第9話 シノ君の七つの武勇伝⑤

「あー、それみんながよく言ってるね。わたしは違うんだ。学校が徒歩圏内なの。歩いて十三分。あの辺、坂道とか多いけど我が家から学校までの道に坂道はひとつだけ! それも緩やかな坂だけだから、それで選んだの」

「えっ、頼兼さん家って、名霧丘陵公園の近くなの? そこから名霧駅前の塾に通うの、大変じゃない?」

「大変は大変だけど……学校前にあるバス停から駅前まで来れるし、気分転換になっていいし、駅前は大きな本屋もあるし、スタバもマックもあるから。帰りは同じバスに乗って帰れば、バス停から徒歩二分以内のところに家があるし。それに、ほら、川西区域の再開発が進んで駅前ってあまり人がいないでしょ。それもあってどこのお店も混んでないのがいいよね。ヒナ君とアキ君は? 学校選びの決め手はなに?」


 ぼくの逃げは成功した。上手く学校や自宅の話に切り替わってくれてホッとした。いずれシノ君の話に戻すとして、今はぼくに剥き出しの嫉妬心を向ける頼兼さんをかわしたかったから。

 ぼくは短く息を吐く。ひと呼吸分だけ安堵していると、ぼくより先に秋常くんが話し始めた。


「僕は大手台高校ですけど、頼兼さんと同じで家から学校が近いんですよね。大手台高校って、名霧駅の東側にあるじゃないですか。僕の家もその辺りなので」

「名霧駅の東なら、ぼくが通ってる名霧高校もあると思うんだけど、そっちにはしなかったんだ?」

「名霧高でもよかったんですけど……僕の家、代々大手台高校に通ってるみたいで、それで」

「あー、あるよね。ぼくの友達もそんな理由で名霧にしたって言ってた。距離的には大手台のほうが近いのにって。まあ、名霧高は私服通学校だから夏は楽でいいって笑ってたけど」


 ぼくは、学校の友人を思い出して少し笑った。

 名霧市は地方都市だ。名霧駅には新幹線が止まるし、駅前にビルだって立っている。宿泊施設もいつくかあるし、川西区域の再開発が進んだことで大型商業施設がいくつかできた。ちょっと前まで映画を観るためには車を一時間近く走らせなければならなかったのに、今では川西区域に行けば映画が観れる。

 けれど、決して、都会じゃない。


 町内会だとか地域の交流会は盛んだし、小学生は地域の子供会に、就職したり成人するなどして社会人になったら青年会や婦人会に、老年になったら老年会に。お寺さんがあるなら檀家になって、神社があるなら祭事に参加する。それぞれに所属し、ハレだとかケだとかを気にしながら生活をする。


 家族を含めた親族の繋がりを重んじるし、特別やりたいことがないのなら通学距離は進学先を選ぶための条件としては優先度が下がるほど。秋常くんやぼくの友人のように、親族が通っていた学校を進学先に選びがちだ。もちろん、全部が全部、親族を理由にして進学しているわけじゃないけれど。


 親族の繋がりは、そのまま地域の繋がりだ。地域の繋がりがあるから、おばちゃん防御壁も発動する。おばちゃん達に好かれているなら悪い噂を流されることはないし、いいか悪いかは別として、なにかあっても擁護してくれることさえある。シノ君はガッチリとおばちゃん達の心を掴んでいるんだろう。だから守られているんだ。


 そんな風にぼくが秋常くんと地方都市ゆえのあるある話で盛り上がっていると、頼兼さんがなにか閃いたようだった。


「あっ、閃いちゃった。シノ君は私服通学校なんだよね。てことは、名霧高校と名霧商業高校、名霧科学技術高専、私立千菊高等学園のどれかに通ってるってこと? ねえ、ヒナ君。名霧高校にシノ君らしきひとはいる?」


 頼兼さんは目をキラリと光らせて、テーブル越しにぼくへと詰め寄った。制服や学校の話を持ち出したら、そう聞かれるだろうと。シノ君の話に戻せるだろう、と思っていたけれど、当たりだった。


 すっかり理性と落ち着きを取り戻し、平常運行に戻ったぼくは、背筋を伸ばして頼兼さんを真っ直ぐ見つめた。頼兼さんはぼくの回答を待ち侘びていて、黒くまるい目を輝かせている。

 けれどぼくには、その期待に応える回答は持ち合わせていなかった。ゆっくりと息を吐き出しながら首を振る。喉を震わせ飛び出した声は、いつも通りの冷ややかさ。


「うちの高校は全員模試を強制されるから、シノ君がいるなら『模試を受けたことがない』っていう噂が成立しなくなるね」

「えー、そっかぁ。じゃあ、名霧商業高校、名霧科学技術高専、私立千菊高等学園のどれかってこと……。ねえ、高専って五年制だよね。もしかしてシノ君、高専生ってこと、ない? それならほら、文化祭の武勇伝も遺物発掘の武勇伝も、屋上で映画鑑賞をした武勇伝も、納得がいくっていうか」

「でも高専通っててバイトの掛け持ち、できますかね。シノ君は老人ホームでボランティアもやっているんですよ。そもそも名霧高専生って、バイト禁止じゃなかったですか?」

「じゃあ、名霧商業か千菊高かあ。意外と絞れるもんだね、やっぱり人と話すと情報整理ができて楽しいな。でも、素数に混じった合成数がコレだ! って感じはしないんだよね。もっとこう……単純なことだと思う」


 頼兼さんは独特な独り言を呟いて、しばらくノートを見つめて唸っていた。頼兼さんが通う清良女学院は、数字に強い。理数系大学への進学を目指すなら、女子生徒はだいたい清良女子学院を目指すほど。

 だから頼兼さんのたとえも、はじめは清良女学院に通う頼兼さんらしい閃きだなぁ、と思っていた。けれど、頼兼さんが武勇伝の中に感じた違和感を素数と合成数にたとえた呟きを頭の中で繰り返しながら、ノートに書き記された九つの武勇伝——実質的には八つの武勇伝に目を通すと、ぼくも強烈な違和感を覚えたのだ。


「素数……合成数……数……数?」

「やだ、ヒナ君。わたしの戯言を真正面から受け止めないでよ、恥ずかしい」

「ちょっと口を閉じてもらってていいですか、頼兼さん。今なんだか閃きそうなので」


 あと少しで、なにかが閃きそう。

 ぼくが頼兼さんを冷たく拒絶すると、彼女は両手で口を覆い隠して素直に口を閉じてくれた。その仕草が可愛いな、とは思ったけれど、今はそれどころじゃない。


「数、数……そうだ、数だ。頼兼さん、いい線いってる。数だ!」

「待って、ヒナ君。わたしやアキ君にもわかるように説明してくれないかな」

「いいですか、シノ君の武勇伝のうち、リーダーにはならないという話を除いた八つは、二つに線を引くことができるんですよ」


 ぼくは努めて冷静にそう言いながら、ノートに書かれた箇条書きの武勇伝を指先でトントンと指し示した。その指先に頼兼さんと秋常くんの視線が集まる。


「二つに線って……どうやって? そもそも、どこに線を引くの」

「注目すべき点は数……そうか、武勇伝に関係している人数ですか? そうですよね、日向くん」

「秋常くん、正解! シノ君の武勇伝をよく見て」


 ぼくはそう告げて、箇条書きされた九つの武勇伝を指でなぞった。


 一つ、屋上に野外映画館を設置して、仲間と一緒に映画鑑賞した。

 二つ、老人ホームを訪れて、お菓子を山ほどもらっている。

 三つ、猫を助けるために高所から飛び降りたが、怪我をしなかった。

 四つ、学校の地下に遺跡があるなどと言って、校舎裏を発掘した。それは下々条の郷土資料館に展示されている。

 五つ、文化祭を他校や地域を巻き込んだ地域交流会——文化交流祭に変えてしまった。変わったのは三年前。

 六つ、図書館の本棚を一日一棚一ヶ月で全ての本を制覇した。制覇した図書館は、名霧市立図書館新保分館である。

 七つ、初めて参加したオンラインゲーム大会のチーム戦で見事なリーダーシップを発揮して優勝に導いた。

 八つ、盆踊り大会で飛び入り参加して太鼓を叩き、ついでに横笛も完璧に吹いてその場を多いに盛り上げた。

 九つ、けれど、決してリーダーにはならない。


「シノ君の武勇伝に関係する人数……っていうのかな、それを数えるんだ」


 ぼくの言葉にすぐに順応したのは秋常くんだ。


「屋上で映画鑑賞の武勇伝は、シノ君以外に仲間がいますね……つまり、複数人です。シノ君は近所の子ども達のために即席野外映画館を作りました」

「次は老人ホームでボランティアしてる武勇伝か……そっか、仲のいいおばあちゃんのためにボランティアしてるんだったよね。それに、老人ホームのボランティアってことは、対象はひとりじゃないんだ」

「高所から飛び降りて無傷だった件は……子猫を助けるためでしたね。シノ君はいつも誰かのために、誰かを助けるために行動している……」

「そう。だから、次の遺物発掘の話は怪しいと思ってる。この話、一見、いろんな人が関わってそうに思えるけれど、実際に後者裏を掘り返して遺物を発見して郷土資料館に送ったのって、全部シノ君ひとりでやってるんだよね。誰かと一緒にやったとか、誰かを助けるために発掘したわけじゃない」


 ぼくはそう言いながら、四番目の武勇伝に指でバツをつけた。


「じゃあ……文化祭は地域交流会になったわけだから、地域のひとのため……シノ君ひとりで完結しちゃう武勇伝は……図書館制覇の武勇伝ってこと!?」


 頼兼さんが六番目の武勇伝を指差して悲鳴を上げた。


「ああー……知的なシノ君像が、わたしの中で一瞬にして崩れ去っていくぅ……」


 頼兼さんは相当なショックを受けたらしい。シノ君に眼鏡男子的な幻想を抱いていたのだろうか。

 それがなくても頼兼さんは、シノ君の残り香を少しでも感じようとして下々条の郷土資料館に通ったり、これから名霧市立図書館新保分館に通い詰めようとしていたのだから、ショックを受ける気持ちはわかる。

 こう見えてぼくだってショックなのだ。その二つは、ぼくが上げた武勇伝だったから。三つのうち二つが偽シノ君の武勇伝であるなんて。くじ運がいいのか、悪いのか。ぼくは気落ちした様子を隠すように、グラスに差したストローを啜って珈琲を口に含んだ。


 ああ、苦い。とても、苦い。苦くてたまらない。

 そんなぼくらを励まそうとしてか、秋常くんが慌てた様子で頼兼さんをフォローしてくれた。


「あ、安心してください、頼兼さん。僕らのシノ君はそのエピソードがなくても充分、知能派ですよ。知能に加えてリーダーシップも取れる凄いひとです。そうでなければ初めて参加したオンラインゲーム大会でチームを優勝に導けるはずありません」

「そ、そうだよね……そうだった! 図書館武勇伝がなくてもシノ君は知的だった! そっか……ゲーム大会もチームのために助力したんだよね、シノ君。この武勇伝も誰かのために、だね」

「あとは……盆踊り大会の和太鼓と篠笛ですね。こちらも盆踊りに参加されている方々を盛り上げたわけですから……大多数の幸福のための行動ですね」

「ってことは……」

「遺物発掘と図書館制覇の武勇伝は、シノ君の武勇伝じゃない可能性が高い。それに、この二つは具体的な場所や施設名が出てくるんだ。他の武勇伝はぼかされて特定できないのに」


 遺物発掘と図書館制覇の武勇伝が、妙に詳細な情報と一緒に広まっていたのも、シノ君本人の武勇伝じゃなかったからなんだろう。偽物のシノ君が撒いた情報だったから、おばちゃん防御網からも見逃されて広まったのかもしれない。

 ああ、でも。と、ぼくは思った。

 偽物のシノ君がどういうつもりでシノ君を騙って偽の武勇伝を広めたのかはわからないけれど、彼あるいは彼女は確かに遺物を発掘して郷土資料館にそれを納めたのだ。そこだけは、きちんと評価したいと思う。ぼくとしては、自分の手柄にせずにシノ君の手柄にした理由が理解できないけれど。


 それとも、自分が成した功績をシノ君の名前で広めることによって、悦に浸りたいひとなんだろうか。ぼくにはさっぱり、わからない。

 シノ君を騙る偽物がいるとして、シノ君推しの頼兼さんはどう思うのだろう、と。ぼくは正面に座る彼女の様子を伺った。頼兼さんは魂が抜けたように肩を落として俯いていた。


「やっぱりシノ君はひとりじゃない。違う、ニセモノが別にいるんだ……」



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