第四章 4周目
第26話
「黒田、君……?」
脳天に突き立った残酷な刃。
「嘘。……嘘だよね?」
神崎朱莉の間の抜けた声が、夜のグラウンドに虚しく響く。応じる声は、もちろんない。
きっと、神崎朱莉にはそれしか見えていなくて、その刃を振り下ろした私がどんな顔をしているかなんて、見えていない。
失敗続きの私にとって「前々回」は「大失敗」だった。
それは、私が取り得る結末の中で、恐らく最悪の結果だったといっていい。
そういう意味では、過程が大きく変わった「前回」も同じ。だけど今回は彼が神崎朱莉に大きく干渉するシナリオを描き、実際に問題の九月十日を無事生き延びた。
これでいい。そう思えるはずだった。
だけど、現実はそう甘くなくて。
今回は「前回」までの「大失敗」を超える「大大失敗」。
だって、今回は彼につき立てた無慈悲な刃の意味が違う。
これは救いの刃などではなく、単に矛盾を孕んだ狂気の刃でしかないのだから。
「ねぇ、どうしてこんなことをするの……?」
その時、涙にぬれた瞳が私を捉える。
憎しみ、怒り、悲しみ、そして……まだ消えぬ彼への愛がその瞳からは見て取れる。
ああ、強いわね……。
私は場違いにも、そんな印象を神崎朱莉に抱いた。
「紫咲。どうしてこうなったの?」
「……言ったはずよ。全部、あなたが悪い、と」
「違うよ!」
違う? 何が。
私は何度も神崎朱莉に殺されてきたし、黒田君だって、その度人生を台無しにされ続けた。
それなのに、たった一回きりでどうして被害者面できるのか。哀れなのは、どう考えても私の方なのに!
「違うよ……。それじゃ、紫咲の想いは偽物だったの……?」
私を真っすぐに見つめる瞳が、じっと答えを待っている。
私は、その真摯な視線に対して、目を逸らすことしかできなかった。
「……もういいよ。何にせよ、黒田君は戻ってこない。私は紫咲を許すことができない」
もう興味を失ったかのように、恐ろしく乱雑な動きで神崎朱莉が私の手を払いのけ、黒田君の頭から包丁を抜き取った。
ゴポリ、と生々しい音を立てて、傷口から何かの液体が零れ落ちる。
それを見て、私は今までにないくらい、悲しい気持ちになった。
「じゃあね、紫咲」
直後、身体中を切り裂くような痛みが襲ってくる。
「大切な黒田君に看取られて。後悔しながら死ね」
去り行く足音。
自分の意識に靄がかかってくる感覚。
着実に近づいてくる最期の時を前に、私は考えた。
私の想い。
それが本当に、正しいものだったのかと。
少なくとも、最初は正しいものだったはずだった。
何度も何度も、黒田君を救おうとやり直して。
そしてその度神崎朱莉に阻まれて。それでも、私は黒田君を救おうとしていた。
それは、初めの「大失敗」だった「前々回」ですら、変わらなかったはずだ。なぜなら、すぐにまた会えると確信のあった「前回」でさえも、その瞬間には躊躇をしたのだから。
でも……。
「今回は、抵抗が無かったわ……」
彼に刃を突き立てたのは「今回」が三回目。
そして、その瞬間に罪悪感を抱かなかったのは、今回が初めて。
もう、歪み切ったこの想いが、元の綺麗な気持ちになる事はないのかもしれない。
そう考えると、やっぱり私は無性に悲しくなった。
◆◆◆
来訪者を知らせるインターホンの音で、意識が急浮上する。
目を開けると知らない天井……ということはなく、見知った自室の天井だった。
居間の方では再びインターホンのチャイムが鳴っており、それがいつも通り両親の不在を物語っている。うちの両親は共働きで、毎朝僕が起きるより早く、出ていくことがほとんどだ。
「ふぁ~、誰だろ、こんな朝に……」
寝ぼけ切った思考のまま、部屋を出てインターホンのディスプレイがある居間へと出る。
自分が何か重要なことを忘れてるような違和感は、意識が浮上する頃からずっとある。
そして、その違和感は、インターホン越しに映った彼女の顔を見た瞬間、はっきりと形を持つものに変わった。
「おはよう、黒田君。よく眠れたかしら?」
インターホン越しに微笑む彼女、空野紫咲さんの姿に、僕はつい先ほどまでの体験を思い出して、息を呑んだ。
そう。確かに僕は空野さんに殺されたはずだった。
だというのに……。
「どうしたのかしら、黒田君。早く支度をしてちょうだい。学校に遅刻してしまうわ」
まるで何事もなかったかのような苦笑を浮かべる神崎さんに返す言葉がなくて、僕は咄嗟にインターホンのディスプレイに示された時計を確認する。
九月五日木曜日。午前七時二十分。
僕は三度、この日に戻ってきたことを確信した。
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