第5話
「そっか。僕も興味はあるんだけど・・・。」
「まあ、そんなものですよね。」
興味があっても時間が無い。
私だって、ハムレットの一節は聞いたことがあっても他の内容は全く知らない。
文学作品ってそういう人、多いんじゃないかなと思う。
「好き?あ、そうだね。本読むの、趣味って言ってたし。」
「はい。といっても、最近はあんまり。」
「ああ、わかる。高校生って時間ないから。」
時間ならあるけれどやる気がなくなってきている、とは言えなかった。
もう慣れっこになってしまったけれど未だに友達は出来ないし、休み時間は暇にしている。
けれどなんだか、集中出来なくて時間がかかってしまう。
二年生の先輩たちには一線引いているようだが、人当たりの良い綿矢先輩は友達も多いのだろう。
そういう人とは真逆なのだ。
「先輩はいつも、何を読んでいるんですか?」
「そうだなあ、雑誌とか。」
そう言ってカバンから引っ張り出したのは、科学雑誌の最新号だった。
「おお、さすが綿矢先輩。」
「それほどでも。」
そのまま、先輩は雑誌の真ん中あたりからページを捲る。
自分の世界に入っていくのを見届けて、私も「細雪」に目を移した。
クラブが解散になってから、私は高校の最寄り駅の駅前の書店に足を運んだ。
一番手前の目につくところに置いてあるのはファッション誌や週刊誌だ。
店舗に入って右側の端に、綿矢先輩が持っていた科学雑誌のシリーズが置いてあった。
先輩が持っていたのと同じのを買おうと手を伸ばして、それから隣の別冊に目を奪われた。
キラキラと輝く鉱物の写真が表紙になっている、結晶学の解説の別冊だ。
「わあ。」
そのままパラパラ捲って、それを抱え込む。
財布とにらめっこして、最新号を買うのは諦めた。
乗り込んだ電車の中で、下ろしたリュックサックから雑誌を取り出して読み出した。
中学の頃から鉱物は好きで、近所の図書館の鉱物関係の本はほとんど読んだ。
雑誌の中身も聞いたことのある内容が多いが、それでもやっぱり面白い。
しばらくは勉強が手につかないかもしれない。
次の日の昼休みも、私は部室に籠もって雑誌を読み続けていた。
こんな世界があったとは。
どちらかと言えば親も文系で、小さい頃から本と言えば小説ばかり読んでいた私には、科学雑誌を読むという発想がそもそもなかった。
どこかの学者が読むものだと思っていたのだが、こんなに面白いならいくらでも読みたい。
ものすごく面白い小説を読んだときのようにドキドキしながら、また次のページを捲ろうとしたとき部室に綿矢先輩が入ってきた。
「あぁ、やっぱり神谷さんだったんだ。」
「先輩」
今日は司書室に行くと、「鍵はさっき誰かが持って行った」と言われたらしい。
「それは、なんかすみません。」
「いや。・・・珍しいの読んでる。」
「鉱物、好きなんです。」
へえ、と言って隣に座って、私の雑誌を覗き込む。
すごく近くに気配を感じて、さっきとは別でドキドキする。
「すごいね。この式とか、わかるの?」
「全然わからないです。」
結晶学がメインだから、後の方になると全く理解できない式も色々と書いてある。
全然わからないけれど、文章をなんとなく読んでいるだけで本当に面白い。
そう伝えると、先輩がカラカラと笑った。
「わかるよ。それでも面白いんだよね。おすすめの鉱物とかある?」
「おすすめというか、私はジルコンが好きですね。」
「ジルコンって、ダイヤモンドの代わりに使われるやつじゃなかったっけ?」
あれ、と目を瞬いて先輩は首をかしげる。
さすがは先輩。得意分野以外でももの知りだ。
「まあそうなんですけど、パッと見ではわからないですし。あとジルコンって、年月を経ると自分の放射線で自分を壊しちゃって濁っちゃったりするんですよ。そういうところがアホ可愛いっていうか、ダイヤモンドよりも面白みがあるな、みたいな。」
それからそれから、と喋るのを、綿矢先輩がクスッと笑った。
「楽しそうだね。」
あ、と思って口をつぐんだ。
急に話し出して、先輩も驚いただろう。
「いや、なんというか。普段こういうことを話す機会がないので・・・。」
「あーでも、そういう奴って周りにも多いよ。メカオタクとか。」
確かに先輩の周りには、科学系のマニアが多そうだ。
「そういう人って、でも面白いし良いと思う。僕は。」
神谷さんが鉱物マニアか~意外だな。
先輩はそう呟いた。
「というか、綿矢先輩。調整はしなくて大丈夫なんですか?その、望遠鏡の。」
「いや~わからなくて。今度ちょっと駒場さんと相談してみようかな。」
他愛ない話を続けながら、頭の片隅でちょっとした焦りと不安が生まれた。
綿矢先輩はすごくて、たぶん純粋に天文が好きだからずっとここにいて。
でも、私は未だに高校に馴染めなくて、教室に居づらくてここにいたくて。
こんなんじゃ、だめだ。
そう思った。
「戻るか。」
予鈴の音に、綿矢先輩が立ち上がる。
「鍵、返しておきますね。」
もうちょっとだけ、頑張ろうと思った。
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