第10話

「そう、まずは監査をしてくれてありがとう。おかげで私は今回も、佐々木先輩と接触せずに週末を迎えられたわ」

 神崎さんと別れて帰路についた僕は、そのまま真っすぐ家に帰り、風呂と夕食を済ませてから空野さんに電話をかけた。

 僕の報告を静かに最後まで聞いていた空野さんは、僕を労ってくれた後「それで、週末はどう過ごすつもりかしら?」と切り出した。

「週末なんだけどまず、日曜日は神崎さんと会う約束があるんだ」

「え? それはまた急な話ね、大丈夫なの?」

「うん、今回は下手に彼女を刺激して殺されないようにするつもり」

我ながらすごい会話だと思う。

だけど、神崎さんをいつまでも怖がっていてはきっと、事態は解決しない。前回彼女の気持ちと向き合おうとして、それは感じた事だから、もう逃げる訳にはいかない。

「……何か考えがあってのことだと思うけど、絶対に無茶だけはしないようにね。何なら明日にでも作戦を考えましょう」

「あー、その明日なんだけど……」

僕を気遣ってくれている空野さんには悪いんだけど、あいにく明日の予定は決めていた。

「明日は春元会長の所へ行こうと思うんだ。ちょっと話しておきたいことがあって」

「あら。監査はもう終わったんじゃないの?」

「うーん、そうなんだけどね……」

 案の定のツッコミに、僕は少し自分の考えを話すべきか迷う。

「……春元会長が監査してた時は、2日間に分けてやってたけど、僕は1日で終わった。ってことは、まだ何かやり残したことがあるんじゃないかって思えちゃってさ……」

「そうかしら。それは単に黒田君が優秀だったってだけだと思うんだけど……」

「でも、このままじゃ春元会長は火曜日休むでしょ。それで何かが起きちゃうと、今度こそ僕だけではどうにもならない可能性があって……」

 結局、僕は本音ではなく建て前を空野さんに伝えた。

 本当は、春元会長に会おうというのは、僕のエゴでしかない。

 僕は「前回」、春元会長との約束を果たすことなく死んでしまった。

「今回」の春元会長が前回の記憶を引き継いでいないとしても、彼女の誕生パーティーを「前回」一緒にできなかった罪滅ぼしを、僕はしたかった。

「そう、確かに春元会長の協力もあると、いいかもしれないわね」

 僕の言葉に少し考えた空野さんは、そう言って賛成してくれた。

 なんだか、一緒に頑張ってきた空野さんを騙すみたいで、僕は罪悪感を抱いたけど、空野さんの言う通り、これは僕たちのために無駄なこととも言えないのが救いだった。

「でも、それなら私も一緒に行くわ。それなら道中作戦会議も二人でできるし」

「え? 空野さんも? 今回は任せてくれて大丈夫だよ?」

「いいえ、だって……」

 少し笑ったのか、電話口の空野さんの声が震えて聞こえる。

「私たちは、もう運命共同体みたいなものでしょう?」

「そっか……」

 空野さんとしては、僕を巻き込んでしまった罪悪感とかもあっての発言かもしれないけれど。

 僕は彼女のその言葉が素直に嬉しかった。

 思えば、空野さんとはずっと「生徒会の同期」みたいな感じだったけど、こんな事件に巻き込まれて初めて、仲良くなれた気がする。

 うーん、一言でいうなら「お互いの背中を任せ合う感覚」というのだろうか。

 空野さんと一緒に居ると安心するのも事実で、その意味では神崎さんに感謝してもいいのかもしれない。

「分かった。じゃあ、明日の朝、あんぱんふたつ買って春元会長の最寄りの改札前で待ってるね!」

「……ありがとう」

 電話の向こうの空野さんの表情は分からないけど。

 きっと、笑ってくれている気がする。

 僕は久しぶりに温かな気持ちになって、眠りにつくことができた。


     ◇◇◇


「ひとまず、来てみたものの……」

 ターミナル駅の土曜日朝9時とだけあって、会長の家の最寄り駅は「前回」来た時以上に混んでいた。

 待ち合わせをしているらしい若いグループ、どこかへ出かけようとしている家族など、様々だ。

 僕は人の間を縫うように歩きながら、空野さんの姿を探した。気を抜いたら手に持ったあんぱんが人と人に挟まれて潰れそうだ。

「黒田君!」

 何とか人と人の間から抜け出した瞬間、僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 前方の柱の前で、空野さんが小さく手を振っている。ベージュのワンピースというクラシックな服装は人によっては「地味」と映るかもしれないけど、空野さんが着ると清楚な印象が強調されて、よく似合っている。

「すごい人ね。良かったわ、合流できて」

「うん、平日の早朝とはさすがに比べ物にならないね。はい、あんぱん持ってきたよ」

 僕は空野さんと共に駅の外へ脱出しながら、あんぱんを空野さんに差し出した。

「ありがとう。さすが黒田君。つぶあんのあんぱんを買ってくるとは。分かってるわね」

「え? あ、空野さん何となくつぶあん派かなと思って」

「そうなのよ! 逆にこしあんがなぜこの世に存在するのか不思議なくらいよ」

 世のこしあん派の人を敵に回しそうな発言に僕はクスリと笑う。

 本当は僕がつぶあんを買ってきたのも特に意識することなく、コンビニにあったものを買ってきただけなのだけれど……。喜んでもらえたようなので黙っておく。

「さて、じゃああの公園で張りましょうか」

「え? 普通に家に行かないの?」

 張り込みをする気満々の空野さんに僕は思わず突っ込む。

 というか、最初からその気だったから、普通に春元会長に訪問の約束を取り付けてここにきている。

もしも春元会長が外出するとかで、空振りするようなことがあったら良くないし。

「……ああ、それもそうね」

 僕がそのことを説明したところ、空野さんは少し残念そうにそう言った。そんなに張り込みをしたかったのだろうか……。

「でも、家に押しかけて迷惑じゃないかしら」

「大丈夫だよ。ご両親とかは家を空けてるって言ってたし」

 恐らく春元会長のご両親は仕事で休日も忙しいのだろう。それは「前回」学習済みだ。

 空野さんは、春元会長宅に直接向かうのを何となく渋っている様子だったが、家の前に辿り着いてようやく、諦めたようにあんぱんを鞄に片付けた。もしかして早くあんぱんを食べたかっただけなのでは……?

「ねえ、黒田君……ちょっと待ってくれないかしら」

 よほどあんぱんが惜しいのか、空野さんは未練がましく、インターホンの前でぐずっている。

「少しだけ、ふたりであの公園に……」

「はいはい、ひとまず会長に会ってから考えよう」

「あっ、ちょっと……」

 僕は空野さんを無視してインターホンを押した。すると、程なくして直接入り口の扉が開いた。

「やあ、黒田君、待ってたよ……おや?」

 すぐに扉から現れたジャージ姿の春元会長は、そこで僕たちを見て少し驚いた表情を浮かべた。

「空野さんも一緒に来るとは思わなかったなぁ」

「ちょっと、黒田君、やっぱり私のことを伝えてなかったのね」

「あ、ごめん、タイミング的に忘れてた……」

 それでさっきから気にしてたのか……。

 僕が己の失態を悔やんでいると、春元会長は「いやいや、少し驚いただけで何も問題ないよ」と言った。

「むしろいつの間にか君たちが休日の行動を共にする仲になって、生徒会の先輩としては嬉しいくらいだ」

「えっと、春元会長?」

「いや、黒田君。照れ隠しだろうがここは何も言っちゃいけないよ」

「は、はぁ……」

 何か盛大に勘違いをなさっている春元会長。

 僕は助けを求めようと空野さんに視線を送ったけど、思いっきり視線を逸らされた。これは結構怒っていらっしゃる……? なんだか顔も赤いし。

「とにかく立ち話もなんだ。早く入りたまえ」

 そう言って家に入っていった春元会長と、無言でそそくさと続く空野さん。

 うーん、これは「運命共同体解散の危機」かもしれないな……。

 僕は軽い危機感を抱きつつ、のっそりと春元会長の家に上がらせてもらった。

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