第35話

「……本気で言ってる?」

 もうすっかり辺りは暗く、弱々しい月光が時折雲間から覗くだけになっている。

 わずかに生ぬるい風が頬を撫でて吹き抜けていく間、僕たちは沈黙を分かち合った。

「仮に、今までの黒田君の話をすべて本当だと仮定するわ」

やがて沈黙を破った空野さんの口調から、最初は感情が読み取れなかった。

「私が嘘をついていて、実は朱莉は私を『前回』以外殺してなかったとして。でも、どうして私があなたを殺害する必要がある? そりゃ『前回』はあんな形になってしまったけど。私は、本当に、黒田君のことがずっと好きだった! それはあなただってもう『前回』気付いてくれたでしょう!?」

「……こんな形で言わせちゃってごめんね。でも、だからこそ。そうじゃないかな、とも思うんだ」

 最後には感情を抑えきれなくなったかのように激高する空野さんに、僕は謝ることしかできない。

「そんな、ずるいわよ……」

「本当に、ごめん。でも、最後まで聞いてほしいんだ」

 それ以上、空野さんは何も言わなかった。

 だけどその沈黙は、ただ僕の言葉を待ちわびているようにも見えた。

「話を元に戻すと、僕は空野さんがループを始めた時から、神崎さんに襲われ続けていたんだと思う。それはきっと空野さんの言う通り本当だ。でも……空野さんの一回目から四回目まで、僕は死ななかった。いや、死ねなかった。そうなんじゃないかな?」

「……っ」

 すぐ隣で嗚咽のような声が漏れた。

「きっと、神崎さんに襲われた僕はそのまま起き上がれないほどの状態になったか、植物状態にでもなったのかもしれない。それで、ショックに勝てずに自死を選んだ空野さんはループすることに気付いた。そして……ここからは希望的観測なんだけど、空野さんは僕を助けるために、何度も頑張ってくれたんじゃないかな?」

 正直、うぬぼれだと言われても仕方ないし、希望的観測もあった。

「……ううっ」

 果たして、空野さんは糸の切れた人形のように、僕の方へもたれ掛かってきた。

 それを僕はただ優しく受け止めてあげる。

 その身体は何度も死を経験してきたというにはあまりにも華奢で、弱々しくて、それでも生の温もりに満ちていた。

「きっと、五回目に空野さんは限界を迎えたんだよ。それで、神崎さんに襲われて意識を失った僕と心中でもしようとしたんだろう。もうループするのも嫌になって」

 ――今回は大失敗。

 初めてのループの際に聞こえたあの言葉。

 取り得る結末の中で恐らく最悪の結末を迎えるしかなかった、空野さんの懺悔の言葉だ。

「……でも、そんなになるまで、空野さんは僕を助けようとしてくれたんだ。だからこうして、僕もまた空野さんと同じループの輪に入ることができた。こうして……君の苦しみのほんの一部だけだけど、共有することができた」

「……うわああああああああん!!」

 咆哮にも近いような声で、空野さんが泣き叫び、僕にしがみついてくる。

 その温かな彼女の鼓動を、僕は全身全霊で受け止めた。

「ありがとう、空野さん。僕と一緒に生きる手段を探し続けてくれて」

「私……ひっく、本当に頑張ったのよ……! でも何回やっても、あなたはやり直した先でも半死の状態になってしまって……! 一度も死ななかったけど、一度も助からない!」

「苦労を、かけちゃったんだね……」

「でも、一番つらかったのは、黒田君がループを始めてからだった! 黒田君にループしてほしくて、私は毎回、黒田君にとどめを刺してて……! 最後なんて、罪悪感すら薄らいできて……! 本当に私、壊れちゃってて……!」

 空野さんの五周目でループした僕と「それまで」のループしなかった僕とのズレ。

 僕がループして目覚める時間と、空野さんが目覚める時間のズレ。

「今回」のループだけ、僕が朝目覚めたというズレ。

 毎回、僕の言動に関係のない所で起きる神崎さんのセリフのズレ。

 それらのわずかなズレには、すべて空野さんの行動が絡んでいたのではないか。

 言い換えると、彼女こそがこのループの中心に常にいたのではないか。

「でも、今回はこうして二人で生きてる。神崎さんはもう、襲ってこないよ」

「……でも私、もう一つ大きな嘘をついてるのよ」

 少しずつ深呼吸しながら、空野さんが顔を上げる。

 真っすぐな月光が、長いまつ毛についた涙を美しく輝かせていた。

「本当は私、これが何周目かなんて分かってない。黒田君を初めて殺した時、私はもう数えきれないくらいにループしてたの。それこそ、何度も朱莉だって殺したし、黒田君のクラスの生徒を皆殺しにしたことだってあったわ。……それでも、未来は変わらなかった」

「そっか……」

 正直、その可能性も少しは考えていた。

 すでに、空野さんの心はズタボロに壊れている。

 それでも……。

「僕とそこまでして一緒にいることを選んでくれたんだね」

「ひっぐ……」

 再び空野さんの顔が歪んだ。

「今回」は彼女を泣かせてばかりだ。

「でも……大丈夫だよ。今回の僕は、いや、僕たちは」

 僕は空野さんの震える身体を抱き返す。

 もう、このループは二度と起きない。起こさせない。

 なぜなら、このループの中心にいるのは僕でも神崎さんでもなくて。

 この面倒くさい性格の空野紫咲という最高の負けヒロインなんだから。

「空野さん。君を愛してる。僕の隣にずっといてくれ」

「……そう言って、朱莉にも告白したんでしょ?」

「今回は『目的』のためじゃないし、そもそも『目的』なんてないよ。だって、僕たちは普通に生きていきたいだけなんだから」

 言い切った。

「……本当にロマンの欠片もない告白ね。不合格よ」

「え?」

 だけど、どうしてか僕のヒロインは、とても不満顔で……。


「だから、私からやり直してあげる」


 一瞬で、唇に温かくて柔らかい感触が当てられた。

 それが、空野さんの唇だということに気付く頃には、彼女の唇は僕から離れていった。

「正真正銘の、ファーストキスよ」

 銀色の糸が僕たちの唇を結んでいるのを眺めていると、空野さんは妙に勝ち誇った口調で言った。

「長かったわ……。これで、私の恋はようやく叶うのね」

 幸せそうに微笑む空野さんを見て、僕はループの終わりを確信する。

 ようやく、僕たちは普通の男女として、先に進めるのだ、と。

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負けヒロイン改竄ループ メンヘライⅢ @manhelei

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