第14話 英雄のたまご

 ラーサー達が聖都ティラナに到着するよりも数ヶ月前の話しまで戻そう

南聖騎士団のロイを憶えているだろうか、南の町ヴロラでラーサーと共に戦ったあの若い兵士だ、ラーサーの幼なじみという事もあり見事な連携で【ヴロラ防衛戦】を戦い抜き、この時の功績が評価され兵士長を経て見習い騎士にまで昇進した

ラーサーと次に会うとき迄に騎士になっているとの約束を果たそうと日々鍛錬に励んでいる、ヴロラで惨敗を喫した聖教騎士団は独立傭兵同盟よりも南聖騎士団を先に掃討しようと戦力を集中したが、騎士団長へリアの指揮とマーゼル枢機卿から作戦参謀としての才覚を見出されたクライン・ヴァングラムの采配が冴え渡り鉄壁の防衛を果たしている

物資不足から厳しい戦いを強いられていた傭兵同盟は盟主カルロスが南聖騎士団の指揮下に入ることを決め、兵力差で見れば聖教騎士団と変わらない規模にまで勢力を拡大していた


 「ロイ隊長、クラインさんが呼んでいます」


 日課の稽古をしていたロイを部下が呼びにきた、体つきは以前よりひと回り大きくなり、戦いに十分な筋力がついている、それでも本人は今の成果に満足しておらず他の者が音を上げるような鍛錬を重ねるのだ、ロイは汗を拭きあげるとクラインが待っている騎士団本部に向かった


 「ロイ入ります」


 4回ノックのあと中からの返事を待ちロイが入室する


 「やぁ、呼び出してすまないね」


 現在、南聖騎士団の参謀役を務めるクラインがロイを迎える、この場にはへリア騎士団長と階級の高い騎士たちが同席していた、ロイは余り良い話ではないと背すじを伸ばして待つ、それを察してかへリア騎士団長が先に声をかけた


 「そんなに緊張しなくていい、叱責のために呼び出した訳では無い」


 これを聞き幾分肩のちからが抜けたが揃い合わせた面子を見れば緊張をしない訳がない、ロイは余り周りを見ないように天井に視線を向けたまま待つ、そして、クラインがヴロラ北西の地図を持ち出し話しを始めた


 「実は聖教騎士団が反転攻勢を仕掛けるとの情報を傭兵同盟が掴んでね、そこでキミに偵察部隊を率いてもらいたい…無論へリア騎士団長から許可はもらっている」


 へリア騎士団長は自分に向けられた視線を受けて話し始める


 「あくまでも偵察だ、敵がどの様な準備をしているのか情報を集め持ち帰る…それが任務だ」


 「何故自分なのでしょうか」


 「私もクライン殿も【ヴロラ防衛戦】での活躍を高く評価している、特に現場での状況判断と対処能力は既に南聖騎士団でも五本の指に入ると思っている」


 へリア騎士団長が言う『状況判断と対処能力』は確かに他の騎士達より優れていると皆が認めるほどのものがある、加えて直近の聖教騎士団との小競り合いでも冷静な立ち回りと判断を発揮し勝利の立役者となっていた

つまるところ次世代の騎士団幹部候補という訳だ、ロイも自分に掛かる期待を否応なしに感じる訳だが、未だ『絶対的な武器』と呼べる技能はなく戦闘時の落ち着きだけで評価を受けている事にしっくり来ていないのだ


 「どうだろうか?引き受けてくれるか?」


 立場や階級を考えれば同席している騎士たちを任命するべきだろう、それでもロイにこの話しを振ってきたということはクラインとへリア騎士団長も相当悩んだ事だと推測できる、ロイは考えた末に任務を引き受けることにした


 「わかりました、準備を整え出発します」


 もとより騎士を叙勲する為には与えられた任務は全てやり遂げる気持ちもあった、部屋をあとにしたロイは先ずは部下たちのもとへ向かった

ロイの部隊は【ヴロラ防衛戦】を共に戦った若い兵士たちの集まりだ、故に先達の騎士の中には軽視する者もいる、それでも激戦を生き延びてきただけの実力はある、今回の偵察任務は少人数で構成されているロイの部隊にはうってつけの内容だった


 「…以上だ、何か質問があれば聞いてくれ」


 任務の説明を終えたロイが隊員たちを見渡すが誰も口を開く事はなかった、信頼と覚悟、全ては騎士団に入った時から整っているそう感じ取れる程に胸打たれるものがある、作戦の話しを終えた時にはまだ少年の様な垢抜けない皆の顔つきも戦時下の兵士のそれになっていた

 

 ―聖教騎士団陣営付近― 

 

 聖教騎士団の本陣は南町ヴロラよりも数十キロほど北上した平原に布陣していた、ヴロラを攻めるには距離が離れすぎているが度重なる敗戦でこの位置まで後退せざる得なかったという事情がある

だが同時に利点もあった古都エルバサンから補給を受けやすくなり継戦能力は向上している、そんな聖教騎士団が動きを見せているというのだから南聖騎士団も警戒をしないわけにはいかない、ロイは偵察部隊を率いて敵の本陣から少し離れた森に身を隠していた


 「想像した以上に動きが活発だな…傭兵同盟が掴んだ情報は当たっていたようだ」


 ロイたちは息を殺して深い森に潜伏し敵の動向を観察して記録を残す、ある程度の情報を集め持ち帰る為だ、聖教騎士団の動きを探っているうちにロイは何かに気づいた、兵士や騎士を動員しているのなら分かりやすい準備として気にも止めなかっただろう

だが、集められている者の中にフードを被った兵士とは呼びにくい者が居ることに気がついた、そのフードを被った者たちは大人の身長にしては大き過ぎたり小さ過ぎたり違和感があった、それと戦場に不釣り合いな白衣の人物も確認できる、医者にしては妙だと感じる程に冷徹さを覚える


 「何者だ?あいつ等は…」


 この場を仕切っているリーダー格の男は直ぐにわかった、その男は偉そうにフードを被った者たちに命令を与えていく

白衣には聖教医師団の紋章が輝く、そうだ、この男の名はニュベス、この時代で最悪のマッドサイエンティストだ、この男が居るということは何かしらの実験か試験が行われようとしているのだが、それをこの時のロイたちが知る由もない、この瞬間までは…


 「何かとてつもなく嫌な予感がする…すぐにヴロラに戻ってへリア騎士団長とクラインさんに報せろ!」


 ロイは部隊の中で最年少の兵士にヴロラへ戻るように伝えると戦闘準備をはじめる、偵察目的で編成された部隊だ戦闘になったところで勝機は薄い、それでも直感的に聖教騎士団がやろうとしている事を止めなければならないと感じていた、ロイに続き仲間の隊員たちも戦闘準備をはじめる


 「無理はしなくて良い…これは危険な戦いになる」


 ロイは隊員たちに声をかける


 「覚悟は持ってきています」


 隊員たちは即答する、自分よりも若い者たちだ、準備をしながら手が震える者もいる、それでも此処に居るのは1人前の兵士たちであった


 「ともに戦えた事も誇りに思う」


 圧倒的に不利な状況で戦いに挑まなければならないことをロイは申し訳ないと思いながら、1人でも生き残ってほしいという言葉を絶望的な戦場を前に呑み込んだ

 

 ―聖教騎士団陣営 本陣―


 「はじめろ!」


 ニュベスの指示で集められた者が一斉にフードを脱ぎ捨てる、その姿は人外の異形であった、首にはスネルビと同じドッグタグを着けていた

ランスがエルバサンでニュベスとゴバルデルが話をしている時に聞いた【実験体】とは彼らのことだ、ヘビの様な体表と顔をした者、モグラの様なずんぐりむっくりとした体躯で大きな爪をもつ者、狼の様な顔と体格をした者など様々だ、コルチアで人虎に変異した騎士カモスと同じ薬によってこの様な体になったのだろうが、ロイはその事をまだ知らない、だが、ヴロラで目撃した騎士ノーマンの異常な姿は記憶にある


 「奴等何かはじめる気だッ!…出るぞ!いいな?近づきすぎるなよ!」


 潜伏していた森からロイが飛び出し隊員たちも続く、そうはいっても5人程度の数で何が出来ようか、急ごしらえで作った木の弓と矢で牽制しながら注意を引く、敵にしてもこのタイミングで本陣を攻められるとは思っていなかったのだろう、慌てて浮足立つのが見える、しかし相手が少数だと分かると対処できるだけの人数で編成された小隊を出してきた


 「この少人数で攻めてくるとはバカめ!迎え撃て!蹴散らしてやるんだ!」


 ロイは既に最大限の出来る事をやっている、単純にこちらの数が足りないのだ、ニュベスは外の騒動を気にもせず淡々と作業を進める


 「かまうな…続けろ」


 ニュベスの部下は騒々しい外に気を取られていたが叱咤され仕事に戻る、ガラガラと音を立てて台車が運ばれてくる、台車に縛り付けられていたのは大熊だった、この大熊は拘束を解こうと必死に抵抗をしている、地面に施された魔法陣中心に大熊が運ばれると実験体たちが魔法陣の外に立たされる、すると実験体たちの体が赤紫色に妖しく光りはじめた


 「何だ?奴等何をしている?」


 異様な光景だった、少なくてもラーサーやランスが使っていた神威とは違う神秘的なモノではない邪悪さを感じていた、実験体たちを包んだ光はやがて大熊に吸収されるかのように集まりだす

大熊は雄叫びにも似た叫び声を上げ体が更に巨大化していく、強烈なちからで拘束も引き千切り狂暴な獣の解放を目の当たりにする


 「やったぁ…成功か?」


 ニュベスがやろうとしていた『何か』は上手くいったように見えたのだろう、この時は…


 「…ッ!」


 ニュベスの喜びもつかの間、実験体が次々に倒れていく、大熊の巨大化も止まり拘束を失い完全に暴走した大熊が暴れまわる


 「くそッ!また失敗か…やはり核がなければ…」


 ニュベスを守るように聖教騎士団の兵士が壁になる、そして部下の男たちと共に後方へ逃げて行く

無責任にもこの狂暴化した大熊を放って逃げたのだ、否、既に熊の分類からは外れかけているといっていい、ゴリラのような歩行をしながら尚も体が変異を続けている、まるで実験体たちの合成された体を取り込んだかのように変異している、胸元には見たこともない気色の悪い臓器みたいな物が露出して現れた、そして、それを守るように骨が隆起し肋骨の様に臓器を包む


 「何だこの化け物は…」


 ロイだけではない聖教騎士団の兵士たちでさえこの事態に驚き対応できていない、本陣の中にいた兵士たちはこの変異体の視界に入るや否や剛腕で殴り飛ばされるか地面に潰され肉片を散らす

殴り飛ばされ運良く粉々にならなかった兵士も骨はズタボロにされ腕や足が奇妙な方向に曲がり即死している、この変異体は助けを求めて逃げ回る兵士を捕まえては楽しむように殺している、本来なら食べる目的以外で動物は生き物を殺さない、本能的に殺すことを楽しんでいるロイにはそう見えた


 「こんな化け物を放っておくわけにはいかない!」


 ロイは覚悟を決めて聖教騎士団の本陣に乗り込んでいく、残された聖教騎士団たちは逃げる者と勇ましくも武器を手に立ち向かう者など入り乱れて混乱状態だ

改めて変異体と対峙すると巨大さに足が竦みそうだった、巨大化が止ったとはいえ3メートルは超えている、槍を握る手が震えているのが分かった、何処まで自分のちからが通用するか分からないがやるしかない、訓練を思い出し突き、切り払いを繰り出す、分厚い毛皮を切り裂くには至らないが注意は引けるようだ


 「…つ、続けぇ!」


 ロイに感化された聖教騎士団の騎士が不意に号令をかけた、勇気は素晴らしいが考えなしに何とかなる相手ではない


 「よ、よせッ!」


 ロイが叫ぶが間に合わず変異体の怪力に肉片にされていく、それでも命を無駄にするかのように其々が無謀な攻撃を仕掛けていく


 「馬鹿な…連携もせずそんな攻撃を仕掛けても潰されるだけなのに…」


 聖教騎士団の組織力と戦術の疎さにロイは愕然とする、作戦を立てて効果的な攻めをすれば勝機はありそうなものの、この組織にはそんな気概はまったくなさそうだった、聖教騎士団は宛には出来ないとロイが攻める、変異体の攻撃を避けながら獰猛な獣の顔面に飛び上がる


 「どんな生物でも急所は同じはず…くらえ!」


 ロイは正中線上は生物にとって弱点であると学んでいる、変異体の顔面に向かって連撃を叩き込んだ、額、眉間、鼻、顎、喉へと強烈な攻撃をくらい変異体はよろめき膝をつく


 「よし…手応えはある」


 此処までの善戦は予想以上の出来だろう急所への攻撃も効く、倒せる可能性も見えてきた、視界を奪えばまだ戦えると判断して今度は目を潰す作戦だ、変異体に再び接近したロイは相手が『化け物』である事を再認識する


 「コッ……ガァァッハァッ!」

 シャァァァッ!!!!


 大きく口を開けて咆哮と共に赤い光を吐き出すように放ったのだ、その光はぶつかったものを吹き飛ばす、否、消し飛ばすという表現が正しいのか、ロイは間一髪で避けたが後ろにいた聖教騎士団や本陣を囲う柵や天幕は跡形もなく消滅していた


 「こいつ…こんな技を持ってやがったのか、目じゃなく先に口を塞がないと被害が広がる!」


 ロイは変異体の口を塞ごうと更に接近する、顎への攻撃は通ったのだ顎を貫き口を開かせなければ咆哮も放てまいと考えるのだ

自分の考えの甘さを呪ったのはこの後だった

変異体は息継ぎする間もなく次の攻撃体勢に入っていたのだ


 「くっ!コイツッ!あんなものを連発できるのか!」


 予想するべきだったのかもしれない、それでも攻撃が刺されば止められる可能性はある、ロイは動きを止めることなく変異体の喉元まで更に踏み込む


 「とどけぇぇぇ!」


 ロイの攻撃と同時に変異体も咆哮を放つ、赤い光と衝撃がロイを飲み込み轟音と共に土煙が上がる

 

 ―クラインの元へ走る隊員―

 

 ロイからヴロラへ戻りクラインとへリア騎士団長に報せるように頼まれた兵士は全速力で走っていた、ロイたちは偵察に不向きな馬に乗ってきていない、ここから1番近い馬舎は伝令部隊がいる地点だ

そこまで戻らなければ馬は手に入らない、隊員は心臓が破裂してでも走り続ける気概で速度を緩める気はないようだ、小さな水溜まりを飛び越えた直後、走ってきた後ろから衝撃と共に轟音が鳴り響き木や物が破壊された音まで届いてくる

ドォォン……

何があったというのだろうか振り返った隊員は心配そうにロイや仲間の事を思う

ドォン……

そして再び轟音と衝撃が轟き思わず体が竦んでしまう


 「ロイ隊長…」


 自分に出来ることはいち早く助けを呼びにいく事だけだと、前を向き直りゆっくりと走り始める、茂みをかき分けて拓けた平原に出ると隊員は思いがけない景色目の当たりにするするのだった


 ―再びロイのいる場所―


 変異体の咆哮により消し飛ばされたかと思われたロイはまだ戦場に立っていた

心配することなかれ瀕死の状態ではない、驚く事に傷は浅く、破壊された大地に立つ戦神にも似た姿に流石の変異体も沈黙をする、ロイの攻撃が先に決まっていたという訳では無い、実際に槍先が変異体に届くよりも前にロイは咆哮による衝撃に襲われている

ただひとつ、先程と違う姿なのはロイの首から背中にかけて赤いマントが靡いている事だろう、ロイ自身も靡くマントに手を触れ思い返すように小さい頃の記憶を辿っていた


 ―十年ほど前―


 ヴロラから南に向かうとブトリント遺跡と呼ばれる遺跡帯がある、マーゼル卿を連れてラーサー達がコルチアに越えた地域だ、ここは遺跡の他に観光地としても人気のある場所だ

吟遊詩人の詩にも語られる歴史を刻むこの場所に幼き頃のロイはラーサーと共に訪れていた、とはいっても荷運び業を営むロイの両親が遺跡調査隊の仕事を引き受けそれにくっついて来ただけなのだが、そしてラーサーもまた帯同医として両親が雇われ一緒に着いていったというだけなのだ


 「早く来いよラーサー」


 子どもの頃のロイはラーサーよりも活発に動き回る男の子だった、短い手足を使い岩をよじ登ってはラーサーに急げと急かすのだ


 「待ってよロイ!」


 育ちの良さそうなシャツを着せられたラーサーは頑張ってロイの後を追う、小さな子どもたちにとってこの大きな遺跡は絶好の遊び場なのだ、冒険するかのように色んな場所で虫や枝を拾っては仲良く遊んだ

やがて石像が多数立ち並ぶ広場に出ると綺麗な石が転がっている事に気付き拾い始めた

朽ちた石像や半身が壊れた石像など様々ある場所だが怖くは無いらしい、転がる石も宝石などではないが、それはそれは綺麗な色をしていて触ればひんやりと冷たく、スベスベとしていて気持ちいい感触の石だった


 「なぁラーサー、ここの石で1番綺麗なやつをお母さんにプレゼントしよう」


 「うん、じゃぁ競争だ」


 ロイとラーサーは綺麗な石を一生懸命選んで拾っている

2人しかいない遺跡にロイは不意に人の気配を感じた、否、視界の端で何かが動くのを感じたと言ったほうが良いだろうか、顔を上げ視線を向けると戦士の石像に赤い布切れが引っかかって靡いているではないか


 「どうしたロイ?」


 ラーサーはボーッと立つロイを心配して声をかける


 「…いや、今マントをした人が立っていたように見えたんだ」


 ロイがそう答えると、突然風の向きが変わったのか靡いていた赤い布切れがロイの手元に飛んできたのだ、ロイは思わずその布切れを掴みもう一度石像を見上げた、心なしかロイに微笑んでいるようにも見える


 「これ、お母さんに綺麗に仕立ててもらうよ、俺の宝物にするんだ」


 笑顔で赤い布切れをマントのように肩にかける


 「うん、似合ってるよ!まるで騎士様みたいだ」


 ラーサーも笑顔で答えた

 

 ―戦場―


 戦いの最中に昔のことを深く思い出す事など普通は有り得ない、それでも昨日の事のようにハッキリと憶えていた

ブトリント遺跡で拾った赤い布切れは母親に仕立て直してもらいスカーフにしてもらった、小さい頃のロイはそれを肩にかけてマントとして良く遊んだものだ、今も大事に首に巻いているスカーフはその頃からの大事な宝物なのだ、それがどういう理由か本物のマントの様に大きく巨大化している

魔道具の様な不思議なちからが働いたのかもしれない、確実にいえることはこの赤いマントのおかげで助かったということだ

その懐かしさをぶち壊すような変異体の叫び声でロイは我に返る


 「何だお前…怒っているのか?今の攻撃がお前の必殺技だったのか?」


 ロイはボロボロになった槍を構え直す、顎への狙いを喉に変えロイは飛び込んだ、変異体は鋭い爪を立てて薙ぎ払おうとするが、ロイはそれを掻い潜り一気に接近した


 「でやぁぁぁッ!」


 槍は大きく撓りをあげて変異体の喉元にめり込んだ、それと同時に槍は粉々に砕け散る、後世の者が聞けば一般兵に支給された槍で良くここまで戦ったものだと関心してしまうだろう

それ程までにこの激戦で最高の一撃を浴びせたのだ、武器を失ったロイは素早く離れると聖教騎士団が置いていった槍を拾う、おそらくはロイよりも階級の高い騎士あたりが持っていた武器だろう、細かな装飾と素材の良さは触っただけで分かった


 「正念場ってやつだな…」


 強く握られた槍と自信ありそうな表情とは裏腹に額と背中を流れる汗、希望はあるが依然として状況は厳しいままだ

あの咆哮による衝撃波を受けた身も無傷ではない、体が消し飛ばなかっただけでも儲けものといえる、変異体も喰い殺すつもりだろう殺気の籠もった目でロイを睨みつける


 「グガァッ!」


 両者同時に攻め込んだ


 「はぁぁっ!」


 掴むつもりか突き刺すつもりか鋭い爪による攻撃をロイが避ける、それと同時に槍の腹で変異体の腕を打つ

殴打され変異体も一瞬怯んだがすぐに反撃を繰り出す、この巨体で突進を仕掛けてきたのだ、単純な攻撃だが質量の差はバカに出来ない、軽々とロイは吹き飛ばされる

転がりながら即座に立ち上がるとすぐに移動をする、良い判断だった、万が一この変異体に馬乗りになられたら即死(圧死)だ、かろうじて生きていてもそのまま喰い殺されるだろう


 「俺の使ってた槍よりモノが良いっていうのに…あの巨体が相手だと木の枝を持って戦っているくらい頼りなく感じるぜ…」


 自分の胴回りはありそうな太い腕をした変異体に箒のような細さの槍で立ち向かうのだから心細い気持ちもわかる、恐怖よりも勝ち筋が見えない状況に焦りはあった、連撃なら太刀打ちできている自覚はある、ロイは果敢に前に出て槍で攻撃を与えていく


 「ヴガアァッ」


 明らかに煩わしいと感じているのだろう変異体はロイを追い払おうと手を振り回す、その中で変異体が見せる仕草にロイが気づく


 「コイツ…無意識なのか露出している臓器を庇っている」


 胸元の隆起した骨の間から顔をのぞかせる妖しく光る臓器、心臓のように脈を打つように動き、生命の源である事を伺わせる

ロイの予想は的中していた胸への攻撃を本能的に警戒し手を使って防御するのだ、守りは固い隙を作らず威嚇を効果的に使ってくる


 「それなら…隙を作ってやる」


 ロイは左右にステップを踏み突きと切り払いを繰り出して変異体の攻撃を誘う

この動きは南聖騎士団の流派に倣った戦法ではない、それでも効果は期待できると敢えてこの戦い方を選択している、そしてこれが功を奏する

変異体は目障りなスッテプを踏みながら接近してくるロイに怒りを爆発させる、強烈な叩き付け攻撃をブチかますと地面が大きく抉れる

更に反対の腕で大地を削り取りながら振り上げる、切り裂かれた空間は音を置き去りにして突風を巻き起こす

攻めながらロイはこの攻撃を確実に躱し変異体の右側に大きく飛び込んだ、咄嗟に手が出てしまったのだろう、本能的に払い除けようとでも思ったのだろうか、変異体は右手でロイを突き刺そうと安易な攻撃を仕掛けてしまった、それを見逃すほどロイは甘くはない、更に変異体の右側に身体を反らしながら突き出された右腕を深く切りつけた


 「ガァァァァァッ」


 変異体は悲鳴にも似た痛烈な叫び声をあげる、血飛沫が間欠泉のように飛散る、堪らずに変異体はたたらを踏む、ロイはこれを狙っていたのだ


 「ここだ!」


 ガラ空きになった胸元の妖しく光る臓器に強烈な突きを見舞う、いくら強固な肋骨のような骨に守られていようとも砕き突き刺さる、そう確信できる一撃だった、ベキベキと変異体の骨を圧し折り、砕きながら臓器に切っ先が到達したと思った直後、あろうことか変異体の口が赤い光を漏らし始めていることにロイは気づいた


 「コイツ!この期に及んでまたあの咆哮を撃つ気か!」


 不意ではあったが避けれる間合いと状況だ、マントのような姿に変わったスカーフが魔道具なら、直撃を受けなければ耐えられそうな気さえする、様々な選択肢が頭を過った直後ロイの背後から声が聞こえた


 「何だ…この化け物は」


 振り向かずとも分かる、声の主はヴロラへ向かわせたロイの隊員の声だった、気配はそれだけではない、僅かな物音や風の動き、変異体に慄き総毛立つような音さえも感じ取れる程にロイの感覚は鋭く周囲の状況を把握できていた

まるで後ろにも目があるように妙な感覚だった、隊員は南聖騎士団の仲間を連れてきた事を感じる、気配から察するに数十人はいるだろう、ヴロラまで戻ったとは考え難い、へリア騎士団長かクラインが近くに待機させていたのだろうとロイは考えた、事実すぐにクラインの声が聞こえてきた


 「これは…何事だ!」


 やはりロイは振り返らない、ここまで2秒もない僅かな刹那の中でロイは決断していた、回避や防御ではなく攻撃によってこの窮地を脱しようと既に動いていた


 「でやぁぁぁッ」


 確実に咆哮を反らす事に集中した、顎の打ち上げ攻撃、届かないかと思ったが、この時『風』が背中を押してくれたような気がした


 「ギャッ…ガッッ」


 声というより潰れたような音を発し変異体は空を向かされる、放った赤い咆哮は空を染め上げ遠くの村でも赤い光が目撃された

見事に顎を打ち砕き窮地を脱した、否、勝機を引き寄せたといっていい、顎を砕かれた変異体は気絶しかけたのか動きを止めている


 「総攻撃だ!たたみかけろ!」


 クラインの号令が飛ぶ判断が早かった、そして、この萎縮しかねない状況で声を張れる精神力と機転の良さは流石であった、南聖騎士団の増援隊が一斉に攻撃を仕掛けた、歴戦の騎士たちが帯同していたおかげでこの変異体はまもなく討伐された

クラインは生き残った聖教騎士団を治療と尋問の為に連れ帰り詳細を聞く段取りも素早く整えた、そして後日、ニュベスがやろうとしていた『ある事』を知ることになる

 

 ―数日後 ヴロラ―

 

 怪我が癒えたロイはへリア騎士団長から叙勲式の為に呼ばれていた、鎧も新品に整え誰が見ても騎士の姿そのものだ

【ヴロラ防衛戦】の功績と異形の変異体を討ち取ったという輝かしい功績は名声にいっそう色を添える、叙勲室には見届人として騎士や来賓者が見守る、ロイがへリア騎士団長のもとへ歩み寄ると儀式用の剣を抜き優しくロイに言う


 「跪け…」


 へリア騎士団長は僅か3段高い上座に立ち、ロイの足元には既に膝を衝くための布が置かれている


 「はい…」


 最敬礼に相当する両膝をつきロイは静かに目を瞑る


 「ヴロラの英雄ロイ・レヴィアタン…汝はアルバリア教国の為にその命を捧げると誓うか?」


 「はい、誓います」


 「南聖騎士団の騎士として正義を全うする覚悟はあるか?」


 「はい、あります」


 「では、汝をこれより騎士とする」


 儀式用剣の平らな面でロイの双肩を軽く触れると無事に叙勲式は終わり歓声と拍手で祝福される


 「ラーサー…やっと騎士になれたよ」


 幼なじみとの約束を果たしたロイの目には涙がかすんでいた、傭兵であるラーサーはあれ程の活躍をしながら騎士ではない

それは『今はまだ』とだけ補足しておく、少年の頃の夢を追い続けたロイ、このシンデレラストーリーには続きがある事を誰も予想はしていなかっただろう、ニュベスが作り出した変異体やコルチアで目撃された『人虎』など不穏な意図をクラインは懸念していた、提示連絡としてマーゼル卿が旅先から飛ばしてくる伝書鳩からも何か途轍もない陰謀の様な嫌な気配を感じていた

 

 

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