第25話
「夕暮れ時」というには、空の色はとっくに暗くなり過ぎている。
僕が学校に着いた時には、すでに19時近くになっていた。
「えっと……神崎さんは……」
グラウンドに出てみると、クラブルームの一角に明かりが灯っているのが見えた。
あれは確か陸上部のクラブルーム。
ということは、神崎さんはまだあそこで待っているのだろう。
僕は神崎さんに到着を知らせるべく、電話をかけた。
「……もしもし、黒田君?」
電話に出た神崎さんは、どこか不安が混じったような声だった。
「今、学校に着いたよ」
「ありがとう、良かった……」
ホッとした様子で電話口の神崎さんが言う。クラブルームの電灯が一瞬、パチンと点滅した気がした。
「ごめんね、遅くなって。あと、前に言ってた陸上部の電灯、そろそろ変えなきゃいけないね」
「ううん……。でもなんで今、電灯を?」
「いや、だって今、切れそうな感じだったからね。パチンって点滅してたし」
僕は小走りでクラブルームに近づきつつ、電話口の神崎さんに答える。
「え、なんで……?」
驚いた様子の神崎さんの声が、電話口から聞こえるより一瞬早く、すぐ後ろから聞こえた。
「あれ、神崎さん……?」
クラブルームにいるはずの神崎さんは、僕の後ろに立っていた。
「噓でしょ? 私、さっき確かに電気消して外から鍵をかけたのに……」
呆然とクラブルームの方向を見つめる神崎さんの姿に、背筋を冷たい何かが走った気がした。
「ほら、消し忘れただけかもしれないし……」
クラブルームの灯りが、再び頼りなさそうに明滅する。
僕はクラブルームの入口へ回り、鍵が施錠されていることを確認した。
「鍵はしまってるみたいだけど……。神崎さん。一度鍵取りに職員室に戻ろうか」
「嫌、なんか怖いよ、黒田君……」
この時間ならまだ、誰か先生が残っているはずだ。
鍵を取りに行くついでに、その先生にもついてきてもらえばいい。
僕がそんな希望的観測をしていると、唐突に目の前に漏れていた光が消えた。
「く、黒田君……。今、勝手に電気が……」
「電灯が切れちゃったんだよ、きっと……」
僕はできるだけ神崎さんを不安にさせないように、少し離れた所にいる神崎さんに対して微笑む。
グラウンドの電灯だけでは暗すぎて、この微笑みは神崎さんには届かなかったかもしれなかった。
その時、僕と神崎さんの間で重い音が聞こえた。
それと同時に、神崎さんがビクリと全身を大きく震わすのが見える。
「神崎さん、危ない!」
その音がクラブルームの古びた窓を開く音だと理解したのは、身体が動き始めてからだった。
僕は、全速力で駆けていく。
視線の先には、ひきつった表情で立ち尽くす神崎さん……に向かって一直線に突き刺さろうとする、月光を反射する銀の輝きとそれを持って神崎さんに迫る人影。
クラブルームの窓から飛び出してきた「何者か」は、明らかに神崎さんを攻撃しようとしている。
「神崎さん!」
僕は間一髪、その銀色が神崎さんに到達するより早く、彼女の元へ辿り着く。
「ぐっ……!」
そして神崎さんを巻き込むようにして、地面に倒れ込んだ。
「……なんで?」
乱れる吐息が三つ聞こえる。
僕の上で腰を抜かしたままの神崎さんが、茫然と呟いた。
「なんで、こんなことを……」
神崎さんのお尻の下から抜け出した僕は、彼女の視線の先を追う。
「えっ…………」
そして、ようやく自分が最悪の選択肢を取り続けたことを確信した。
「全部、あなたが、悪いのよ……」
僕の目の前で、包丁を持つ襲撃者がゆっくりと言う。
その言葉が神崎さんに向けられているのか、僕に向けられているのか、分からなかった。
「あなたさえいなければ……毎回こんな苦しいこともせずに済んだのに……」
伸びきった黒髪が漆黒の空に溶け合い、痩せすぎた体躯が夜風に晒されている。
丸眼鏡の奥の瞳は爛々と赤く輝き、その憎しみと怒りと悲しみを、これでもかとばかりに神崎さんへ向けて発していた。
思考がまとまらず、言葉が出てこない。
僕は神崎さんを庇う事も忘れて、口をパクパクさせることしかできなかった。
「ねぇ、よりにもよってどうしてあなたが黒田君を取るの?」
じわり、じわり、と細いシルエットが銀色の凶刃を手にしたまま、距離を詰めてくる。
「返して、返してよ……! どれだけ私が黒田君を想って何回もやり直してきたと……!」
涙と共に銀色の光が降ってくる。
ああ、やっぱり僕は間違っていたんだ。
ずっと自分の本心を騙しながら過ごしてきたけど、ようやく僕がこのループの中でやるべきことが見えてきた気がする。
「ごめんね、空野さん」
目の前で包丁を振り下ろす空野さんの瞳が見開かれた。
「でも、『今回』の僕は、もうダメなんだ」
僕は神崎さんを突きとばし、銀色の落下点でその時を待つ。
「絶対に、空野さんに生き延びてほしかったから……」
その言葉は、狂気に呑まれた彼女に届いただろうか。
確認を取るより早く、僕の意識は闇に呑まれていった。
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