第3話 城壁の向こう

 この世界の人間は多少なりとも魔力を持つらしい。

 六歳半のユーリもそれくらいは知識として知っていた。

 領民はその力が弱く、魔法を使えないことも知識として知っていた。


 いやいや、知識としてってどういうこと‼とツッコんでしまう四歳児でもあった。

 たった六年半しか在住せず、しかもとても狭い世界だったとはいえ、今まで一度も見たことがない。

 百聞したって千聞したって、一見がなければ絶対に信じられない。


「でも、異世界って魔法のイメージあるし?だけど、中世頃ってそういうのが普通に信じられていたし?」


 錬金術に占星術に不老不死の秘薬に数秘術に風水学に……、当時はそれらを国家レベルで研究していた。

 あの時期は間違いなく、呪いや魔法はあったと考えられていた。


 そんな夢のないことを考えるな。ぼくはまだ六歳児だった。だからもっと夢を持てよ‼


 少年は聞こえてきた気がした心の声に、ハッと目を剥いた。

 生まれた頃から自分を知っている、なんなら子供のころから側にいて、家族同然の村一番の年寄りが、「ユーリにはその才能がある」と言ったのだ。


 彼女はここいらの集落の代表だけあって、貴族を知っている。

 歴代の領主とも話をしたことがあるという彼女は、即ち魔法が使える貴族を知っている。


 つまり、……ぼくは魔法使いかもしれない。いや、可能性は無限大だ。

 少年よ大志を抱け‼


 だから少年の気持ちは少しどころではないワクワクを胸に抱いていた。


「ぼくは魔法が使える……。使い方を知らないだけで、本当は」

「左様。魔法が使えるならば、ユーリの人生も変わる。悪いようにはならない筈じゃ。」


 実はすごい力が眠っているのかも、凄い人になれるかも、という子供なら考えそうなこと。

 大人だって考えていいだろう。本当の自分は超能力者だったって。

 時止めとか、透明人間とか、催眠魔法とか、見えない壁を出現させて相手を身動き出来ないように……

 いや、六歳半の彼はそんな不純なことを考えない。


 しかも、この当時の彼はそれでも至って冷静だった。


「お婆ちゃん。それって、お母さんと妹の様子が落ち着いてからでいいですか?」


 六歳半の男児とは思えない顔、大人だからそんなことまで考えたとかそういうのではなく、至って真面目な顔でそう言った。


「それはならぬ。疑わしき者は親か村の代表が連れて行かねばらなぬ」

「ジェラさん。息子は弟が出来るこの日を楽しみにしていたんですよ。少しくらい待ってはくれませんか?」

「お願いします。あと一年、時間をください。次の種の選別しないといけないし」


 それはジェラの眉をピクリと動かすには十分な言葉であり、トーマスの心を動かす言葉である。

 六歳半の自動にしては上出来の脅しだった。


「そうだよ。ばあちゃん。豊作でも凶作でもほとんど持ってかれちまうんだ。直ぐでなくともいいだろ。」

「……それは確かに、な。済まなかったな、ユーリ。せっかく新しい家族を迎えたというのに。じゃが、魔法を使わぬように気を付けよ。」

「はい。有難うございます‼」


 その時は、どうにか理由を付けて家に残った。

 ユーリは妹マーガレットと母の為に家に残る、そして父と共に家を守ることが決定した。

 その間にも、彼の脳は成長を続けていく。

 彼がここに来たのには理由があった筈だ。でも、まだまだそこには辿り着かない。


「なんでだっけ。もう少しで思い出せそうな……」


 七歳半になった時に、彼はそう言った。


「ん?何か言ったか、ユーリ」

「ううん。なんでもない。っていうか、父さん。ぼくって魔法なんて使えたっけ?」

「俺が知るかよ。ってお前。もうちょっと可愛らしい言葉遣いを……」

「あなたのせいでしょ。なんで、あなたまで緊張してんのさ。」

「そりゃ、ユーリがお貴族様に会いに行くってことになったから」


 あの時はどうにかここに残る理由を並べ立てたが、そこから更に一年が経った。

 そして運が良いのか悪いのか、この一年もここ一帯は大豊作で、他の地域は凶作だった。


「五年連続、うちらの集落だけ豊作。流石に隠し通せぬし、密かに分け与えているとはいえ、他の集落が騒がしくなってきておる。それにワシの足腰も次が限界と言うておる。」


 ユーリと共に7年歳をとった老婆ジェラは先日、そう言った。

 彼は大人しくしていた。でも父や母、妹の為に畑仕事を手伝っていた。

 その結果、五年連続の大豊作になった。隣の村、その隣の村への説明は長老となったジェラが行っていたが、流石に目で見えてる違いは言い訳が出来なかった、という。

 だからこの収穫が終わった後、ユーリは領主様の家に行くことになった。


「妙な疑いが掛けられたら、みんなが危ないんだから仕方がない……」

「そういうことじゃ。お主が手伝いを始めて、村々の子供の死亡率が減った。それ以外の村人の生存率も上がった。つまり人が増えた。見かけ上は良いことじゃが……」

「領主様が知らないところで、そうなっていたら疑われる」

「その通りじゃ。まぁ、領主様は悪い方ではない。ユーリを見れば安心するに違いないぞい」


 そして、半年後。

 八歳になったユーリは世間一般には天才と呼ばれるほど、考えることが出来る。

 前世の知識の前借りに過ぎないが、魔法使いと信じて疑わない長老にとっては、それさえも魔力の証明の一つになっていた。


「ぼくと父さんとジェラ婆ちゃんで行ってくる。トーマス、頼んだよ。」

「おう。必ず火は通す、だっけ。あとちゃぶつ……」

「煮沸‼マーガレットとジョナサンはなんでも口にしちゃうから、身の回りのものは全部熱湯で洗うこと‼それからうがいと手洗い‼」

「ユーリ。ワシがもう言うておる。相変わらず潔癖じゃな。バーバラが苦労するわけじゃ」

「え?何?それ、知らないんだけど。後、母さんはこの時期が一番大事だから、変なものを食べないこと?」

「え?……ユーリ。また、貴方——」

「はぁ……。ユーリは本当に勘の良い子じゃの。いいから、行くぞ。特別に馬を用意させてもらったからの。荷車に乗った乗った。」


 父が馬を操り、荷車を牽かせる。荷車には六歳児と七十になる老婆。

 三日ほどかけて、のんびりと荷車の上に寝転ぶ。


「婆ちゃん。そういえば、ぼくって。これが初めての遠出かも‼」

「始めても何も、領民の移動は禁止されておる。教区外に出られぬから、殆どの村人も同じじゃ。いや、そういえば一度あったじゃろう。」

「あぁ。確かにあったな。ユーリも一度教区を出たことがあるぞ。」


 役所を兼任している教会は住民の人数を把握しているし、一週間に一度の参拝を義務付けている。

 しかも連座制があるから、色んな覚悟をしなければ領民は移動できない。

 そもそも全ての教会が通じているから、移動したところで受け入れてもらえる場所がない。


「ん-、そうだっけ」

「アレは一時間か二時間で帰ってきたから、ユーリは覚えていないか。」

「それ、ただの散歩じゃん。ぼくが行ってるのは時間を楽しむ旅行のことだし。」

「はぁ、そういう時代もあったのぉ。それにもっと荒れた時代もあったし、飢えて逃げ出すような時代もあった。アタシが若い頃はもう少し緩かったもんじゃがなぁ」


 流石に七十代中盤を越える彼女は、六歳児が知らないことを知っている。

 三十後半から、皆の代表だったのだから、皆からも尊敬されているし、領主様とも何度も話をしている。


「へぇ。そんな時代もあったのか。まぁ、今のぼくはどこにも行けな……、おおおおお‼なんか見えてきた‼」

「これ!荷車の上で暴れるな‼」


 ジェラ婆が慌てて端を掴む中、幼児は荘厳な建築物が見える側の荷車の端に寄り掛かった。


「あれが……、お城?実はヨーロッパで、もしかしてタイムスリップした感じ?」

「ユーリ、何を言っているのか分からないが、あっちからは見えているだろうさね。馬鹿にされんよう、行儀良くしとけ」

「ぼく、城壁都市って初めて見た‼」

「大人しくしろと言うておる‼」


 前世の知識があったとて、テンションが上がる展開に違いなかった。

 映像や写真、それからゲームでしか見たことのない城塞都市だ。

 父や母それに自分も、あの城壁の向こうにいる領主に雇われている。

 石造りの堅牢な城壁で、如何にも貴族、如何にもここ一帯を治める領主様が住んでいるお城の先端が少しだけ見える。


 ただ、不安がないと言えば、完全にウソである。


「さぁ、もうすぐ着くぞ。三日も家を離れて不安で仕方がない」


 それは確かに不安に違いない。生まれたばかりのマーガレットもいる。

 でも、それはそれ、だった。そもそも——


「父さん。ぼくは本当に魔法が使えないんだけど……。大丈夫……かな?」


 一度も魔法を見たことがない。この世界の人間が本能で魔法を使えるとしたら、絶対に使えないかった。

 ただ、漠然としたイメージの魔法は、魔導書とか魔法書とか仙人から教わるとか大魔法使いに教わるとかで、後天的に使えるようになる気がする。

 教えて貰っていないから使えないのかもしれない。


「大丈夫だぞ。実際、お前には助かっているんだ。良いことをしたと、正直に話せばいい。お父さんは鼻が高いぞ。」


 ファンタジー異世界ではなく、タイムスリップで中世に戻りました、と言われた方が納得できるくらいだ。

 父は何を言っているのか分からないし、ただ浮かれているようにしかみえない。


「そうじゃぞ、ユーリ。魔力を示し、気に入られて騎士になれば領地を貰える。お前が溺愛する家族の為にもなるというもの。……逆に匿っておったらどうなるか、頭の良いボンには分かるな」


 長老は信用できるけれども。


「分かってるよぉ。僕たちが内乱を企てたってことで処刑される——」


 分かっているは、分かっていないってことだ。

 言っている意味は分かるが、それはユーリ自身がチート主人公が如く魔法を使えていたらの話だ。


「……でも、魔法ってイメージ出来ないし。本当に架空の話じゃないのかな……」


 思い出し始めた前世の記憶の中では、魔法とは存在しないことになっている。

 もしくは架空の話とか、胡散臭い話とか。


「本当に魔法使いなんて、存在しているのかなぁ……」

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