第5話
結局、金曜日の運動部の監査は会長一人で行うことになり、つつがなく予定していた分は終わった。
今日は九月七日土曜日。朝食を終えた僕は、ぼんやりとベッドで仰向けになって寝転がっている。
前回とは違って金曜日に佐々木先輩と空野さんが接触する機会を無くして、週末を迎えることになった。だけど、まだ安心はできない。
何せ、空野さんの話では佐々木先輩はどうしても空野さんに接触してくるというのだ。
「空野さん、今回はどうするつもりなんだろうな……」
僕はぼんやりと天井を見上げつつ、あの地味な生徒会同期の女の子の姿を思い浮かべた。
彼女は彼女で、このループに巻き込まれるまでも苦労してきたのだろう。
そして、このループで彼女は五回も死んでしまったといった。
やり直す度に殺されてしまう負けヒロインと、やり直す度に好きな人に拒まれて壊れてしまう負けヒロイン。
空野さんも、神崎さんも、もとはといえば普通の女の子だったはずだ。
「いや、人の事は言えない、か……」
僕は苦笑しながら思考を止めた。
空野さんと一緒に「やり直し」に賭ける僕だって同じ穴の狢だ。
ああ、瞼が重い。
この数日間、頭を使いすぎたのか、思考を止めた瞬間眠気が襲ってくる。
だけど……。
どうしてか、そのことを考えた時に僕は何かが致命的に間違っているような違和感に襲われた。
その違和感は、見過ごしてはいけないものだと直感する刹那、僕の意識は闇に呑まれていった。
――心は燃えるように熱く、身体は凍てつくように寒い。
「巻き込んでしまってごめんなさい、黒田君……」
これは夢だ、と直感するより早く「それ」が前回の記憶の断片だと気付いた。
すでに僕の首を絞めた凶行の主はふらふらとどこかへ立ち去り、僕は最期の時を迎えようとしている。
すでに目は見えていない。自分の目が開いているのか閉じているのかもわからず、世界は暗い闇に閉ざされている。全身が千切れそうな感覚が思考を圧迫していた。
「いいえ、ごめんなさいですまないわね……『今回』は」
だけど、同時に温かくて柔らかい何かが僕を包んでいるのも感じ取れた。
それはきっとこの声の主から伝わってくる「何か」だ。
「直に、私もあなたを追う事になるわ。今回は大失敗。あなたには本当に何をされても構わないくらい、申し訳ない気持ち。これは本当よ。やっぱり、私は間違ってた。けど……最後のわがままを聞いてほしいの」
冷え切った一滴が、僕の額を潤すのと、僕の意識が完全に旅立つのと、その言葉が聞こえてきたのと。
どれがはじめでどれが最後だったか。
「――次があるなら『私』を見つけて。そしてできれば『私』と一緒にいて」
スマホの振動音で、意識が急速に浮上する。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。カーテンの隙間から差し込むギラギラした陽光からして、そんなに長い時間は寝ていなかったみたいだ。
痺れた感覚の残る腕をノロノロとスマホへ伸ばす。着信……相手は先日連絡先を交換した空野さんだった。
「……もしもし?」
「あ、良かった。出てくれたわね」
電話口の向こうで、空野さんはホッとした様子でそう言った。
「うん。どうしたの? 何か気になる事でもあった?」
「うーん、そういう訳じゃないのだけど……。ちょっと、月曜日以降の動きについて確認したくてね」
何か無理矢理用事を思い出すようにゆっくりと答えた空野さんだったけど、それは確かに必要なことに思えた。何せ、金曜日はうまく会長を動かすことで佐々木先輩との接触を避けたとはいえ、危機が完全に去った訳ではない。
問題は火曜日に神崎さんが佐々木さんと告白をする九月十日の火曜日。それまでは、一切気を抜くことはできない。
「例えば明日とか、どこかで会うことはできないかしら?」
珍しく、不安そうな口調に感じた。
「あなたも用事があるなら仕方ないけど、このままでは月曜日に佐々木先輩がやってきて、結局同じ結末になりそうな気がするの……」
何をやっても結局は神崎さんに殺されてしまう。
五回も同じ結末を迎えた空野さんだからこそ、今は不安で仕方がないのだろう。
そんな彼女の力になれるかどうかは分からないけれど。
少なくとも僕自身、これ以上空野さんに「負けヒロイン」になってほしくはなかった。
「もちろん。どこにでも行くよ」
「……ありがとう」
電話口の向こうの空野さんは、小さな声でそう言った。
◇◇◇
翌日、九月八日日曜日午前十一時。
家族連れで賑わうファミレスの一席で、僕はぽつんと座っていた。
ここは学校の最寄りのファミレス『デスス』……の別店舗だ。
僕は今日空野さんと会うにあたってこないだのファミレスを指定しようとしたが「休日部活をしている佐々木先輩に出会うと良くないから」ということで、同じファミレスの別店舗を指定された。
別にあそこでないなら「デスス」である必要はないのだけど、もしかして僕は「デスス」ファンだと思われているのだろうか。
休日のファミレスということで、店内は活気に満ちている。
マスコットキャラクターの「デスがらス」のポスターを眺めながら、僕は空野さんを待っていた。
「……お待たせ」
控えめにかけられた声に、僕は半分骨が見えるクセにやたらチャーミングな顔をした「デスス」から視線を外した。
「空野、さ、ん……?」
「……そんなにじっと見ないでちょうだい」
いつもと違って艶を感じさせる長い黒髪はどこまでも深く広がる夜空のようだと思った。
そして、白いベレー帽によってわずかに翳る涼やかな裸眼の目元に視線を転じると、そのまま吸い込まれそうな錯覚に陥る。
まるでピアニストのような繊細な白い指先を広げて、彼女は恥ずかし気に顔を隠した。
「やっぱり普段の姿できたらよかったわ……」
「そんなこと、ないよ……」
白いシャツの上に羽織った黒いカーディガンのせいだろうか。
ミステリアスな雰囲気を醸し出す空野さんは、まるで有名なモデルさんがお忍びで町を歩いている様に見える。
率直に言って見とれていた。
時間が止まった錯覚にすら囚われた。負けヒロインを愛好する僕としては負けた気分だ。
だけど、彼女に見とれていたのはきっと周囲も同じだ。それくらいに、今日の空野さんは綺麗に見えた。
止まった時の中でたった一人、空野さんだけがゆっくりと動き、僕の対面に腰を下ろした。
「……とりあえず、注文しましょうか」
ピンポーン、という呼び鈴の音が店内に響く。
それを合図に時が動き出したように、再び店内の喧騒が僕の耳に届き始めた。
「お待たせしました、ご注文をお伺いします」
「パンケーキホイップトリプルにストロベリーソースとバニラアイスをトッピング。あとドリンクバーをお願いします」
「ぼ、僕はタマゴサンドとドリンクバーで」
早口で何かよく分からない注文を済ませた空野さんにまだドキドキしながら、僕は何とか自分のオーダーを済ます。空野さんは「そんなので足りるの?」と言いたげに僕へ視線を送ってきたのだけど、そもそも僕たちの目的は食べることじゃない……はずだ。
「まず、今日は来てくれてありがとう。黒田君も大変だろうに、付き合ってもらって」
各々近くの機械でドリンクを調達して席に戻ったところで、空野さんがペコリと頭を下げた。
「いやいや、僕も一人でいると不安になってくるしね」
「そう。やっぱり黒田君も同じだったのね」
僕の言葉に空野さんは少しホッとした表情を浮かべた。
「私も昨日は色々考えてたわ。どうしたら、私たちが神崎朱莉に殺されずに済むか。そして、今までと違って黒田君と一緒に行動できる今回、新しく出てきた可能性について」
「新しく出てきた可能性?」
「ええ。事情を知る人間が一人から二人になって、しかも協力関係にある。これは現状を何とかする上でかなり重要な変化よ」
「でも、僕では何もできないんじゃ……」
「そんなことないわ。現に、春元会長は金曜日に監査をしてくれた。これは今までなかった展開だし、黒田君が協力してくれないと実現しなかったわ」
「確かに、僕には今までのことは分からないけど、今後は空野さんが知る展開とは違ってくるってことだね」
自分で言って、何か変なことを言ったような違和感を抱く。
昨日から、空野さんのことを考えるごとに感じるこの違和感の正体は何だろう。
「お待たせしました! こちらがタマゴサンドでこちらがパンケーキホイップトリプルストロベリーソース、バニラアイストッピングでございます!」
だけど、その喉の奥に刺さった魚の小骨みたいな違和感の正体を探るより早く、タマゴサンドとパンケーキが運ばれてきて、僕は我に返った。
目の前にはまるでカロリー一皿に集約しましたと言わんばかりの白いタワーが鎮座していた。
「ふふ、おいしそうね。いただくわ」
少し元気が出た様子で、空野さんはもぐもぐとパンケーキを貪る。今まで暗い話ばかりしていたけれど、こうして嬉しそうにパンケーキを頬張る空野さんを見ていると、僕は少しだけ救われた気持ちになった。
「……でも、ここからは難しくなるのも事実よ」
やがて、あっという間にパンケーキのホイップ部分を平らげた空野さんは、顔を上げて再び切り出した。
「何せ、ここから先の展開は予測がつかなくなってくる」
「空野さんにとっても未知の展開だものね」
「ええ。一つ言えるのはここからも、私たち二人は最善を尽くし続けないといけないってことよ。ただ問題は……」
「何が『最善』かなんて、結果を見ないと分からないってことだね」
「そういうこと、よ」
重々しくうなずいた空野さんは、それでもすぐに顔を上げた。
「幸いなことに、今までの失敗の原因と今回の目的ははっきりと分かっているわ。今まで私や黒田君が死んだのは、間違いなく神崎朱莉の失恋が原因。それなら、目指すべきものが何か、分かるでしょ?」
「神崎さんを失恋させないってこと?」
「そういうこと。でも、彼女は明後日九月十日の火曜日に、佐々木先輩に告白する。これは私が今までやり直したすべての世界で必ず起こるイベントで避けようがない。だから、時間がないのよ毎回」
「……それを逆手に取ってみるのはどうかな?」
僕はふと、思いついたことを口にしてみた。
「神崎さんが失恋するのは火曜日だけど、空野さんにとって問題なのは神崎さんの失恋そのものじゃなくって、それによって空野さんが逆恨みされて殺されちゃうことでしょ? それなら、例えば火曜日まで空野さんが学校を休むとかすれば、佐々木先輩経由で神崎さんのヘイトを買うこともないし、何なら佐々木先輩もあっさり神崎さんとくっつくかもよ?」
「うーん……」
明らかに気乗りしない様子の空野さんだけど、一回目と五回目の彼女は告白現場にたまたま居合わせたせいで殺されており、二回目から四回目の彼女は告白現場にいなかったものの、佐々木先輩と接触した上でその日を迎えている。
それなら、そのフラグである佐々木先輩との接触イベントそのものを絶ってしまえば、危機は去るのではないだろうか。
自分でも安直な案に思えたが、試してみる価値はある気がする。
「火曜日は金曜に済ませられなかった野球部やバレー部の監査が残ってるわ。これはどうするの?」
「今回も会長に行ってもらおう」
「でも会長は火曜日、休んでいたでしょう?」
「うん。だけど、金曜日みたいにこちらの働きかけ次第では来てくれるかもしれないよ」
「そうね……。ピンポイントで休む会長が動いてくれるとなると、ひょっとしたら……」
僕の言葉で、少しずつ空野さんが迷い始めたのが分かる。
「明日は会長が学校に来る日のはずだ」
僕は先ほど注いだアイスコーヒーを飲み干し、言った。
「会長の説得は僕がやる。だから、空野さんは明日一日家で休んでおいてほしい」
「え、でも……」
「もし学校に来て、佐々木先輩に惚れられたら大変でしょ」
いつもは地味が服を着て歩いているみたいな外見の空野さんだけど、今日みたいに本当はとてもかわいい女の子なのだから。
……という心の声は当然口にはしない。
「大丈夫、会長の説得は任せて。きっと、すべては上手くいくから……」
「でも、それじゃ黒田君が……!」
「大丈夫。今回は大丈夫だから……」
なおも何か言いたげな空野さんは、やがて何か言葉を呑み込むようにして、頷いた。
「……そうね。今回は私がすべてをやる必要はない。そういうことだったわね……」
「そういうこと」
僕の言葉に、空野さんはもう一度頷いた。
「分かった。黒田君を信じるわ。あと、お願いばかりになって悪いのだけど、これも忘れないで」
そう言って、空野さんは僕を真っすぐに見つめた。
「神崎朱莉が佐々木先輩を諦めないように、フォローしてあげるのよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます