第24話

 翌日、ついに一人で秋の生徒会の激務を回してきたツケなのか、僕は体調を崩した。

 すでに神崎さんからは何度も心配の連絡をもらっている。

 心配をかけて申し訳ない反面、最近の自分の精神状態を考えると、彼女に会って傷つけることを避けれてホッとしている所もあって、それがたまらなくかっこ悪く感じられた。

「あーぁ、神崎さんも、春元会長も、心配してるだろうなぁ……」

 ただベッドで横になっていると、やることがなさすぎて、考えなくてもいいようなことまで色々と考えてしまう。

 確か、今日は春元会長も生徒会の手伝いをしてくれるという話だった。

 せっかくの好意を無駄にしてしまった気がして、申し訳ない。

 そして、生徒会といえば……。

 やっぱり、最近全く学校に来ていない空野さんのことも気になってくる。

 神崎さんは、僕の彼女になってくれた。

 だから大丈夫だとは思うのだけど、空野さんと佐々木先輩の関係問題は解消されていない。

 空野さんは佐々木先輩と小学校時代に知り合いだった可能性について、覚えてないみたいだけど……。

 もしも、佐々木先輩が空野さんのことを覚えていて、何度やり直しても佐々木先輩が絡んでくる原因が、その小学校時代の縁なのだとしたら……?

 そんなことを考えていると、どうしてか僕はとても嫌な気分になってきた。

 ……やめよう、やめよう。

 今の僕は神崎さんの彼氏で、空野さんが誰と恋仲になろうと関係ないはずだ。

 確かに、佐々木先輩が原因で空野さんが学校に来ることができない、というならそれはそれで問題だけど。

 やっぱり、この問題は時が来たら空野さんと中学時代に親交のある神崎さんにも手伝ってもらって、解決するしかないのだろう。

 熱に浮かされてか、意識が朦朧とする。

 ぼんやりと薄れゆく意識の中で、僕はふと、漠然とした違和感を抱いた。

 空野さんが何度も「やり直し」をしている間、僕は何をしていたのだろう……?



 ――まるで朝陽が驚いて転がり落ちて夕陽になってしまったみたいに。

 一限前の朝の穏やかだった教室は、鮮烈な「赤」に染まっていた。

「朱莉! おい、朱莉!」

 視界の隅で、湯田さんがその「赤」の中心を抱いて叫んでいる。

 それは、先ほどまで僕が良く知る人物だったはずだ。

 だけど、脳が正しい情報の理解を拒否しているように、僕は「それ」が何なのか、分からない。

 遅れて、四方八方からノイズが聞こえてきた。

「おい、朱莉! お願い、目を……開けてくれ……!」

 意味のある言葉を叫んでいるのは湯田さんだけで、他の教室の生徒たちは皆口々に、意味のない言葉を叫び続けていた。

 ある者は叫びながら一目散に教室から出ようとして派手に転び、それでも叫び続ける。

 ある者は恐怖のあまりか、その場に腰を抜かしたまま、何かを叫び続ける。

 阿鼻叫喚。

 ありきたりな表現しかできないけど、僕たちの教室は地獄と化していた。

「あなたが、悪いのよ……」

 そして視界の中央で。

 もう一つの「赤」の根源が、静かに動く。

 長い髪が乱れるのも構わず、包丁を振りかざす人影を、僕はただ見ているしかできない。



 ――スマホの着信を知らせる低い振動音と共に、僕は跳ね起きる。

 時間を見ると、もう夕方18時を回っている。

 依然なり続けるスマホを見ると、神崎さんからの着信だ。

 大分寝たからか身体は軽い感じがしたけれど、すごい汗をかいており、なんだか妙な胸騒ぎがする。

 僕は重い腕をノロノロと伸ばし、スマホの着信に応じた。

「あ、黒田君! ごめんね、体調悪いのに……」

 僕が電話に出ると、どこかホッとした様子の声が聞こえた。

「ううん、一日寝てたらだいぶ良くなったから大丈夫」

 僕は顔の汗をぬぐいつつ答える。実際、それは神崎さんのための嘘ではなくて、身体の調子はかなり回復しているようだった。

「そっか、それは良かった……」

 心底ほっとした様子で言った後、神崎さんは何事かを切り出そうかと迷っている様子だった。

「どうしたの?」

 僕が問いかけると、神崎さんは「嫌だったら大丈夫だからね……」と前置きをしつつ、なおも迷いながらも切り出した。

「体調悪い黒田君にこんなことを言うのは、本当に申し訳ないんだけどさ。できれば、学校まで迎えに来てほしいの」

「え? 今から?」

 僕が予想外の言葉に戸惑っていると、神崎さんは慌てたように「しんどいなら別に大丈夫だから!」と言った。

「……何かあったの?」

 神崎さんは、僕と付き合い始めてからは、ずっと安定していた。

 だけど「前回」までは、佐々木先輩への告白に失敗して壊れてしまったのを見たら分かる通り、元々は脆い女の子だ。

 それが彼女の魅力でもあるのだけど……。

 僕は心底彼女のことが心配になってきた。

「あの……変な事を言ってるって思うかもしれないんだけどね……」

 相変わらず、歯切れ悪い口調で神崎さんは切り出す。

「最近さ、一人の時に……誰かに見られてる気して……」

「誰か?」

「うん、全く身に覚えがないんだけど、時々、誰かがこっちを伺ってる気がするんだ。たとえば電車降りた帰り道とか、駅で電車を待ってる時とか、ふとね……。もう、一週間以上そんなのが続いてて……今も、ずっと見られてる気がする」

 もしかしてストーカーの類だろうか?

 一気に不安が募ってきた僕は、ベッドから起き上がり、身支度を始めた。

「神崎さん、今はどこ?」

「陸上部のクラブルーム。学校ではあまり、見られてる気はしなかったんだけど……」

「近くに他の人はいる?」

「うーん、野球部の人たちがいるけど、知らない人ばっかで……」

「分かった、ひとまず、その場を離れないようにして。今から行くよ」

「え、でも黒田君、体調悪いんじゃ……」

「大丈夫、彼女の一大事だからさ」

 そう言って、僕は部屋を出る。

 本当は、いつも空野さんのことを考えてしまう自分への戒めでもあり、神崎さんへの罪滅ぼしでもあった。

「ありがとう、黒田君。やっぱり私、黒田君の彼女になって良かったな……」

 電話口でしみじみと言う神崎さんに、やっぱり僕の胸はじわりと痛んだ。

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