秋刀魚が嫌いになった経緯が語られている。
物語の半ばを過ぎた頃になって、ワタシの疑念は募っていた。つらつらと幼少期が語られるのだが、秋刀魚が一切出てこない。それどころか、大人がその子を見る目つきや、世間でのその子の立ち位置に違和感がある。いくつもの「なんでだろう」を抱えて物語を読み終えた時、文学としての完成度の高さにワタシは慄然とした。
さて、『あるいは腐りゆく秋刀魚』は「私の悲鳴を聞いてくれ」という苦悩や葛藤などの作品が集まる企画に参加された。しかし、実際読んでみると感情を省いた客観的事実を淡々と書いている。下ごしらえが丁寧と言うべきだろうか、いろんなものが積み上がっているから、最後の心情を読み取ることができる。
詳しいことは書いていないし、正しい感情なんて伏せられていれる。それでも伝わる。
すべて作者の文才によるものだ。