ブラッド・メア

まるちん

1話 夜闇に照らす赤光 part1

 剣が交錯する。

 互いの剣が激しくぶつかり合い、甲高い金属音が辺りを一瞬で包み込む。

 迫りくる剣撃を避けてながらもいなし、受け止める。

 猛攻が終わりを迎えた刹那、大地を蹴り飛ばすように踏み込み一気に距離を詰める。

 

「——っ!」

 

 狙いは腰、奴は腕を上げて対応できないであろう。

 姿勢を低くし、対象に剣の軌道を合わせる。

 ————が。

 先にとどめの一打を入れたはずが、なぜか俺の剣は剣によって自身の身体ごと弾き飛ばされる。


「なんでこの距離で合わせられるんだよ。距離を詰めて攻撃を封じたはず、なのにお前完全に剣を上にあげてたろ」


 仰向けになりながら、あまりの出来事過ぎて俺は思わず不満の音を上げてしまう。

 それも子供のように情けなく、足をジタバタさせながら。

 いやまだ9歳の子供なんだけど。


「速度、勢いともに申し分ない程のものでした。しかし、相手に隙が見えたしてもそれは隙ではない可能性があります。常に相手の動きに注意を払うよう努力を怠ってはなりません。

 それと私に勝つなんて10年早いですよ。私は剣においては伯爵であるあなたの父上より腕があると自負していますから」


 的確なアドバイスをしたのち、俺を小ばかにするように余計な一言を添える。

 目を細めて少しにやにやしているのが余計に腹が立つ。


「——次は油断しない。必ず討つ」


 反省をおこない小さくつぶやく。次はヘマをしないように。

 

 俺に剣の稽古をしてくれるこの人はエリナス・フォストルという紫水晶の瞳をした、銀髪を後ろで馬の尾のように束ねた華奢な女性である。

 女性であるがなぜか執事なのである。

 彼女曰く、メイドのようなひらひらな格好は動きずらい、戦いづらいから着たくないというシンプルな理由である。

 しかし本音はスカートが嫌いだとかなんとか、とにかく見た目が気に食わないかららしい。


 俺はクレール・シャウマンという名前でシャウマン家に生まれてきた。

 シャウマン家は武家貴族であり、そのため俺はよく稽古をエリナスという執事にしてもらっている。

 この家には特に流派が存在しないため、だれが教えても問題がないとのことである。

 そういえば父から剣について教わったことがない。

 正直父はいつも忙しそうにしているので頼みづらいのが現状である。そのためいつもエリナスに教わっているわけである。

 実は彼女は武家の者ではなく、近くの町で育った18の少女である。しかし剣技において彼女より右に出るものはいないと言われるほどで、『戦女神』の号持ちとして今の俺と同じ9歳だった頃に戦場では多くの戦果を残してきたらしい。

 しかし彼女はこのことについて良く思っていないようだった。


「今日はここまでにしましょう。正直、あなたの剣はもう十分といっていいほどです。いまなら王都の騎士と渡り合えるのではないかと考えていますよ。

 ですが、魔術は致命的です。それではこの先苦労いたしますよ。夕食の後少し練習しましょうか。私がしっかりサポート致します」


 そう、俺は魔術が扱えない。

 火、水、雷、風、氷の5つどれを試しても全くできなかった。

 エリナスもこのことに困惑しており魔術の勉強は初歩の段階で既に詰んでいるのだ。


 夕食の後みっちり魔術の練習を行ったのだが、やはりだめだった。


「だめだ……やっぱりできない、体が熱くて苦しい…。水も火も風も出てこない」


 練習の末、魔術回路をショートさせてしまった。

 いつものことではあるが体内をオーバーヒートさせた時の感覚にはまだ慣れない。


「今日はそのくらいにしましょう。あまり魔術回路を回していると本当に焼き切れて使えなくなってしまいます。地道に、コツコツ頑張っていきましょう。クレール様、あなたはまだ先が長いのですから。」


 エリナスは少し慌てた様子で励ましてくれる。いつか魔術が使えると信じて。

 でも俺は何となくわかっていた。

 自身の魔術回路が今までやってきた属性そのすべてを拒絶していた。だからこのような有り様になったのだと薄々感じている。


「もしかすると、5属性以外の属性に適性があるのかもしれませんね。実は5属性以外では陽と陰の属性があります。陽は回復や癒しといった援護向きの属性になっているのですが……」

 

 エリナスはなぜか顔を強張らせる。

 まるで何かに怯えるように。


「陰は死を基にした属性となっており、今までこの属性を宿した人間は何人もいましたが…。そのほとんどが自分の生に飲まれて死んでしまいます。

 言い換えれば狂うのです。理性というよりも、人間として大事なものが機能しなくなる、そんな風に」

 

 「狂う……?」

 

 なぜかその部分に俺は共感した。なぜか共感してしまったのだ。身に覚えのない、かつての自分だった何かによって。

 怖い。

 怖い、共感してしまう自分が。


   †


 時々、夢を見る。

 おそらくこの夢は自分だった者の記憶、前世といってもいいのかもしれない。

 薬莢と血の匂いが漂う殺風景な主戦場に俺は立つ。向こう側に聳え立つ大量の敵影を見据えながら。

 辺りは死体で地面を覆っている。数多の死体の中には死にきれず、腰から下が無く内臓を晒してはいずれ来たる死を待つ者、肉が爛れても現実を受け入れることができず母を何度も呼ぶ者、身がえぐれる痛みに耐えきれず断末魔のような声を上げる者など様々いた。

 気づかないふりをして踏み進む。ぐちゃぐちゃと気持ち悪く異様なまでに鈍い音を立てながら。


 瞬間、俺は敵陣にうろたえることなく死体を蹴り飛ばすように突っ込んだ。数多の敵影が持つ銃口から閃光の如く射出されるであろう弾丸を予測しながら。

 大丈夫、急所以外の弾丸は無視して構わない。

 俺は腕や足に被弾を浴びながら急制動や急発進を繰り返し距離を詰め、急所を貫くと予測される弾丸は流星のように避けながら、至近距離で敵の頭蓋を吹き飛ばし銃剣で胸を突き刺す。

 

 殺せばまた次が来る。俺は敵の頭だったものを掴み、薄い笑みをこぼしながら、余っていた片手に持つ銃の先端を喉に突き刺し引き金を引く。

 永遠にこの一連の動作を繰り返す。

 10人、100人、何人殺したのか覚えていない。

 よくわからない高揚感が夢の中なのに感じる。これは恐ろしいことだと、今の俺には理解できる。

 殺すことを愉しむ者は人間ではない、人間でいていいはずがない。愉しんでしまえば、それはきっと人間をやめた化け物であろう。

 

 殺しを堪能していると、眼前に一本の巨大な銃口が見えた。いや違う、これは砲口だ。


「120㎜砲——……」


 俺一人に対して大砲を撃つとはずいぶん追い詰められているんだなと思いながらも、さすがにあれを食らいたくはないので夢から覚めようと努力を試みる。

 そう、身体という不自由な器から脱出するように……。


   †

 

 逃げるように目を開けると左手が誰かの手によって握られていた。

 優しく包み込むように握られていた。なぜだかその手の感触がとても心地よく気分が落ち着く。

 手の主は誰だといわんばかりに目で追うと、エリナスの姿があった。


「大丈夫ですか? ずいぶんうなされていましたが、何か嫌な夢でも見たのでしょうか?」


 優しく涼しげな声音で彼女は俺に問う。


「夢を見た。知らない誰かの記憶のような。でも妙に生々しかった。

自分自身が体験したような、いや、きっと体験したのかもしれない」


 冷たく冷えた額の汗をぬぐいながら、夢で見た記憶をいつもの冷静さを取り戻しながら答える。

 この夢は今回が初めてではない。今まで何度も見た夢であり、それはいつも俺を前世に縛り付けるように追い詰める。


「一体、どんな夢を?」


「戦場にいた。俺は戦場で仲間の死体を踏みながら敵に向かって走った。

刺して、壊して、ひたすら殺していた。」


俺は夢の中で見たもの、感じたものをありのままに口にする。


「そして笑っていたんだ。殺しているのに、愉しんでいた。

 そう、俺は愉しかったんだ。その行いが。

 同時にそれが怖いと感じた。このままずっと堕ちていくようで、闇に浸っていくようで、とても怖かった。」


 きっとあのまま夢の中にいれば、本当に帰ってこれなくなるかもしれなかった。

 エリナスが手を握ってくれなかったら、俺をここに留めていてくれなかったらきっと向こうに行ってしまっていたのかもしれない。


「私も似たような経験があります。あなたが生まれる前くらいに私はあなたの父上と母上をともに戦争に行ったことがあります。

 戦場で私は戦っていました、自分を見失いながら。とても楽でした。我を忘れると心が楽になったのです」


 驚いた。

 いつも生真面目でおしとやかなエリナスが似たような経験をしていたなんて。しかも夢ではなく実際にやってのけてしまった。


「つまるところ、私は殺し合いに飲まれていたのです。夢の中であなたが体験したように私も愉しんでしまったのです。」

 

 悲しそうに、窓の遠くを眺めながら彼女は続ける。


「ですがあなたの母上が私を引き戻してくれました。『エリー、あなた何をしてるのよ!』って頬を殴ってきたのですよ? 驚きましたよ、本当に。でも戻ってこれたのです。」


 悲しい表情から悔しそうな面差しに変貌し、涙をこらえながらまた続ける。


「そのせいで母上は奇襲にあってしまい、撤退し遅れてしまったんです。私のせいであの人は死んでしまったのです。

私はあの日のことをずっと後悔していますし、きっと父上も同じでしょう。それなのに、辛いはずなのに父上は私に優しく接してくれました。

だから私はまだここに留まることができる、のだと思います。」


  力強く、けれど確信が持てない様子で話す。

 きっとエリナスは自分のせいで仲間を死なせてしまって、悲しませてしまってなお、生き延びてしまったから『戦女神』の名を嫌がっているのだと静かに悟る。


「私が今生きていられるのは、きっとあなたを私や、あなたの夢のようにならないようにするためだと思います。

安心してください。あなたは堕ちません。私があなたがあなた自身を見失わせたりなんかさせません。

だからどうか、自分を信じてみてはいかかですか?……」


 その姿はまるで生ける聖女のようだった。

 暗闇に照らす一筋の光、それは迷える人に示す道しるべのようだった。

 俺は自分の実の母を知らない。俺を育ててくれたのはエリナスだ。エリナスは母に代わって俺を育ててくれた。


 俺はなりたくない。夢の中の自分に、エリナスがたどってきた道には行けない、行ってはいけないんだ。

 だから自分に自分を問い続ける必要がある。自分とは何か、何のために生きるのか、それをを見つけ出さなければいけないんだと。

 

 進もう。

 手がかりはないが、きっと大丈夫。やっていけるはずだ。

 

 なぜか夢の中の、かつて自分だった者にそう背中を押された気がした。

 俺は夜闇の宇宙に浮かぶ一つの小さな赤光に手をかざしながら、もう片方の小さな手を力強く握った。

 

 

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