリ……」


 僅かに動いた手を、少年はしっかりと握る。そして。


「分かってる。後はぼくに全部任せて。長い旅で疲れたでしょ。父さんも安心して眠っていいからね」


 魔力を一切感じない小さな子供は、気丈にも死にゆく父に対して優しい嘘を吐いた。

 つまり彼は父親が魔法を使っても助からないことも、ちゃんと理解していた。


「もう……。大丈夫だから。今まで、我が儘ばかりで……ゴメン。父さんと母さんの子供で俺は、……本当に良かったよ」


 その言葉を聞き、父親の乾いた頬を涙が伝う。

 そして、支えられた彼の右手が少年の手から滑り落ちる。

 どうにも出来ない悔しさが、シャルルの顔を思い切り顰めさせた時、乱暴に扉が破壊された。


「ここはもういいんだろ?火をつけるから早く……」

「あ?お前、誰に向かって口をきいている?」

「おい。お前、何をやっているんだ。この方は援軍に駆けつけてくれたウィーカー伯、その人だぞ‼」


 それは、やり場のない怒りをフォーナー兵にぶつけるという子供じみた行為だった。

 幼児が大人な対応をしたのに対して、自分は子供だな、と自嘲気味に顔を歪ませ、少年の肩に手を置いた。


「ここにも火がつけられる。早く離れた方がいいぞ、ユーリ。遺体は……」

「運び出します。ちゃんと弔いたい。」

「よし分かった。おい、フォーナーのひよっこ共。先の無礼を直ぐに返させてやる。ユーリ、その子を運べるか?無理なら」

「いえ。それくらいなら——」


 他人が見れば、そのまま焼いてしまった方が良い、と言われるほど損壊した遺体が二体。バーバラとトーマスのものである。

 遺体とも気付かない肉塊がジョナサンで、小さな肉片はまだ名前もない胎内にいた子供。

 そして、大きな傷を背中に負った勇敢なる父、ジョージ。


 その上に燃やされていない藁束を乗せる。


「……さっきは酷いことを言って……ゴメンなさい。貴方が誰かも知らなくて……」

「知っていても、だろ。寧ろ、俺の方が謝りたいよ。もっと早く来ていれば、多くの人達を救えたかもしれない。」


 赤い生地に翼をもつ馬が描かれた旗が、村の一部を占拠している。

 そして、生き残った村人の大半が彼らに頭を下げている。

 少年も彼らのトップに頭を下げて、意識が戻らない妹を引き取る。

 藁束で遺体を隠す作業をしている時に、妹を預けた相手が違う領地から来たウォーカー伯その人だと知った。


「今で頭が真っ白で……。マーガレットが起きたらなんて説明しようかって……」

「俺が手を貸せればいいんだが、生憎他領のことに口出しは出来ないんだ。生きているだけで儲けものだと思ってほしい。勿論、勘の良い嬢ちゃんなら——」


 と、その時。五歳になったばかりのマーガレットが体を捩り始めた。


「……あれ?お兄……ちゃん?」

「マーガレット‼気が付いたのか。」

「お兄ちゃん……、お母さんとトーマスさんがね……」

「うん、知ってる。後でゆっくり話をしよう。それよりマーガレット。この人……じゃなくて、この方がいらっしゃらなかったら、お前は間違いなく死んでいた。お礼を言おうな」

「えっと、うん。お兄ちゃんがそういうなら……。ありがとう……ございました」


 彼の妹の傷は大したことはなかったらしく、自分で立ってそのままお辞儀をした。

 ただ、シャルルは違う理由で目を剥いていた。


「お兄ちゃん……って。ユーリ、お前いつの間に男になったんだ?」

「はぁ?会った時から男だけど。」


 実はシャルル・ウォーカー伯は、ずっとユーリのことを口の悪い田舎娘だと思っていた。

 ただでさえ、成長が遅いユーリ。そして母親バーバラは同じ髪質のユーリの髪の毛がお気に入りだった。

 だから普段は後ろで括っていたのだが、この混乱で紐が切れて女性らしい髪形になっていた。


「なんだよ。もしかしてぼくの体を狙って……。マーガレット、隠れろ。この人は危ない人だ」

「って!違うっての‼俺の話じゃない。俺の息子の嫁にとチラっと考えただけだ。」

「おじさん、貴族だろ。ぼく達は平民で……」

「時代は移ろうものだ。若者たちの時代はそういう垣根がなくなっているかもしれない。その時は俺の息子の友人になってくれ。マーガレットちゃんもその時はよろしくな。それじゃあ、俺達部外者は貰えるもんだけ貰って帰るとするよ。だから、その時代が来るまで諦めずに頑張れよ、ユーリ‼」


 

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