第21話
「面ぁ貸せ」
月曜日の昼休みになって、僕はすごく怖い顔をした湯田さんに声をかけられた。
いや、声をかけられたなんて生半可な表現ではなく、実際それは「拉致」に近い。
湯田さんに「逃げたら殺すし拒否っても殺す」と付け加えられた僕は、成すすべもなく彼女に従い、校舎を出るしかなかった。
「……よし、この辺りなら誰にも邪魔されないっしょ」
「あの、何の御用でしょうか……」
「ちっ、イモムシみたいにビビりやがって。そんなんで本当に大丈夫なのかよ」
体育館裏までやってきた湯田さんは、露骨に苛立った様子で僕を見つめた。
「……朱莉と付き合うんだってな」
「……うん」
きっと、湯田さんは僕のことをあまり好ましく思っていない。
だから、どう返したものか分からなくて僕は短く頷くことしかできなかった。
「……ま、朱莉の新たな一歩としては悪くないのかもな」
だけど。
湯田さんは僕のことを見つめたままポリポリと鼻っ柱を掻くと、そう言った。
「え?」
「あ、勘違いすんなよ? あーしは朱莉とお前が釣り合うとも思ってないし、お前のこと、『憧れの先輩との距離感に、落ち込んでる朱莉に取り入ってうまくやりやがったな』としか思ってないから」
「そ、そうですか……」
なんか僕の評価は湯田さんの中でさらに悪くなっている気がする……。
「けどな。白黒つかない報われない恋ほど、苦しいもんはないもんな。だから、そーいう意味では、あーしもあんたに感謝してるよ。朱莉を助けてくれたんだなって」
「湯田さん……」
予想外の言葉に、僕はすべてを話したくなった。
僕が神崎さんに告白したのは、彼女を救うためではなく、自分と空野さんの保身のため。
決して、神崎さんを幸せにするため、とかそういう美しい理由からではないからだ。
「思えば、朱莉は最初からお前の事は特別視してたもんな。だから、ひょっとしたらと思ってたけど……」
そう言って、湯田さんは本当に不本意、という様子で口ごもった後、ぼそりと言った。
「よく、勇気出してくれたな、黒田」
違う。少なくともそれは勇気からの告白なんかではない。
だけど、そんな話をしても湯田さんと神崎さんを悲しませるだけ。
僕はギュッと唇を噛みしめて、黙っていることしかできなかった。
「そんな顔すんなって。愛しのハニー様が来るからさ」
僕の顔を見て何を想ったのか、そう言った湯田さんは校舎の方へ身体を向ける。
その先へ視線を転じると、校舎の方からこっちに手を振りながら走ってくる神崎さんの姿が見えた。
「正直、あーしはお前が何を想って突然朱莉に告白したかまでは分かってない。だけどさ。朱莉、本当にいい子なんだよ。あーしだって、ずっと傍にいて守ってあげたいと思うくらいにね。だから……絶対に泣かせんなよ」
まるで僕の言葉なんて聞きたくない、とばかりに湯田さんは一方的にそういうと、神崎さんの方へ歩いていく。
「もう、黒田君を返してよぉ」
「悪い悪い。朱莉の彼ぴにちょっと先制パンチをな」
「えぇ、ひどい! 黒田君かわいそうだよぉ……」
そんな会話を聞きながらも、やっぱり僕の脳裏に浮かぶのは空野さんの姿。
彼女と、今後どうしたらいいか、しっかり話し合いたい。
そんな想いが強く湧き上がってきた。
「黒田君、なっちゃんになんか怖い事されなかった?」
だけど、現実に僕が付き合ってるのは神崎さんだ。
今は彼女を悲しませる訳にはいかない。
僕は何でもない風を装って、軽い口調で答えた。
「大丈夫、神崎さんが来てくれたから助かったよ! でも、神崎さんはどうしてここに?」
「うん、実は黒田君とお弁当食べたいなって思ってたのに、なっちゃんが黒田君を連れて行っちゃったからさ。二階の渡り廊下から見たらここにいたのが見えたから、難なく追いつけたけど、もし気付かなかったらなっちゃんと喧嘩する所だったよ」
そう言いつつも、笑顔の神崎さんはきっと湯田さんと本気の喧嘩なんてしないだろう。
「そうそう、もしも迷惑じゃなければ黒田君のお弁当も作ってきたんだけど……」
「え? 本当に? 何か悪いな……」
「全然悪くないよ。だって私たち……もう付き合ってるんだもん」
「そ、そっか……」
少し恥ずかしそうに話す神崎さんを見ていると、先ほどまでの罪悪感に加えて、温かい気持ちが胸の内に広がっていった。
「ね、良かったらあっちのベンチで一緒に食べない?」
「そ、そうだね!」4
今は空野さんのことばかり考えている僕だけど、いつかは神崎さんに夢中になれる日が来るのかもしれない。
先ほど感じた胸の中が温かくなる気持ちに縋りつくような想いで、僕は神崎さんに従った。
「ところで、お弁当作ってきてくれたって言ってたけど……」
「あ、うん、黒田君、昼はパン食べてる印象あるし、こないだデススでも食べてたから、サンドイッチ作ってきただけなんだけど……」
少しだけ不安そうな表情で神崎さんが僕に視線を送ってくる。
……きっと、少ない僕についての情報から、一生懸命考えてくれたのだろう。
そう思うと、今まで感じた事のない、神崎さんに対するいとおしい気持ちが湧いてきた。
「ありがとう、サンドイッチは大好きでさ!」
だから、僕はとびきりの笑顔で答えた。
本当は朝コンビニで買った粒あんパンが二つあったのだけど……。
これはまあ、放課後生徒会室で会長とでも食べれば済む話だ。
「……ありがとう、黒田君」
ベンチに腰掛けると、小さく、神崎さんが僕に囁いた。
「私、今回は最後まで輝けそうだよ」
にっこりと幸せそうな笑みを浮かべる神崎さんに、失恋を体験して壊れてしまったあの面影はもうない。
すべてが、最初思い描いた形とは異なる形で、それでも穏やかに流れ始めた気がした。
だけど、結局この日もその次の日も、生徒会室にやってきたのは春元会長だけ。
結局空野さんは九月が終わっても、学校にやってこなかった。
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