第6話

「嫌だ、断る」

 即答だった。

「いや、春元会長。まさか公然とサボるつもりでは……」

「君が何を言っても今回は聞くつもりはないぞ。私はいかなる脅しにも屈しないだろう」

 月曜日の放課後の校舎は気だるげな雰囲気に包まれている。

 翌日に迫る監査の続きについて、僕が話を振ると、春元会長はまったく躊躇することなく首を横に振った。

「で、でも今日は空野さんも風邪で休んでるし、会長にも休まれたら困りますよ」

「それなら監査を翌日以降にずらせばいいだろう」

「いや、空野さんがそれまでに回復するかどうか……」

「それなら翌日に私がやればいいだろう?」

「いや、それはそうなんですけど……」

 神崎さんが佐々木先輩に告白するのも九月十日火曜日。

 この日の時点で佐々木先輩と空野さんの接点を作らないのはもちろんだけど、監査自体が終わらないと佐々木先輩にとって、必ず空野さんに接触する目的が残ってしまう。

 そして、僕が前回死んだのは九月十日火曜日だったけど、空野さんがすでに壊れた神崎さんに殺されてしまうのは翌日以降だ。

 会長は監査を翌日に自分でするから問題ないと言っているが、佐々木先輩がどうやっても普段の監査担当の空野さんに接触してきた結果を見ると、この一日のズレは致命傷となる可能性もある。

「お願いしますよ、会長。どうしても監査は火曜日に終わらないといけないんです」

「なぜそんなに焦っているんだ、君たちは。金曜日も確か、同じようなことを言っていた気がするが……」

「えっと、それは……」

 まさかここで本当の話をしても信じてもらえるとは思えない。

 僕が言葉に詰まっていると、春元会長は独り言のような口調で呟いた。

「誰にでも事情はある。私だってこんなんだからな……。人の事情を詮索する気はないよ」

 それは、他人を突き放したような言葉に思えた。

「残念ながら、私の事情は君たちに知られてしまった。そのことで君たちが私を脅そうとしても、私はそれを責めるつもりはないよ。少なくとも私は自分の責任を放棄している。君たちにはそれを非難する資格があるからね」

「春元会長、僕たちはそんなつもりじゃ……」

「でも、明日は特別な日だ。私も譲れない」

 再び僕と視線が合った。

 春元会長は、後ろめたいことを言っているにもかかわらず、まっすぐに僕を見つめている。

 それは、どんな非難も甘んじて受ける覚悟を示すと共に、どんな非難にも屈しないという意志の強さを秘めていた。

「そう、ですか……」

 ここで喚き立て、春元会長を非難することは簡単だ。

 だけど、それじゃ決して何も得るものはない。

 だって……。

「春元会長も、そんな目ができたんですね」

「なに……?」

 春元会長は僕が何度も見てきた、「敗者」の目をしていた。

 期待し、縋った者に惨めに捨てられ、絶望する。

 そんな敗北を叩きつけられた、僕が大好きな「負けヒロイン」の目だ。

「春元会長、俄然僕は春元会長に興味が湧いてきました」

「おい、黒田君。君は一体何を……?」

 僕を見つめるその瞳に困惑の色が混じり始める。

 僕の知る春元会長は敗北などと無縁の、強い女の人だった。

 だけど、そんな顔をすることもあるというなら、僕はもっと春元会長のことを知りたい。知る必要がある。知って、彼女に心の底から笑ってほしいと願える。

「教えてください、春元会長。なぜ、そんなに春元会長がそんなに寂しいのか」

「……寂しい、か」

 自嘲気味に呟いた春元会長は、少し沈黙を挟んだ後、僕に背中を向けて言った。

「君は両親の誕生日を覚えているかい?」

「えっと……母が八月十五日、父が十二月三十一日です」

「君は親孝行だね。親が子の誕生日を祝うことは多いが、逆は少ない」

「確かに。うちでもごちそうが出てくるのは僕の誕生日だけです」

「そうだろうな。まあ、それでも家族の情があれば、覚えている子も多いだろう。私だって両親の誕生日は記憶している。でも……」

 ゆっくりと、春元会長が振り返る。

 その顔に張り付いたのは笑みだったけど、それは今すぐにでも崩れそうな脆さを感じさせた。

「私の両親はね、もう何年も私の誕生日なんて祝ってくれない。いや、それだけならよかった。彼らは……私の誕生日を覚えていないし、関心もないんだ。私自身のことについても同様にね」

「そ、そんなことは……」

 ない、などとは言い切れなかった。

 言葉に詰まる僕を見て、春元会長は「君は誠実だね、黒田君」と弱々しく言った。

「そんな私にも、誕生日を祝ってくれる大切な人ができてな。それが……」

「あの近所の子供たちって訳ですか?」

「ああ、そうだ」

 短く頷く春元会長が、明るく振舞う中で心に抱えてきた闇。

 それを、僕や空野さんは今まで全く気付けなかった。気付いてあげられなかった。

「じゃあ、もしかして明日は……」

「そう。明日は私の誕生日なんだ」

「あぁ……」

 僕は長い息を吐いた。

 これは無理だ。

 彼女にとって、あの少年達とのふれあいは、ようやく見つけた心のよりどころなのだ。

 家族内に居場所を求められず、人知れず孤独という闇を抱えながら「陽気な生徒会長」を演じ続けた彼女が、ようやく見つけたオアシスなのだ。

 いくら僕と空野さんの安全のためとはいえ、それを取り上げて「学校でいつも通り仕事をしろ」などと言うことは、僕にとって難しかった。

「……誕生パーティーですね」

 気付けば、僕は春元会長も救いたいと感じていた。

 おこがましいかもしれないけど、僕は春元会長にも心から笑ってほしい。そう感じていた。

 これは長年負けヒロインを愛し続けた僕なりの、本能なのかもしれない。

 一度くらい、寂しさを抱える春元会長が報われてほしい。そんな想いから、僕は気付けば叫んでいた。

「春元会長、誕生日パーティーです! 明日の放課後、生徒会のメンバーで春元会長の誕生日パーティーをやりましょう!」

「えぇ!? なんだ、パーティーって!」

 突然叫びだした僕に面食らった様子で、春元会長も叫ぶ。

「パーティーですよ、パーティー! 誕生日を迎えた春元会長を主役にして、というのは建前で、とにかくみんなで食べて飲んで騒ぐんです!」

「ははっ、とにかく騒ぐってなんだい、それは!」

 僕のテンションにつられてか、次第に春元会長も笑い始める。

「でも、君たちだって忙しいだろう? そんな私の誕生日ごときに付き合わせては……」

「それは違いますよ、春元会長」

 再び卑屈な笑みを浮かべようとする春元会長を、僕は遮った。

「僕も空野さんも、春元会長の事を普段頼れる先輩や生徒会長、として見ています。でも、同時に一緒に生徒会で頑張る仲間だとも思ってます」

「仲間……? でも、私は一人だけ上級生で……」

「そうですね。それでも、学年が違うからと言って春元会長一人を区別するのは違うと思うんです。苦楽を共にする生徒会の仲間だからこそ、誕生日は祝ってあげたいし、辛い時こそ笑わせてあげたいと思う」

「黒田君……」

「だから、明日は一緒に春元会長の誕生日を祝わせてもらえませんか?」

「そうか……」

 僕の言葉に、春元会長はもう一度背中を向けて、考え込んだ。

「私は、すでに欲しかったものを手にしていたのだな」

 小さく呟いた春元会長は、勢いよく振り返り、満面の笑みを浮かべた。

「よし、明日はチャチャっと監査を終わらせてそのパーティーとやらを楽しもう! 後顧の憂いがあっては、楽しいものも楽しめないからな!」

「あ、ありがとうございます!」

 思っていた形とは違ったけれど、結果としては上々だ。

「ふふっ、今年は今までで一番楽しい誕生日になりそうだな」

 何より、目の前で笑っている春元会長を見ていると、心の底からそう思った。

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