3
過疎のひどい故郷の駅に降り立って、三十分ほど歩く。彼は申し訳ないと思いつつ直己に説明し、直己は了承した。粘ついた夏の真昼を二人は進んだ。山が近かった。彼は空を見て、山を見て、息を吸い込んだ。こもった熱気の中に緑色の匂いがあった。
実家に辿り着くと母親が出迎えてくれた。言うてくれたら迎えに行ったのにと言ってから彼の隣の直己を見た。直己は如才なく笑顔で挨拶し、彼の部屋の床に布団を敷いたと説明されて感謝を述べた。直己がヤリチンである所以というか、基本的なコミュニケーション能力の高さを間近で見た彼には安堵のような不思議な気持ちが込み上げた。母親は笑顔だ。やはり去来するのは安堵だった。
父親もどこかにはいるが顔を出さない。息子の友達というだけで興味がないのだと彼には分かった。母親は何も言わないが父親には何度かあれを言われていた。結婚は。子供は。長くないばあちゃんに孫の顔を。
「つまんねえ田舎テンプレ」
彼の部屋の中で直己が言った。
「なんていうとお前の親父に悪いか。でもまー、きついよな、そういうの」
直己は彼のベッドに腰を下ろして鞄を床に放り投げる。布団はもう敷かれていた。枕は来客用であまり使われず新しい。
母親も父親と同じようなことを思っているだろうかと彼は考える。彼女は欲しいし結婚も、いいなと思える相手がいればもちろんしたい。だが、そう、童貞だ。彼女結婚孫の顔、その前に悠々と聳えている嘔吐の壁が彼はどうにも破れない。故郷に来てまで悩んでしまう。
しばらく帰っていなかった自室のカーテンは色褪せて汚れている。埃は然程積もっておらず、母親が掃除してくれたのだと彼は気づいて堪らない気持ちになる。
彼の背後では直己が滋賀の観光地を検索し、琵琶湖ばっかだなーと軽い調子で呟いている。
その日は母親の作ったちらし寿司を食べ、特に何事もなく眠った。翌日は直己が女の子探しに行ってくると素早く出掛け、母親が直己くん道とか平気なん? と心配した。彼にもわからなかったが、地図アプリでどうにかしたのだろうと一応言った。直己は基本的に効率がいいし行動が早い。どうにもならなくなれば連絡してくると彼は信じる。
信じる……。なんだか妙な言い方だなと彼は思った。信用や信頼を直己に寄せている理由は友達だからの一辺倒というわけでもない。女の子を連れてきてくれるからかもしれない。彼は直己を頼る。共に食事行ったりもする。バックれられた! と電話をしてきた直己と共に、某夢の国などに行ったこともある。
夢の中の、六歳だった直己を思い出す。それから彼はリビングでニンテンドースイッチをしていた母親に声をかける。自分が六歳の頃、よく病院に行っていた話を聞いてみる。
母親はスイッチを見つめたままで、
「せやなあ、あんた体弱かったし、名前忘れたけど難病? やったらしいねん。病院行ったら火ぃついたみたいに泣き出すんやから困ったで」
特別な感慨もなさそうに言った。彼はこの母親は常にこんな人だなと感心した。彼女、結婚、孫。そんなことをもし考えていたとしても言わない。
大人だからなのか母親だからなのか、そもそも大人とはなんなのか、彼は自身が童貞であることに馳せながら思考の波に体を預けた。自動にしているクーラーが、無言の母子の間で唸った。
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