第5話 豊作の理由
——魔法具の中身に明らかな変化があった。
薄い緑色の液体がほんの僅か、光った……ような気がしたのだ。
もう少し暗い時間帯にやるべきだったかもしれない。
それと同時にザワザワとする衛兵たち。
ならば、この後のセリフは決まっている。これがお決まりのセリフだと、ユーリは知っていた。
「……えと。なんか、やっちゃいました?」
「あぁ‼素晴らしいぞ、平民の子よ‼」
向かいに座る中年の男は歓喜に打ち震えていた。後ろ、銀髪の美女も同じ。
少女は……、騒ぎ立てる衛兵のせいで見えない。
そして、後ろにいる父と長老もひそひそと何かを話している。
つまり、これは本当にやってしまったらしい。
「ふふ、はははははははは。やってくれたな‼」
ついに領主様が立ち上がる。やっぱりそうだったのだ。
長老が自身を持って、ここに連れてきたのだから間違いなかった。
「ジェラよ。この子供は純粋な平民だ‼見事な程の傑作。そうだ。そうでなくてはならない‼」
「え……?」
だって、俺は転生者だから魔力もみんなが引くほどに持っていて……、って今、なんて?
その瞬間、前世の記憶は泡となって弾けて、ユーリの整った顔が引き攣った。
そして、違う意味で銀髪の老婆が慌てた様子で飛び出してくる。
「いや。そんな筈はない。伯爵‼これはイカサマじゃ‼」
「そ、そうだ。ユーリは俺の自慢の息子で……」
「あぁ、いや。あれだ。笑って済まない。これほどまでの平民の反応は本当に珍しいんだよ。決して馬鹿にしているわけではないだ。」
固まったまま動けない六歳児の手が、リッツという侍女によって魔法具から離された。
その時、間違いなく彼女は鼻で笑ったが、少年はショックのあまりそれに気付かなかった。
そして、後ろでつまらなそうな顔の女が言う。
「エリー。イカサマがあったかどうか、確かめてみて貰えない?」
「……私が、ですか?」
「あぁ。エリーが見せてあげなさい。本来のこの魔法具の力を」
この子は魔法を?それはそうか。だってお貴族様は魔法を使うって。
でも、俺は貴族じゃないから……。でもでも、別にいいじゃないか。
だって俺は父さんの仕事を継いで、それからずっと働いて……
家族の為に頑張ってきたのに、こんなことで気持ちが揺れてしまう。
多分、前世の記憶のせいもある。
思うようにならない人生、そして負け続けた毎日。
そんな、前世と現世で揺れ動く六歳児の前で、少女は魔法具に触った。
「え……。眩し……」
その瞬間、ユーリの視界は一瞬だけ金色に染まり、明るすぎて真っ白だけになった。
これが魔力を持つ者と、持たない者の違い。あまりにも大きな違い。
そして、少年の視力が戻らない間にも会話は続いていた。
「ジェラさん。前にも話した筈だよ。あの地区に貴族の落とし子はいないとね。」
「それに先ほどの暴言は聞き捨てならないわね。まるで私たちが何もしていないみたい。」
「ジェラ様、これはどういう……」
「知らぬ。じゃが、ユーリが今までやって来たことは」
父も長老も、信じて疑わなかった。
そしてユーリも大人の話の受け売りだったとしても、何かあるという自覚はあった。
けれど、魔法を使う貴族と農奴ではまるで違う生き物だったらしい。
城塞都市に、豪奢なお城。違う生き物が住んでいるのだから、違って当然だった。
「言い訳は結構です。貴方……」
「分かっている。前々からジェラの班は税が軽すぎると不平が出ていたからな。民の為、調整する必要があるようだ。」
それどころか、努力して増やした収穫までも減らされようとしている。
遠く離れた村で不満の声が上がっているのは、長老から聞いている。
——出る杭は打たれる
そんな言葉がふいに浮かんだ。
だから、目立っちゃダメと言われていたのに……
でも、そんな時だった。
ずっと俯いていた少女が魔法具から手を離して、こう言った。
「あの……。お父様、お母様。少しだけお待ちください。この子のことが気になります。もう少し話を聞いても宜しいでしょうか?」
鶴の一声?
多くの人の意見をおさえ、意思決定をさせる有力者の言葉をそう言うが、ここで言う有力者とは目の前のオジサンだろう。
少女の言葉はそれにはあたらないと思った。
だが、目の前の光景に少年は呆然とした。
「エリー?イザベル、エリーを頼む。」
「え、ええ。エリーはあっちでお菓子でも食べましょうね?リッツ……」
「お嬢様、あちらに新作のケーキが御座いますよ。是非……」
少女が突然声を発したことに彼らは間違いなく驚いていた。
知らない人たちだし、彼らは貴族だから、平民には分からないのかもしれないが。
「リッツ、何度も教えていただきました。お父様、お母様。今は安寧期でしたよね。安寧期ということは多くの人間が必要です。ならば収穫を増やす技能は魔力にも匹敵する、と私は思うのですが。……間違っていますか?」
彼女から知らない言葉が出てきた。
安寧期という言葉は知らないが、少女はまともな事を言っているように思えた。
だが何故か、彼女の両親は目を剥いている。
「そ、それはそうだな。ちょっと揶揄ってみただけだよ、エリー」
「魔力を持つ貴族と平民の違いを示しただけですよ。エリー、それ以上の意味はないの。領民の管理は領主の務めですもの。魔力に匹敵するとは思いませんが、それも大切なことですわね」
彼らは揶揄っていた、らしい。
だが、魔力がないのは証明されたようなものだ。
その結果、自分たち平民は追い出されて元の生活に戻る。
いや、もしかしたら本当に徴収が厳しくなるかもしれなかった。
それを彼女は引き留めてくれた。
彼女は侍従たちを下がらせ、身を屈めて初めてちゃんと目を合わせてくれた。
「ユーリちゃんだったっけ。ユーリちゃんはどうやって畑の収穫高を上げたの?」
息を呑むほどに可憐な少女だった。
子供なのに聡明であり、魔力も秀でて、一目で憧れた。
ただ、分からないこともある。
あの魔法具を触る前まで、どうしておどおどしていたのだろうか。
それにしても可愛い。可愛すぎる。母親似なのは分かるが、神々しいまでに可愛らしい。
これがこの世界の幼女……
——って!
俺は何を考えてんだよ‼幼女だからなんだよ‼俺も幼児だし‼
「うーん。ユーリちゃんには難しかったかな。えっと……」
そんな少女が頭に手を置いた、だから両肩が跳ね上がった。
よく分からない邪なオジサン的思想に惑わされていたが、漸く話しかけられていたことに気付いた。
「収穫高……は。えっと、麦穂選びと土の観察……です。」
ユーリは俯いてそう言った。
口に出してみると、魔法なんて関係ないと改めて気付かされる。
そして、思った通り目の前の大人の口角が上がった。
「ははぁ……穂と土ねぇ。とても大切なことだ。それをその歳でお手伝いしていたなんて、何と素晴らしいお子さんだ。流石はあのジェラの育てた子だねぇぇぇ」
「えぇ。全く。これは称賛するべきね」
少年はもっともっと俯いた。こんなの当たり前のことじゃないか、どうしてそれで魔法が使えると期待したのか。
勿論、万が一魔力があって放置していたら、反逆の準備と捉えられるかもしれない。
でも、やっぱり考えすぎだ。
あんなのを見せられたら、本当に恥ずかしくなる。
彼女はあんなに小さな体で、あんなに凄い力を持っているのに……
「ユーリちゃん、大丈夫。貴方は凄いことをしているの。……お父様は黙ってください。ね、どんな感じに観察したの?お姉さんに教えてくれるかな?」
それでも翠眼の幼女は、ユーリにキラキラとした目を向ける。
ただ、彼女は大丈夫なのか、と心配になってくる。
今はエリーと呼ばれている少女は、両親に逆らっていて、この部屋に入ってきたときは、いやその前に見た時も、不安そうな顔をしていた。
それでも少女が言っていることが正しい。
父や長老に聞くまでもなく明白であった。
だから、少年は素直に答えた。
——でもこの答え。
実は化け物じみていて、そして馬鹿げてもいる
「勘……で。なんとなくで選んでます。」
「……え?なんと……なく?」
ユーリは生まれる前の弟が死んだと分かった時から、この方法だけで麦穂を実らせていた。
だが、これも同じ。言葉にすると本当に馬鹿げた話なのだ。
だから、エリーことエリザベス・フォーナーも顔を引き攣らせた。
そして暫くの間、客間に沈黙が流れ、堪えきれなくなった領主が笑い始める。
「なるほど。正に血統書付きの農民だな、ジェラ‼フォーナー領主として鼻が高いぞ ‼」
「じゃが、こんな歳でそんな勘が働くなど考えられぬではないか!別の魔法具を用意しなされ。きっとこの子は特別な力を……」
「そうね。農民として進化した……、そう考えるべきかしら。誇っていいわよ。この子の父親として、ね」
だが、これが彼の中では真実だった。あの日以来、ずっとそうやって来た。
不思議と沢山実り、そこから更に勘で選別していた。
元々一年で二回収穫をしていた。そしてその後は土地を休める。
だから、五年連続、つまり十回連続で豊作になっていた。
おまけに父親に指図していただけとはいえ、土の管理もしていたのもユーリである。
「も、勿論。誇りに思ってます。あの日以来、息子に種を選ばせているのですが、どれも育ちが良くて……。この子は畑に愛されているのだと思います。……はい」
「ユーリは魔力を持っておる。じゃからできること。そもそもアタシら農奴は魔法を知らない。七十年以上生きておったが、こんな子に出会ったのは初めて……なんじゃ……」
老婆が息を切らし、ユーリの素晴らしさを延々と叫ぶ。
……それは魔法の力じゃないんだよ、ジェラお婆ちゃん
二歳時の記憶は曖昧になってきている、でも、三歳からは
二期作、そして土地を放牧する。放牧しておくと牛や羊が天然の肥料を土地に与える。
日本のように豊かな大地では水田づくりで全てが賄えるのに、とさえ彼は思っていた。
そして、それは生き抜くため。死の間際に見る走馬灯が如く、生き抜くための記憶を引き当てていた。
あれは間違いなく、魔法のような出来事だったろう。
飢えている子供が減ったのは、あの少女の言った通り。
魔力よりも、農耕技術の方が皆を救えるに違いない。
——だが、それはこの世界で言う魔法ではないのだ。
パチパチ、パチパチ
中年の領主が手を叩くと、それにつられて次々に皆が拍手を繋げていく。
だけど、それが酷く乾いていることには、八歳児でも気付けた。
そも、魔法を見たことがない。教会でもただ祈りを捧げるだけ。
先の少女の力を見るまでは本当にただタイムスリップしただけかも、と疑っていたほどだ。
パチパチ、パチ、パチパチ、パチ——
惜しみない乾いた拍手の中、伯爵は立ち上がる。
「奇跡の子ではないか。なるほど、大いに助かる。では、こうしよう。その方法をこの幼子に他の地にも伝えさせよう。他の村にも伝えれば、全てが丸く収まるのではないか?この稚児に教区を自由に渡れる許可を出そう。その奇跡の子を産んだ村の税率も見直そう。……それでいいな、エリー?」
さぁ、これで良いだろう、と貴族たちが笑顔の仮面を被った。
少年がチラリと目を向けると、少女はただ一人俯いていたのだけれど。
「おばあちゃん……。もう、大丈夫だよ」
「じゃが、これでは何も……変わらぬ……」
「顔色が悪いぞ、婆さん。モスバレーのあっち側に貴族は行っておらんのだ。流石に耄碌したのではないか?お前たちも早く帰って、この婆さんを休ませてやれ」
あの地域の平民には貴族の血は入っていなかったのだという。
つまり遺伝的な話だったのだ。そんな都合よく突然変異は生まれない。
ましてや魔法なんていう得体の知れないものは、特殊な器官か何かが必要なのだろう。
ジェラ婆様は分かっていて、自分に希望を見出した。
ユーリ自身もショックは受けた、恥をかかされたと言ってもいい。
でも、よく考えたら何も失っていない。
「お婆ちゃん、大丈夫?何も問題ないから、ね。もう、帰ろ」
息切れをして、胸を押さえて苦しむ彼女に駆け寄るも、八歳にしては小さな体のユーリには老婆と言えど支えられない。
「父さん!」
「あ、あぁ。そうだな。……ジェラ様、失礼します」
老婆を父ジョージが抱え、息子が彼女の手を握った。
「はぁはぁ……。じゃがな、ユーリ……」
「問題ないよ。魔力がないって分っただけ。税収も変わらないって。何も変わらないなら、それでいい。今まで通り、一緒に頑張ろ!」
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