第3話
まずは翌日に迫る監査まで時間がない。
僕は家に「友達とご飯を食べてくる」と連絡を入れ、空野さんと学校近くのファミレスにやってきた。
「ひとまずお腹もすいたしご飯とドリンクバーを頼んでおきましょうか」
「そうだね」
「ところで黒田君は普段、こういうファミレスにはよく来るの?」
「いや、全然。空野さんは?」
「私も最近は来てないわ。子供の頃は時々家族で来てたけど……」
僕たちは他愛もない会話をしながら、オーダーをそれぞれ済ませた。
ファミレスはメニューが多すぎて、何を頼んだらいいか分からない。
結局僕たちは二人してメニュー表の一番初めのページにデカデカと写っていた「ハンバーグプレート」を注文することにした。
「……結構量が多かったわね」
食事を終えてお腹をさする空野さんは、それでもどこか満たされたような表情だった。
何度も神崎さんのことで一人で苦しんできたのもあるのだろう。久しぶりにゆっくりできて、少し気分が和らいだのかもしれない。
「……そろそろ本題に入ろうか」
そんな彼女の安らぎのひと時を終わらせるのは申し訳なかったけど、時間は限られている。
ドリンクバーで入れてきたコーヒーを飲みながら、僕は切り出した。
「ええ、そうね」
それは彼女も同じ想いらしく、座り直した空野さんはすぐに思案顔になった。
「やっぱり、私と佐々木先輩の関係を断ち切ろうとするだけじゃダメみたいなのよ」
「それは、どうやっても関係が生まれてしまうってこと?」
「ええ。多分何回やっても、今のままじゃ大して結果は変わらないと思うわ」
妙に力強い断言だと思ったが、僕と違い空野さんには五回分の失敗経験がある。
「それより、今回は黒田君も二周目ということで、人手が増えたわ。だから、佐々木先輩の対策と並行して、春元会長をなんとか動かすことを考えてもいいと思うの」
「でも、会長体調不良なんでしょ? どうしようもないんじゃ……」
「うーん。ただ会長、金曜に休んで月曜に登校して、また火曜日に休んでるのよ。なんかただの体調不良にしては不自然な休み方な気がするのよね」
「でも会長だよ? サボリってことは……」
「そうね。でも、たとえダメ元でも当たってみる価値はあると思うの。なんたってこっちは命がかかってるんだもの……」
「うーん、そうだけどどうすればいいんだろ。いっそ明日の朝一から会長の家の前で張ってみるとか?」
「……え?」
僕は軽い気持ちで口にしてみたのだけど、空野さんは呆気にとられたように固まった。
いかんいかん、流石に気持ち悪かったか?
僕は慌てて弁明する。「違うんだ! 今のはモノのたとえっていうか……」
「ちょっと待ちなさい、黒田君。あなた、会長の家を知ってるの?」
「え、ま、まあ、一応。前会長が休んだ時、生徒会の資料持っていったしね」
「そうだったの!? そう。なら少し考えようがあるわね……」
空野さんは、少し考え込んだ後、言った。
「明日の朝6時、会長の家の前で待ち合わせましょう。場所は後で私の連絡先教えるから、そこに送って。住所が分からない場合、最寄りの駅とかバス停で待ち合わせでもいいから」
「ちょっと、本気?」
「ええ」
空野さんは、いつもの地味な印象とはかけ離れた満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱりあなたがいてくれて良かったわ。これなら、結末を変えられるかもしれない」
◇◇◇
秋の早朝と言っても9月初旬はまだまだ夏と言っていい。
「空野さん、来てるかな……」
会長の家の最寄り駅まで足を延ばした僕(とは言っても学校の最寄り駅の一つだけ先の駅だけど)は、通勤ラッシュの早くも疲れた顔をしたサラリーマンたちに押し出されるようにして、改札を潜り抜けた。
改札前は人、人、人。
私鉄の駅と地下鉄の駅が入り組んだこの駅は、朝6時前から賑やかだ。
僕が人の波をやり過ごして周りをきょろきょろしていると、柱にもたれかかって、この世のすべてに興味がないとばかりに本を開いている長髪眼鏡の女の子の姿が目に入った。
「あ、そ、空野さん。おはよう……」
「ええ、おはよう。来てくれたのね、黒田君」
朝早くから同じ学校の女の子と待ち合わせるという非日常にややドキドキした僕だけど、空野さんはびっくりするほど素っ気なかった。
いや、そりゃ何度も殺されてはタイムリープして「やり直し」を続けていれば、ちょっとやそっとのことは「非日常」ではないんだろうけどさ。もう少しこう、僕のことも考えてほしいよね。何ならこっちは空野さんと交換した連絡先にメッセージを送る時からドキドキしてたくらいだ。
「ん、どうしたの。なんか拍子抜けしたみたいな顔してるけど」
「な、なんでもないよ!」
僕はぶんぶん首を振って、歩き出す。
「そう? とにかく春元会長の所まで迷わないように頼むわよ」
「分かってるよ」
「黒田君、なんだか頼りない所もあるけど今ばかりはあなただけが頼みの綱なんだから」
頼られてるのか頼られてないのか分からない評価だ……。
僕たちがゾンビのようなサラリーマンの集団から逃れて駅の向かいの歩道に渡ると、空野さんがクスリと短く笑った。
「どうしたの?」
「いいえ、まさか黒田君とこんな朝早くに二人っきりで会う事になるなんてね」
「……僕もこんなことになるとは思わなかったよ」
「でしょうね。きっと、これは私たちだけの秘密の物語よ」
そう言っていたずらっぽく眼鏡越しに僕にウインクする空野さんは、いつもとは違った雰囲気に見える。
僕は胸の奥に少しだけ、むず痒いものを感じながら、歩道を曲がった。
「ま、どうせ他の人に言っても信じてもらえないと思うけれど」
「だよね……」
いつもの淡々とした口調に戻った空野さんにどこか安心しつつ、僕は目の前に見えてきた一軒家を指さした。
「ほら、あの新しい感じの二階建ての白い家。あれが会長の家だよ」
「へえ。大きくはないけど綺麗ね。最近越してきたのかしら」
空野さんはありきたりな感想を漏らしつつ、周囲をきょろきょろと見渡し始めた。
「どうしたの?」
「いや、あの家を見張るいい場所がないかと思って」
「うーん、近くに公園があった気がするけど……」
「いいわね。ひとまずそこに向かいましょう」
会長の家の前を通り過ぎて少し歩くと、記憶通り小さな公園が見つかった。
小さな砂場とブランコとドーム型の遊具と滑り台が設置された「よくある公園」の典型みたいな公園だ。
「あの遊具の上からだったらよく見えそうね。そうそう、当然牛乳とあんぱんも持ってきたわよ」
「え、あんぱん? 朝ごはん的な?」
「それもあるけど、張り込みといったら牛乳とあんぱんでしょう? はい、黒田君の分」
「う、うん、ありがとう……」
なぜかノリノリな空野さんに押し付けられるようにしてパック牛乳とコンビニのあんぱんを預かる僕。空野さん、実は状況を楽しんでたりする?
「……今回はね。大丈夫な気がするの」
僕に続いて遊具の上に上ってきた空野さんは、あんぱんの袋を開けながらそう言った。
「今まではずっと一人で、正直色々きつかった。何回やっても、今回こそ大丈夫だって思っても、結局死んじゃうし。黒田君も経験したと思うけど、死ぬって当然苦しいの。でも、普通の人間はあの苦しみを知った状態で生きてはいない。だから、その苦しみを共有できる黒田君が今回は傍にいてくれて、本当に心強いの」
「……空野さん」
あんぱんをもぐもぐしながら、朝陽に照らされた地面に映し出された僕たちの影を見る。
ムードもへったくれもない状況だけど、確かに僕たちは二人だ。一人では変えられないことも、二人なら変えられるかもしれない。
「さっきは頼りないなんて言っちゃったけど、今回の私にとって、黒田君は本当に頼みの綱なの。だから……」
あんぱんを小さく齧って咀嚼した後、空野さんは僕を真っすぐに見つめて言った。
「絶対に、死なないでね、黒田君」
「……ああ。空野さんも、ね」
共通の目標ができて初めて、こうしてゆっくり話すようになった僕たちだけど、これだけは言える。
僕たちはもはや運命共同体。どちらかが生き延び、どちらかだけが死ぬなんて未来は許されない。
「ええ、もうあんな苦しいのはごめんだもの」
冗談っぽく言ってるが、笑う気にはなれなかった。
空野さんは僕が「二回目」を始めた日に、すでに五回殺されていると言った。
つまり、彼女は五回も死の苦しみと共に「負けヒロイン」になったのだ。
その先に待つのがどんな結末だったとしても、僕はこれ以上空野さんに負けてほしくなかった。
「……見て、黒田君」
ジリジリと輝く朝陽を遮るように、空野さんがふと人差し指をかざした。
その指先が示しているのは、先ほど通り過ぎた会長の家の前の道路。
会長が、私服姿で歩いてくるのが見えた。
「あれ、会長だよね? 普通に元気そうだけど……」
「ええ。体調不良って聞いてたけど、何か事情がありそうね」
「でも、それだったら仮病のサボりってことになるよ?」
「しっ! 黒田君、春元会長がこっちに来るわ。隠れましょう」
慌てて僕たちはドーム型の遊具から降りて、その中に隠れる。
「ふぅ、今日はまだ来ていないのか……」
会長はあろうことか公園までやってきて、そんなことを言いつつ奥のベンチに腰掛けた。
「まさか本当にサボりなんじゃないでしょうね……。どうして今日に限って!」
「うーん……。何となく学校に行く気になれなかったとか?」
「でも、今日は監査の日なのよ? そんなピンポイントでサボることがあるかしら?」
確かに、会長はあまり自分の事を話さないけど、少なくとも生徒会の仕事に関しては責任感を持って働いてくれている人だった。
「本当は今日、学校行かないと黒田君たちに迷惑かけるんだけどなぁ……」
朝の陽ざしに包まれながら、会長がぼんやりと口にする。迷惑どころか、会長が休んだせいで僕たちは二人とも死ぬ。悪いと思うなら遅刻してもいいから放課後までに来てほしい。
「でも、朝からあの調子じゃやっぱりしんどい。癒しが欲しい……」
「なんか会長、寂しいお姉さんみたいになってるけどどうしよう」
「婚期を逃がしたOL感があるわね……」
僕たちが文句を言うのも気が引けるくらいに、会長は疲れ切った表情だった。
「やっぱり何か事情があるみたいだけど、どうしたものかしら……」
それは空野さんも同じらしく、困った様子で会長を覗き見ている。
「うーん、今から出ていって『学校に行きましょう』って言ってもいいけど……」
「なんかそれだけじゃダメな気もするわよね。この様子じゃ……」
会長は相変わらずうわの空状態。
ギラギラしたイケイケのお兄さんが現れたらそのまま陥落しちゃいそうなくらいに隙だらけだ。
「ねえ、黒田君。あくまで想像の話というか、一つの可能性に過ぎないのだけれど……」
沈黙に耐え切れなくなったのか、空野さんがひどく回りくどい切り出し方をした。
「どうしたの? 空野さん」
「私、会長が今日何で休んだのか、分かったかもしれない」
「え? じゃあ対策もしようがあるじゃん!」
「うん、そうなの。そうなのだけれど……分からないのよ」
歯切れが悪いな。
「教えてよ、空野さん。会長は今日何をする予定なのか」
「うん……分かったわ」
空野さんは覚悟を決めるかのように大きく深呼吸をすると、短く言った。
「エンコー」
「え?」
あまりに予想外な言葉が空野さんの口から飛び出したことで、僕は一瞬頭が真っ白になってしまった。
エンコーって、おじさんが若い女の子に援助する代わりに、ぐふふにゅるんなプレイをいたしてしまうというあのエンコーのこと……?
「それも、行きずりの人……きっとこの公園に住んでいるホームレスとかかしら。そんな人たちとの関係よ」
「もはやそれ援助すらもらえないやつじゃん! 会長に限ってそんなことする訳が……」
「でも、そう仮定すると辻褄があってしまうのよ。さっき、会長も『今日はまだ来ていないのか……』って言ってたし。で、そうだとしたら私たちにできることは……」
「いや、でも……!」
「ちょっと黙って。誰か来たわ」
まるで僕の反論に応えるように、不規則な足音が聞こえてくる。
「おお、待っていたよ……!」
しかも、その瞬間会長が恍惚の表情で立ち上がったではないか。
まさか本当に会長はエンコー、いや、ホームレスとの爛れた関係を?
僕たちは魅入られたように、公園の入口へと視線を送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます