第22話
朝の空気が大分冷たく感じられる時期になってきた。
そろそろ、神崎さんに最近の空野さんについて相談してもいいんじゃないか。
そう思い立った十月も中旬に入ろうかというある日の朝。
学校の最寄駅前で待ち合わせた神崎さんは、珍しく元気がなかった。
「あ、おはよ、黒田君……」
明らかにテンション低めな神崎さんは、あくびを噛み殺しながら挨拶してくれた。
先週から衣替えで切り替わった秋服のブレザーを纏った神崎さんは、短く括った後ろ髪をさすりながら、何とか気合を入れようという様子だが、露骨に眠そうだ。
これは空野さんの話なんか下手に出さない方が良いだろうか?
一応、神崎さんが空野さんの家を知っている可能性があるとはいえ、彼女たちの仲は複雑だ。
元気のない彼女に、下手に「空野さんに会いたいから家を教えてほしい」と切り出すのは気が引けた。
「どうしたの?」
結局、僕は神崎さんの様子をうかがうことにした。
「なんか体調悪そうだけど、大丈夫?」
「うん、朝からごめんね……」
歩き出す姿も、重苦しい神崎さん。
それを見て、僕の胸の中でもやっとした不安が広がっていく。
神崎さんとは恋人同士なはずなのに、彼女が何かの拍子でまた壊れてしまうんじゃないか、と考えると僕の気持ちはなかなか落ち着かない。
「なんか、怖い夢を見ちゃってさ。ほとんど眠れなかったんだよね……」
「怖い夢?」
「うん……。その、夢の中ではさ、私はまだ黒田君と付き合う前だったみたいでね。あの佐々木先輩に私が告白するんだけど、断られちゃってさ。それで、側にいた黒田君をショックの余り殺しちゃうんだ」
「え……?」
僕は一瞬、死の感覚を思い出して、さらに息が苦しくなった。
その反応を見て、神崎さんは勘違いをしたのか、慌てたように「あ、いや、今は佐々木先輩のことはもう考えてないよ!」と強い口調で言った後「でも、嫌な女だよね」と付け加えた。
「夢が覚めてからも、こんな夢を見るなんて不誠実だと自分でも思ったし、何より黒田君を絞め殺したこの手の感覚とかが妙に生々しく残ってて……。もし、あのまま佐々木先輩のことを想い続けてたら本当にこんなことになってたのかな、とか考えてたら私、怖くなっちゃって……」
「だ、大丈夫だよ……」
僕は震える声を絞り出した。
きっと、神崎さんは部活とかを頑張り過ぎて疲れてるだけだ。
そう考えようとしたけど、僕の息苦しさは増すばかりだ。
もしも、彼女の中で本当は佐々木先輩に対する未練が消化できてなかったとしたら……?
神崎さんは、空野さんに対するコンプレックスから、失恋に過剰反応してしまう「負けヒロイン」だった。
だから、僕はそんな神崎さんを「負けヒロイン」から卒業させるために大胆な告白をしてみたのだけど……。
よく考えたら、僕なんかが本当に彼女の心の穴を埋めることができているのだろうか?
そう思うと、僕はどんどん不安になっていく。
「黒田君……?」
不安そうに僕を呼ぶ神崎さんの声に、僕は我に返った。
いかん、いかん。
僕がこんな状態では神崎さんを余計に不安にしてしまう。
彼女にこれ以上「間違い」を起こさせる訳にはいかないのだから……。
僕は少し間をおいて、あたかもこのやり取りを最初から予想していたかのように言った。
「大丈夫、神崎さんの今の気持ちは本物だって、僕は知ってるから」
「黒田君……ありがとう」
本物?
自分の言葉にどこか引っ掛かりを感じたけど、神崎さんは少し安心した様子で歩き始めた。
「やっぱり、黒田君は優しいね。ちょっとだけ、分かっちゃったよ」
「え? 何が分かったの?」
「ふふっ、それは今の黒田君が知る必要はないことだよ」
悪戯っぽく微笑む神崎さんは、やはり可愛い女の子にしか見えない。
だけど、どうしてだろう。
その笑顔の裏で、違う女の子が苦しんでいる顔がどうしても見えてしまう。
「それよりね。今日も部活遅くなると思うから、先に帰ってくれていいよ」
「うーん、でも僕も生徒会が遅いと思うから……」
「そう? じゃ、時間合いそうならまた一緒に帰ろうか。帰る時に連絡するね」
学校に着く前には、いつも通りの表情になっている神崎さんを見て、僕はホッとした気持ちになっていた。
だけど、この安堵は何に対する安堵なのだろうか。
そう考えると、僕はやはり自分の気持ちが分からなくなってくる。
神崎さんは夢の話をして自分のことを不誠実だと言ったけど。
本当に不誠実なのは、僕のような気がしてならなかった。
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