第2話 条件

 再び、彼岸花に囲まれる東屋へ連れてこられた風架と、ここへ来る途中に箒を購入したようで、跨いで魔女の真似事をしている津々良。それに笑う由市。翁はどこかへ行ってしまった。

「飛べないね。正真正銘の我楽多だぁ」

「本当に魔法の箒なら奇貨きかいちに並ぶだろ」

「魔族みたいに空を飛んでみたかったな。飛べない箒にもプライドがあるんだね」

 津々良が塵を掃く動きをすると、箒がプルプルと震えだして大暴れしている。なぜ無機物が動いているのか理解不能だが、もう考える事に疲れてしまい、風架はただその光景を眺めていた。

「ねぇ風架、魔族は基本的に姿形は人間と変わらないんだよ。風架が跨がったら箒が勘違いして大人しくなると思うんだけれど、試してみてくれない?」

「君が駄目だったんだから違いが分かるんだよ。人型は僕らも同じだろ」

「それもそうか。この箒どうしようかな」

「闇を巣食う森に置いてきたら?」

「そうしようか。鳥の巣に使われるといいね」

 さっきまで暴れていた箒はすぐに大人しくなった。津々良が掃く動きを止めたからか、鳥の巣にされる事に怯えたのか。


 我楽多で遊ぶ津々良と由市に、風架は小さな声で話しかけた。

「あの……佳流さん、ほんとに助けてくれるんですか?」

 また箒を暴れさせている津々良が、その手を放して自由にさせた。箒は塵掃除に使われていないと分かったのか動きを止め、支えがなくなったためにパタンと彼岸花の上に倒れた。その一連の流れに津々良は「ふふっ」と笑いをこぼし、風架の方に阿亀面を向ける。

「助けたいと思っているけれど、いかんせん助ける者が今ここにいないから何とも言えない」

「お待たせ」

 その時、丁度翁が現れた。その後ろには、三人よりも背が低く、巫女のような格好をしている者がいた。右の横髪を三つ編みに結っていて、顔には小尉の面を着けていた。

「やあ」

 津々良が短く挨拶をする。小尉面の者は同じく「やあ」と応えた。

「困り事と聞いて。来る途中で四市から大まかな流れは聞いたよ。その者?」

 喋りながら東屋へ近づく。風架は思わず立ち上がった。津々良に名を聞かれた時のような、得体の知れない恐怖を覚える。顔が見えないからだろうか。

「私は伊舎堂いしゃどうという。君は?」

 由市や翁は比較的低い声をしているから男性に思えたが、津々良は中性的な声質だった。伊舎堂も同様に低くも高くもない声で、故に性別が分からない。

 名前を聞かれ、大人しく名乗った。

「風架ね。よろしく。それで、友達を買いたいって話だよね?」

 『買いたい』。その言い回しにカチンときて、「取り返したい」と訂正した。伊舎堂は特に言い返すことはせず、しかし謝ることもせず「そっか」と流した。その態度がさらに頭にきたが、伊舎堂は三人の言う「助けてくれるかもしれない人」だ。ここで文句を言って機嫌を損ねてしまったら、今度こそ佳流を助ける術が無くなる。


 怒りを必死に宥め、それを表に出さないよう、頭を下げる。

「佳流さんを助けてくれませんか?お願いします!私では何もできないんです……こんな言い方したくないですが、佳流さんを買ってください!買って…私たちを元の世界に帰してくれませんか……!」

「いいよ」

 思っていたよりも軽すぎる返答に、思わず顔を上げる。

「ほ、ほんとですか…?」

「うん。佳流は私が必ず買うよ。ただ条件は付けさせてもらうけど」

 風架は何度も強く頷いた。佳流を助けられるならば何だってする。最悪、命を寄越せと言われたって、無価値と言われた自身の命が佳流の代わりとなれるなら、喜んで差し出す。そのくらいの覚悟だ。


 風架の応えに満足したのか伊舎堂は「ふふっ」と笑い、面で隠された見えない口を開いた。


「───────…」


 指定された内容に、空いた口が塞がらない。何だ、その条件は。そう言いたげに。

 「どう?」と伊舎堂は小首を傾げた。

「………………お…教えてください。その条件の意味は……?」

「知る必要ある?それとも無理?無理なら佳流は残念だけど──」

「──むっ、無理じゃないです‼︎」

 伊舎堂の言葉を遮って答える。垂らされた糸を掴まなければ、もう二度とチャンスは無い。真意は読めないがなりふり構ってはいられない。

 双方が納得した契約に、伊舎堂は頷く。

「じゃあ、明日を待とうか」

 四十一万以下の品が売られる市場、我楽多市。そこに佳流は並ぶ。


 風架は四日目の我楽多市が始まるまでに、夜市というものを教えてもらった。夜市とは、あらゆる世界と繋がり、あらゆる種族が会する空間である。自身の世界ではお目にかかれない奇々怪々な商品と出会える唯一の場。津々良が〝闇を巣食う森〟という森へ捨てに行った魔法の箒もそのひとつ。魔族が売った我楽多だという。そういった本来の力を発揮できない壊れたものや、単純に安いだけの品物の総称を〝我楽多がらくた〟と呼び、今行われている〝我楽多市〟で売られているのだ。

 我楽多市は合計五つの、街道と呼ばれる市場で構成されている。生き物が売られる〝禽獣きんじゅう街道〟。毒や薬が売られる〝百薬ひゃくやく街道〟。変身薬や透明薬といった、毒や薬ではない物が売られる〝魔法薬まほうやく街道〟。風架たちが迷い込んだ、草花や樹木、木の実などが売られる〝植物しょくぶつ街道〟。そして、それら全てに該当しないその他の品が売られる〝爾余じよ街道〟。質屋や服屋も爾余となる。


 すると説示の途中で、遠目に見えていた青い提灯の光が一斉に消えた。何事かと風架は東屋の外を見るが、すぐに灯りが灯る。津々良が提灯を見ながら教えてくれた。

「三日目が終わった証だよ。そして四日目、最終日の我楽多市が始まる合図」

 つまり、佳流が商品として店に出される。一気に緊張感が高まるのを感じた。それを察したのか、伊舎堂は立ち上がって東屋を出た。由市が「まだ早い」と止めるが、不安だろうからさっさと唾を付けておくと言って提灯の方へ歩き出した。風架はついて行こうとしたが、恐怖で脚が震えている。それを見た翁に「休んだ方がいい」と言われてしまった。


「大丈夫…ですよね…」

 疑ってはいけない。分かってはいるが、不安が言葉になって漏れ出る。手が震えている風架を横目に、翁は「大丈夫」と落ち着かせた。

「伊舎堂家は上級貴族だから買えないわけがない。二十万は私たちでも買えるよ」

 気になっていた〝貴族〟という肩書き。それについて風架は尋ねた。夜市にも貴族がいるのかと。


 夜市にも〝六行卓ろっこうたく〟という名称の貴族は存在している。全部で六家あり、四人はその中の四家なのだという。下級貴族の津々良家。中級貴族の四市家と由市家。上級貴族の伊舎堂家。


 二十万が出せない額でないのならば、なぜ伊舎堂に頼って翁たちは助けてくれなかったのか。そう問いかけると、津々良が答えた。

 助けることはできたが、伊舎堂との約束なのだと言う。人間が困っていたら必ず伊舎堂に助けさせる。そういう約束を四人はしているらしい。意味不明な内容に風架はまた困惑する。これ以上考えたら頭がパンクしそうだ。

「あ…そういえば、我楽多市とは別の市があるんですよね?」

 難解な疑問を考え続けるより夜市の仕組みを理解する方が楽と判断し、次の質問をした。翁が「ある」と答える。


 四十二万以上の商品が売られる高級街、奇貨市。奇貨市にも五つの街道が存在している。我楽多市でいう爾余街に位置する〝稀物まれもの街道〟。年季の入った旧い品が売られる〝骨董こっとう街道〟。宝石や装飾品などといった美しい物が売られる〝珠玉しゅぎょく街道〟。知性を持たない珍しい獣や特殊な力を有する種族が売られる〝鳥獣ちょうじゅう街道〟。神秘さ、希少さ、有する力の強大さ、全てを兼ね揃えた種族が売られる最高級街道、〝霊妙れいみょう街道〟。


「変な噂が流れているらしくて、人間にしては異例の値段がつけられていたよ」

 そこへ伊舎堂が戻ってきた。佳流が入る檻に二十三万の値札がかかっていたと、東屋に座る。しかも早い者勝ちの我楽多市で、なんと競りが行われているのだという。どうやら津々良の読み通り、貴族のお墨付きだとかで勘違いした客たちがこぞって佳流を買おうとしているらしい。しかもそこに、上級貴族の伊舎堂が現れたために佳流の価値は爆上がりだ。

「最高額出すって商人に言っておいた。それに伊舎堂の名を聞けば大抵の客は諦めるからこれで佳流は大丈夫だよ」

 約束通り伊舎堂が買ってくれる。佳流と共に、二人で元の世界に帰れる。だがまだ安心はできないと、安堵のため息を堪える風架。いくら伊舎堂家が貴族だからといって、四十一万を出そうとする客はいるかもしれない。人間でも頑張れば出せる金額。世界の分母が多ければ買われる可能性も高くなる。ぬか喜びしそうな自分を宥め、じっと我楽多市の終わりを待つ。


 その間、ずっと疑問に思っていたことを聞いた。

「どうして四人ともお面を着けてるんですか?貴族は着けなきゃいけない決まりがあるとか…?」

 着けなきゃいけないの?と聞かれれば、着けなきゃいけないと答えるのが妥当かな、と伊舎堂が言う。貴族というだけで妬み嫉み、恨み辛みの対象になる。顔は呪いをかけるために必要な情報になりかねないらしい。

 名前は最早周知の情報であるが、顔は客や商人、ひいては貴族ではない夜市の民も知り得ないものであるため、身を守るためにも隠すのだ。と、小尉の髭を指で遊びながら答えた。

「私たちは互いの顔を知っているけれど、本来なら他家にも顔を見せないのが常識。私たちは子供の頃から友達だったから、面を外して遊ぶのが普通だったよ」

 「ついでに」と小尉は言葉を続けた。面云々の話は夜市ではあまり話題に出さない方がいいのだという。先程の説明の通り、面は自身の身を守るための物でもある。故に、例えば「顔を見せて」という要求は失礼に値する。顔を隠す者は少なからず自身の立場に危機感を持っているということ。貴族である彼らが面をつけているように。


 四人が着けるお面は、子供の頃に伊舎堂がくれたものらしい。面の情報をそのまま当てはめるとすれば、翁面、小尉面、ひょっとこ面を着ける翁、伊舎堂、由市は男で、阿亀面を着ける津々良は女だろうか。一人称は最早宛にならないだろう。というか性別を知ったところで意味は無いか、と風架は自問自答した。

(落ち着かない…一分一秒でも早く佳流さんを取り返して帰りたい…)

 スマートフォンを売ってしまったため、時間がどれくらい過ぎているのかが分からない。夜市の貴族たちの会話を右から左へ流しながら、佳流の無事を強く願った。



   *



 数十分前。

 提灯の光が消え、再び灯ると、格子付きの視界にはこれまた面妖な生き物たちが、互いを圧しあって佳流の購入金額を競い合った。その光景に辟易していると、なぜか異形たちは一歩、また一歩と下がり始め、道を開けた。そこに現れたのは、小尉の面を着けた巫女のような人型の生き物。周りが口々に「貴族だ」「伊舎堂家だ」と呟きながらその人物に視線を向けている。店主である和紙の男も、わずかに見える口を開けて小尉面の者、伊舎堂を見ていた。

「えっ、小尉…様?うちに用ですか…?」

「ああ、人間を見せてほしい」

 伊舎堂の台詞に周囲の客たちは騒めき、「やはりただの人間ではない」「貴族も欲しがる人間」と口々に談じ合う。

 伊舎堂は特に否定も肯定も、反応すらせずに店主に注文をした。

「この人間は必ず私に買わせろ。最高額でも買う。気に召さなければこの髪留めを譲ってもいい。だから他の者に買わせるな」

「…!分かりました、約束しましょう」

 最高額でも買う。髪を結っている道具も渡す。出し惜しみをしない強気な態度に、鼻息を荒くしていた異形たちはすごすごと散っていく。蜘蛛の子を散らしたように客がいなくなったが、和紙の男はチラと見える口角をこれ以上ないくらいに上げて、店の奥の方へと姿を消した。

 伊舎堂は佳流に声をかける。

「風架が君を救おうと頑張ったみたいだよ」

「!ふーちゃんが…」

 隠されていた顔が伊舎堂の方に真っ直ぐ向いた。

「健気な人間だね」

 何を考えているのか。なぜ風架のことを知っている?

 背を向けてどこかへ去ろうとする小尉を引き止めようと思ったが、和紙の男が戻ってきて佳流が入る檻に値札をかけた。鼻歌を歌っていて腹が立ったが、刺激するのは賢明ではない。見物客に見えないよう再び顔を隠した。



  *



「佳流さん…‼︎」

 伊舎堂と共に東屋へやってきた佳流に、風架は走り寄って抱き着いた。女とはいえ勢いよく抱き付く風架を支えきれなかった佳流はそのまま膝をつき、しかし風架の背中に手を置いて強く抱き締めた。

「ふーちゃん…!ふーちゃん!」

「よかった…‼︎本当に無事でよかったです…!」

 気丈に振る舞っていたが、佳流の顔を見たら涙がとめどなく溢れてきた。それは佳流も同じなようで、笑顔をつくってはいるが、上がった口角は歪んでいた。体感では一週間くらいの時間の流れを感じていたから、この再会に泣かずにはいられない。


 風架たちの様子をよそに、翁は伊舎堂に話しかける。

「早かったね。いくらだった?」

「四十一万」

 我楽多市の最高額という値段に翁だけではなく、津々良も由市も驚く。特に津々良は、大丈夫なのか?と怪訝な態度だった。あの和紙の男は伊舎堂が上級貴族だからと敢えて値段をはね上げたのではないか。本当は二十万もいっていないかもしれない、と。それに対し、「いいんだよ」と伊舎堂は言う。

「実際の価値は安くても商人が値段を高く設定したら、その値段払わなきゃいけない。でないと儲けが出ないでしょ。しばらく様子を見ていたけれど、本当に四十万いっていたんだよ」

「へぇ、やっぱり勘違いした客がいたんだ?」

 驚嘆する由市に、「いたいた」と愉快そうに返事をする。


 彼ら夜市の貴族と、風架ら人間のこの温度差に鳥肌が立ちつつ、佳流はなぜ多額の値段をものともせずに自身を助けてくれたのか、なぜ風架と共にいるのか、お前たちは何者かを問う。

 自分らが何者であるか。なぜ風架と共にいるのか。それに答えたのは翁。

 風架と行動していた理由は至極簡単。彼女が困っていたからだと翁は言う。

「私たちは困っている者を見捨てない」

 それは、売れる物は全て売り払い、それでも目標金額に届かず途方に暮れていた時に津々良が放った台詞と同じだった。ならば、佳流が捕まった時に助けてくれても良かっただろうと、風架は改めて問い詰めた。救ってくれた事は本当に感謝しているが、あの時にその立派な正義感の一欠片でも発揮してくれたら、佳流は価値を叫ぶ異形たちを見ずに済んだかもしれない。伊舎堂は多額の代金を支払わずに済んだかもしれない。

 憤る風架に対し、相も変わらず一切動じない仮面集団。声を発したのは、小尉の面を着ける伊舎堂だった。

「私はその場にいなかったから風架の意見も最もなのかもしれないと思うけれど、三人の行動は正しいよ」

「そんな──」

 迫る風架の肩を、翁は掴んで止めた。翁面はこちらを向くことなく、伊舎堂の方に真っ直ぐ向いていた。伊舎堂は構わず続ける。

「まぁ、分からなくていいよ。結果的に君は佳流と会えたじゃない。人間は差し伸べられる理由に納得できないとその手を弾くの?〝困ってたから〟じゃ不満?」

 不満ではない。ただ、分からないのだ。理解できないから恐怖する。〝助け合い〟の域を超えている。


 俯く風架に、翁は小さく息を吐いて言った。

「もうひとつ、佳流の質問に答えていなかったね。その問の答えが風架の疑問の答えにもなる。私たちは夜市の貴族。夜市そのものと言っても過言ではない存在」

「……………それのどこが、答えなんですか…?」

「考えれば解る。けれど解らなくてもいい。解ってもらおうと思っていないから」

 どこまでも、理解し合おうとしない突き放す態度。興味が無いというより、異種族間の価値観や死生観の違いを理解しており、それについて議論する気が毛頭無いという態度だった。思考回路がそもそも根底から違う。


 重たい空気の中、それを壊す明るい声が耳に届いた。

「あとひとつ答えてないけれど、まとめて話してしまおうか。佳流、君の買い取り金額は四十一万。プラス、七百万だ」

 手のひらを上に、指先を佳流の方に向ける伊舎堂。寝耳に水の金額に、風架は目を大きく見開いた。我楽多市の最高額は四十一万のはず。なのに、いつ、なぜ、七百万も増えている?

 風架の思考を読んでいるかのように笑い、伊舎堂はほどけかかっている三つ編みに指先を持っていった。

「四十一万を出す客は他にもいたんだよ。商人はより利益の出る方に売りたいでしょ?だから、最高額に加えて髪飾りを譲ると言ったんだ。髪飾りの値段は相場は七百万前後。合計で七百四十一万」

 髪飾りが七百万もするのかどうかの確認は、今の風架にはできない。貴族という肩書きが本当ならばそれくらいするのかもしれない。だが、しかし、いくらなんでも、唐突な。

 文句をつけるのはお門違いだと分かっているから、頭の中で動き回る思考を整理する。整理して落ち着かせる。そうしないと、なんとも恩知らずで愚かな事を口走っていしまいそうだ。

 様子を見ながら伊舎堂は話を続ける。

「風架は私に、確かに代わりに佳流を買わせた。それは理解しているね?」

風架と佳流の顔を見る。二人が小さく頷いたのを確認し、自身も頷いた。

「つまり風架は私に、七百四十一万の借金をした」

 一瞬の沈黙の後、はい、と風架は返事をする。しかし佳流は、自分を助けるために得体の知れない者から高額の借金をした、という事実に唾を飲み込んだ。

「借金を返すには、きっちり借りた額を返すのが常。でも今の君は返せない。お金ないんだもんね。七百万払える?」

 払えない事を知っているくせに敢えて聞いてくるあたり、確と認めさせたいのだろう。


 「だから」と強く、ワクワクした声色で首を傾けた。

「人間の時間軸で月に一度、ここへ来て我楽多をひとつ持ってきてほしいんだ。っていうのを佳流を助けることと引き換えに風架に約束したんだよ」

 それが、伊舎堂が提示した条件だった。この条件が飲めるならば、佳流は必ず助けると。そして伊舎堂は約束を守った。

 しかし佳流は、初めて知るその条件とやらに目を丸くする。なんの意味があるのか、と。ガラクタなんて役に立たない無価値の物が、七百四十一万に匹敵するというのか?

「一ヶ月がどれくらいの時間なのか、私たちにはいまひとつ分からないから、そこは君たちを信頼するしかないけれどね」

 そう言いながら、左の袖に手を入れてゴソゴソと探る。右手に握られていたのは、緑色の紐が通された正六角形の木の板だった。丁度御守りくらいの大きさ、手のひらサイズだ。胸の前にその木の板を出され、佳流は思わず受け取る。風架がそれを覗き込んだ。

「きれい……」

 一センチ位の厚さで、角は全て丸みを帯びている。片面には金魚と柊のような葉っぱが描かれていて、もう片面には何も描かれていない。

 何だこれは、と佳流が聞くと、伊舎堂はもう一つ、同じ板を風架に手渡した。

「伊舎堂家の紋。貴族の証みたいな物だから、今回みたいに捕まって売られることはないよ」

 これを持って夜市に来い。ということだ。夜市での身の安全を保証してくれる、まさに御守り。渡された金魚と柊の絵が描かれた小さな板を見ながら、家紋だろうか、と風架は考える。


「じゃあ、話したいことは済んだから早く帰ろうか」

 手をパンと叩く。そして「ついておいで」と言い、伊舎堂は東屋から離れた。やっと帰れる。無事に、二人で帰れると分かり、風架たちは慌てて後を追った。その後ろを翁、津々良、由市が歩く。


 しばらく暗闇の中を歩いて目の前に現れたのは、植物街道や爾余街道にあった一本の道より広い道。そして左右に在るのは、小屋やテントではなく、トンネル。入り口を青い提灯が照らしているから入り口と分かるが、照らされているのは提灯の周り約三十センチ程度で、中を見てもただただ暗闇があるばかり。奥が見えない。

「ここはトンネル街道といって、全てのトンネルが夜市と他世界を繋いでいるんだよ。風を感じたら教えて。君らの世界から吹いている風だから」

 伊舎堂にそう教えられてから、幾つものトンネルを通り過ぎる。

 本当に出口が、帰るための道があるのだろうなと、風架だけでなく佳流も不安に陥る。しかし、そんな懸念はすぐに払われる。左右にひとつずつあるトンネルの前を通ると、左から風を感じた。二人の髪の毛が揺れている。

 ここだ、と風架は佳流の顔を見ると、彼女も安堵したような表情をしていた。

「ここ?」

 後ろにいた翁が聞く。前を歩く伊舎堂は立ち止まって振り返った。

「はい。風が吹いてます…!」

風が吹いているらしいトンネルを見ながら、津々良は由市に聞いた。

「人間のトンネルもあるんだね」

「無いと帰れないよ」


 伊舎堂は帰る前に改めて条件を確認した。月に一度、何でもいいから我楽多を持って夜市に来ること。来る時は身を守るために渡した木の板を身に着けること。身に着けなくても構わないが、危ない目に遭いたくないだろう。風架、佳流は頷く。理解した様子の二人に、伊舎堂も頷いた。

 佳流を助けてくれたことに何度も頭を下げ、二人はトンネルの中を進んだ。四人の目には数歩、歩く姿は確認できたが、すぐに闇に飲まれたかのように見えなくなった。

「ちゃんと来るのかな」

 津々良が言う。

「聞きたかったんだけれど、七百四十一万は返せない額ではないよ。風架の所持金も一万いくらかだったし。その気になれば返してもらえたんじゃないの?」

 翁が聞く。

「私が金を求めてないからいいんだよ。風架は我楽多を持ってくることに納得したじゃない」

 伊舎堂が笑う。

「相変わらず、伊舎堂は変わっている」

 由市がため息をつく。

 ああだ、こうだ、と言葉を投げ合いトンネル街道を歩く。やがて彼岸花が咲き乱れる東屋へ戻り、提灯の灯りが弱くなった夜市に面を向ける。四日目が終われば、次に始まるのは奇貨市。

「ねぇ四市、お願いがあるんだ」

 「四市」と呼ぶ伊舎堂は翁の方を見た。

守人もりと、動かせないかな?」

その言葉に翁は少し固まった。動かすとはどういう事かと尋ねると、伊舎堂は答える。

「万が一のために、風架たちを守るよう言ってほしいんだ。夜市は荒くれ者が多いからね」

三人はしばらく、伊舎堂の方を見たまま顔を動かさなかった。


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