第4話

「あの、先輩。それも望遠鏡なんですか?」


本棚の後ろに放置されている、光沢のある青い筒。

望遠鏡なのかなと思いながらも深く考えたことはなかった。


「そうだよ。ずっと使ってなかったんだけど、次の天体観測で使えないかなと思って。」


「そうなんですね。」


望遠鏡を眺めていると、おいで、という風に横に寄ってくれる。

おずおずと近づいて筒の部分に触ってみた。


「反射望遠鏡だよ。」


じっと見つめていたら後ろから声をかけられた。

びくっとして振り返ると、綿矢先輩が目を細めて笑った。

彫りの深い顔立ちで、にんまりした笑顔がよく似合う。

かわいい、と、ちょっとだけキュンとした。


「反射望遠鏡。」


思わずオウム返しした私に、先輩が説明してくれる。


「鏡で反射させて光を集めてるんだよ。覗くところが横にあるだろ?」


「へぇ。」


少し背伸びして、先輩が指さした部分を見る。

確かに鏡を使えばここから見えるのだろう。


「じゃあ、あれはなんですか?」


本棚の下の部分に分解されて入っている望遠鏡を指さした。


「あれは屈折望遠鏡。」


「屈折、へぇ・・・」


よほど腑に落ちない表情をしていたのだろう。

先輩はクスクス笑いながら説明を続けた。


「レンズを使ってるんだ。イメージしやすいのはこっちじゃない?」


「そっか。だから端から覗くんですね。」


そのまま話題がなくなった。

微妙な空気の中でしばらく考えて、また口を開いた。


「そのままじゃ見えないんですか?」


あ、この反射望遠鏡なんですけど。と続ける。


先輩は「あー」と言って頭を掻いた。


「見えるのは見えるんだけどね。追尾機能を使うのに色々設定しなくちゃいけなくて。」


追尾機能、というのは星の日周運動を追う機能のこと。一時間、二時間でも星は動くから、学校での天体観測でもあった方が便利だ。

というのは、部誌を読んで覚えた知識。


「難しそうですね。」


「そうだなあ。慣れてないから、まあ。」


腕時計に目をやって、先輩が口を開いた。


「あ、そろそろ戻らないと。」


それと同時に、遠くからチャイムの音が聞こえてくる。


「まずい。行きな。」


鍵は返しておくから、と言われてドアの前でお辞儀した。


「ありがとうございます!」


タッタッタッタっと、後ろから階段を上る先輩の足音が聞こえてくる。

右手に文庫本をつかんで階段を二段飛ばししながら、さっきまでの不安感がなくなっていることに気がついた。


これが部室の効用、いや、先輩のおかげかも知れない。





「そういう訳で、ゴールデンウィーク前に一度、天体観測会を開こうと思います!」


いつもは用事のない人がふらっと集まってくるクラブの時間だが、今日は「重大発表がある」とわざわざ先輩方が教室まで呼びに来た。


年に何回か観測会をやっているということは聞いていた。

いつになるのだろうと思っていたが、先輩方が決めてくれていたらしい。


みな先輩の発表に、綿矢先輩が小さく拍手をした。


私が入部して以来、机の周りに置いてある座布団は五枚がデフォルトになっている。

とはいえ、こんな風にしっかり五人がそろったのは久しぶりだ。


入り口の一番近くが私、隣にゆい先輩。

向かい側には綿矢先輩で、その隣にりり先輩。みな先輩は安定の誕生日席。


入部初日の席順がそのまま定位置になっていた。


「観測会の日は二年が決めるから、ホワイトボードを見ておいてほしい。」


「わかりました。」「了解でーす。」


りり先輩の言葉に、ほかの部員が口々に反応した。


実を言うと、クラブ棟の入り口には連絡用のホワイトボードがある。

なのだが、天文部では口頭連絡で事足りてしまうためほとんど使われていなかった。


「こういう割と重要なことはホワイトボードにも残しておくことになってます。」


「そうなんですね。」


ゆい先輩が教えてくれる。

なんだかんだ言っても、天文部にも部活として成り立つためのルールがある。

それが案外、小説の中のようで面白い。


ちなみに・・・と、ゆい先輩が続けた。


「一応、観測会を開くのには顧問の許可がいります。まあ大丈夫だと思うけどね。」


人数が少ないというのもあって、天文部は問題を起こすことがない。

というか、起こしようがない。

そのおかげで、許可も取りやすい小回りの利くクラブになっているのだ。


二年生の先輩たちが顔をつき合わせて天気予報を見ているのを横目に、私は本を読み始めた。


このクラブにも随分慣れて、好きなときに好きなことをするという方式にも戸惑わなくなった。


何ページか読み進めて、ふと顔を上げると綿矢先輩と目が合った。

首をかしげると、先輩が少し身を乗り出すようにして話しかけてきた。


「何読んでるの?」


「あ、『細雪』です。」


谷崎潤一郎の「細雪」の文庫版。

今読んでいるのは下巻の初めだ。


「へえ、面白い?」


「面白い、というか・・・ネットに書いてあるような格好いい意見は持てないんですけど、昔ながらのって感じでなんかいいなあ、とは。」

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