第三章 3周目後半
第17話
こうして、問題の九月十日は過ぎていった。
拍子抜けするくらいに当たり前な日常が戻ってきて、僕は九月十一日の水曜日の放課後、生徒会室で雑務に追われていた。
問題のXデーをやり過ごしたはずなのに、どうにも心が晴れないのはどうしてだろう。
そんな疑問に答えてくれる人は、今、生徒会室にはいない。空野さんは、今日、朝から学校に来ていない様子だった。
「お、黒田君。体調はもう大丈夫かい?」
僕が各クラスや生徒が申請した模擬店なり企画なりと睨めっこしていると、生徒会室の扉が開き、春元会長が入ってきた。
「空野さんから聞いたよ。昨日は体調が悪かったって。無理をさせてしまったようですまないね」
「い、いえ、こちらこそせっかくのパーティーを黙って抜ける形になってすみません!」
「はっはっは。気にするな、と言いたい所だけど、空野さんに言伝を頼むなんて水くさい方法を取ったことに関しては、減点対象だね」
昨日は勝手に帰る形になった僕だけど、それに関しては空野さんがフォローしてくれたようだった。
「それより、今日は珍しいね。空野さんは休みかい?」
「あ、はい、教室に行ったんですが、休みみたいで……」
春元会長の言葉通り、空野さんが学校を休むのは珍しい事だった。
僕の記憶でもあまり休んでいる印象はないのだけど、昨日の今日だけに何か事情があるのではないか、と思うと不安だ。
一応、昼休みに連絡をしてみたのだけれど、まだ返信はない。
「まあ、監査も終わったし、学園祭に向けてひたすら退屈な書類仕事が続くのが、これからのシーズンの生徒会だ。それは去年君も体験しただろうが、今年は君と空野さんを中心に動いてもらう事になるからね」
そんなことをのんびりと口にする春元会長は、昨日のことはもう気にしていない様子だった。
そのことがありがたい反面、申し訳なさも感じずにはいられない。
だけど、それを口にするとかえって春元会長の気遣いを無駄にしてしまうような気がして、僕は相槌を打ち続けることしかできなかった。
「……ところでこれは引退を間際に控えた上級生の、無責任な戯言になるんだが」
当たり障りのない話を続けていた春元会長の表情が、そんな言葉と共に真剣なものに変わった。
例えば、生徒会の仕事などで重要な情報を共有する時なんかに、春元会長はよくこういう表情を浮かべる。
僕は思わず身構えるようにして、春元会長の言葉の続きを待った。
「黒田君。そろそろ君は人の気持ちに関心を持った方がいい」
「……何の話ですか?」
「何の話、と返されると困るんだがね。強いて言うなら、人間関係、特に自分と関わりのある人との距離の詰め方について、かな」
春元会長は慎重に言葉を選びながら、僕の方へと歩いてくる。
その涼やかな瞳がわずかに細められ、僕を射抜くようにこちらを見つめていた。
「例えば、黒田君。君は私のことをどう思ってるんだい?」
「それは……かっこよくて頼れる、優秀な生徒会長だと思ってますよ」
お世辞でもご機嫌取りでもない、嘘偽りない本音だ。
それは春元会長にも通じたらしく、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。
「じゃ、生徒会長という役割を抜きにして、私を語ってもらえるかな? もちろん、先輩とか、極端な話同じ学校の人間、という属性も排除してもらって構わない」
「えっと……」
一体、春元会長は僕に何を言わせたいのだろうか。
考えてみるけど、その真意は分からない。
結局、少し考えた僕は、率直に思い浮かんだ言葉を口にすることにした。
「……寂しい気持ちを普段は押し隠している、強い人です」
「寂しい気持ち、か。やっぱり、君にはよく見られているね」
僕の答えに、春元会長は苦笑いのような表情を浮かべた後、言葉を続けた。
「昨日も家で話したことだが、私の両親は私に関心がないものでね。実際、幼い頃から私は常に、寂しさを抱えつつ、生きてきた。まあ、君の言う通りその寂しさを押し隠していた、というよりは忘れようとしていた、という方が正しいんだがね」
相変わらずの苦笑を浮かべつつも、春元会長の視線は僕を捉えている。
「だからかな。私は人から自分に向けられる関心についてはそれなりに敏感になったんだ。そして、君はどうしてか、私の事情に関心を持ってくれた。あの日、空野さんと初めて私の家に来た本当の用事も、運動部の監査についてではないのだろう?」
僕があの日春元会長の家に向かったのは、空野さんにも話した通り、春元会長の誕生日を自然に聞き出し、誕生会の約束を取り付けるためだった。
「もちろん、君は真面目な男だ。その建前ともいえる生徒会の監査について聞きたかったというのもあるだろう。だけど、あの日私は感じたんだ。君は、私に対して何らかの関心を持ってくれたのではないか、とね」
それは、少し間違った推測だった。
確かに元々は僕も寂しい想いをしている春元会長に、喜んでもらいたいと言う気持ちを持っていた。
だけど、今回の僕が今回の春元会長に対して距離を詰めたのは、関心からではない。
何せ、僕が今回春元会長との誕生日パーティーを取りつけたのは、罪悪感からなのだから。
前回果たせなかった約束を守るための、いわば自己満足と言ってもいい。
「結果として、私が君の言う通り寂しさを抱えていたのは事実だ。だけど、今までの黒田君や空野さんとの接し方の中で、私が家族関係に寂しさを感じていると思わせる節は多くはなかったはずなんだよ」
「そ、それは……話の流れといいますか……」
当然、僕が春元会長の事情を知ったのは今回の彼女を見てではない。
前回……空野さんと春元会長を監査に向かわせる過程で、たまたま分かっただけのことだ。
いわば、今回の僕は春元会長に対して「インチキ」をしている。
だけど、それを言葉にしたところで信じられるはずがなかった。
「確かにすべてが偶然だった、という可能性もある。だけど、最初に言った通り、私は自分に向けられる関心には敏感でね。君は私の中で、情報が少ない中で私の隠した気持ちに気付けた、深い洞察力を持った男だということになった」
そこまで言った所で、春元会長はふと僕から視線を外した。
「まあ、正直その真偽は私にとってどうでもいい。君が私個人に関心を持ってくれるのは嬉しいが、私はあと半年程度でこの学校からいなくなる。だけど、そんな深い洞察力を持った君が、私より距離が近い人間の気持ちを知らんぷりする、というのは少々虫が良すぎないかい?」
「春元会長より距離が近い人間? 僕はそんな友達がいませんよ?」
「……本気で言ってるのか?」
春元会長は呆れと困惑が混じったような表情を浮かべて僕の様子を伺う。
「そうか……。君たちはもう少し、距離が近いのかと思ってたが……。やっぱり、君は人の気持ちにもっと関心を持つべきだよ。……そうでないと、色んな関係が、修復不可能なものになってしまう」
「恐い事を言わないで下さいよ……」
「いいや、冗談を言ってるつもりはないよ。……だけど、それならこちらだって可愛い後輩たちのために、腹を括ろう」
そう言って、春元会長はニヤリと笑った。
「今週の週末の予定はどうだい? 生徒会メンバー三人で、懇親会でもしようじゃないか」
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