密航少女


「おれぁ、ゼインだ」


 トロル族の男性が、そう自己紹介する。

 続いて、ウルー族の男性が僕に掌を差し出す。


「げいちょうのヤプキプだ」


 握手に応じつつも僕は首を捻りたくなる。


 ……げいちょう?

 聞き慣れないワードだ。


「あの、船は何処にあるんですか?」


 改めて港を見渡しながら僕は訊ねる。


「んなもんで、海峡ワイラルを渡ろうとすれば海の藻屑になるだけだぜ」


 ゼインが笑い飛ばす。


「じゃあ、どうやって?」

「待っていろ、もうすぐ来るから」


 ヤプキプが、海を見やりながら言う。


 ……来る。何が?


 十五分程待ったが、海は静かに波打つのみで、特に何かが現れる気配はなかった。


 更に十分。

 少し不安になりかけた頃、ヤプキプが海の彼方を見て目を細めながらつぶやく。


「来たぞ」


 僕も海の向こうへ目を向ける。

 水平線上に、黒い小さな点の様な影が見えた。それは、結構な速度でこちらへ近づいて来る。

 やがで、その形状がはっきり認識できる程にまで接近してきた。


 ……島?


 そうとしか思えない。

 青々とした草と樹木が生い茂っており、家屋が二軒ほど建っている。ちょっとした庭付きの住宅という趣きである。

 何で島がひとりでに動いているんだ?


 疑問を抱いた瞬間、島が大きく持ち上げられた。


 あたかもその島が氷山の一角であったかの様に、黒く巨大な塊がその下に存在していた。

 海面下から出現したその濡れた体表は、太陽光を受けて黒光りしている。左右にそれぞれ、大きな櫂の様なひれも確認できた。


「く、くじらッ?」


 鯨の背中に木や草が生え、家まで建っている!


 再び海面下に巨躯の大部分を潜行させた鯨は、島同然の状態で桟橋の先に停泊する。


 僕はただ、呆気に取られる他なかった。


「も、もしや、あれで?」


 鯨を指差しつつ、僕はヤプキプに問う。


「この海峡を無事に渡れるのは、あいつくらいさ」


 げいちょう……。

 『鯨長』の事らしい。船長ならぬ。


 僕は鯨の身体をよじ登り、背中の上に立った。


 思ったよりも、ずっと広々とした印象だ。

 青々とした草の匂いが漂っている。あまり目にした事のない花も咲いていた。

 建物の一つは今は何もなくがらんとしているが、物資を保管する為の倉庫らしい。


 ヤプキプに案内され、僕はもう一方の建物へと足を踏み入れた。


 部屋の中央に椅子とテーブルがあり、隅には棚と二段ベッド。

 奥には、トイレと簡易ながらキッチンも完備されている。


 テーブル上には、海図や羅針盤が放置されたままで、ここだけ見れば普通の船内と何ら変わりはないのだろう。


「どれくらいかかるんですか?」

「大陸までか? あっという間さ」

「それじゃ、人族が渡って来てしまうのでは?」

「そんな命知らずはそうはいない」

「えッ?」


 外から、ゼインの怒声が聞こえてきた。


「おい、そっちだ。捕まえろッ!」


 何事かと、僕とヤプキプは建物から出る。


 一番背の高い樹木の周りを、ゼインと三体の魚人マーマン達が取り囲んで木を見上げていた。ゼインが上に向けて叫ぶ。


「さっさと降りて来いッ!」


 樹木のてっぺんに誰かがしがみついているようだ。


「また密航者か?」


 ヤプキプの問いに、ゼインがうんざりした様子で応じる。


「背びれの裏に隠れていやした」


 木の上にいる誰かが大声で訴える。


「いいじゃないか、ボクも乗せてくれたって」


 声からして、どうやら女の子のようである。


「駄目だ」


 ヤプキプは冷徹にその訴えを退ける。


「ケチぃ、あと一人くらい余裕だろ」

「密航を許すと、きりがなくなるからな」

「ほれ、降りて来い」


 ゼインが樹木を力任せに揺すった。

 てっぺんの女の子は、振り落とされない様に幹にしがみついている。


 ヤプキプが側にいる魚人マーマンの一体に、示を出す様に顎をしゃくる。


 魚人マーマンは、機敏な動作で猿の様に木に登っていく。

 それに気付いたらしい女の子は、てっぺんから飛び降りた。

 地面についた瞬間、別の魚人マーマンが女の子に飛び掛かり捕まえようとする。

 けど、彼女は軽やかにジャンプして難なくそれを躱す。

 なかなかの身体能力の持ち主である。


 僕のすぐ目の前に、彼女は着地した。


 小麦色の肌に、髪は銀色のショート。

 青みがかった大きな瞳に、長く鋭く尖った耳。

 顔には、幼さが感じられる。

 けど、身体はそれとは不釣り合いで、胸はやたらと大きかった。

 黒っぽい布地の衣服で胸部のみ覆い、下は太ももの露な黒いショートパンツのみという格好のせいで僕は目のやり場に困る。


「何だよ。ダークエルフが、そんなに珍しいのかい?」


 彼女は不機嫌そうに僕に問い掛ける。


「いや、友達にも一人いるから」

「ふうん。ボクは子供には用はないんだ。引っ込んでいてくれよ」

「おい、そんな態度を取るもんじゃないぞ」


 ヤプキプは、僕を指し示しながら言う。


「彼は、今日の唯一の乗客なんだからな」

「そ、そうなのかい?」


 ダークエルフの少女は僕を見て眼を見張る。


「まあ、一応……」


 すると、少女は凄い気迫でもって僕の前へにじり寄って来る。

 何かされるのかと思い、僕は思わず身構えてしまう。


 彼女は徐ろに屈み込むと、両掌を地面につき、頭も額が地につく程下げた。


「お願いだ。ボクもこの鯨に乗せてくれッ」

「え?」


 少女は顔を上げると、哀願する様な目で僕を見て訴える。


「どうしても、ボクは大陸へ行かなきゃならないんだよ」


 再度、彼女は額を地面に擦り付けた。

 いや、僕に懇願されても困るんだけど……。

 判断を任せるつもりで、僕はヤプキプへと視線を移す。


「お前さんが決めな」

「えッ?」

「乗客なんだから」


 僕はまた、ダークエルフの少女に目を戻す。


「わかったよ」


 頭を上げ、驚いた表情で彼女は訊く。


「乗せてくれるのかい?」

「うん。一人くらい、全然余裕だから」

「ありがとおーッ」


 少女は笑顔を弾けさせると、感激が溢れたのか僕の腰の辺りに抱きつく。


「ち、ちょっと」


 僕から離れると、彼女は笑顔のまま言った。


「ボクはアネモネ。よろしくッ」

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