アネモネの実力


 何か、身体が重い。

 目覚めたそばから僕は違和感に気付く。


 寝袋シュラフに身体すっぽり包まれているのだから、自由が利かないのは当然である。

 それにしても、重い。何かが、身体の上に乗っかっているとしか思えない。


 手探りで、枕元の魔導小型照明器具マジックランタンのスイッチを入れる。


 頭だけ持ち上げて自らの身体を確認した僕は、眼を見張らずにいられなかった。


 お腹の上に、二本の脚が乗っかっている。すらりとした小麦色の素足だ。

 それが誰のものであるかは、問うまでもない。


「な、何しているの?」


 アネモネは下半身を僕の上に乗せる形で、地面に仰向けで横たわっていた。


「ねえ、ちょっとッ!」

「……ふえ?」


 強く呼びかけると、アネモネは頓狂な声を発して上半身を起こす。

 半開きの目でこちらを見る。

 ……今、起きたの?


 ぼんやりした顔で辺りを見回すと、アネモネはようやく状況を理解したらしく頭を掻く。


「ごめん。ボク、寝相がよくないんだ」


 マントや毛布が、それぞれぶん投げたとしか思えない地点に落ちている。

 よくない、というレベルではない。

 寝袋シュラフを、彼女に使わせていたらどうなっていたのだろう。


 ともかく、朝食にする事にした。

 【収納ストレージ】から、焼き立ての目玉焼きと熱々のソーセージが載った皿をふたつ取り出す。

 泣きこそしないものの、またもやアネモネは美味しさに感激していた。


 歯ブラシは数本持参してきているので、うち一本をアネモネにあげた。

 ……て、僕と一緒じゃなかったら磨かないつもりだったのか?


 シャワーでも浴びてさっぱりしたい所だけど、さすがに森の中でそれは無理だ。


 僕は【収納ストレージ】から、把手の付いた筒状の機器を取り出す。先端から吹き出す風を浴びると、【洗浄クリーン】の魔法と同じ効果が得られる魔導具である。


 まず自らの身体へくまなく風を吹きかけてから、アネモネにも浴びせた。

 身体は風呂に入った様に綺麗になり、服も洗濯を済ませたのと同様の状態になる。


「キミ、色んな物を持っているんだね」

「まあね」

「もしかして、家がお金持ちなのかい?」

「まさか。そんな訳ないだろ」


 カチカチッ。


 岩場に置いておいた頭骨が、歯を打ち鳴らす。

 僕とアネモネは顔を見合わせた。


 外へ出ると、周囲は濃い朝もやに包まれていた。

 洞窟の中からは、歯を打ち鳴らす音が聞こえ続けている。


 微かな物音が聞こえた。

 僕らは、同時にそちらを向く。


 木々の隙間を漂うもやの中に、やけに大きな影が浮かぶ。

 現れたのは人族の男だった。

 髪は短く刈られ、頬は無精髭に覆われている。軽鎧に包まれた肉体は、筋骨隆々である。


 実体以上の巨体に見えたのは、肩に大きな獲物を担いでいるせいだ。

 既に息のない猪の魔獣は、男が仕留めてきたばかりなのだろう。


「まさかとは思ったが、マゾ公どもかよ」


 筋骨隆々の男はそう吐き捨てると、担いでいた猪をゴミみたいに背後に放り投げた。


「うせろ。ここはお前らのいて良い場所じゃねえ」


 男は腰から抜いたサーベルを構える。


「さもなくば、殺す」


 洞窟の奥から、頭骨がけたたましく歯を連打する音が漏れ聞こえてくる。


「アネモネ」

「待ってくれッ」

「え?」

「ボクにやらせてくれ」

「いや、だけど……」

「同意しないと、飛べないんだろ?」


 アネモネは、鞘からナイフを抜いて構える。


「てめえ、俺様を誰だと思っている?」


 男な見下す様な笑みを浮かべて問う。


「さあね」

「Bランク冒険者、『疾風の剛力』バーリ様だぞ」

「知らないよ、人族の世界の話なんて」

「あ?」

「それに、自分に様を付ける奴は大抵雑魚だ」


 バーリはアネモネを上から下まで見やる。


「よく見りゃ、マゾ公にしちゃ上玉じゃねえか」


 獲物を補足した野獣の様に、バーリは舌なめずりした。


 僕も、冒険者の事はよくは知らない。Bランクというのがどの程度かも不明だ。

 けど、あの猪の魔獣を単独で狩れるくらいだ。雑魚であるはずもなく、むしろ相当な実力者に違いない。


 相変わらず頭骨は、洞窟の奥で僕らに危機を知らせ続けている。


「ルード、手出しは無用だよ」


 アネモネは、バーリに視線を向けたまま言う。


 相手の強さを理解すれば、アネモネも【転移ワープ】での離脱を受け入れてくれるだろう。

 その前に、彼女がバーリから妙な真似をされない事を祈るばかりだ。


 アネモネが僅かに身体を沈めた。

 ……と思った途端、彼女は真上に跳んだ。


 その瞬間、僕は彼女の姿を見失ってしまう。

 バーリも同様らしく、焦燥を露に周囲を忙しく見回している。


 樹皮を強く叩いた音がして、枝葉の一部がざわめく。

 バーリに視線を戻すと、その右肩にアネモネが立っていた。

 既に、アネモネはナイフを持つ右手を頭上に振り上げている。

 素早く彼女の右手が振り下ろされる。

 バーリの首に、ナイフが柄の部分まで深く突き刺さった。

 ……は?


 ようやくそこで、バーリはアネモネの存在に気付いたかの様な顔をする。

 捕まえようとしたのか手を上へ伸ばす。

 が、アネモネはいち早くナイフを引き抜き、地面に飛び降りた。


 バーリの首から、夥しい鮮血が噴出する。


「あ……ぐ」


 喘ぎながらバーリは地面に膝をつくと、そのまま倒れ伏した。


 アネモネは何食わぬ顔で、ナイフに付着した血を振り払っうと、鞘に納める。


 わ、一撃ワンキル……つよッ!

 もしかして、昨日の三人組にも勝てた?


「アネモネ。君、そんなに強かったのか……」


 ただ、彼女の顔から勝利の喜びは窺えない。

 悲嘆を含んだ様な表情で、地面に放り置かれた猪の魔獣を見つめている。


「どうかしたの?」

「……ううん、何でもない。行こうか?」


 そう言って、歩き出すアネモネ。


「ちょっと待ってよ」


 僕は洞窟へ駆け込み、荷物を全て【収納ストレージ】に納めると、急いでアネモネの後を追った。

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