2話 夜闇に照らす赤光 part2

 ある朝、俺は父が紹介してくれた面白そうな本を読みふけっているとエリナスが怪しいテンションで俺のもとに這い寄ってくる。


「クレール様。今日は私の用事に付き合ってください」


 珍しい。あまりにも珍しすぎる。

 俺に何か頼み事をするなんて言うのはおそらく初めてかもしれないっていうくらいには誠に珍しい。


「わかった」


 小首を傾げながらも、おそらくエリナスがそばにいるのなら自分は大丈夫だろうと思い、俺は子供らしく頷く。

 一体、どこに向かうのだろう。あまり屋敷の敷地外に出たことがなく、周辺の地理情報にも疎い。

 だから俺は、例の用事をこっそり抜け出して探検でもしてみようという子供特有の欲望を抱えながら目の前の華奢で美しい背中をした執事の後を追った。


   †


 歩くことおよそ20分。

 エリナスの背中をスタスタと追いながら屋敷から緩やかな坂道をのんびり下っていくと目的地に着いた。


「なにこれ……。商店街なの?」


 俺は少し怯んでしまった。

 そう、人混みが大いに苦手なのである。しかしどうして苦手なのか自分にもわからない。

 そんな俺を見向きもせずにエリナスは商店街の奥に進むものだから、やむを得ず人混みに入る覚悟を決めて後に続く。

 歩く道は、本当は短いはずなのに長く永遠と続くように感じられて、目がくるくるしそうになる。


「お疲れ様です、もう到着しましたよ。

 呼んでくるので少し待っていてください」


 まだかまだかと我慢して歩いていると、どうやら目的地に着いたらしい。

 目を見やるとそこには様々な種類の野菜が並べられていてとても色鮮やかな光景のように感じる。その光景はまさに植物園のようだった。

 実際にはこの人混みロードに入っていた時間は1分も満たないが、俺には1時間にも2時間にも感じられた。

 エリナスの言葉はまるでこの地獄に終わりを告げる神のお告げのように感じられる。


 ん? 呼んでくる?

 てっきり夕食の調達に付き合わされていた思っていたのだが、どうやら違うようだった。

 まさかだと思うが、本当は用事なんてなかったのでは? そうエリナスを怪しんでいると奥から自分と同じか年上の女子が向かってきた。

 小さな段差をひょいっと飛び降りてそれは姿を見せる。


「はじめまして。私の名前はセシリア・プロセル。あなたの名前は?」

 

 女性的で、けれど力強い声音で背中程の自分とは少し違う黒髪をなびかせながら黄玉色の瞳の少女が自己紹介をする。


「クレール・シャウマン。そこのエリナスに付き合えって言われたから来た」


 相手が自己紹介するものだから俺も反射で自己紹介をしてしまった。

 何か変なことは言ってないだろうか? とても不安に思う。

 自己紹介をしたのち、俺はすぐにエリナスの背後に回り身を軽く隠そうとしたのだがセシリア・プリセルに捕らえられてしまった。


「クレールってあなたのことなのね。てっきりもっと怖い人かと思ったよ」


 俺はいやだいやだと駄々をこねる子供のように、はやく離せといわんばかりの勢いでぶるぶる身体を動かして抜け出すことに成功する。

 なんで俺のことを知っているんだろう? もしかしてエリナスがこの店に来るたびにこいつに俺のことを話しているからなのだろうか?

 

 ならどんな恐ろしいことを話していたのかがすごい気になる。なんせ怖い人だなんて言われたもんだから。


「私と同じくらいの年の子ってシャウマン家の屋敷の子くらいしかこの街にいないんだ。だから会ってみたいって思ったの」


 俺より頭1つ分背が高い彼女はそう言いながら、俺の手を掴んでゆらゆらと横に振って喜んでいる。


「私事で大変申し訳ありませんクレール様。実はどうしてもあなたをこの方と会わせて1度手合わせさせてみたかったのです……!」


 用事といえば用事なのかと俺は自分の中で無理やり納得させて心を落ち着かせる。

 手合わせってことはおそらくこの人は剣を使うことができるのであろう。

 そう考えると少し楽しみになってきた。自分の実力がどれだけの相手に通用するのかを。

 俺たちが来る前にセシリアはどうやら今日のことをそこのエリナスから聞いていたようなそぶりで、それはそれはとても戦う気満々のようであった。


   †


 場所を我がシャウマン家の屋敷に移り、俺とセシリアは剣を構えて睨み合う。まるで互いが互いのことを獲物としか認識していないかのように。

 

 屋敷に戻るまでの間、またあの地獄みたいな人混みロードを通ったことは言うまでもない。

 戻る途中、自分が付いて行かなくてもよかったのではないだろうかと感じ始めていたが、それについて考えることはやめた。

 今は集中するべき時だと自覚する。


「ルールは単純です。相手が戦意を失ったと私が判断した者は負けとさせていただきます。同時にその時点で戦意があると判断した者は勝ちといたします。

 それでは、どうぞ始めてください」


 エリナスの簡単な説明を終えると、改めて互いに剣を構え直す。

 セシリアの目を見据えると、その目はまるで己は剣豪であると訴えかけているようでもあった。

 ————きっと強いのだろう。


「斬られても泣きべそかかないでよね」


 覚悟の上だ。

 俺は眼前の少女をとらえながら小さくうなずく。

 

 心を凍らせる。

 感情を消し集中の向こう側にある空間に自身の魂を委ね、意識を斬るべき対象に向ける。


 踏み込もうとした刹那、雷光の如く青い光が眼前に迫る。

 とっさの判断で身体をのけぞるようにずらせたが、こめかみをかすらせてしまった。

 

 この時、俺は理解した。

 

 向かってきたあれはセシリア本人であると理解できた。

 あまりに速いものだから対応できないだろうと感じた。ところが、意外にも感情が冷静であった。

 俺は知っている、あれより速いものを俺は知っている。

 よく夢に出てくる、空間を切り裂くように向かってくるあの忌々しい弾丸を知っている。

 そんな殺すためだけに生み出されてきた兵器に比べればあの雷光のように駆ける少女なんか怖くない。

 怖いわけがない。


 何度か迫りくる雷光をギリギリのところで避けていると、次第に俺の目は慣れてきた。

 避けるという単一的な動作に余裕ができた頃、俺はあることに気づく。


「あいつ、まさか魔術を使ってるんじゃ?」


 俺はあの青く光る雷光は魔術であり属性は風と雷であると仮定する。

 仮定をもとにおそらくは風に雷の膨大な出力を加え、それを自身に纏うことであの驚異的な速度を作り出しているのではないかと考察する。

 しかし考察したところで何の対策もできない。だって俺は魔術が使えない。

 もし水の魔術が使えたなら雷を水でよそに流すなり対策を考えたかもしれないが、俺には何一つとして魔術が使えない。

 どう考えても使い物にならないのでこの考察は棄却する。

 

 対策が一向に見つからず少し焦りの様子を身体全体に浮かべながらもう1つのことに気づく。

 相手が迫りくるのなら待てばいいのだと。

 それすなわち迎撃である。

 ——故に、

  

 追撃には迎撃を以って閃光が如き雷光を穿つ。


 手段が見つかった瞬間より、俺は受けの姿勢をとる。

 受けの姿勢をとることで見えない軌道で近づく剣撃を、感覚ではなく知覚でより鮮明にとらえることができるようになり、ついには受け止めることに成功する。

 ところが受け止めるだけでは攻撃ができない、勝つことができない。


 もっと先にいきたい。いかなければいけない。

 そう強く切望した時、自身の中で何かが繋がる感覚を覚えた。

 魔術回路ではなく、魂と肉体がリンクしたような。なんとも言い難いこのもどかしい感覚。

 さらに魂からよくわからないものがあふれ出してくる。

 俺はそれをさっき魂と繋がったであろう肉体に流そうと試みるうちに、それはきっと全身に巡らせることができるのではないかと感じ始める。


 この快感にも近い感覚はとても癖になる。

 もっと感じたい、物足りない…… が。

 もう少し流してみようと中で模索していると、上から大きい物体が俺を覆い、手が縛り付けられる。


「そこまでです……! クレール様、もう充分です。あちらを見てください」


 俺を押さえつけていたのはエリナスだった。

 いわれた通りの方向に視線を移動させると、そこには尻を地面につけているセシリアの姿があった。


「いったたたた……。私の魔術に剣だけで合わせにこれるなんて信じられない!

 しかも私魔術使えないって聞いてたのにあんなめちゃくちゃな魔術が使えるだなんて聞いてない!」


 少女は悔しそうに身体を大の字にして叫ぶように言った。よほど負けたことが悔しいのだろう。


 俺が魔術を使った?

 何を言っているんだと疑問に思いながら、この戦いの記憶が保管されているであろう自身の脳をかき回し検索する。

 やがて整理がついた。そして自分が勝ったのだと自覚する。

 

 ところが。

 あの雷光を受け始めた時、受けるだけでは勝てないと感じた時からの記憶がない。

 気が付けば勝負が終わっていたのだ。

 おそらくこの間に俺は何らかの魔術を用いたのだろう。

 でも自身の中にある魔術回路は依然として眠りについたままだ。身体もなんともなく、こめかみ付近に薄い切り傷ができた程度だった。

 セシリアの方は…… 派手にぶっ飛ばされたらしいがなぜか傷一つなく無事のようだった。

 なぜ記憶が飛んだのか気になるが、自身に詮索をかけるのは今はやめておこう。素直に勝負に勝ったことを喜ぼう。

 

 喜んでいる最中、窓辺から低い声が俺の名を呼ぶ。


「クレール、お前に渡しておきたいものがある。もう渡してしまってもいい頃合いだろう」


 その声は父だった。父の声であった。

 渡したいものとは?

 小首を傾げながらも俺は呼ばれたので屋敷の中に入ることとした。


   †


 この時私はクレール様の異変を感じ取っていた。

 確かにあの方は途中まで己の剣技と身体能力で迫りくる雷光のようなセシリア様を避けたり受け止めたりしていたが、急に動きが明らかに変わった。


 驚くことに彼の中から妖気が滲み出たのだ。黒く禍々しいものが……

 時点より避けることをやめ、その妖気は少女に襲い掛かる。まるでなぶるように、玩具を扱うかのように。

 これ以上はいけないと感じた私は飛び込むように彼に覆いかぶさり、行動を封じた。

 幸いなことにその妖気は微小であったため大きな事故は免れることになる。


 先の戦いにおいてクレール様はどうやら憶えていない様子であった。

 しかし、私はあの魔術に覚えがある。

 あれは『陰』であると私は理解してしまった。


 なぜ戦わせたのだろう。

 彼に自分は強いのだと思ってもらいたい、自信を持ってもたいと軽はずみに思っていた私は酷く後悔する。


 悪くて引き分け、良くてクレール様がギリギリのところで勝つ程度であると予測していたのだが……

 結果は圧倒的であった。

 確かに最初は苦戦なさっている様子ではあったが徐々に慣れ始め攻撃を受け始めていた。

 ところが突然彼の動きが変わっていった。

 眠れる悪魔が目覚めるかのように。

 もしあの方が自身に眠る力に目覚めしまい、それを自覚したらどうなるのだろうか。


 考えるだけ無駄だ。

 自身が経験した戦争よりもこの日起きた出来事はずっと恐ろしい。

 私は今日の出来事にただただ恐怖する。

 恐怖することしかできない、そうせざるを得ないのであった。

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