第3話

「あ、えっと・・・先、やります。」


一瞬フリーズした後、私はそう言った。

こういうときに選択肢を与えられると、どうしたらいいかわからなくなってしまう。


「そっか。」綿矢先輩はただニコニコしている。


神谷心音かみやここね、一年二組です。趣味は読書、です。好きな天体は・・・あ、月です。」


好きな天体がない、というのは天文部としてどうなのかと思ったから、一応付け足した。

ぼんやり月を眺めるのは好きだから、嘘ではない。


ゆるゆるの部活だと思っていたのに、先輩たちはちゃんと星の名前を挙げていることに驚いた。


星座がわかるようになればいいのに、とまでは思ったことがあるのだが、どの星が好きかなんて考えたことがなかった。


最後に綿矢先輩の自己紹介だ。


「三年八組、綿矢結わたやゆうです。趣味はまぁ、特に。最近は勉強に追われてます。好きな天体はL1448-MM・・・」


綿矢先輩が言い切る前に、二年生の先輩たちと私は笑い出した。


「さすがです」とゆい先輩が落ち着いて、言う。


「綿矢先輩はこういう感じだから。」


ふふっと笑いながら、りり先輩が言った。


「なんだよこういう感じって。」


おどけて不満げな表情を作る綿矢先輩を横目に、みな先輩が部誌を出してきて見せてくれた。


「前に言ったと思うけど、天文部ではこういう部誌を毎月出してます。まぁ適当に書けばいいけど。私なんか一ページ分なんとか書いてるだけだし。」


「別に誰も読まないから。」


りり先輩がそう続ける。


「まあでも、文化祭の時にまとめて展示するからね。昔の部誌とか読んでみたら面白いよ。」


「へえ~。」と、ゆい先輩に相槌を打った。


さすがは二年生随一のしっかり者というべきか、この人について行けば大丈夫だと思えるような安心感がある。


「今度、読んでみます。」


半分社交辞令で、半分本気。

クラブであまりに暇だったら、いつかは読むだろう。


「じゃあまあ、好きにしてください。」


一回り自己紹介が終わって、みな先輩が言った。


りり先輩がスマホを手に取って、みな先輩が覗き込む。

綿矢先輩はさっき読もうとしていた文庫本を、ゆい先輩は何年か前の部誌を開いた。


りり先輩とみな先輩は、韓国のアイドルの話題で盛り上がっているらしい。


どうしようか、と逡巡して、私もゆい先輩の隣に置いてあった部誌に手を伸ばした。


とりあえず、一番上にある新しいものから読んでいくことにする。


ペンネームだったから、どの記事をどの先輩が書いているのかはわからない。

でも、一つだけわかるものがあった。


なんか、宇宙のどこかの何かの星で大爆発が起きた、みたいな記事。

すごく詳しい人が書いているということはわかるから、たぶん綿矢先輩だろうな、と思った。





一週間ほど部室に通っていると、天文部は私の一番の居場所になった。

何をする訳でもないのに、部室は毎日誰かが開けているのもわかる。


教室とは違う、波長の合う者がなんとなく集まっているという静かさな雰囲気に、クラスになじめないことの不安も焦りもすっと溶けていくような気がした。


部室の鍵は司書室にあると、二日目に教えてもらった。

顧問の先生が古文の先生だから、司書室で保管されている。

ゆい先輩が、「知る限り部室まで来たことがない」というくらい名前だけの顧問らしいけれど。


授業が終わってから鍵を開けて部室でいると、先輩の誰かは顔を出す。

部室では本を読んでのんびりしたり、宿題を終わらせたり。

私は基本的に、部誌をさかのぼって読んでいる。


毎日読んでいるから、短期間でかなり天文に詳しくなってしまった。

このままいけば、一号まで読破できるかもしれない。




どうにも落ち着かない昼休み、私は部室に向かっていた。


司書室をスルーして、まずは部室に向かうのがいつものルートだ。


今は昼休みで、誰かが鍵を開けているはずはない。

そう気がついたのは、踊り場のドアの前に来てからだった。


一応、試すだけ試して鍵を取りに行こう。


ドアの取っ手に手をかけた私は、取っ手が思いの外動いたことでバランスを崩した。


「おっと」足を踏ん張って堪えて、ドアをそっと開く。


昼間の光はすりガラスを通しても明るい。

少し蒸し暑い部屋に、するっと入り込んだ。


少し奥に入ると、本棚と壁の間にあるスペースで何か動かしている背中が見えた。


「綿矢先輩?」


呼びかけたその声は、思っていた以上に小さい。

驚かれるのも嫌だから、もう一度声を掛けようとしたとき、先輩がくるりと振り向いた。


「あれ、どうしたの。忘れ物?」


「あ、いや、なんとなく・・・」


「そっか。じゃあ筆箱、赤井さんのかな。困ってないといいけど。」


独り言のようにそう呟いたあと、私に向かって「ゆっくりしていって。」と声をかけてくれた。


ちょっと頭を下げて、私は右の壁側に背中をつけて三角座りした。


持ってきた本を読みながら、ちらちらと先輩の様子も窺う。

説明書を読みながら、何か望遠鏡らしい機械と格闘しているようだ。


「あの、先輩」


一段落したようで、説明書の違うページをゆっくり捲り始めた先輩に、私は声をかけた。

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