第11話
窓の外で子供たちの歓声が時折、聞こえている。
その度にわずかに目を細めながら、春元会長は居間に通された僕たちへ個包装のお菓子とコーヒーを出してくれた。
「なかなか土日は賑やかな立地でね。落ち着かなかったらすまないな」
席に着いた春元会長は、そう言って苦笑した。空野さんは無言でチョコパイを食べているので、僕が「いや、大丈夫ですよ」と答えるしかない。
「…………」
いや、気まずいな!?
最初こそ陽気に色々話してくれていた春元会長も、何となくピリピリする空野さんの空気感を感じ取ったのかトーンダウンしてきたし、空野さんは相変わらず無口なままだ。
これが神崎さんの一件に巻き込まれる前の僕たちなら、当たり前なんだけど……。その頃は春元会長に対しては色々話をしていたしなぁ、空野さん。
「春元会長は子供、好きそうですね」
「え? あ、あぁ。子供たちはいいぞ!」
「前回」の記憶があるからか、幾分棘を感じる空野さんの言葉だったが、幸い春元会長はその話題に飛びついた。
「元気な彼らを見ていると、こちらまで元気になれる気が……。あっ、あくまで見ているだけでって話だからな!」
いきなり自爆しかけたけど、大丈夫だろうか……。
「前回」僕たちに自分の痴態を見られたとは知る由もない「今回」の春元会長が、意味もなく一人で慌てていた。
「……あ、このコーヒー美味しいですね」
チョコパイを食べ終えた空野さんがコーヒーに口をつけ、表情を和らげた。その様子にホッとした様子で会長も笑みを浮かべる。
「これはコーヒー専門店で買ってきた豆でな。なんでもチョコと合わせるために酸味を抑えてコクを増した、深煎りのコーヒーらしいんだ」
「へぇ、春元会長はコーヒーにも詳しいんですか?」
「なあに、少し『参考書』を一冊読んだ程度だ。ちゃんと手順を踏めば、インスタントや缶コーヒーよりハンドドリップの方が断然うまいからな」
「確かに、こうしてコーヒーを振舞えるって憧れます」
ゆっくりと、だが確実に春元会長のペースに巻き込まれつつ、空野さんが今までのように春元会長と話している。
闇を抱えていようと、やっぱりこの人はすごいコミュ力だ。
僕は改めて、今日ここに来た目的を果たそうと気を引き締めた。
「あの、春元会長。今日は相談があって参りました」
「ああ、そういえば昨日はそんなことを言っていたね。生徒会のことかい?」
「はい、監査のことで……」
春元会長は前回、監査を二日に分けて行った。
考えてみれば、前々回の空野さんも二日かかっている。
それなのに僕が一日で終わったのは、何か致命的な漏れがあるんじゃないか。
そんな不安を口にしていく。
正直、これは春元会長の家に来るための建前だった。
だけど、今日一日という時間を考えれば焦る必要はない。
「……なるほど、まずは監査の内容を教えてもらおうか」
続けて僕が監査で行った業務を一通り説明すると、春元会長は「ふむ」と少し考えるそぶりを見せた。
「やっぱり何か抜けてますかね……?」
「いや、工程自体は何ら問題ないよ」
不安になって僕が問うと、春元会長はにこりと笑った。
「でも、しいて言うなら全体的にコミュニケーション不足だ。黒田君は結構機械的に、監査をしたみたいだけど、もう少し最近の部の様子など、世間話の態でヒアリングするのも大切な仕事だよ」
「確かに、なんでも面接みたいに質問するだけじゃ、得られない情報ってありますよね」
「ふふっ、空野さんも言うようになったじゃないか」
「……いえ、私も経験不足ですが」
空野さんはそう言ってごまかしたけど、彼女は何度もやり直しをする過程で、同じ監査をやってきたのだろう。
そのことを考えると、僕は胸が痛い気持ちになってきた。
「まあ、そのままでも問題ないが、もしも必要だと感じるなら、気になる部活に改めて足を運んでみるといいかもしれないね。いきなり行くと迷惑だろうが、月曜に約束を取って火曜以降に足を運べば問題ないだろう」
「気になる部活、ですか……」
「なに、難しい話ではないよ。たとえば監査の時に小さくても違和感を抱いた部活。それか君自身、活動やメンバーに興味を抱いた部活とかでもいい」
「そんな個人的な感覚でいいんですかね?」
「ああ、そういうのは内容より『やった事実』の方が大事なんだ。そうして、主要な部員に顔を覚えてもらう。そうすれば、彼らは私たちに心を開き、より必要な情報を教えてくれるようになるってものさ」
春元会長の言葉に、つい先日の監査でした佐々木先輩との会話を思い出す。
確かに、佐々木先輩は春元会長のことをきっちり覚えていた。
あれは単に佐々木先輩が女好き、というだけではなかったらしい。
「ま、それはそれとして、だ」
春元会長はそこでニヤリとイタズラを思いついた子供のような表情を浮かべた。
「難しい話はこの辺にして、少し三人で遊ばないか? 遊んでみたいゲームがあるんだ」
そう言って春元会長が取り出したのは、何やら直方体の箱だった。
「ゲームってアナログゲームですか、これ」
物珍しそうにのぞき込んだ空野さんが問いかける。箱には『WING SPAN』というタイトルと共に、鳥のデザインが描かれていた。
「ああ、ここでこうして人と遊べる機会なんてそうそうないからな。せっかくだし、この機械に対人戦もやってみたいんだ」
「私は構いませんが……」
空野さんが僕の方を見る。
僕は、ここに来た本当の目的をまだ空野さんにも春元会長にも話せていない。
そう考えると、これは春元会長のガードを緩めたい僕にとってもってこいの展開だった。
「ええ、やりましょう!」
でも、本当に僕が嬉しかったのは自分の目的を果たせるからじゃない。
春元会長の家族は、きっと家にいる時間はほとんどなくて、彼女とこうして家で遊ぶことなんてほぼないのだろう。
それなら、せめて僕たちが春元会長と遊ぶことで、彼女の孤独が癒されたらいい。
おこがましい考え方かもしれないけど、僕は春元会長の寂しさを埋めてあげたかった。
「ありがとう、私はいい後輩たちに恵まれたよ」
そう言って満面の笑みで『WING SPAN』の箱を開ける春元会長を見て、僕は今日ここに来て本当に良かったと思った。
◇◇◇
「いやはや、楽しかった! やはりソロプレイとは比べ物にならない楽しさだ。こんなに楽しく過ごせたのは本当に久しぶりだよ。他にも遊びたいゲームはあるから、良かったら火曜日の帰りに遊ぶとしよう!」
結局、『WING SPAN』というたくさんの鳥カードをプレイして鳥を愛でるコンセプトのボードゲームは、一時間以上にも渡る熱戦の末、所有者である春元会長の勝利に終わった。
ソロモードで遊び続けていたという春元会長が100点を超えるスコアを叩き出したのは納得だが、初見のはずの空野さんが90点を叩き出して、春元会長といい勝負をしていたのは意外だった。僕なんて50点台だったのに……。
「……もしかして、空野さんは一度このゲームも、やってたりするの?」
「え? 今回が初めてよ。春元会長の家に上がったのも、あのゲームをしたのも」
春元会長の家を出て、最寄り駅へ向かう道すがら。
きょとんとした顔の空野さんにそう返されて、僕は少し自信がなくなった。どうやら僕には、戦略系のゲームは向いていないようだ。
「それより、たまにはこういうのもいいわね」
空野さんが、さっぱりとした表情で言った。
「最近ずっと、目的のために切り詰めて物事を考えすぎていたというか……。いい気分転換になったわ」
「それは良かったよ」
こちらも本来は目的があって、それを隠したまま今日一日空野さんを付き合わせちゃった後ろめたさはあったけど。
こうして、空野さんにも喜んでもらえたのは救われた気持ちになった。
「……良かったわね、誕生日の日に約束を取り付けてもらえて」
しばらく無言で夕焼けが眩しい歩道を歩いていると、空野さんが静かな口調で切り出した。
「何となく思ったの。今日、ここに来た本当の目的は、最後の方にあったんじゃないかって」
「まさか、春元会長があんなゲームを出してくるとは思わなかったよ」
「いいえ、そうじゃなくって……。春元会長の誕生日会を提案したかったのかなって」
「あぁ……」
流石に誤魔化しきれなかったか。
空野さんの言う通り、僕は『WING SPAN』を遊んでいる最中に、さりげなく春元会長の誕生日を聞き出した。
もちろん「前回」のやり取りを僕は覚えているので、聞く必要のない情報だったが、春元会長から見た僕は、彼女の誕生日など知るはずもない。
だから、今の僕と春元会長から見た僕をできるだけ近づけた上で「前回」果たせなかった誕生日のパーティーを約束したのだ。
「……今日は楽しかったわ。正直、あまり私たちの目的を考えたら意味はない一日だったと思うけど」
言葉とは裏腹に、空野さんの口調からは棘は感じられない。
来た時はどうなる事かと思ったけど、空野さんも喜んでくれているみたいで良かった良かった。
「それに……黒田君のことを、改めて知れた気がするわ」
「え? 僕の事を?」
なんだろう、今日は終始春元会長のペースだったと思うのだけれど……。
「ええ、一見意味のないことでも、しっかりと誠実に向き合う。それは、黒田君の魅力だと思うわ」
夕陽が眩しくて、空野さんの顔が見れない。
彼女は、僕と歩調を合わせながら、小さく呟いた。
「ひょっとしたら、黒田君なら、あの子だって……いや、それはダメね」
「空野さん?」
「……いえ、こちらの話よ。何でもないわ」
気付けば駅に辿り着いていた。
確か、空野さんと僕は電車の線で言うと反対方向のはずだった。
「それより、明日は神崎朱莉に会うそうね。どうするつもりなの?」
「どうするも何も、僕としては彼女が絶望しないようにケアするだけだよ」
「……そうね。どうしたって神崎朱莉は来週の火曜日に佐々木先輩に告白する。それが避けられないのなら、せめて彼女が壊れないようにしないと、私たちはまた……」
「それもそうだけど、さ」
きっと、僕以上に彼女に殺されている空野さんに、こんなことを言うのは酷かもしれないけど。
「何度もフラれ続ける神崎さんも、かわいそうだからね」
僕は、殺されないようにしたいとは言いつつも、未だに「負けヒロイン」である神崎さんが報われる未来を見たかった。
その時、神崎さんはすでに僕が大好きな「負けヒロイン」ではないのだけど。
「負けヒロイン」の美しい泣き顔を見たからこそ、どうせもう一周できるのであれば、それが笑顔に変わる未来も併せて見てみたいと思うのだ。
「そう……。やっぱり、黒田君は黒田君ね」
そう呟いた空野さんは、そのまま振り返ることもなく、改札に進んでいく。
「今日はありがとう、黒田君。まずは明日、頑張ってね」
「うん、また結果は連絡するよ」
彼女の薄い背中に僕は声をかける。
「あと、私も火曜日楽しみにしてるから……」
人混みが僕たちの間を遮断する。
――今回は死なないでね。
そんな声が、最後に聞こえた気がした。
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