第20話

 早めに生徒会室を閉めた僕は、グラウンドで一人残って走り続ける神崎さんを眺めていた。

 陸上の事はよく分からないけど、毎日一人残って走り続ける神崎さんは、明らかにオーバーワークに見える。

 それでも、彼女の走る姿からは悲壮感は見て取れない。

 もしくは、走り続ける事で、悲壮感を紛らわせているのかもしれないけれど。

「……あ、黒田君。もしかしなくても私を待ってくれてたのかな?」

 やがて、フェンス越しに見つめる僕に気付いた神崎さんは、すぐに走るのをやめてしまった。

「ああ、もうこんな時間か。管理人のおじさんが怒る前に帰ろっか」

「ごめんね、なんか邪魔しちゃったみたいで」

「いや、時間を考えるとむしろ来てくれて良かったくらいだよ」

 そう言いつつも、神崎さんの表情は少し硬かった。

 きっと、彼女としては先日僕に頼んだ空野さんの気持ちの話が気になっているのだろう。

「……あれから、空野さんとは一度も会えてないし、話もできてない」

 無理に結論を引っ張っても仕方ないし、それができるほど僕はコミュニケーションが得意ではない。

 僕の言葉に、神崎さんは「そっか……」と答えた後、前を向いて校門の方へ歩き出した。

「……昔から、紫咲は、そういう消極的な所があるんだよね」

 感情の読めない声で、神崎さんは言う。

「辛い所があっても、それは直接口に出さず、でも何となく態度で匂わせて、慰めてくれるのを待ってる、みたいな。ずるいよね。こっちは当たって砕けるしかできないの、分かってるはずなのに」

 直情的な神崎さんとは、確かに空野さんはタイプが違う。

 だけど、空野さんの行動を見ると、自分が生き延びるためとはいえ、明らかに佐々木先輩との接触を避けている節がある。

 そう考えると、今回の神崎さんは空野さんを警戒し過ぎな気もした。

「……空野さんも佐々木先輩のこと、好きだと思ってる?」

「少なくとも、今の紫咲的には、無いんじゃないかなって思ってるんだ」

「『今の』?」

 僕の問いかけに、神崎さんは「ん?」と少し意外そうな顔をした後、頷いた。

「佐々木先輩と紫咲って、小学校時代から縁があるみたいでね」

「え!?」

「……と言っても、ただ同じ小学校だった、とかみたいだよ。学年も違うし、そもそも佐々木先輩のことを紫咲も覚えていない可能性も高いけどね」

 驚く僕に、神崎さんは曖昧な笑みを浮かべた。

「まったく、中学の時の先輩との三角関係といい、本当にあの子には事あるごとに因縁がつくから困るよね」

 そう言って一人で笑っている神崎さんの声が、次第に遠くなっていく。

 空野さんと佐々木先輩はすでに出逢ってしまっている。

 だとしたら……もしかして、今回も僕はとんでもない思い違いをしていたんじゃないか?

「佐々木先輩は、昔の恋愛を引きずってるって言ってた。それはよくある事だし、私としては先輩のその辛い想いを塗り替えてあげたいって思ってる。だけど……もしも。もしも、その昔の恋に、紫咲がまた絡んでいるとしたら。私は、今度こそ紫咲を許せる気がしないよ」

 今、何回やり直しを経て、空野さんが佐々木先輩を避けようと、そもそも神崎さんの失恋は避けようがないのではないだろうか。

 力強く断言する神崎さんを見て、僕は確信する。

 今回は問題の露顕を後回しにできただけで、神崎さんと空野さんの衝突は、いずれ起こる確定事項なのだ。

「えっと……」

 今から神崎さんに空野さんの家を聞き出して、二人でまた作戦会議?

 いや、そんなことを切り出したら、余計に神崎さんを刺激するだけだ。

 空野さんはいつだったか、僕に「神崎さんが佐々木先輩の事を諦めないようにフォローして」と言ってたから、佐々木先輩の気持ちに気付いていない可能性の方が高い。

 ……否。

「神崎さん」

 空野さんは間違っていた。

 ならば、「神崎さんが佐々木先輩の事を諦めないようにする」という方法自体も、間違っている。

 本当に、報われない恋を続ける神崎さんに必要な救いは「諦めない」などという美談めいた「執着」ではなく……。

「神崎さんは、佐々木先輩が欲しいのか、空野さんに負けたくないのか、どっち?」

 報われない恋を終わらせるに価する、醜悪でも魅力的な「逃げ道」だ。

「ど、どうしたの、黒田君」

「僕は、佐々木先輩の事はよく分からない。だけど、空野さんが持ってないものなら神崎さんにあげられるかもしれない」

「どういうこと……?」

 おこがましいかもしれない、とは思わなかった。

 誰かの特別になる。

 その体験こそが、負け続きの神崎さんの救いになるならば。


「……一人でも弱音を吐かず、走り続ける貴女が好きです。僕と付き合ってください」


 抵抗はなかった。

 元々、好きな人なんて別にいなかったし、あの日神崎さんに初めて絞殺された日から、彼女のことを考え続けてきた。

 何より……。

「……黒田君が、私の事を……?」

 驚きと、恍惚の入り混じった表情を浮かべる神崎さんを見て、僕は思う。


 これで、僕も空野さんも、これ以上殺されずに済むはずだ、と。



 この日を境に、僕たちは付き合うことになった。

 お互いに好き同士かも分からない。

 だけど、お互いがお互いを求めあう関係。

 僕は神崎さんを「特別」にする存在。

 神崎さんは僕を「普通の男子」にする存在。


 僕たち普通の高校生には、悲恋も死によるループも必要ないのだから。

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