第14話

 張りつめていた教室の空気が分かりやすく緩む。

 四限目の授業を終えた笠原先生が折れたチョークを片付け教室を出ていくと、教室内は一気に騒がしくなった。

「あ、なっちゃん、ご飯一緒に食べよ!」

 僕の席の後ろでは、お弁当を持った神崎さんが、もう片方の手を湯田さんに振っている。

 告白を控えていても、今は平常運転みたいだな、神崎さん……。

 ――結局、昨日はなんだかモヤモヤしたものを抱えつつ、早く寝ることしかできなかった。

 空野さんがループした僕と過ごしている時間以外に、何をしているのか。

 それは、僕にはどのみち知りようの無い事だった。

 いっそ、放課後直接尋ねてみようかな……。

「いかんいかん、今日は目の前のやるべきことをしないと……」

 ぼんやりとした思考を振り払いつつ、目で神崎さんたちの様子を伺う。すると、ゆっくりとこちらに近づいてきた湯田さんに何故か強い視線を浴びた。

「あー、朱莉、ごめん。ちょっとだけ席外したいんだけどさ」

「え、なっちゃん、お弁当じゃないの?」

「や、弁当なんだけど少しだけ、教室の外で用があってさ……」

 珍しく歯切れが悪い湯田さんが、そう言って再び神崎さんの席から離れていく。

「…………」

 かと思ったら、何故か肩越しに僕を思いっきり睨んできた。怖い……。

「チッ……!」

 僕がすくみ上っていると、湯田さんはなお一層不機嫌そうにこちらへ何かジェスチャーを送ってくる。

 これは……出てこいと言われてる?

 不思議そうな顔をする神崎さんを背に、僕はそそくさと教室を出た。

「……ったく。お前、本当に鈍いやつだな、

 教室を出るなり、思いっきり舌打ちしながら、湯田さんに再び睨まれた。そして相変わらず僕の名前は覚えてくれてないようだ。

「そ、その、何の御用でしょうか……」

「なんかキモイ口調になってるけどさ。まあ、いっか。キモイのは変わんないし」

 ひどい言われようだけど、下手に言い返したら何をされるか分からない。

 普段から怖い雰囲気の湯田さんだけど、今日の彼女はさらに苛立っているように見える。

「なあ、お前、何かいらないことを朱莉に吹き込んでないな?」

「え、な、何のこと……でしょうか?」

「……チッ。ならいいんだよ」

 明らかに「いい」ようには見えない様子で、湯田さんは舌打ちを繰り返す。それでも僕の前から動いてくれない辺り、まだ僕を見逃してくれる気にはなっていないようだ。

「……朱莉は可愛いだけでなく、まっすぐでひたむきでさ」

 やがて、湯田さんは僕からわずかに視線を逸らして、切り出した。

「あーしはさ、あまり難しいことは分からんけどさ、なんというか……そういう、朱莉みたいな純粋なやつは報われてしかるべき、そう思うよ」

「そう、だね……」

 僕もまた、うつむきながらそう言った。

 確かに、神崎さんは純粋すぎる女の子だ。

 だからこそ、自分の想いが報われないことに絶望して、壊れてしまう。

 それは前回も前々回も同じ。

 そこにいるのが僕であろうと、他のクラスメイトであろうと、それはあまり重要じゃないはずなのだ。

「でもさ、朱莉は今の恋愛に自信を持てないでいる。それは話をいつも盗み聞きしてるお前も気付いてるな?」

「……ごめん」

「チッ。辛気臭い顔しやがって」

 湯田さんは勘違いしてるけど、僕が謝りたくなったのは、二人の話を盗み聞きしてたから、というだけの理由ではない。

 僕は神崎さんが純粋で大きな恋心を抱いていることを知っている。

 知った上で……彼女の想いを応援する訳でもなく、むしろその想いが消えてなくなれと、自分たちが生き延びるために願っているに過ぎないのだ。

「なんでか知らんが、朱莉はお前に対しては、他の男子連中より心を開いてる気がするんだ」

「えっ?」

 予想外の言葉に顔を上げると、湯田さんが僕をしっかりと見つめていた。

「結局さ、あーしはいくら朱莉の応援をしたところで、本当に朱莉が辛い時は、何も言えないし、言っても心に響かないんだ。そういうの、同性ではどうにもならないもんだし」

「よく、分からないけど……」

「チッ。相変わらず鈍いヤツだな」

 舌打ちをしつつも、湯田さんの表情はどこか、縋るような表情に見えた。少なくとも普段の高圧的な態度とは程遠い。

「朱莉は魅力的だが、恋愛だけは相手あってのことじゃん? だから、その……何があってもお前は、最後に朱莉に寄り添ってやってくれ」

「ぼ、僕が?」

「ああ、だから朱莉を頼む、

 そう言い残して、湯田さんは踵を返して早足で教室の中へと入っていく。

 程なくして、湯田さんと神崎さんの話し声がいつも通り、聞こえてくるのを僕は廊下で聞いていた。

 神崎さんは僕が大好きな負けヒロイン属性の女の子。でも、僕たちは本来交わり合うはずがなかったような関係のはずだ。

 でも、湯田さんの話が本当だとしたら、神崎さんはどうしてか、僕の事を特別視している、ということになる。

 さすがに恋愛感情とかではないのだろうけど、それはどうして?

 先ほどまで考えていた前提が、崩れ始める。

 もしかしたら、僕が神崎さんに殺されてしまうのも、ただそこにいたから、という以上の理由があったりするのだろうか?

 何か、その問いには僕たちが生き残るために必要な、重大な情報が隠されている気がした。

「……ちょっと、大丈夫かしら、黒田君」

 どれだけ僕はぼんやりと廊下に突っ立っていただろうか。

 自分を控えめに呼ぶ声に、我に返る。

「何かあったの、黒田君」

「空野、さん……」

 目の前には、僕を心配そうにのぞき込む空野さんの姿があった。

「……今日の予定を聞きに来たのだけど」

「……どうして、神崎さんは僕を殺しちゃうのかな?」

「それは失恋のショックで、手近にいる人を攻撃せずにはいられなかったから、じゃないかしら」

 僕の問いに、空野さんは何の疑問も抱いていないかのように答える。

 でも……僕は空野さんの答えにはどうしても納得できなかった。

「……不安なのは分かるわ。でも、あなたは昨日だって神崎朱莉のフォローをしていたのでしょう? だとしたら、もう充分よ。むしろ、これ以上は彼女を刺激しない方がいい」

 僕の不満を見透かしたように、空野さんは言う。

「それより、今日は春元会長の誕生日パーティーもあるでしょう? すでに春元会長とは話がついてるわ。放課後、私と黒田君は予め買い出しに行きましょう。そして、少し生徒会室で時間を潰した春元会長が合流して、3人で春元会長の家へ行くの。下手をしたら佐々木先輩が今日、生徒会室にやってくるわ。だから、放課後は早々に駅まで行きましょう」

「ちょ、ちょっと待ってよ、神崎さんは?」

「大丈夫、そもそも今回は私も佐々木先輩と接触してないし、神崎朱莉だって黒田君のフォローを受けて、精神的に安定してる。たとえ、彼女の告白がうまくいかなかったところで、こちら側に危害が及ぶとは思えない。私たちはすでにやることをやったのよ」

 僕を諭すように、空野さんは言う。

 確かに、僕は空野さんと一緒に生き残るために、この5日間をやり直してきた。

 だけど、本当にこれで良かったのだろうか。

 一抹の不安を抱きつつも、僕は空野さんに頷くことしかできなかった。

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