子供の思い付き


 見た目は、ごく普通の青年だった。


 人族は、僕らと外見がよく似ている。

 黒髪でやや青みがかった瞳を持つリオンは、僕の身近なノワ族の大人たちとそっくりな外貌をしていた。

 異なるのは、頭部に生える二本の短い角が見当たらない点くらいだ。


 リオンは更にこちらへ歩み寄る。


「ルード、たすけて」


 涙声で訴えてくるリル。

 けど、僕にはその要望に応えられそうにない。到底、僕が対応出来る相手ではない。


 勇者はついに僕らのすぐ眼前にまでやって来る。

 無表情で、殺意や怒気が感じられない。

 それが逆に不気味だった。

 次の瞬間にでも、リオンは僕らを斬り捨てる事が出来るたろう。


 僕は、全身が凍結される様な恐怖に包まれた。


 どぶんッ!


 リルの手を強く引っ張り、僕は湖へと飛び込んだ。そうする以外に術がなかった。

 とにかく、勇者達から少しでも離れたい。その一心で、必死で水面をかいた。  


「あぷ……あぷ」


 リルが両手をバタつかせ、水飛沫を撒き散らしながらもがいている。


「るぅど……ぶくぶく」


 しまった。リルは泳げなかったッ!


 水面下へ沈んだリルを助ける為、僕は大きく息を吸い込んでから深く潜水する。


 リルはそれ以上沈むまいと、水中で手足を必死に動かしている。

 僕は手を伸ばして、彼女の右手首を掴んだ。


 ドボンッ。


 背後で何かが水中に没したらしい音がした。

 振り向くと、黒ずくめの女がバタ足でこちらへ泳いでくる。

 まるで、魚の様なしなやかな身のこなし。

 は、速い。


 助けてッ!


 僕は生まれて初めて、心の底から強くねがった。


 今すぐ、僕らをここから逃してください。


 黒ずくめの女は、すぐ手が届く程の距離まで接近すると、腰にぶら下げていた鞘からナイフを引き抜いた。


 ……だ、駄目だ。詰んだ。

 僕は思わず、ぎゅっと目を閉じる。

 そこで意識は途切れた。



 ひんやりとした風が、顔を撫でる。


「……ド」


 草花と土の匂いが鼻孔をくすぐった。


「ルードッ!」


 誰かに強く呼びかけらた。


 ハッとして、僕は目を開ける。

 キポの顔がすぐ目の前にあった。強張った表情でこちらを凝視している。

 その傍らにはブラウも佇んでおり、不安を貼り付けた様な顔で僕を見下ろしていた。


 僕は冷たい土の上に寝そべっているらしい。

 空は暗い藍色。覆い被さる枝葉の隙間で星々が瞬いている。


 上半身を起こして辺りを見回すと、樹木に囲まれている。森の中らしかった。

 おかしいな。洞窟、しかも水中にいたはずなのに……。


「リルは?」


 二人が視線を寄越す先を僕は見やる。


 少し離れた所で、茂みの草に埋もれる様にリルが横たわっていた。

 僕はリルの側へ駆け寄る。彼女の顔を覗き込み、呼び掛ける。


「おい、リルッ!」

「……ん」


 リルの瞼が薄く開いた。


「大丈夫か?」


 ぱっちりと開かれた目が、僕の存在を認識した事がわかった。朱色の瞳にみるみる涙が溢れ、やがて零れ落ちる。


「……こわかったの」

「もう平気だよ」


 リルは起きあがるなり僕の胸に抱きつき、声を上げて泣き出す。

 僕は萎れてしまった耳を優しく撫でた。


「て、ここは何処?」


 僕の疑問に、キポが即答する。


「あの洞窟から少しだけ離れた場所だよ」


 確か、来る途中に通った覚えのある風景だ。

 どうやって、この場までやって来たんだ?

 記憶を辿るもまるで思い出せない。


「他のみんなは?」

「向こうにいる。全員、無事だ」


 ブラウの言葉に、僕は心底から安堵する。


 二人の案内で、僕らは皆がいるという所まで移動した。

 大樹の下で、子供たちはうずくまり身を寄せ合っていた。


「急いで、この場から離れよう」


 ブラウの提案に誰も異論はなかった。

 勇者達がいる洞窟からは、なるべく早く遠ざかりたい。

 けど、何処へ向かうかが問題だった。

 僕らには行くあてなど思い付かない。


 村へ戻る以外、選択肢はなさそうだ。

 地図と記憶、それとキポの探知魔法を頼りに、僕らはひたすら村まで歩いた。

 到着する頃には、既に日が昇りつつあった。


 戻って来た僕らを見て、村の大人達は酷く驚いていた。

 昨日、避難したばかりなのだから当然だ。


 子供たちは皆、糸が切れた様に地面にへたり込んでしまった。

 家族の顔を見ると、誰もが泣き出すのを我慢できなかった。

 いつも冷静で大人びているブラウですら、堪えきれず目に涙を浮かべていた。


 僕らは口々に、洞窟での出来事を説明した。


 聞き終えた大人達は驚きを露とするのと同時に、それぞれ自らの子供の肩を抱いて慰めた。

 僕も、ママからそれまでで一番強い力でぎゅっと抱きしめられた。



 結局、勇者一行は、魔王城からおよそ五十キロメートルの地点まで進撃した。


 そこで待ち伏せていた魔王軍精鋭部隊との間で、激しい戦闘バトルが勃発した。

 部隊を率いたのは、七魔将のひとりベルブーゼで、本人も勇猛果敢に戦闘バトルに参加したとの事だ。

 激戦の末、勇者達は敗走し、島からも撤退した。


 なぜ、勇者達があの洞窟へやって来たのか?

 それについては、もはや知る術はない。


 一つの可能性として、【歪み】に嵌ったのではと推察されている。

 森や草原で偶発的に発生する【歪み】に取り込まれてしまうと、島内の何処かへランダムに転移させられてしまう。

 偶々、その先があの洞窟のすぐ近くだった。【索敵】で僕らの存在を把握し、洞窟内へ侵入して来たのかもしれない。


 そうだとすれば、極めて低い確率の不運が重なった結果といえる。


 幸い、僕らの村へ勇者らが来る事はなかった。


 一方で、勇者パーティーの襲撃を受けた町や村には甚大な被害がもたらされた。

 新聞等で被害状況を見聞きした僕は、レベル60超の勇者パーティーの恐ろしさを改めて思い知った。

 そこで、ふと思った。


 勇者がもっと弱い段階、即ちレベルの低いうちに討伐してしまえばよいのに。


 レベル20とか30代、もしくは一桁。

 いや、レベル1のうちに倒せばいい。


 僕が魔王陛下ならば、そう命じると思う。賢い魔王ならばそうするはずだ。


 勇者はレベル1のうちに殴れ。


 それが極めて困難である事は、後々大人達から嫌になるくらいに知らされた。

 所詮は子供の思い付きに過ぎない。

 けど、この思いつきが、僕の未来を大きく決定付けることになった。

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