第4話
「……ねぇ、黒田君?」
「ど、どうしたの、空野さん」
「私たち、何を見せられていたのかしら……」
「何って……遊び?」
「春元会長の趣味にアレコレいうつもりはないのだけれど……。これはあまりよろしくないというか……ちょっとアレな案件じゃないかしら」
「うん、完全にアレな案件だね」
「……ダメよ、これは」
空野さんは眼鏡越しの切れ長の瞳を閉じて、いかにもやるせない、といった表情でため息を吐いた。恐らく思考を放棄したのだろう。
「おほぉぉぉ! しあわせぇ! しゅきいいいいい!」
僕も半ば思考を放棄して、視線をベンチで一人身をくねらせる会長へと視線を戻した。
「いつもの雰囲気が見る影もないね、会長……」
「やめてよ! あんな春元会長に少しでも憧れを持っていた私がばかじゃない!」
「あ、空野さんなりにリスペクトはあったんだ……」
こんな形で知ることになっていなければ、もう少しマシなリアクションができただろう。
一体、彼らの何があの凛々しい会長をこんなマヌケ面にしてしまうのか。
僕はその答えを問いただすべく、覚悟を決めて遊具からぬるりと踏み出した。
――会長が待っていたのは、果たしてホームレスのおじさんでも小金持ちの禿げオヤジでもなく、純粋無垢な少年たちだった。
まだ小学生らしいランドセルを背負った三人の少年たちが現れた瞬間から、すでに会長の顔面は怪しかったが、その後展開された会長の彼らとの「触れ合い」は、あまりにも激しすぎて少し説明に困る内容だったとだけ言っておく。
小学生の少年たちも登校する途中で会長と会っているからか、一時間もしない内に立ち去ったが、どうやら三人はそれぞれ会長と顔見知りだったようだ。彼らの中で会長の評判が「ヤバイお姉ちゃん」とかになっていないことを切に願う。それはきっと、親から通報されるパターンだから。
「あの、会長……」
「えっ!?」
僕の顔を見るなり、会長はまるで自分が今さっき殺した人間に出会ったような表情を浮かべた。
「待て、どうしてここに君がいる? そうだ。学校はどうした。サボりは良くないぞ!?」
「その言葉、そのままお返ししますよ、春元会長」
「ひっ、空野さんまで!? 生徒会の君たちが不純異性交遊か? それは素晴らしいことだが今は良くない! タイミングが悪すぎるぞ!」
「会長、本音が駄々洩れになってますよ!」
「とにかく、今からでも学校に行きましょう。私たちもサボりたくてこんな所にいる訳ではないんです」
「……そうか」
僕たちの指摘に会長は力なく項垂れた。
先ほどまでのハイテンションが嘘のようだ。
「……事情は分からないが、私が時々休む理由に気付いていたのか?」
「そうですね。訳あって、会長が時々不自然に休む事情を知りたくて、ここまで来ました」
僕は事情をぼかしながら、そう説明する。
「でも、今日は会長に休まれると困るんです。今から学校に行けば1限の途中には教室に入れますよ」
「……今はこの温もりの余韻に浸っていたい」
「『おほぉぉぉしあわせぇしゅきいいいいい』」
「やめろ! もういっそ殺してくれ!」
見事な棒読みで先ほどのセリフを復元する空野さんに、会長が短い髪をかきむしって悶絶する。空野さんが意外とSなのか、それとも「憧れていた春元会長」に対する意趣返しなのか……。僕は恐ろしくて考えるのをやめた。
「詳しい理由は言えませんが、会長には今日、必ず登校してもらわないといけないんです」
再び口を開いた空野さんは、少し硬い口調だった。
「最悪放課後までに来てくれたらいいんです。お願いします、春元会長。当然、さっき見たことはすべてなかったことにしますから」
「……放課後というと、今日は運動部の監査の日だね」
「はい。その監査の日に春元会長に休まれたら困るんです」
「でも、監査なんて正直空野さんに任せた方がスムーズじゃないかい?」
「それじゃダメなんです!」
思わず僕は口を挟んだ。
驚いた様子で空野さんが僕に視線を送る。
だけど、黙っていられなかった。
空野さんは何度も一人で監査を行い、それが原因で神崎さんに殺され続けてきた。
僕がこのループに巻き込まれた今度こそは、違う結果にしたい。
それは僕以上に、空野さんが強く願っているはずだ。
「……お願いです、会長。今日の監査、会長一人でやってください」
僕は勢いよく頭を下げた。
「理由は言えないけど、今日空野さんが一人で監査に行ってしまうと、良くないことが起きるんです」
「……君たちにも、何か事情があるようだね」
会長は諦めたように頷いた。
「分かった。今から学校へ向かおう。その代わり、電車の中でいい感じに遅刻の理由を考えてくれよ?」
「会長もなかなかのワルですね」
ニヤリと笑う会長に、僕も空野さんも笑い返した。
屈託なく笑い合う二人を見て、今度はうまく神崎さんをやり過ごせる気がした。
◇◇◇
学校に到着したのは結局、一限目も終わりを迎えようかという頃だった。
「以後気を付けるように」
1限目の世界史が生徒の事情に無関心そうな里崎先生だったのも幸いした。
空野さんは毒舌家の「マダム」こと長谷部先生が担当する古典だと聞いたけど、大丈夫だっただろうか……。
「さて、そろそろ時間なので来週からはインド王朝の歴史に入っていけると思う。委員長」
僕が教科書を開く前もなく授業が終了し、休み時間へと移る。
僕はふと、後ろの席に座る神崎さんの方を振り返った。
「それでね。私思うの。昨日の終わり方は、来週以降の二人の関係性の変化を匂わせる伏線じゃないかって……」
「あー、それあーしも思ったわー」
神崎さんはいつも一緒にいる「いかにもギャル」って感じの友達の湯田さんと話している。湯田さん、確か下の名前は「撫子(なでしこ)」なんだけど、名前とは違ってなんか普段は恐そうで苦手なんだよな……。
「このままアカネとナツキでゴールインなのかなぁって期待しちゃうよね」
「けどナツキはアオイにも取られそうな気もするんよねー。ナツキはナツキで気が多そうだしさ」
話題は昨日のドラマの話とかだろうか。当然、この時点で神崎さんはまだ失恋していない訳で、元気そうだ。
「ってかさー。朱莉の方はどうなんよ」
「え? 私?」
「そーそー。陸上部のセンパイとイイ感じだってこないだ話してたじゃん?」
「あー……。そのことねぇ……」
おっと、話がデリケートな方向に向かい始めたぞ。
普段なら僕もさっさと席を外すところなんだけど……。さすがにこの話題は無関係とは言えない。僕は世界史の教科書を片付けるフリをしながら、聞き耳を立てた。
「私、さ。実はそろそろ告ろうと思っててさ……。このまま待ってても、これ以上進展しなさそうっていうかね」
「わお、大胆じゃん」
「え、やっぱこういうの、女子の方からってはしたないかな……?」
2限目に使う数学の教科書越しに覗いた神崎さんは、完全に乙女の顔をしていた。
あー、こういう表情をしている女の子が、憧れの人に拒絶されるとあんな壊れ方をしてしまう……。
そのギャップを想像すると、僕の背中をゾクリ何かが波打ち走る気がした。
「うーん、けど、朱莉だったら大体の男、落とせると思うんよねー」
しばらくして、湯田さんがそんな無責任なことを言うのが聞こえた。
「運動しているからとはいえ、スタイルいいし、あまり焼けてないし、そんで顔はとびきり可愛いし」
「え、ちょ、照れるからやめてって」
そう言いつつもまんざらではなさそうな神崎さん。
確かに神崎さんは普通にしていると、小顔で目鼻立ちも整ってるし、いつも元気だし、クラスでも狙ってる男子は一定数いそうな感じだ。
「そうだ。何なら適当に男子捕まえて聞いてみよーぜ」
「え、何言ってるの、なっちゃん、やめてって……」
「大丈夫だって。あ、おい、そこの! ちょうどいいや! 朱莉、可愛いよな?」
あろうことか「適当に捕まえられた」のは「おい、そこの」こと僕だった。
「あっあっ……」
突然の事に当然のように温まらない僕の喉。
どもる僕に呆れた様子で長い髪をガシガシとかいた湯田さんは、僕を睨むようにしてドスの効いた声で言った。「可愛いよな、朱莉」
「か、かわいい、です……」
「うん、それでいい」
なんだこの茶番……。
っていうか前回はこんなやり取りなかったのにな……。
「ほら、黒野もそう言ってんだ。間違いないっしょー」
「もう、いきなり変なこと言われて困ってるだけじゃない。何もこれじゃ分からないよ」
このクラスになって半年近くも経つのに、いまだに湯田さんが僕の名前を憶えていないことだけは分かったけどね。
そう、本来僕と神崎さんの学園生活が交差することなんてあってはいけないんだ。
だから、このまま彼女が失恋しようと僕には関係ない。
なんなら僕はそのこと自体を知る由もないかもしれない。
放課後、空野さんではなく、会長が部室の監査を行えば、ひょっとしたら神崎さんの告白は成功するかもしれない。でも、それも僕にはやはり関係ない。
「ハイ、委員長」
そんなことを考えていると、予冷が鳴り、数学教師の笠原先生が入ってくる。
こうしてこれからも僕の日常は何事もなく流れていく。
神崎さんの恋路とは全く無関係な所で……。
「……気を遣ってくれてありがとうね、黒田君」
だけど。
そっと後ろから耳打ちしてきた神崎さんの声を聞いて。
どうしてか、僕は無性に惜しい気持ちになっていた。
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