第7話 惨劇

 行きよりも帰りの方が時間が掛かっていた。

 本当にろうそくの炎は最後華々しく燃えるのだろう。

 ジェラの様子が芳しくなかったから、なるべく揺らさないようにして帰っていた。


「今日帰る予定だったけど、もう一日伸ばしましょうか?」

「問題ない。これくらいどうとでもなる。……それにアタシはね」


 帰り道、彼女はずっとユーリのことを話す。

 もしかしたら、話したことも忘れてしまうほど、体力が落ちてしまっているのかもしれない。


「それは分かってる。だから、ぼくは今まで通り続けるから。ちゃんと村を大きく……」


 だが、今日のジェラはもっと様子がおかしかった。


「そうではないんじゃ。何か、大切なことを忘れている気がするんじゃ」


 単に忘れっぽいとか、そういう感じではなかった。

 だけど、やっぱり何が言いたいのか分からない。

 でも、この言葉だけはとても分かりやすいモノで、父ジョージには相変わらず分かりにくいモノだった。


「ユーリ。アタシはあんたが生まれた意味があると思っておるんじゃ。そして、それは安寧期とは関係のないことじゃと思うとる。」

「ぼくは安寧期で頑張る!そういうスキルを持っているってことだろ。大丈夫だって。約束す……る」


 約束しかけたが、険しい顔、鋭い眼光に声が小さくなる。

 そして、どこかで誰かに聞いた言葉が、彼女の口から紡がれた。


「ユーリは……、世界の平和を守る存在……、そう思うておる。じゃが、アタシにそれが見届けられるかは……、分からんが」


 そう、ここで彼女が言ったのは、あの話。


 【世界を平和に導く】


 と、この世界で生まれ直す前に言われた気がする言葉だった。


「ユーリが世界……を?だって、今は安寧期で——」


 どこかで聞いた。あれは神の言葉?でも、確か俺はよく聞いていなくて……


 救う?どうやって?何から?この世界は?


 頭の奥が何故か痛くなった。こんなこと、一度もないのに。


 そして目を剥いた少年の目に、あるものが映り込んだ。


「父さん‼あっち‼」

「あっちって……。あぁ、分かっているとも。あっちがウチの集落だ。ただ、平坦な道となると……」

「違う‼見てよ、あの煙‼あんな煙、見たことない‼」


 ユーリが指で示すも、父は首を傾げるばかり。


「集落で何かがあったんだ……、あれじゃまるで……」


 その時。


「ジョージ‼ユーリ‼アタシを放っておきなさい。そして早く、村に帰りなさい。馬で真っ直ぐ進めば、まだ間に合うかもしれない」

「でも‼」

「村長命令よ。それにアタシはアタシの寿命くらい分かっているつもりよ。さぁ、行きなさい。ユーリ、先ずはアタシが生まれた村を救ってちょうだい」

「う……、分かった。父さん‼」

「あぁ‼急ぐぞ‼大したことなければいいけど……」


 どこも収穫が終わっているから、馬だけならほとんど真っ直ぐに進めた。

 近づけば近づくほど、その異常さが伝わってくる。

 城塞都市の外に作られた農作地帯に牧畜地帯、そこにポツポツと建てられた小さな砦。

 普段はそこで徴収が行われるから、良いイメージのない場所。


「徴収所に軍隊……?そいつらが家を燃やしている。敵対勢力に乗っ取られたのか……」


 馬に乗って、どうにかその脇を通り抜けられないか、と探っていた時、父が言った。


「あの旗はさっきまで居た城の兵隊だ。見ろ、村民の姿もある。ユーリ、お前はここで馬から降りろ。俺は家の様子を見に行ってくる」

「え、嫌だ。ぼくも一緒に行く‼」


 普段から優しい父親だった。でも、この時ばかりは違った。

 強引にユーリを馬から引き摺り下ろして、頬を思い切りひっぱたいた。


「これは遊びじゃないんぞ‼子供の出る幕じゃない‼」


 そして、普段から頼りにならないと思っていた父は、頼りがいのある男の顔をしていた。


「ユーリに何かあったら、バーバラに怒られる。お前はあの砦に避難していなさい。」


 あの父にぶたれたことで呆然としてしまった。

 自分の小さな体を思い知らされた。思えば何度か泊まった民家でも自分と同じくらいの子供の方がずっと逞しく育っていた。


「父さん……もだよ。ちゃんと帰ってきて‼」


 彼は親指を立てて、一人で馬を駆っていった。

 そして少年は小さな砦に向かって歩いていく。

 そこは見覚えのある村人もいて、多少の安心感を得られそうな場所に思えた。


 でも。


「お母さん、アレ何?」

「アレが魔物ですって。マリアちゃんはここで大人しくしていようね」


 砦の裏手で抱き合っている母子の口から、穏やかではない単語が漏れ出た。

 更に砦に近づくと、見知った顔の住民もいたが、


「ヨハン‼ヨハン‼ここへ来ていないのか?」

「リリーは?リリーを見ませんでしたか?」


 彼らは血相を変えて、家族の名を呼んでいた。

 そして、兵士に詰め寄っている村人もいた。

 

「ウチが燃えているのよ⁉あそこにはまだ母がいるの‼早く助けに行ってよ‼」

「なんで俺が行っちゃいけないんだ‼俺は自分の畑を守りたいんだよ‼」


 だが、そんな彼らを馬上から男が怒鳴り散らす。


「煩い‼下がってろ、平民ども。邪魔をするなら捕縛するぞ‼」


 村民たちは急いで逃げ出したのか、農具の一つも持っていない。

 そんな人々に平気で槍を突き出す、鎧を身に纏った髭男。

 そのリーダー格っぽい男の隣にも騎兵がいて、彼はもう少し落ち着いたトーンでこう言った。


「魔法で戦えない者が行っても邪魔なだけなんだ。我々フォーナー兵団も懸命に戦っている。最善を尽くしているから、ここで大人しくしていてほしい。残っている兵だけでは守り切れないからね。」


 砦に近づいた直ぐに聞こえた彼の言葉で、ユーリは咄嗟に身を潜めた。

 あの声の主は知っている。そして顔も。

 彼は水の魔法・・・・を使った筈だ。

 彼が行けば消火出来るのに、彼はここで待機している。


「群れのゴブリンは本当に厄介なんだ。だから、あぁするしか……、って君‼」


 ユーリは走り出した。

 父との約束なんて忘れて、彼が先についているであろう我が家に向かって。


「家を燃やしているのは……、こいつらだ。だったら父さんも母さんも危ない」


 収穫後に干している麦束、それに飼い葉が勢いよく燃えていて、想像以上の熱を発していた。

 堪らず飛び出た小鬼たちを、騎兵たちが馬上から槍で刺している。

 既に空き家だからそうしたのか、それともこれがゴブリンとの戦い方なのか。


「でも、全員が避難出来てなかったじゃないか‼クソッ‼」


 途中で救出された村人も確認できた。

 でもそれは比較的手前の家々の話で、彼が目指す村奥側は更に異様な光景が広がっていた。

 真っ黒い何かがちょろちょろと蠢き、鈍色の鎧を纏った兵士たちが横一列に並んで、槍で牽制している。

 アレは彼が待ち望んだファンタジーの光景、自分の家族が住む家でなければの話だたが。


「あそこだ……、……え⁉」


 家が燃えているのは中ほどまでで、村奥の家々は燃えていない。

 ゴブリンの伏兵を確かめる為に燃やしていたのだろう。

 この近辺は木造の家しかないし、一定の間隔で建てられている。

 教会で歴史の勉強をしていれば、こうする為に建てられたと知っていたかもしれない。


「駄目だよ。父さん……、一人じゃ危ないよ……」


 彼は父親の姿を見つけて、全力で走り始めた。

 火がついていない民家は、ゴブリンが潜伏しているかもしれない。

 それを確かめる為の兵士団の横を、遠目には五歳児くらいにしか見えない少年が走り抜ける。


「おい!そこのガキ‼何をやっている‼」

「あそこに家族が居るんだよ‼邪魔しないでくれ‼」


 体が小さいから、甲冑を纏う大人よりもすばしっこく動ける。

 でも体が大きかったら、あの時父は自分を止めなかったかもしれない。

 

 ただ、それでも。

 身を守る術をもたないから、どのみち助からなかったかもしれない。


「駄目だ、父さん‼母さんは……、もう……」


 土壁が壊れているから、ユーリは内部の状況が分かってしまった。

 怪しく蠢く存在は、イチイチ目につくから、居場所まではっきりと分かった。


 狂暴な猿とハイエナの間、不気味な顔の何か。


「ユーリ、来るな‼父さんにも良い所を見させてくれ。最期くらい……な」

「嫌だよ‼父さんまで……」


 父は親指をたて、はにかんだ笑みを浮かべて、魔物が蠢く家の中に入っていった。

 そして、その瞬間ユーリの足が空に浮いた。


「やっと捕まえたぞ。ガキは危ないから下がってろ‼」

「離せ‼あそこには俺の家族が……。うぐっ」


 抵抗するほどに体が自由を失っていく。魔力もない、体力もない。走馬灯のように過る前世の記憶にこんな場面はない。

 ユーリはそれでも抗おうとした、父と共に残った命を助ける為に抜け出そうとした。

 けれど、ユーリの耳元で男は囁いた。


「あいつにとってはお前もその家族の一員だろ。父が見せた勇気と優しさを無駄にするつもりか?」


 それはどんな力よりも強い言葉の力だった。

 沸騰しそうな脳に冷たい水が注がれ、父親の顔が浮かび上がる。

 そして、やりきれない気持ちは涙に変わった。


「他領の俺には関係ない話だし、瞬間しか見ていない俺が言うのもなんだけどよ。けど、あの男はお前を置いていったんじゃない。あとを託したんだ。だから大人しくしてくれるな?」

「……分かった。でも……」

「それじゃあおじさんがご褒美をやる。本来は手出し無用って話だが、な」


 赤毛、それと同じ色の甲冑の男は、ユーリをトンと地面に立たせて父が消えた家の入口に走り出した。

 背中には二本の剣がバツの字に刺さっており、それを引き抜きながら風のように走る。

 二つの剣、そして甲冑も淡く光り、彼の赤い髪さえもキラキラと輝いて見えた。


「あれが……、魔法使い。魔法剣士……」


 彼の甲冑に描かれた文様はフォーナーのモノとは違っていた。

 勉強不足だから、どこのだれかは分からないけど、国を切り開いた一族に違いない。


 平民は彼らのおかげで生きている。

 そう思わせるだけの力の差を感じる。

 家の中で蠢くもの共が次々に蠢かなくなっていく。

 そして、男は動きを止めた。


「終わった……?」


 そう思ったから、彼は涙を拭い、先の約束も忘れてわが家へと帰ることにした。

 

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