8話 白紫陽花に灯す陽光
気のせいだろうか。昨日の夕方くらいから俺に対する皆の見方が変わった気がする。嫌悪するような視線から、尊敬にも似た畏怖の念を込めた視線に変わったような気がする。
「クレール、もう人気者になっちゃったね」
「うるさい」
セシリアは廊下でちやほやされてる俺を横目にチクチクとからかってきた。今日は朝から本当にずっと見られてる。
今のこの状況は正直あまりうれしくない。なにせ周りにじろじろ見られながら授業を受けたり移動を強いられるのだから。こんな状態ではまともに生活ができないのは明白だ。
「なんでこんなことになったんだ? 俺は何も悪いことしてないのに」
「そりゃあなたがあのギーディアス・エデルぺを倒したからでしょ。だってあの人は神器使いなんだよ?
王子を倒したってこともあるだろうけど神器を使い慣れてる人に、神器を使い始めたばかりのあなたが倒したんだから浮くに決まってるでしょ」
あいつ王子だったのかと今更知る。そういえば名前にエデルぺがあるのを完全に忘れていた。
おそらくあいつに勝ったのは偶然じゃない。あれは約束された勝利であり、確定された勝利である。力という実力で見れば確かに俺の方が格下だが、技術という実力では俺のが勝っていた。それも圧倒的に。
万物は力で強さが決まるが人間は理性を持ち合わせており、力に対して技で対処することができてしまう。そして対処の仕方を得たものが勝つ。いわば先に相手の弱点を見抜くことができたものが勝つ。
そして俺は先に弱点を見抜き、奴の力を自身の技術で対処したから勝つことができた。ただこれだけのこと。
「戦ってるとき、ギーディアス・エデルぺが言ってた。お前は神器を使いこなせていない。
おれも感じていたことだけどこの前の模擬戦でそれを痛感した。
神器を使いこなせないままではきっとあの巨人とまともに戦うことすらできない。
もっとこの武器について、俺は知る必要がある」
腰にぶら下げていた漆黒色の剣を握りながら、模擬戦を悔いるように反省と自身に対する不満をいないはずの誰かにぶつけた。
このままでは強くなれない。強くなれないのなら勝つことができない、それは自分に死ねと言っているようなものかもしれない。
†
「クレール君、今は剣術の授業です。ここで魔術を使わないでください、それでは剣を交える意味がありません」
「――。すみません」
先生モードのエリナスが鋭い眼光でこちらを見やりながら俺に叱責を入れてきた。
神器について意識し始めた頃から俺は自身の剣に魔術を纏う練習をひそかにやっていたのだが、どうもうまくいかず身体中に妖気を帯びるだけで身体強化になってしまう。
そのせいで俺の稽古相手だった者が向こうの彼方へ吹っ飛んでいった。それはもう絵に描いたような有り様だった。
「ごめん、ファマス。大丈夫だったか? 結構派手にぶっ飛んでただろ」
やべっと思いながらすかさず吹っ飛んでいった友人のもとへ駆けつけたのだが、そいつは非常に面白い恰好で横たわっていた。
「だ……大丈夫だ、身体に打ち身ができた程度だよ。てか今更さ、下の名前で呼ぶんじゃねぇよ照れくさいだろうが」
「もう話すようになってからだいぶ経つんだから、そろそろ親睦を深めるべきだろ。俺はそこらへんよくわからないからな」
「おまえ、情が深いと思ったら時々冷たいよな。そのうちセシリアに嫌われるぞ」
ファマスは地面で寝そべりながらこちらをキョトンとしながら心配した様子で見やった。
なんで話の中にあいつが出てくるんだよと思いつつ、確かに俺は時々自身が冷たいように感じることがある。でも正直誰が何考えているのかなんぞどうでもいい。
それは俺の思考を妨げるだけであり、隙に繋がってしまう。だってその隙は致命打になりかねないのだから。
自身が生き残るために余計な思考はしたくない。あれと戦うまでは生き残らなければならない。
「はやる気持ちはわかりますが、ゆっくり覚えていきましょう。あなたはまだ神器を使い始めたばかりなのですから、そのうち何かコツをつかめると思います」
「エリナス先生、それではいつまで経っても身に着けることはできません。あの王子は当たり前だと言った。でも俺はその当たり前のことが何もできていない。
もしこのままあやふやな状態で戦場に立てば俺は必ず死ぬ。遂げることができずに死ぬのは嫌です」
そう、俺は当たり前のことができていない。神器持ちであるのに神器を使いこなせないでいる半端者、そして半端者は戦場で必ず死ぬ。それも何の意味もなくただ一方的に死んでいく。
もしそうなればあれと戦う以前の問題だ。そうならないためにも俺はこの武器を知る必要がある。知らなければ戦えないし強くなれない。
「どうしても身に着けたいとおっしゃるのでしたら私が手筈を整えておきますよ」
「手筈?」
「はい、私は神器所持者ではないので教えるのは大変難しいです。しかし同じ神器所持者ならばあなたに直接教えることができるはずです。
ただその相手が相手なので教えてくださるかどうかわかりません。それでもいいとおっしゃるのなら私から何とかしますが、どういたしますか?」
「――――お願いします。」
迷いはないはずなのにしばらくの沈黙をしてしまった。なぜ沈黙をしたのか自分でもわからない。
だが、神器を持っている人から直接教えてくれるのなら願ったりかなったりだ。この手を使うほかない。
†
入学してからそろそろ1年が過ぎようとしていた。エリナスが神器持ちにお願いを申し出ると言ってから数ヶ月が経つがその気配は一向に来ない。いったいなぜこんなに時間がかかるのだろう、まさか嘘を吐いたのではと疑問に思ったりはしたが彼女がそんなことするはずないということは自分が一番知っている。
その間に少しでも自分の魔術属性について知識を身に着けておこうと学校内にある図書室に寄った。
図書室にある魔術関係の本はこの数か月で一通り読み漁ったのだが陰属性に関する情報があまりに少なく、あったとしても陰を宿した人間の被害報告がほとんどだった。何一つとして扱い方が記されておらず症状しか記載されていなかった。
――陰は宿主である人間の身体を蝕み、時間をかけてやがては心を喰い殺す。蝕まれる人はたちまち喉を爪で掻き切って自害を行う。
――稀に他者の命を贄として生ける屍に成り代わる恐れあり。
どれも物騒な内容だった。俺自身も一歩間違えるだけでこうなるかもしれない。
こんな本を読んでいたら気が狂いそうだ。早急に閉じてあるべき場所に戻しておこう。
正気を保てているうちに本をもとの場所に戻してとっとと帰ろう。
図書室を出ようとしたとき扉の前に何者かが脚で阻んできた。
「すこし癪だが、お前にその剣の使い方を教える必要があるみたいだ。勘違いするな、これは俺の意思じゃない。私は国の決定に従う者、国の歯車にすぎない。
せいぜいフォストル先生に感謝するんだな」
「お前は……」
「黙って来い。今日から私はお前の専属講師だ。妥協は一切許されない故、こちらも全力で指導するつもりだ。
少しでも手を抜いたら俺はお前の指導はしない。それがどういうことを意味するかは分かるよな?」
「――――。」
眼前に現れたのは模擬戦で俺に敵意をむき出した獣のようだった。しかしどこか気品を感じた。
黄金色の髪をなびかせ、俺と同じ紅玉色の瞳を有する者は俺に指導をすると言った。
そう。いずれこの国を守らなければならぬ者、王子であるギーディアス・エデルぺが指導をすると言ってくれた。
わかっている、わかっているとも。指導をしないということは俺に今の状態で戦場に立ち、そして死ねと言っているのと同じ意味を持つ。
もしそうなれば俺はいずれ何も果たせないまま散っていくことにあるだろう。果たせないままでいるのは嫌だ、タイタンは俺が打倒しなければいけない。
俺は覚悟を決めて金髪の背中の後を追うことにした。
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