第31話

「えっと、そうだね。ウチとしてはそこまで要望もないし、今後陸上部は二年に引き継いでいくことになるので、よろしくってくらいかな」

 翌日。

 問題の陸上部の監査もつつがなく終わり、僕は担当分の監査をすべて終わろうとしていた。

「後は……そうだな……」

「今回」の監査では、神崎さんではなく佐々木先輩が主に対応してくれていた。

 まあ、紫咲との分担で監査を進めた関係上、時間が「前回」以上に早かったというのが原因だろう。

「そういえば、二年の神崎さんが何か言ってたな……えっと」

「あっ、電灯の件ですか?」

 僕は反射的に答えてしまった、と思った。「今回」の僕は、まだクラブルームの電灯が切れかかっていることを知らないはずだ。

 不審に思ったのは佐々木先輩も同じようで「あれ、よく分かったね?」と驚いた様子で言った。

「ああ、えっと……ほら、神崎さんって僕と同じクラスで! 何かそんなこと言ってるのが聞こえてきたっていうか……」

「ああ、なるほど。そういうことか」

 咄嗟の言い訳に、佐々木先輩はそれ以上追及することなく納得してくれた。

「ええ。では、電灯に関しては新しいものを予算で買っておきますので……」

 この後、もう少し経てば神崎さんがここに戻ってきて、地震が起こるはずだ。

 そうなると、また何が起きるか分かったもんじゃない。

 早々に話を切り上げ、僕が立ち去ろうとすると、佐々木先輩が僕の前に立ちはだかった。

「黒田君……実は、一つ、聞きたいんだが……」

「え、な、なんですか……?」

 おかしいな。

 僕と佐々木先輩はそこまで接点はなかったはずなんだけど……。

「君と空野紫咲さんは、付き合っているのかい?」

「え……?」

 それは佐々木先輩どころか、春元会長にもまだ伝えられていないはずだった。

 一瞬の沈黙が僕たちを包み込む。

 秀麗な目鼻立ちはわずかに憂いを帯びて、それだけ佐々木先輩が真剣なのだと物語っている。

 野球部の部員たちが上げる掛け声が。とても遠い所で聞こえた気がした。

「……付き合ってます」

 永遠にでも続きそうな沈黙の中、僕はそう答えていた。

 不思議と、この判断がまちがっている気はしなかった。

「……そうか」

 佐々木先輩は、短く答えた後、長い息を吐きだした。

「空野さんは、いつも生徒会で君と一緒だったからね……。君と一緒にいる空野さんは、いつも楽しそうだった。傍にいないどころか、彼女の泣き顔しか知らない僕からすると、そもそも勝てる戦ではなかった訳だ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 自虐めいた笑みを浮かべる佐々木先輩の言葉に思わず僕は食いついた。

「前回」までのことから、佐々木先輩と空野さんに因縁が元々あったのは何となく想像できてたけど……。

「空野さん……紫咲が僕と付き合い始めたのは今週からです。それまで、彼女は……」

「ああ、そうか。……彼女を遠巻きに想い続けてきた期間は僕の方が長かったから、僕だけが気付いていたのか。悔しいけど、それは少し誇らしいかな」

佐々木先輩は一瞬、雲間から顔を出した太陽のような笑みを浮かべて言った。

「いいや、彼女は元々君のことを好ましく思っていたよ。少なくとも僕が見ていた限り、生徒会に入ってからずっと、空野さんは君と一緒にいる時常に楽しそうだったからね」

「佐々木先輩……。じゃあ、あなたはどうして……」

 こんなイケメンで神崎さんを始め後輩たちにも慕われている先輩が、どうしてそこまで空野さんを気に掛けながら、一切アプローチをここまでしてこなかったのか。

 僕の疑問を見透かしたように、佐々木先輩はやはり自虐的な笑みのまま言った。

「だって君、今さらどうして言えるんだ。一度は振って泣かせた女の子に、やっぱり付き合ってくださいだなんて……」

 まるで罪人の告白のような口調の佐々木先輩を見ていると、今まで脳の奥の方で埃をかぶったように不鮮明だった記憶が、次第に蘇り始めた。

「僕は小学生時代、空野さんに好きだと言われた。そしてそれを断って、彼女を大泣きさせてしまったんだよ」

 ここまで言われれば、確証はないけど確信はあった。

 僕が負けヒロインに魅入られてしまったのあの体験。

 ――告白する少女と、それを断る上級生の男子。

 立ち去る男子と泣き崩れる少女。

 女子は男子に比べて早熟だという。

 きっと、それは単に当時の佐々木先輩には早すぎただけなのだ。

「眼鏡をかけて雰囲気は変わったけど、僕にはすぐあれが空野紫咲さん……僕に初めて告白してくれた女の子で、僕の叶わない初恋の相手だって気付いたよ。けど同時に、眼鏡をかけた彼女の雰囲気は、どこか男子を寄せ付けない雰囲気をまとってた。そう、君以外の男子をね」

「そ、そんな……」

 どうして僕は気付けなかったのだろう。

 どうして僕は思い出せなかったのだろう。

「あの日のことは鮮明に覚えてるよ。あの告白を僕が断った直後、僕は一度だけ泣き崩れる彼女を振り返った。その時、彼女の側には同級生なのか、一人の男子が駆け寄って、何やら言葉をかけていた。それは……きっと君だったんだろう?」


「どうして。どうして私じゃダメなのよ……」


 脳裏にこびりついた記憶の少女が、空野さんと重なる。

 あの後、中学に上がる頃には彼女は隣の学区に引っ越しして転校してしまった。

 だけど、あの時に声をかけた僕のことを、ずっと想ってくれていたのは「前回」の神崎さんの話や今の佐々木先輩の話から想像できた。

 なら……あのループに巻き込まれる前から、彼女は……!

「絶対に、空野さんを幸せにしてくれよ。あの子は泣き顔よりも楽しそうにしてる顔の方がよっぽど似合うんだ。眼鏡をかけてようがかけてなかろうが、ね」

 どこか寂しそうな笑みで、だけど佐々木先輩は僕にサムズアップしてくれた。

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