第6話 帰り道、安寧期

 追い出されるように城門の外に出た。

 ジェラの様子が明らかにおかしかったから、それと彼らのあの目が嫌だったから。


「おばあちゃん、大丈夫?」

「ユーリ、悪かったねぇ……。アタシの勘違いだったようじゃ。この頭は既に耄碌していたんだねぇ。でもねぇ……」


 彼女は七十を越える。この時代においては大長老だ。

 しかも、あの劣悪な環境でここまで生き延びたのは奇跡と言っていい。

 だって、食糧問題の解決が為されたのは、ユーリが生まれた後なのだ。

 村一番の産婆であり、知恵袋だった彼女にとって、生まれ落ち、拾い上げた子が最後の希望に映ったのだろうか。


「アタシはユーリが魔法使いだって今でも疑っちゃいないよ?」

「それはもういいよ。あんな目をするようになるなら、ぼくはこのままでいい。早く、トーマスさんのところに帰ろう?」


 肩を持つようで、肩を持たなかった少女はなんだったのだろう。

 あの子だけは見下すような目をしていなかった、……気がした。


 ——そもそも、彼らの動きは何かがおかしい。


 ただ少年は、彼らの怪しい動きについて、冷静に考えることが出来なかった。


「ジェラ様。もう少し速度を落としましょうか?」


 ユーリはジョージとバーバラの子。だが、二人は農作業や牛や羊の世話をしていることが多かった。

 血の繋がっていないジェラと過ごした時間の方が長い。


「婆ちゃん。少し休もうか?」

「漸く落ち着いてきたよ。ジョージの言う通り、村の方が心配じゃ。とはいえ、もう少し横にならせてもらうよ」


 一日か二日、城塞都市で休んだ方が良かったかも、と思ったり。

 あそこにいたら、ジェラは落ち着いて休めないし、とにかくイラつくから嫌だ、と思ったり。

 子供っぽく癇癪を起こしそうになる。

 それが分かってか、彼の父は言った。


「そういえば、安寧期と彼らも言ってましたねぇ。」

「そうじゃな。じゃが、なんとも嫌な予感がするんじゃ。安寧期と言っても、危険がないわけではないからの」

「そうですよねぇ。そういう意味ではお貴族様に頼らざるを得ないんですが……」


 それはあの幼女が言った言葉だった。


「あんねいきって何?」

「はぁ?お前、ちゃんと教会で話を聞いているか?」

「ん。……聞いてないかも。だってまだ八歳だし。」

「そんな時だけ八歳を言い訳に使うんじゃない。そんなことだから読み書き出来ないんだぞ」

「う……、それは」


 ユーリは聞いてしまったことを後悔した。

 教会では読み書きを教えてくれる。

 週に一度だけだから最低限のことしか教わらないが、その読み書きこそが教会に行くモチベーションを恐ろしく削いでいた。


 だって、文字が文字って思えないんだよ。

 これって絶対にあのせいだよな……


「ほら、畑仕事って文字とか要らないし。牛も羊も豚も文字読めないし……」

「お前……。呆れて言葉も出ない。まぁ、計算はそれなりに出来るから問題はないんだが……」


 言語野が別の言語で埋まっている、絶対にそうだ。

 俺にバイリンガルは無理だったんだ。今は別の言語を喋っているけれど‼


 教典に基づいて話を聞かされ、その時嫌でも文字を見させられる。

 読まないといけないのではなく、見ないといけない。

 それが苦痛で全く頭に入らなかった。


「安寧期とは……、魔物が駆逐され、人々が安心して暮らせる時代のことじゃ」


 は……?魔物?

 確かにファンタジーに魔法と魔物は付き物だけど


「今、なんて?魔物?魔物がいるの⁉」

「それも教会で教わっている筈だ。安寧期の前、建国期に王侯貴族が魔法の力で魔物が巣食う世界を切り開いたんだ。そして俺達は安心して暮らせる。だから貴族は偉いし、俺達は貴族のお蔭で暮らせていることになる」

「んーーーー。そんな面白そうなことを言っていたのか。どうして文字なんて考えたんだよ。そのせいで、ぼくは学び損ねた」

「その文字があるから、昔の話がこうやって伝わっているんだぞ。よし、収穫も終わったことだし、帰ったら勉強だな。マーガレットの方が早く文字を覚えたりしてな。もしかしたらジョナサンにも?」

「う……。否定できないのが辛い」


 勿論、奥の手は考えている。

 ここの言葉を全て日本語に置き換えて、自分専用のノートを作ること。

 だけど、今の生活でそれは要らない。

 それに日本語を解さない人間しかいない以上、恐ろしく無駄な作業に違いない。


「っと。もう日が沈みそうだ。ジェラ様。先ほど民家を見つけましたので、一晩泊まらせてもらえないか、聞いてきます。」


 そして、ジョージは馬を括りつけて、民家に走り出した。

 ユーリは城塞都市を出てからこっち、ずっとジェラの手を握っている。

 だから、ジェラの眠りの妨げにならないように、小声で呟く。


「貴族は魔法を使える……か。つまり武力。そして文字で伝わった歴史では、彼らは世界を切り開いた王の一族か。まるで神様だな」

「神の子孫、と言われてとるよ」

「え?ゴメン、婆ちゃん。起こしちゃった?」

「あんな馬鹿な親子の会話を聞かされちゃ、眠れないよ。で、あのお嬢ちゃんの言っていることの意味が分かったかい?」


 あっ、と声が出た。

 ここで漸く、彼女がど正論を言っていたことに気が付いた。


「昔はそうでも、今は食べ物を増やして人間を増やす時代ってこと……。だから豊作を齎す方がすごいって」

「そうさね。あの子があのまま素直に育ってくれればね。」

「確かに。あ、それで……。婆ちゃんはぼくが騎士になって、新しい時代をって?」


 国を切り開いた貴族には受け入れられない時代の流れ。

 それを彼女はしっかりと理解して、手を貸そうとしてくれたのかも。

 ただ、権力者はそう簡単に権利を渡そうとしない。

 在り得そうな話、だが老婆は言った。


「それだけじゃない……。アタシは本当にあんたが次代の魔法使いになると考えておった。ここ十年、ずっと不作続きだったフォーナー領をあんたは一部だが変えられたんだ。力だけを測る魔法具しか出さなかったんだろう、と本気で食って掛かった。今でも隠して出さなかっただけ、と思うておるよ。さて、ジョージが戻って来たぞい。アタシらも降りるかね」


 その後ジョージが戻り、宿泊の許可が下りたと告げた。

 70歳を越えることは貴族以外ではかなり難しく、それだけで尊敬の対象となる。

 だから、二つ返事で泊まってよいことになったらしい。

 それに。


「去年、ジェラさんとこから余った麦を貰ったんだよ。私たちにとっては命の恩人です。ぜひ泊っていってください」


 実はちゃんとした恩返しでもあった。

 その言葉を聞いた時、ジェラは本当に嬉しそうな顔をして、ユーリの頭を撫でていた。

 ただ、少年は納得していなかった。

 本当にこっちの麦穂が良さそうだから、こっちの土地が良さそうだから。

 ここの方が良さそうだから。ここならきっと——


 全て、なんとなくだ。


 あの時、少女が見せた力は凄まじく、そして攻撃的なものではなかった。

 だから、たった六回うまく行った自分の勘がジェラの言う次世代の魔法とはとても思えない。


「ま。もう二度と会うこともないんだろうし。そだ。これは魔法じゃなくてスキルってことにしよう。なんとなく、そんな気がするし」


 これからは農業の時代が始まる。

 とはいえ、地主階級が得をする時代には違いないけれど。


「農業改革が進めば、とにかく飢え死ぬ人は少なくなる。他の野菜も作れるだろうし、肉料理だってもっと沢山食べられるようになる。あとは——」


 確かにあの場で魔力適性を認められて、騎士となればその改革はもっと早く進められるだろう。

 けれど、その世界線はもしかしたら、今日みたいに自分が頑張ったから助かった本人には会えなくなるかもしれない。


「君があの噂のユーリ君?思ったより、小さいんだね。もっと屈強な男かと思ってたよ。岩とか砕いて畑を作ったって噂だったけど、違ったのかな?」

「ん。八歳だから小さいだけです。きっとこれから」

「え?八歳?ぼくは八歳だし、ずっと背が高いから、ぼくにも出来るかもしれないな。今度教えてくれよな。」

「こら、ジャッカス‼お客様に失礼でしょ」


 救った命が、こんな生意気なガキだったとしても、この生活のままの方が顔が見れる。

 だから、結果全て良し。


 寧ろ、あの奇妙な魔法具に感謝だ。


 強化系とか、具現化系とか、変化形とか選別されなくて良かった。



 ——手の届く人たちだけを助けられたら、それでいい




 ……俺が神に舐めた態度をとったせいで送り込まれたこの世界は、そんな牧歌的な世界ではなかったのだけれど。

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