第13話

 その後、神崎さんとは昼過ぎには別れた。

 短い時間だったけど、実のある時間だったと自分でも思う。

 時間はないけど、こうして少しでも神崎さんとの距離を縮めて彼女に寄り添えたら、僕も空野さんも殺されずに未来を迎えられるのかもしれない。


「……そう。じゃ、神崎朱莉とは良好な関係を築けているのね」

 月曜日の放課後。

 生徒会室で、僕の報告を聞いた空野さんが静かに呟いた。

 空野さんは今日も牛乳瓶の底みたいに分厚い地味な丸眼鏡をかけている。佐々木先輩どころか、すべての男子の興味をブロックしそうな高い防御性能だった。

「黒田君がそれだけフォローしてくれるなら、神崎朱莉もあなたを殺さずに済むかもしれないわね、本当に色々とありがとう」

「うん、これは僕のためでもある訳だし」

 空野さんは僕がこのループに巻き込まれる前から、大変な目に遭って来たんだ。

 その彼女が喜んでくれるのなら、僕だってさらに力になりたい。

「それで僕としては明日も神崎さんのフォローに回ろうかと思うんだけど……」

「それは……止めた方がいいんじゃないかしら」

 だけど、空野さんは僕の申し出に対して首を振った。

「明日は神崎朱莉が佐々木先輩に告白するXデー。こればかりはどう頑張っても、覆らない事実なのよ」

「で、でも、だからこそ彼女をフォローして上げないと……」

「失恋直後の神崎朱莉の? 何か具体的に案はあるの?」

「そ、それは……」

 僕は空野さんの問いに、口ごもることしかできなかった。

 確かに、失恋直後の女の子を「フォローする」と言ったって、僕のようにまともな恋愛経験もない高校生男子では、何も方法を思いつくことはできない。

 まして、最近距離を詰めたとはいえ、僕と神崎さんは元々仲が良かった訳でもない。

「下手に刺激するより、時間が解決することに賭けるべきよ」

 少し疲れたような口調で呟いた後、空野さんは「それに」と顔を上げて言った。

「明日は私たちにとっても、大切な日でしょう?」

「おいおい、二人とも。私のために色々と考えてくれるのは嬉しいが、今は仕事の時間だよ」

 あからさまなにやけ顔で近づいてくる春元会長に視線を送り、空野さんは少しだけ表情を和らげる。

 そうだ。明日は会長の誕生会だ。

「前回」果たせなかった約束。それをなかったことにはできないけど……。

今回こそ、普段は家で寂しい想いをしている春元会長にも喜んでもらいたい。

「さ、空野さんはこっちの学園祭ステージの募集要項の下書きを、黒田君は生徒会選挙のチラシのデザインチェックをお願いするよ」

 こうして平和な学園生活が、明後日以降も続いていけばいいな……。

「……大丈夫、黒田君は何も心配しなくていいわ」

 そんな僕の気持ちを読み取ったかのように、空野さんは静かに言った。

「何回やり直したっていい。必ず、黒田君が助かる道を選ぶから……」

 確かに、今回は「前回」よりうまく進んでいる気がする。

 だけど。

 決然と呟く空野さんを見ていると、どうしても「前回」から時々抱く違和感のようなものを、無視できなくなる。

 もしかして空野さんは、まだ何か僕に隠し事をしているのではないだろうか。

 どうしても、そう思わずにはいられない。

 彼女の行動に関しては確かに、僕の知らない内容も多い。

 ……たとえば、僕が「今回」最初に目覚めた時のこと。

 彼女は、午前中に自宅で目覚める所から、新しいループが始まったと言っていた。

 じゃあ、一体その半日間、彼女は何をしていた?

 まだ「僕」ではない僕と何食わぬ顔をして、生徒会の活動をしていたりしたのだろうか。

 いや、あれだけこのループに関して目的意識が高い空野さんのことだ。そうとは考えにくい。きっと、彼女ならその半日すら、このループを生き延びるため、何らかの行動をしているはずだ。

 そして、それは僕がこのループに巻き込まれるまでの五回分のループだって……。あれ? そういえば、その五回分のループで、僕は……。

「黒田君!」

 世界が揺れ、僕を呼ぶ声が近くで聞こえる。

「空野、さん……?」

 思考の海から僕を引っ張り上げてくれたのは、その空野さんだった。

「あれ、外がもう……」

「黒田君、もう帰る時間よ。あなた、今日は調子悪いんじゃない?」

 彼女の言葉通り、薄暗い室内の時計は、すでに18時を指している。

「春元会長ももう帰ったわよ。そのチラシのチェックも急ぎじゃないから、明日にしようって」

 春元会長から預かったのだろう。

 生徒会室の鍵のホルダーをくるくる回しつつ、空野さんが言う。

「……良かったら駅まで一緒に帰りましょうか」

 帰り支度をしつつ、空野さんは言う。

 その表情はやはり、僕を心配しているようにしか見えなかった。

「う、うん……」

 僕は軽い自己嫌悪に陥った。

 一瞬でも、空野さんを疑おうとした自分に腹が立つ。

「……明日はどうなるだろう」

 廊下を歩きながら、ぽつりと僕は問う。

 春元会長のパーティーと、神崎さんの告白。

 それらの結果は、すべて明日の夜になれば分かっているはずだった。

「……正直に言うと、分からないわ」

 少し考えるそぶりを見せた空野さんは、思いの外明るい口調でそう言った。

「でも、それはいい『分からない』よ。私も、今まで何度も神崎朱莉に酷い目に遭わされてきたけど……。今回は今までのどの展開とも違う。だから、ひょっとしたら今までとは違う展開になるかもしれない。そんな期待も持てるから」

「そっか……空野さんは僕よりもこの五日間を、多く過ごしてるんだもんね」

「ええ……。でも、私から見てもこの展開は今までなかったわ」

「そう、だね……」

 日付にしたら30日にも満たない、空野さんが一人で戦ってきた「空白期間」。

 でもそれは僕にとって、それ以上の重さを持つ隔たりに感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る