楽楽狗─ららぐ─

松山なえぎ

第1話 夜市

塵芥ちりあくたなんか売りつけてきやがって!なめてんのか⁉︎」

「そんな乱暴なこと言うない。それが芥だなんて言いがかりだよ」


 誰かと誰かの罵声混じりの口論を横目に、彼は歩く。結った長い襟足をゆらゆらと揺らして喧騒の中をひた歩く。立場上、止めに入らなければならない場面かもしれないが、必要のないことは理解している。この場にはこの場の、喧嘩の仲裁役がいるのだ。しゃしゃり出て余計に厄介な事態にさせる必要はない。


 空中には数え切れないほどの青い提灯が、暗闇を照らすほどに明るく浮かび、数え切れないほどの〝店〟がその下に構えている。

四市よいち!捜したよ」

 二人の何者かが声をかけた。店で買い物を楽しむ客たちがチラチラと、見てはいけないものを覗くように視線を向けている。しかし周囲のことなどお構い無しに、一人の者が言葉を発する。

「喧嘩だって。人間が暴れているらしいよ。行こうよ、生きた人間なんて滅多に見られないから!」

 自身の背後を親指で差し、野次馬をしに行こうと誘う。続けてもう一人が口を開く。

「放っておいてもいいと思うけれど、掟破りになりそうな雰囲気があるんだって」

「四市」と呼ばれた者は頷いて答える。

「分かった、行こうか」

 三人は騒ぎの下へ走り出す。青い提灯が、彼らの背中を照らしていた。



  *



「やめてください‼︎」


 腕や襟を掴んでくる手を振り払いながら、なぜこんな事になったのかと疑問が止まらない。優しい人だと思ったのに、騙したのか。

「威勢のいい人間だなぁ。肉付きいいから美味いだろうな」

「うまくないよバーカ!ふーちゃん早く!」

「その檻が開くわけないだろ。お前ら二人とも売り飛ばしてやるからな」

 意味が分からないことを楽しげに言うのは、笠を被り和紙のような紙で顔を隠す上裸の男。髪を掴まれながらも必死に抵抗する「ふーちゃん」と呼ばれた少女と、

「なんでこれ出口ないの…⁈」

男の仕業と思われる大きな檻に閉じ込められた女。檻を壊そうと、ガチャガチャと上下に揺らしたり前後に揺らしたり。だが壊れる気配は感じない。女が檻に入れられた時、入れられたのだから入口はあった。だが出ようとしたとき、出られそうな箇所が見つからなかった。気づいたら出入口の無い檻の中に入っていたのだ。

「開かない…!なんで開かないの!」

佳流かなれさん…!」


 二人が騒いでいると、だんだんと野次馬が集まってきた。檻に閉じ込められた「佳流」はふと、周りを囲む者たちの姿に目を移す。それは人のような姿をした、異形の頭を持つ者。猫のような脚を持ち、二足で立つ真っ黒な者。映画で見るような、全身機械仕掛けの者。

(なんなのここ…)

 撮影でもやっているのだろうか?しかしいくら特殊メイクが進化していたって、下半身が透けているように見せることなんてできるのか?地に足がついていない幽霊のような下半身にすることが、三メートルはあろうかという巨体を創り出すことが、空中遊泳をする巨大生物を創り出すことが、できるのか?CGとは、いわゆる画面の中に存在するもののはず。今自分が自分の眼で見ている彼等・・は、CGでないなら何者なのか。


 和紙の男に抵抗する少女は、周囲の異形たちに気が付いていない。相当焦っているのだろう。その異形たちの群れの中を、何者かが掻き分けているのを檻の中の佳流は気づく。野次馬根性極まれりだ。異形たちの間をくぐり抜けてまで見たいのか。

 ようやく野次馬の群れから脱出した、面を付けた三人の人間。人ならざる者たちの中から出てきた彼らを人間と呼んでいいのかは定かではないが、比較的まともな姿だった。そのうちの一人、ひょっとこの面を付けた、黒い癖毛を後ろの高い位置に結った者が檻に近づく。

「な、なんですか…⁉︎近付かないでください!」

 それを見て和紙の男に抵抗する少女は叫ぶ。しかしその制止も聞かず、ひょっとこは佳流に顔を向けたまま。三人のうちのもう一人、阿亀の面をつけたポニーテールの者が、和紙の男と抵抗する少女を引き剥がす。

 その行為とひょっとこの行動が気に食わないのか、和紙の男は声を荒らげた。

「どういうつもりだお前ら?邪魔するとでも言うのか?違反だぞ!」

違反だ。そう男は言うが、阿亀面の者は動じない。

「邪魔はしない。お前様が困ってそうだから手を貸そうとしただけだよ」

言いながら檻に目を向ける。引き剥がされ、二の腕を掴まれたままの少女は阿亀を凝視した。そして目線はその奥に移る。視界に入ったのは、面妖で奇怪な生き物たち。

「なんだ?アレは自分の物だって言いがかり付けて奪う気か?お貴族様の為すことは理不尽だなぁ!」

 雑言を無視したままひょっとこは檻の中の佳流を、阿亀は自分が引き剥がした少女を見つめる。すると、ひょっとこが佳流に言った。


「お前様、誰だ?」

「は?」

「誰だ?種族は?答えろ」


怒鳴られたわけでも檻を乱暴に揺らされたわけでもないが、腹の底に響くような恐怖に襲われ、その圧に負ける。

「種族っていわれても……!に、人間だけど…」

 返答の後、ひょっとこは小さく「そうか」と呟いた。何が「そうか」なのか。何を求めた質問なのだ?


 一方、阿亀とひょっとこと共に来た、三人のうちの最後の一人、翁の面を付けた者。野次馬たちより二、三歩前に出た所でただ立っていた。見物しているわけではなく、違反者として罰せられるかもしれない線を、阿亀とひょっとこが越えないように見張っているのだ。

「いい加減にしろお前ら!貴族だからって許されることじゃない‼︎由市ゆいち!ソレに傷ひとつでも負わせたらお前に買わせるからな!というかこんなことしてただで済むと思ってるのか⁉︎おきな!こいつらをどうにかしろ」

 阿亀に押さえられている和紙の男が怒鳴る。「由市」と呼ばれたひょっとこ面の者は右手を檻から離した。

 その瞬間、野次馬の近くに立っていた翁が何かに気づき、大声でこう言った。

「待て!全員動くな!夜市よいちだ‼︎」


〝夜市〟


全員の動きが止まる。和紙の男も、阿亀も、ひょっとこも翁も、野次馬も、皆が動きを止めて俯いた。そのただならぬ不気味さに少女たちはゾッとする。さっきまで大騒ぎだったのに、何だ、この静けさは。


ズズズ


 空が動いた。少女は直感的にそう感じた。しかし上を見上げれば、ただ暗闇があるだけだった。それに空は本来動かない。


ズズ


 また空が動く。異形の者たちも、隣にいるひょっとこも動かない。一体何が来るというのか。〝夜市〟とは何なのか。

「あ、あの…何が──」

「──静かに。下手に動かないで。文字通り喰われるから」

 少女の言葉を遮り恐ろしいことを言う阿亀。二の腕を掴んでいた手は肩に回され、阿亀の胸に引き寄せられた。その力が強く、若干痛い。ひょっとこも小声で佳流に伝えた。「絶対に動くな」と。


どん


 空が動き、地面が揺れた。ように感じた。なにか、内臓に大きな振動が伝わるような。阿亀に肩を抱き寄せられる少女は、冷や汗が止まらなくなった。近くにいる。何かがすぐ近くに。大きな威圧感に喉が絞められる感覚に陥った。すると、和紙の男が発言をした。

「由市と津々良つづらが、俺が捕まえた商品を奪おうとしてきた。これは夜市の掟に反する行為だ。貴族といえど許されていいことではない」

 また、どん と地面が揺れる。冷や汗が止まった。代わりに指先ひとつ、目線ひとつ動かせない。阿亀と少女の目の前にいるのが分かったのだ。肩を抱く力が強まったのを感じた。

「奪う気は毛頭無い。だがこの者はまだ商品ではないはず。夜市の手を煩わせないために収めようとした迄」

 怖気を感じさせない、凛とした声で発言をする阿亀。しかし和紙の男は納得せず、怒気を強めて言った。

「嘘つけ!奪う気満々だっただろ!貴族当主が二人がかりで来て恥ずか──」


どぉん


言い終わる前にまた地面が、今度は強く揺れる。

「かっ、勝手に発言して申し訳ない…!」

慌てて謝罪の言葉を並べる和紙の男。〝喰われる〟のを恐れているのか。


 また地面は揺れ、今度は佳流の冷や汗が吹き出てくる。目の前にいる。ひょっとこも阿亀同様、恐れずに発言をした。

「あの商人に勘違いをさせてしまったことは謝る。品物を奪い取るつもりも、掟に反するつもりも無い」

 体感にして五分、実際は十秒ほどの間が空き、再び地面は揺れて空が動く。

「やっ!やめろ!私は何もしてない‼︎何も、ぎゃああああ‼︎」

 突然野次馬の奥の方から断末魔が聞こえ、数秒の沈黙の後、置物のようだった野次馬たちが一斉に動き出して会話を始めた。まるでさっきの出来事が無かったかのように。

「チッ、貴族はいいよな。夜市に見逃される」

 和紙の男は阿亀たちを押し退け、ひょっとこたちを尻目に佳流が入った檻を引きずって行く。

「まっ、待ってください‼︎佳流さん‼︎」

「ふーちゃん‼︎ふーちゃん‼︎」

「欲しけりゃ明日の禽獣街きんじゅうがいで売ってやるさ」

吐き捨てるように言う男を追いかけようとすると、阿亀が手を掴んで止めた。「今度こそ喰われる」と言って。

 甲高い叫び声は周囲の喧騒にかき消され、佳流の姿も人混みの中、見えなくなってしまった。

「離してください!あなたたちは一体何なんですか!早くあの人を追いかけないと…!」

手を振り払おうとするが、力が強く解けない。


 すると遠くにいた翁が近寄ってきた。

「ひとまず場所を移ろう。落ち着いて話せないから」

次にひょっとこが言う。「まずは情報を整理させよう」と。訳も分からず三人を見上げる人間の少女は、促されるまま騒がしいこの場を後にした。




 連れてこられたのは、咲き乱れる彼岸花に囲まれた東屋だった。中に入り少女を座らせ、阿亀とひょっとこも座る。壁に寄りかかる翁が話を切り出した。

「とりあえず自己紹介をしようか」

三人がそれぞれ短く名乗る。翁面は翁、阿亀面が津々良、ひょっとこ面が由市、らしい。

「よろしくね。君は?」

 よろしくと言って明るい雰囲気を醸し出す津々良。佳流が攫われたというのになぜ自己紹介なんてしている?無性に怒りが湧き、少女は立ち上がって怒鳴る。

「今そんなことしてる場合じゃないでしょう!佳流さんが連れてかれたんですよ!あの人は誰ですか⁉︎夜市って何なんですか‼︎説明してください‼︎」

「君の名前は?あと捕まった人間も。それとも名前は無いの?」

 悲痛な叫びなんて聞こえないとでも言うように、名前を催促する津々良。先程感じた圧倒的な恐怖ほどではないにしろ、似た威圧感を感じて思わず座ってしまい、大人しく名乗った。

「た…たちばな風架ふうか、です。あの人は間宮まみや佳流かなれさん…」

 「風架と佳流ね」と名前を確認し、由市の方に面を向けた。

「面倒事に首を突っ込んじゃったかもね」

「いいんじゃない?人間は助けたいって話だったじゃない」

「それもそうか」

「佳流さんは無事なんですよね?それにどうしてこんな所に…」

 それどころではない風架が津々良と由市の会話に割って入った。

「無事であることの確証は得られない。どうしてここに来たかは簡単。君は…佳流も合わせて、どうしてここに来た?」

由市の問いに、風架は少し躊躇い、話し始めた。


 佳流と二人で食材の買い出しに出掛けていて、通り道にある路地の間から青い光が見えた。最初に気づいたのは佳流で、中になにかあるのではと確認しに行ったきり戻ってこなかった。そして風架は、佳流が戻ってこないことを心配して同様に青い光がある路地に入った。そしたら、いつの間にかここにいたのだ。


 話が終わるや否や、由市が口を開く。

「それが答え。二人は青い光を追いかけたらいつの間にかここにいたんだろ?あの青い提灯は夜市の入口なんだ」

由市が指を指す方には、青く光る提灯がある。あの提灯が入口だと言われても、上手く理解できない。すると翁が口を開いた。

「ここは〝夜市〟という、あるゆる世界と繋がる市場。あらゆる種族が集まって商売をしている。あの青い提灯は夜市の象徴ともいえる物で、あれが世界と夜市の出入口を担っているんだよ」

 風架は一瞬呆気に取られたが、すぐに眉間に皺を寄せて必死に理解しようと復唱している。お構い無しに翁は続けた。

「ここに来たとき説明がなかった?新参者は必ず夜市の大まかな説明がされるはずだけれど」

「あ…ありました。でも話のほとんどを理解できませんでした…」

 そんなものだよ、と津々良が言った。同意をするように頷く翁。

「説明は一度だけ。その一度で理解できる者なんていないだろうね。前もって情報が入っていれば別だけれど、人間は夜市の存在すら知らないんだよね」

「あの…佳流さんは?早く取り返さないと危ないのでは…」

「そうかもね」

 風架は由市に顔を向ける。肯定してほしくなかった可能性を、この剽軽な顔は簡単に肯定する。


「人間は弱種。爾余じよがいに並ばなかっただけ運がいいよ。生きたまま売られるかもしれないけれど、買われた後生きてるかは買った客にしか分からない」

「売られる…?」


 聞き流すことの出来ない単語に、風架は震える声で聞き返した。さっきから言っている弱種とか、買われる、売られるとか、一体どういうことか。由市は淡々と答えた。


 夜市では人間に限らず、生物も売買の対象になる。合計三つの街道で生物は売られているし、爾余街道では肉だって売っている。

 その中で人間は、抵抗の術を持たない弱い種族。そもそも人間が来ることが少なく、若干の希少性はあるものの特に何か珍しい力を持っているわけではない、ただの生き物という認識をされている。故に風架や佳流のような普通の人間は、食糧にするのが普通だ。


 由市の説明を聞いた風架は唇を震わせた。分からない単語が出てきたが今はどうでもよくて、重要なのは、売られるとか食べられるとか、人間の尊厳がまるで無いことだ。夜市とは、一体何だ?

「そんな簡単に……売るとか売られるとか食糧だとか、何考えているんですか…⁉︎人の命を何だと思っているんですか!人間は売り物じゃないです!佳流さんは見世物じゃない‼︎」

「人間世界はそうなんだろうな」

 冷たい声に感じる翁の言葉。突き放すような、理解を求めていないような。

「ここは夜市。夜市が掟であり他世界のルールは通用しない。とある世界じゃ同種が売られることは普通だし、生物の売買自体が許されない世界だってある。数ある世界の中のひとつの、小さな掟が君らだよ」

「そんな…!人間を売るなんて許されることじゃ……!」

「だから、許されているのが夜市なんだよ」


 夜市は商いの場所。売りものに制限は無い。


「夜市に来たからには夜市に従わなければいけない。来たくて来た訳じゃないと言われても、それは戯言にしかないないよ。佳流は夜市の掟の下に、何の問題も無く売られる」

 佳流は売られる。津々良の言葉に大きなショックを受けて項垂れる。その姿に、面をつける三人は互いを見る。そして由市が、面で見えない口を開いた。

「助ける方法はある」

風架は勢いよく顔を上げた。

「佳流を買えばいい。そうすれば何の問題も無い。君、年齢はいくつ?」

「十五ですが…佳流さんを買う……そんな、佳流さんを…人間を買うなんてできません」

「買うか買わないかは、助けるか助けないかの選択肢だよ。綺麗事を言って助けられると思っているの?」

 現実を見ろと言う由市。風架は反論できずにいたが、やがて意を決した顔で立ち上がった。

「分かりました、佳流さんを買います!」

 ここは自分たちの常識なんて通用しないのだ。早く佳流を取り戻し、早く元の世界に帰りたい。流れる涙を袖で乱暴に拭う。きっと佳流は、自分よりも怖い思いをしているはずだ。

「どうしたらいいですか?お金がいるんですよね?」


 翁たちは丁寧に説明をした。夜市は一回につき十日間続く。一日目から始まる四十一万以下の品物が売られる、四日間の我楽多市。五日目から始まる四十二万以上の品物が売られる、四日間の奇貨市。九日目からの二日間は客には関係ない日だから知らなくていい。その十日間を一回の夜市として、十日目が過ぎればまた我楽多市から始まり、繰り返される。

 そしてそれぞれの世界で金銭は異なるが、百の金を要求されれば自身の世界の通貨で百の金を渡せばいい。ちなみに換金所なるものはちゃんと存在していて、受け取った金を換金すれば異世界の金は自分の世界の金と交換される。


「で、肝心の佳流の値段だけれど…」

 津々良は少しだけ間を置き、翁に顔を向けた。それに応えるように言う。

「六、七万が妥当かな」

「は……⁉︎」

あまりの金額の低さに風架は声を漏らす。人間だぞ?命だぞ?とでも言いたげに。今の風架に高い金を用意することはできないため低くて困ることなどないが、いくらなんでも安すぎないか。

 そんな風架の思いなど知りもせず、翁は品定めを止めない。

「今日は三日目の我楽多がらくたいちだから、時間はあるようで無い。四日目に佳流は並ぶ。我楽多市は基本的に早い者勝ちだ。始まった瞬間に佳流が買われるともうお手上げかな。というか人間を生きた状態で売ろうとすること自体異例だからな…」


 異例、という事について津々良が意見した。もしかしたら、津々良たちが助けたことで変に勘ぐったのかもしれない。なにかしらの価値がある人間という勘違いで値段が上がるかもしれない、と。その意見に由市も同意した。だとすれば価値はもう少し上がる可能性がある。最低でも二十万は必要になるだろう。

 二十万という最低額に、風架は自身の財布を取り出して中身を確認する。所持金は一万五千円。持っていた食材はあの騒ぎで置いてきてしまって、翁たちが言うには絶対に誰かが持ち去っているという。

「…リサイクルショップを探します!服やスマホを売って安価の服を買えば少しは……あの、教えてくれてありがとうございます…」

 焦りながら東屋を出て、青い提灯を目指して走る風架。その背中を見送る三人。

 津々良が呟いた。

「どう思う?」

「買えないよ」

「あの所持金ではね」

断言する由市に同意する。翁はため息をついた。

「関わったんだし、様子を見に行こう。また捕まるかもしれない」

そうだね、と二人は立ち上がる。小走りで一人の人間の後を追った。



  *



 服を売るために無我夢中で来た道を戻り、再び多くの店が並ぶ元の場所へやって来た。翁の言った通り、自分たちが持っていた食材は見つからず。それ以前に、元の場所へ戻ってきたかどうかすら分からない。先程はあまりに気が動転していて気が付かなかったが、大きな道を挟んで立ち並ぶ店を見て風架は、まるでジャングルだと感じる。大きな植物に囲まれた小屋や、雑草に囲まれたテントや、屋台のような出店。共通して草木が並んでいる。市場と聞いたが、植物を売っているのだろうか。


 歩きながら考えていると、突然声をかけられた。驚いて声の方へ顔を向けると、顔から長い手足の生えた蜘蛛みたいな化け物がいた。「なんの種族だ?」と問いかけられているが、あまりの衝撃にまともに受け答えができない。自分が考え事をしている間にも命の危険に晒されている。

 風架は思わず走り出した。植物を売る店を左右に、ただ真っ直ぐ、捕まらないように走ること十数分。さすがに体力の限界がきて、一旦立ち止まることにした。肩で大きく息をする風架は、もしや同じところをグルグル回っているのではないかと疑う。呼吸を整えつつしばらく周囲を観察する。

(同じではない……混乱していて自信はないですけど……)

自分の僅かな記憶を頼り、少しの安堵の息を漏らす。


 しかし安堵したところで、状況は大して変わっていない。走れど走れど植物ばかりで、リサイクルショップなんてものがあるのかすら分からない。ここで風架の頭に、ひとつの案が浮かんだ。

(誰かに聞く……?)

 だがそのあまりの無謀な提案にすぐ首を横に振った。先ほど何があったのか、忘れたわけではない。佳流が捕まって売られそうになっているのだ。ここは人間の尊厳がない場所だ。そんな所で自分は、誰かに道を尋ねるというのか?しかも風架まで捕まってしまえば、もう佳流を助けることはできない。

 いや、だがヒトは(ヒトと言っていいか分からないが)たくさんいる。人間だってそうだ。悪い人がいれば良い人もいる。夜市の生き物全てが悪者だなんて、その可能性の方が低いかもしれない。

 しかし比率的にそうかもしれないが、危険すぎる。翁たちは言っていた。夜市というこの世界ではお前たちの常識は何も通用しないと。下手すれば、話しかけただけで殺されてしまうかもしれない。しかし、しかし、しかし。


(分からないまま進んでも見つからない…今の私は迷子みたいなものですよね。蛇の道は蛇と言いますし、捕まりそうになったら全速力で逃げればなんとか…!)

 己に言い聞かせ、再び走り出す。生き物と生き物の間を掻い潜りながら、人間っぽい生き物を捜した。


 しばらくキョロキョロと人間っぽくて優しそうな生き物を探すと、一人の人型生物に目が留まる。直感的に「あの人にしよう」と決めて走り寄った。心臓は聞こえてしまいそうなほどに強く鼓動している。

「あのっ!」

 考えるよりも早く声をかけてしまい、内心、風架は大焦りだ。

 声をかけられた人型の青年は風架を見る。ジッと、まるで何かを確認するように風架の顔を見つめる。夜市という場所も相まって、底の知れない不気味さを感じて拳を握る力を無意識に込めた。佳流の笑顔を思い出し、勇気を振り絞る。

「すみません、リサイクルショップがどこにあるか知りませんか?」

 臆せず、敵意が無いと言うように引き攣った笑顔を向けた。すると人間っぽい生き物は小首を傾げた。

「りさい…?なにそれ?我楽多?」

思ったより敵意は無さそうな、優しげな声。少しだけホッとした。

「いえ、リサイクルショップ……物を売れるお店です」

 分かりやすく説明すると、あぁ、と思い出したように答えてくれた。手を伸ばし、向かって右の方を指さした。

「質屋のこと?質屋なら爾余街道にあるよ。あっち方面に看板が見えるまで真っ直ぐ行って、看板を左に曲がればある」

「…え?なに…なんですか?」

 聞き慣れない単語に、今度は風架が聞き返す。人間っぽい生き物はゆっくりと発音した。

「爾余街道。じ、よ」

「じよ街道……あ、爾余ですね?分かりましたありがとうございます!」

 理解できた風架はお礼を言い、すぐにこの場を離れる。優しそうな青年だが本性は分からない。変な要求をされる前に、捕まってしまう前に離れるのが吉と判断した。


 先程、翁が「禽獣街道」「爾余街道」という言葉を発していた。その時は佳流が売買の対象になることで頭がいっぱいだったから、それが何なのかを考えることはしなかった。

 〝禽獣〟とは、人や獣の総称。〝爾余〟とは、その他、それ以外を表す言葉。そしてどれも広い道を意味する〝街道〟という単語がくっついている。つまり、商店街のようなものだろう。禽獣街道は、獣を専門に売る商店街。爾余街道は、その他の商品を売っている、言わば万屋のような所。ちなみに植物だらけのここはきっと〝植物街道〟なのだろう。

 看板を左に曲がれば爾余街道に行ける。ひたすらに走った。


 一方、風架を追いかける翁たち。

「いないね」

「夜市の仕組みを理解してないだろうから迷ってると思うんだけどなー…」

小走りで捜していると、翁がとある者を見付けた。

向日むかい!」

 それは先程、風架にリサイクルショップがどこにあるかと尋ねられた男だった。

「あれ、翁隊長。それに津々良さんと由市さん。三貴族が揃ってどうかしたんですか?相変わらず不気味ですよ」

 「翁隊長」と呼ばれた翁は風架について聞いた。

「人間の女を見なかった?」

「あぁ、さっき会いましたよ。質屋がどこにあるか聞かれたから爾余街までの道程を教えました。もしかして揉め事ですか?」

「いや、大丈夫。ありがとう」

 短くお礼を言って三人は風架の後を追う。向日はまた首を傾げ、その背中を見送った。



  *



 看板を左に曲がると辿り着くはずの爾余街道は見当たらず、唐突に暗闇に包まれた。はるか遠くの方に小さな光が一列見える。きっと青い提灯だろう。振り向くと、今曲がって今立ち止まったはずなのに、さっきまでいたはずの植物の商店街が遠くに見えていた。その場を動けず、ただ小さく光る一本線の提灯を見ていた。

「なんで…そ、そんな歩いてない…はず……」

 左に目を向ければ真っ暗闇が広がっていて、右に目を向ければ真っ暗闇が広がっている。目に映るものは自身の身体と、前後の青い光の線。


 一歩を踏み出す勇気を出せずにいると、背後から声をかけられた。

「あぁ、いた」

「……翁さん…!」

知らない場所で出会った知らない人だが、こんな状況だ。緊張が解け、足の力が抜けて座り込む。

「何してるの?早くしないと」

 津々良の言葉に風架は、左右も足元も目の前も真っ暗な状態では怖くて歩けないことを、不安げな声で伝える。あぁ、と納得したように津々良は教えてくれた。

「真っ暗なだけで落とし穴があるとかはないよ。暗いだけ。真っ直ぐ歩けばすぐに別街道につくよ」

さらに由市が補足する。

明影めいえい地帯は一定距離歩かないと駄目なんだ。距離があるように見えるけれど、そう見えるだけ」

 大丈夫だから立って、と翁は風架の手を掴んで立ち上がらせた。彼を先頭に風架はついて行く。その後ろを津々良と由市が歩く。

「植物街道は久しぶりに行ったなぁ」

「あれ、あんまり行かないの?」

「面白そうな植物があれば見に行くけれど、あんまり」

「そっか、植物街は揉め事が少ないからか」

「そうなんだよ。絡繰が多いから平和なんだよね。彼らは値切ろうとしないし騙されやすいしで喧嘩が起こらない」

 背後で交わされる雑談を聞けば、どうやら津々良は争い事が好きな性格をしているようだ。そういえば和紙の男が何度も言っていた〝貴族〟とは何だろうか。この夜市という場所でも貴族や王族というものが存在するのか。


 小さな疑問で気を紛らわせていると、翁が立ち止まる。

「ほら、ついたよ。爾余街道」

さっきまで一本の線に見えていた青い提灯が、気がつくと自分たちの頭上に浮かんでいた。目線を下げた瞬間、視界の左から右へと何かが凄いスピードで通り過ぎる。

「逃げられると思うなよ~!」

殺気の混じった陽気な声が遠く聞こえる。さっきから止まらない震えがさらに酷くなるのを感じた。

「相変わらずの所だね」

 由市がぼそっと呟く。爾余街道は我楽多市で最も治安が悪いらしい。だから常に怒号が飛び交っていたり、斬った張ったが行われているのだという。しかし最近はマシになってきたとフォローしつつ、翁は指を差して言う。

「それより、服屋はあそこ。質屋は右三つ目あるよ。早く行きな」

「は、はい。ありがとうございます」

指の先にある小屋へ一直線に走った。


 風架が金銭のやりくりをしている間、翁ら三人は他愛ない雑談をする。

「植物街道は行かないの?」

「うん。つまらないから。それにあの者がいるし」

「あれ?苦手?」

「逆に聞きたいくらい。苦手じゃないの?」

「僕は別に」

「扱いには困るけれど、私も特には」

 どうでもいい話で時間を潰していると、古着に着替えた風架が暗い顔をしてやって来た。どうだった?と津々良が聞くと、売れる物はとにかく売って、財布も靴も、下着までも売ったのだという。所持金の合計は三万八千円。二十万どころか、妥当と言われた六万円にも届いていない。しかし三人は特に驚く様子もなく、「そっか」と素っ気ない返事をした。


 風架は拳を握りしめて俯く。分かっていたことだ。二十万に届かないことくらい。スマホや服を売ったところで大した金額にならないことくらい。冷静に考えれば、分かることだ。

 すると風架は、覚悟を決めたような顔で翁たちに尋ねる。

「私はいくらで売れますか?」

その言葉に、三人は少しだけ驚いたように風架に視線を向けた。

「自分を売るの?」

 由市が聞いた。風架は強く頷く。小汚い服の裾を握りしめ、その手は震えている。

「こうでもしないと佳流さんは売られてしまいます…」

「でもそれは、君が売られることと同じだよ」

 同義ではない、と言うふうに首を何度も横に振り、翁の言葉を否定する。佳流が売られてしまうより、遥かにマシだ、と。涙がボロボロと溢れ、怯えが隠しきれていない引き攣った顔で三人を見つめる。翁、津々良、由市は互いに顔を見合わせた。


 他に方法はあったかもしれない。だが今の自分には、打開策は到底思いつきそうにない。佳流が売られてしまうのは嫌だ。ならば自分が商品になった方が良い。佳流には弟がいる。いなくなってしまったら、弟はどうなる?だが、それは自身にも返ってくる話でもあった。風架にも兄がいる。たったひとりの肉親だ。


 ここでひとつ思いついた。ここは夜市。あらゆるものを売る市場。

「わ、私、記憶力はいいと自負しています。何か…使えませんか…?夜市はあらゆるものを売っているんですよね?私の記憶力は売れませんか?」

自分の記憶能力を売り、二十万以上稼いだら店仕舞いをしてしまえばいいのではないか。どうにか二人が助かりたい。その思いと夜市への恐怖が涙として表れる。

 悲痛な提案に、翁がなんら変わりない、冷たい声で答えを出す。

「売れないな。あらゆるものと言ったけれど夜市では行為は売れない。それを行う生き物を売るんだよ。商人は記憶力を売るのではなくて記憶力のある君を売る。客は記憶力のある君を買う」

そして、と、一呼吸置いた。

「そもそも人間は爾余街道に並ぶ我楽多だ。四十一万以下の食糧。佳流のことはどうやら商人が変に考えすぎたみたいだけれどね。君に特別な能力があるとかなら別だけれど、無いんだろ?記憶力は多くの者にある」

 風架は絶望の表情を浮かべた。座り込み、ただただ涙を流す。その表情が見えていないのか、それとも何にも感じないのか、畳み掛けるように現実というものを突き付ける。

「商人になってものを売るというのもひとつの手だけれど、売れるものすら持ってないよね」

 さらに今度は津々良が、座る風架と目線を合わせてこう言った。

「眼球や手脚を売ったところで届かないだろうね。佳流は買われちゃうね」

 翁たちの冷酷無情な会話を右から左へ流しながら、ぐるぐると考える。何か方法はあるはずだと、十五年の人生で一番脳漿をしぼる。


「………どうしよう……佳流さん…っ‼︎どうしたらいいんですか……!」


 その様子を見下ろしながら、再び三人はアイコンタクトをしているかのように顔を見合わせる。そして、今度は翁が目線を合わせるために片膝を地面につけた。

「助けられなくはない」

「え…」

風架は翁面を見つめた。

「困っているなら助けるけれど、解決するのは私たちじゃないから大きなことは言えない」

「…どういうことですか?」

「佳流を買ってもらう」

 津々良が風架の手を掴み、引っ張って立たせた。そして、何の感情も込められていないような声色で「安心して」と言う。

「困っているなら見捨てないから」

 微笑む阿亀面の台詞に、ちっとも安心できない風架。そんな正義感があるならば佳流が捕まった時に助けてほしかった。しかしこの夜市という場所と、人間を生き物とも思っていないような仮面三人衆を前にすっかり戦々恐々とし、最早何も声に出すことなんてできなかった。

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