第9話
「さて、そろそろ時間なので来週からはインド王朝の歴史に入っていけると思う。委員長」
翌日、金曜日一限目の世界史の授業が終わった。
「前回」と一言一句違わぬ締めの言葉と共に、世界史の里崎先生が教室を去っていくと、教室の雰囲気が一気に緩んだ。
「それでね。私思うの。昨日の終わり方は、来週以降の二人の関係性の変化を匂わせる伏線じゃないかって……」
「あー、それあーしも思ったわー」
僕が「前回」同様後ろを振り返ると、神崎さんと湯田さんがこれまた「前回」と同じく、ドラマの感想を言い合っている。
「――ってかさー。朱莉の方はどうなんよ」
「え? 私?」
「そーそー。陸上部のセンパイとイイ感じだってこないだ話してたじゃん?」
「あー……。そのことねぇ……」
僕が聞き耳を立てていると、やはり話がデリケートな方へ転がり始める。
ここで前回は湯田さんが僕に絡んできたんだけど……。一周目はそんな展開ではなかったことを考えると、今回も待っていれば絡まれる、という保証はない。
さて、どうしたものか……。
「これは多分なんだけど、さ。佐々木先輩って私が本命じゃない気がするんだよね……」
僕が考え込んでいると、前回とは違うセリフが聞こえてきて、僕はハッと神崎さんの方を向いた。
何かが……変わった?
でも僕はまだ何もしていない。残る可能性は空野さんが何か行動を起こした、という可能性だけど、彼女にも作戦は昨日伝えている。「佐々木先輩から逃げる事しかできない」と言った傍から、何か働きかけたとは思えなかった。
「ってか……おい、お前」
僕が内心で焦っていると、ドスが効いた低い声が聞こえてきた。
注意を前方に戻すと、湯田さんの視線が僕の顔をがっちりとホールドしていた。
「気付かないとでも思った? ガールズトークを盗み聞きとは、いい度胸だなぁ、黒川?」
「あっ、あっ……」
まずい、聞き耳を立てていたのがバレた!
そしていつものように、僕の喉はすぐには温まってくれない。
「いいか、お前は何も聞いてない。もし、下手なことを言いふらそうものなら……」
「まあまあ、なっちゃん。きっと黒田君もボーっとしてただけだと思うよ」
その時、いきり立つ湯田さんをなだめる様に、神崎さんが間に入ってくれた。
思えば、神崎さんと話すのは「前回」彼女にグラウンドで殺されてしまった時以来だ。
僕はあの時の感覚を思い出して生唾を呑み込んでしまったけど、僕の気持ちを知りようもない彼女は、明るい口調で「あ、そういや……」と僕に向き直った。
「黒田君は生徒会のメンバーだったと思うけど、もしかして今日
「あ、うん……実は今回は僕が監査の担当になってて……ってかよく分かったね。今回が初めてなのに」
「ふふっ、何となくこっち気にしてたからそうかなって」
「おいおい、こんなやつが生徒会の監査担当とか大丈夫なのか?」
「もう、なっちゃんはどうせ帰宅部だし関係ないでしょ。ごめんね、黒田君。でもそうなんだ、黒田君も出世したんだね」
「え、いや、そんな訳では……ははっ」
まさか「空野さんと僕があなたに殺されるのを避けるために、こうなったんです」という訳にもいかず、僕は苦笑する。
「ってか、朱莉もよくこんなやつが生徒会のメンバーだって知ってるな」
「え? そうかな、普通だと思うけど」
「フツー、ねぇ……」
湯田さんが訝しむような表情を浮かべたが、それは確かに同感だった。
「前回」殺された日も感じたけど、なぜか神崎さんは僕のことをよく知っている。
「ふふっ、じゃ、また放課後会えるのを待ってるよ」
数学の笠原先生がいつも通り早めに教室へ入ってきたのを見て、神崎さんはにこりと笑みを浮かべて囁く。
「……あと、さっきの話は絶対に誰にも言っちゃダメだからね?」
上目遣いの神崎さんを見て「ドキリ」としてしまったのは、彼女に二度も殺されてしまったからではないはずだ。
こんな魅力的な女の子を「負けヒロイン」にしてしまうのが、空野さんということになってしまうのだけれど。
神崎さんはその空野さんを殺してまで、佐々木先輩に好かれたいのだろうか。
佐々木先輩の「本命」、空野さんと神崎さん。
まさしく命がけの三角関係のことを考えながら、僕は数学の教科書を鞄から引っ張り出した。
◇◇◇
放課後の喧騒は、金曜日の解放感を味方につけていつも以上に賑やかだ。
僕は、前日春元会長に受けたレクチャー通り、順番に運動部のクラブルームを回っていた。
監査、とは言っても僕に与えられた仕事は簡単なものだった。
まず、部員たちから直近の活動報告や実績などをヒアリング。
そして、クラブルームが過度に散らかっていないか、適切な備品のみを置いて使用しているか、などといった項目をマニュアル通りにチェックしていく。まるでお役所仕事のような感じだ。
「さて、最後が陸上部か……」
すでに日は大分傾いており、部によっては片付けに入ろうかという所もある時間帯になっていた。
陸上部も練習を終えた所なのか、走っている人はおらず、下級生らしき部員たちがハードルを片付けようとしているのが見える。
「失礼します、生徒会の監査の者ですが……」
「おや、ようやく生徒会が来たか。これで俺たちも帰れそうだね」
僕が運動部のクラブルームの入口をノックしようとした所、後ろから軽やかな男子の声が聞こえてきた。
「やあ、驚かせてしまったかい? 今日はいつも来てくれてる会長さんじゃないんだね」
僕が振り返ると、すらりとした長身の爽やかイケメンがわずかに白い歯を見せて立っていた。
「おっと、自己紹介が遅れたね。俺は陸上部副部長の佐々木純也。よろしくね」
「えっと……生徒会二年の黒田といいます。今回からは春元会長に変わって僕が監査を担当することになってまして……」
本来は空野さんが担当するはずだったセリフを口にしながら、僕は目の前のイケメンを観察する。
なるほど。
こいつが神崎さんの片思いの人にして、空野さんに一目ぼれする迷惑な先輩か。
とはいえ、本人はまだ空野さんと接点がないはずだし、自分がそんな人の運命を左右する人騒がせな恋に簡単に堕ちるとは思ってもいないだろう。
「ええ、今日は……その、お願いします……」
現に、先入観無しに目の前のイケメンを評価するなら、文句なしのイケメンだ。運動部でありながら、わずかに染めた後ろ髪はパーマでも当ててるのか綺麗に風になびいているし、穏やかながらぱっちりとした瞳にはなんか僕にはない活力を感じさせる輝きがあるし、頬に浮かんだ汗まで眩しく輝いているし何なら男のくせにイイニオイまでしている。オスとしての完全敗北を知って、僕の語尾はだんだんとモゴモゴとくぐもったものへと変わっていった。
「ま、立ち話もなんだし、監査もあるだろうからひとまず中に入ろうか」
「あ、ありがとうございます……」
そんな僕の様子を気にすることもなく、佐々木先輩はクラブルームの扉を開く。さすが、イケメンは寛大だ。
「一応、この入り口の部屋はミーティングルームとして使わせてもらっている。奥の二部屋はそれぞれ男女の更衣室になっている」
「なるほど」
僕は素早く室内に目線を走らせたが、部屋の中央にある机や椅子の他にはいくつか書籍類を収納した本棚があるだけだった。
「筋トレ器具とかないんですね」
「そういうのは、ここに置くと崩れたりしてケガに繋がるからね。ウチとしては、やりたい人は個人的にジムなり自宅なりでやってくれってスタンスだよ」
「更衣室は個人のロッカーが並んでる感じですか?」
「いや、共用のロッカーだから、私物は置かないようにルールを徹底しているつもりだ。一応掃除当番もいるから、毎週末と3の倍数がつく日は掃除をしているよ」
「一応、確認しても?」
「ああ、構わないが今部員の着替え中でね。特に女子更衣室はさすがに俺でもどうにもできないから少しの間――」
「おつかれさまです、佐々木先輩!」
僕たちが会話をしていると、女子更衣室の扉が開き、聞き覚えのある明るい声が聞こえてきた。
「あ、本当に黒田君が来たんだ! なんか嬉しいなぁ」
そんな言葉と共に更衣室から出てきたのは、短めのポニーテールに運動直後のためか紅潮した頬がどこか色っぽい、神崎さんの姿だった。
小動物じみた愛嬌たっぷりの笑顔は、今はどこか力強い充実感を含んでいる。きっと今は練習を終えて、やり切った感が強いのだろう。
だけど、この笑顔は数日後には絶望と狂気にまみれてしまう。
そんなことを想像すると、僕は心の奥が疼くのを感じた。
「おや、神崎さん。また今日もタイムが伸びたんだってね。最近かなり順調みたいで、副部長の俺も嬉しいよ」
「ありがとうございます! 最近先輩方のおかげさまで気力充実してます!」
「ははっ、嬉しい事を言ってくれるね。ところで、黒田君とは顔見知りなのかい?」
「あ、はい、黒田君とはクラスメイトなんですよ。黒田君もおつかれさま~」
そう言って、神崎さんは僕にも柔らかい笑みを向けてくれる。
そんな僕たちを微笑ましいとばかりに眺めていた佐々木先輩だったが、やがて「そうだ」と手を叩いた。
「神崎さん、実は黒田君が女子更衣室を見たいって言うんだけど……」
「え、黒田君! 覗きは普通にまずいよ?」
「いやいや、違うからね!?」
佐々木先輩の伝え方がまずかったせいで、あらぬ嫌疑をかけられる僕。
「ああ、違うんだ。そういう意味ではなく、監査のために更衣室を確認したいって意味でね。黒田君、すまない」
「ああ、そういうことでしたら、私が最後ですよ」
幸い、僕がそれ以上覗き魔扱いされることはなかったけど、神崎さんは少し天然さんなのかもしれない。
以前まではただ僕と空野さんを殺すだけの存在だった神崎さんの事を少しずつ知っていくことは、不思議と恐いことではなかった。
「あ、でも佐々木先輩は入りにくいですよね。いいですよ、じゃあ私が黒田君を案内します!」
「お、それは助かるよ。じゃあ黒田君、後は神崎さんに任せて俺は帰るよ」
「ええ、お疲れさまです! お気をつけて!」
「ははっ、ありがとう。でも、神崎さんこそね」
背中越しにヒラヒラと手を振りながら、佐々木先輩が退室していく。そんな彼の背中を最後まで見送ってから、神崎さんは僕に向き直った。
「バレちゃってるだろうから言うけどさ。午前中話してた先輩、さっきの佐々木先輩のことなんだ」
「え、あぁ、うん、確かにカッコいい先輩だね」
僕は何と答えるのが正解か分からず、当たり障りのない反応をする。
神崎さんは急に恥ずかしくなったのか、ますます顔を紅くして「さ、更衣室のチェックをしなきゃね!」と言った。
「言っとくけど個人用ロッカーの中はダメだからね。黒田君は変な気を起こさないと思うけど、ユニフォームとか置いてる子もいるだろうし」
「うん、ひとまず全体的な所さえチェックできれば問題ないよ」
僕は神崎さんに続いて、更衣室へ入る。更衣室内はよく整理整頓されており、特に注意をするべきことも無いように思えた。
「うん、ありがとう。ちなみに何か室内の備品で気になる点はない?」
「うん、そもそも着替えるとかミーティングするとかで、私たちはあまりクラブルームに長居する活動じゃないからね」
「確かにグラウンドにいる時間の方が圧倒的に長いか……」
「あ、でも最近女子更衣室の電球が切れかかっててさ。良かったら新しい電球を――え、揺れてる?」
神崎さんが言葉を途中で切るより早く、僕は異変に気付いた。
地震。
「前回」まで必ず起きていたイベントの一つで、これはなかなか大きい。
さすがに建物が崩れたりする程度じゃないけど、ロッカーのものなんかが降ってきたら大変だ。気付けば僕の身体は動いていた。
「神崎さん、伏せて!」
ガタガタと鉄製のロッカーが鈍い音を立てている。
頭を守ってうずくまった神崎さんに覆いかぶさるようにして、僕も体勢を低くした。
「きゃっ!」
「ごめん! でも少しだけ我慢して!」
神崎さんを驚かせてしまったのは悪いけど、彼女の気持ちを良く知っているだけに、こんなことで怪我をさせる訳にはいかない。
それに、彼女がここで地震に遭遇したのは僕が監査に来たせいだろう。
空野さんが監査に来たなら、対応は佐々木先輩だと聞いている。その場合、神崎さんは帰宅途中に地震に遭うだけのはずだった。
「……あの、黒田君、そろそろ大丈夫じゃないかな?」
「……あ、ごめん!」
気付けば地震は止んでいた。
僕は勢いよく謝りながら、バネ人形みたいに立ち上がった。
「ふふっ、いきなり揺れてびっくりしたけど、黒田君ちょっと大げさだったね」
「も、申し訳ない……。僕なんかでごめんね」
「んーん、確かに佐々木先輩だったらよかったけどさ。私を守ってくれてありがとうね」
そう言って、にっこりと笑った神崎さんは、やっぱり少しだけ残念そうだった。
「その……朝も言ってたけど、告白とかは考えてないの?」
踏み込み過ぎかな、と思ったけど、その寂しい表情を見ると尋ねずにはいられなかった。
普段の神崎さんは陸上に対するひたむきさを見たら分かる通り、自分の行いに自信を持つタイプに思える。
だけど同時に。佐々木先輩にフラれた途端壊れてしまったり、彼への想いに関しては自信なさそうだったり、とても脆さを同時に感じるのも事実だ。
そのアンバランスさを「恋する乙女特有の」とか、そういう安直な言葉で片付けるのは、何か違う気がした。
「私、告白して受け入れられるかな……」
果たして、返ってきたのはいかにも泣き出しそうな弱々しい口調だった。
「多分私、このままじゃまた、勝てない……」
「『また』?」
「うん、まあ、あの時は今と違って陸上もしてなかったし、状況は違うのだけど……」
「そっか……」
過去の失恋でも引きずっているのだろうか。でも、さすがにこれ以上の深掘りをするには、僕たちの距離はまだ開きすぎている。
「ねえ、黒田君。もしも良かったらなんだけどさ……」
少し迷うような口調で、神崎さんは僕を見上げた。
「明後日の日曜日、練習休みだから少しだけ時間くれないかな? 相談に乗ってほしいんだ」
その縋るような表情に気圧されて。
僕は反射的に何度も頷いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます