旅立ちの朝


 魔大陸。

 人族の間では、僕らの居住する地はそう呼ばれているらしい。自ら言うのもなんだけど、そんなにでかくない。

 大陸に分類される様な規模ではないのは確かだ。


 【ヨール島】。

 それが、古くからの僕らの故郷の名称であり、魔族は皆そう呼んでいる。


 恐らく、人族側は僕ら魔族をより強大で危険な存在だと印象付けたいのだろう。

 魔族の脅威を煽り立てる目的で、そんな大袈裟な呼び名を用いているのだと言われている。


 ヨール島の南に存在するのが、【エイム大陸】である。

 こちらは正しく大陸と呼称するに相応しく、その大部分は人族の支配領域となっている。


 僕ら魔族は「南の大陸」もしくは、「人族の大陸」などと呼んでいる。

 単に「大陸」と言った場合、僕らの間では大抵においてエイム大陸を指し示す。


 大陸へ渡るには、どうすれば良いのか?


 パル爺曰く、ヨール島とエイム大陸を結ぶ橋や船の定期便は存在しないらしい。

 僕らと人族は長らく敵対関係にある以上、当然かもしれないけれど。

 ただ、両者間の往来が全くない訳ではないそうだ。


 大陸側にも少数ながら魔族が居住している。だから、船便の需要がゼロではないのだ。

 島と大陸の間を航行する船舶は存在する。

 が、それがいつ何処から出港しているかは、さすがのパル爺でもよく知らない様だった。


 僕は島の地図とにらめっこして考えた。


 一番可能性がありそうなのは、島の南端に存在する町【ニイベ】だ。

 そこから、【ワイラル海峡】を挟んだ対岸は、もう【エイム大陸】である。

 地図で見る限り海峡の幅はあまりなく、大陸へはすぐにたどり着けそうな気がする。


 まずは港町【ニイベ】を目指そう。



 村の裏山、高台に拝殿がある。


 まだ誰も目覚めていないであろう早朝、僕はその拝殿の前にやって来ていた。


 ここにノワ族の神様が祀られている……らしい。


 よく知りもしないのに、こんな時だけ神頼みするなんて、逆に神様に怒られるかも。

 でも出発前に、やはりお参りはしておきたい。

 その方法もよく把握していないんだけど。


 拝殿前で手を合わす。

 目をつむり、心の中で御祈りした。


 無事に勇者を討伐して、村へ帰って来られますように。


 ……よし。


 深々と一礼して、僕は拝殿を後にする。


 結局、僕は勇者討伐の件は誰にも告げないまま、こっそりと村を発つ事にした。

 あれだけ散々皆から無理だと否定されたのだから、正直言い難かった。


 パパとママは、猛反対するだろう事は目に見えていた。

 一度、大陸へ行ってみたいと匂わす台詞を、何気なく口にしてみた事もある。

 そんな危険な事は断じてさせられないと、ママは泣きそうな顔をしていた。

 まして勇者を倒しに行くなんて言ったら、卒倒してしまうかも。


 だから今朝、寝ている両親を起こさない様、僕はそっと家を出て来た。


 一応、自室の机の抽斗の中に、二人への置き手紙は残しておいた。

 まあ、無事帰宅出来たとしても、パパとママからめちゃくちゃ叱られる覚悟は既にしてある。


 高台から降りる階段の下に、誰かが佇んでいる。


「リル?」


 僕は急いで階段を駆け下りた。

 寝間着のままのリルに笑顔はなく、長い耳もぺたんと垂れ下がってしまっている。


「どうしたんだよ? こんな朝早くに」


 それは、むしろこちらが問われるべき台詞かもしれないけれど。


「ルードのおうちから、足音が聞こえたの」


 リルの耳の良さを侮っていたかも。


「ごめん、リル」

「どこかへいくの?」

「僕はしばらく村へは帰って来られない」

「ルードいないと、リルひとりぼっちなの」


 リルは俯いて、くすんと泣き出してしまう。


「安心しろ。必ず、帰ってくるから」

「どうしてなの?」


 朱色の瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。


「……リル、勇者達が上陸した時の事は覚えているか?」


 潤んだ目を僕へ向け、リルはこくんと頷く。


「もうあんな怖い想いは、させたくないんだよ。リルにも、他の誰にも」

「ううぅ」

「その為に、行かなきゃならないんだ」


 たぶんリルは、ここ数日の僕の態度などから何かを察していたのだろう。

 意外と素直に、僕の決断を受け入れてくれた様だ。


 彼女は掌で涙を拭うと、手にしていたものを僕へ差し出す。

 長い紐の先に、白くてもふもふの短い尻尾みたいなものが付いている。


「これは?」


 受け取りながら、僕は問い掛ける。


「おまもりなの」

「ありがとう。これがあれば、必ず帰ってこられそうだよ」


 僕は、リルの萎れた耳を撫でる。

 彼女の顔に仄かながら笑みが浮かんだ。


 リルは村の入口まで、ついてきた。

 僕らはお互いの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り合った。


「……よし」


 僕は意を決し、【転移ワープ】を発動する。

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