第23話
空野さんが来ない生徒会の活動は、どうにも締まらない。
今日は春元会長も最近通い始めたという予備校のためいない。
結局僕は生徒会室で、学園祭関係の細々とした仕事をダラダラと一人で下校時刻ギリギリまでやっていた。
「結局一緒の時間になれたね」
「うん、おつかれさま」
生徒会室を出て鍵を返した僕は、グラウンドで神崎さんと合流する。
彼女は紅潮した頬をタオルで拭いてから、手に持ったペットボトルの水を一気に飲み干した。
「でも、本当に私に合わせる必要なんてないよ。疲れてる日とかは、そのまま一人で帰ってくれても大丈夫なのに」
昇降口から校門への道を歩きながら、神崎さんはどこか申し訳なさそうに言う。
「毎日私の走りを眺めてても飽きるでしょ」
「そんなことはないよ。それに、僕の方も生徒会の関係でやることは多いからさ」
「そっか……」
神崎さんは少し考え込む素振りを見せた後、ゆっくりと足を止めた。
「それって、紫咲が来ないから?」
「えっと……」
夕陽をバックにした神崎さんの表情からは、感情が読み取れなかった。
僕は「正答」を求めて一瞬、躊躇する。
「……あの子は黒田君にとって大切な同期だもんね。仕方ないよ」
だけど、その一瞬の間で、神崎さんはすぐに苦笑を浮かべてそう言った。
それは誰に対する「仕方ない」なのか。
どうにも、その言葉は神崎さん自身に向けられているような気がした。
「でも、それだけ紫咲と一緒に過ごしていた黒田君が、私を好きになってくれた。私はそのことを何よりも嬉しく思ってるよ」
「神崎さん……」
確かに、僕は神崎朱莉という女の子を魅力的な女の子だとも思っている。
それは、正確には「今回」の彼女だけを見て芽生えた感情ではないのだけれど、嘘偽りない感情だ。
だけど、その一方で僕が彼女に告白したのは、空野さんと僕が生き延びるためという「打算」があってのこと。
やはり、自分自身で不誠実な気がした。
「……中学時代に紫咲がさ、時々小学校の頃の黒田君の話をしてたんだ」
「え、小学校の頃の僕の?」
以前神崎さんと話していた時に気になった話題が出てきて、僕は思わずビクリとする。
やはり、僕と空野さんは小学校時代から知り合っていたらしい。
だけど、どこで……?
「やっぱり、覚えてないみたいだね。まあ、クラスメイトだった、という訳でもないみたいだし、無理もないか」
半分独り言のように言った神崎さんは、少しだけ嬉しそうだった。
「それでさ、紫咲の話を聞いてたら、黒田君って本当に不思議な男の子なんだなってのが伝わってきて……。だから、中学の時からその黒田君って子と話してみたいなって、ずっと思ってたんだよ。まさか、こうして高校で彼氏になってくれるるなんて思わなかったけど……」
それで、神崎さんは妙に僕についての情報や興味を持ってくれていたのか。
だけど、それなら空野さんは神崎さんに、結構濃い情報を話していた、ということになる。
それなら、どうして僕には空野さんに関する想い出がないのだろう……。
僕は小学校時代の空野さんとの想い出を覚えていないことに、切なくなった。
「前も話したけど、私は紫咲をずっと恨んできたんだ。中学時代の好きな人にも紫咲のせいで見向きもされなかったし、佐々木先輩にしたって多分そう。だけど……最終的にこうして黒田君と結ばれたことを考えると、やっぱりあの子にも感謝しないといけないんだろうね」
そう言って、神崎さんは少しだけ暗い表情で力なく笑った。
「あはは、私って、結構嫌な女だよね」
確かに、僕たちが付き合い始めたのは空野さんがいてこその結果だった。
だけど、神崎さんに告白したのは目的があったとはいえ、僕の意志だった。
だから、僕は神崎さんのことを「嫌な女」だなんて思うはずがない。
いや、少なくとも僕にだけは神崎さんを糾弾する資格なんて、あるはずもなかった。
「でも、走り続けてきた自分を見てくれてた人がいた。それだけで、私は幸せ者だよ。ありがとう、黒田君。私を特別にしてくれて」
秋風と共に、歩道の並木がさわさわとなる。
横を歩く神崎さんは、とても満ち足りた穏やかな笑顔を浮かべていた。
もう、このまま緩やかに時が流れていけば、僕はいつか空野さんのことをも忘れて、神崎さんと二人で楽しい未来を送っていけるのだろうか。
「大好きだよ、黒田君」
遠慮がちに、だけど、明確な意志を持って、神崎さんの温かい手が僕の手を握ってくる。
「私はもう、負けない。もう、黒田君を誰にも渡さないから」
そっと囁く神崎さんの手からは、確かな生の鼓動が響いてきた気がして。
僕はぎゅっとその手を握り返した。
だけどその晩、僕はずっと空野さんのことを考えていた。
小学校時代に出会っていたという僕と空野さん。
そして、中学時代に僕のことを神崎さんに語っていたという空野さん。
一体、空野さんの胸の内には、どんな僕との想い出が眠っているのだろう。
まだしばらくは、空野さんのことを忘れられるはずもない。
せっかく、神崎さんの特別になれたというのに。
僕はどこまでも不誠実な男だった。
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