第9話 北聖騎士と竜人族

 山岳地帯を進むラーサー達は北聖騎士団の守護するシュコドラに近付いていた

岩肌の地形が足跡を消すため、聖教騎士団の追跡を困難にしラシッド達の気配は感じつつも確実にその距離は開いていた

標高は既に1000メートルは越え日中でも霧が立ち篭めて視界が悪い、更に北に進むほどに気温は下がり雪が舞い始めるのだ

ラーサーたちは立ち寄った集落で軽い食事と寝床を提供してもらい幾分か休息はとれたが『追われる側』としての心的苦労は拭えなかった


 「シュコドラまで歩いても1日あれば着くそうだ…」


 マーゼル卿が納屋を提供してくれた主人にシュコドラまでの道のりを聞いてきたらしい

枢機卿ともあろう身分の者を納屋で寝かせるのは忍びないとラーサー達の為に空いている部屋を勧めてくれたが、襲撃を受けた時にすぐ出れる納屋をマーゼル卿が希望したのだ


 「そうですか、ではしっかりと体を休めてから進みましょう…」


 焚き火用の暖炉も付いた納屋は思いのほか暖かかった、外は風が強く吹き付け雪が舞う、吐く息は白く、吸い込む空気は胸の中を締め付けるほど冷たい

3人は分けてもらったスープとカチカチのパンを食べながら体力をつける


 「ひどい寒さだな…北部は初めてだが南部育ちの私にはこたえるよ」


 マーゼル卿は暖炉の近くに寄り薪を焚べる

納屋にいる牛の背中から湯気が上がるのが見える、この寒さでも近くに牛がいると温かい、匂いはひどいが凍えるよりはマシだ

ヨシュアは鎧や武器に革や布を巻き凍傷を防ぐ処理をしている、この中で北部遠征の経験があるのはヨシュアだけだラーサーも見様見真似でヨシュアと同じ作業を進める、手を動かしながらヨシュア時おり手を吐息で温めながら言う


 「こんな苛酷な環境を守護する北聖騎士団がアルバリア教国最強の戦闘集団と云われる理由が少し分かりましたよ」


 「ははは…この極寒の地で弱音も吐かず隣国の脅威からアルバリア教国を守っている…本当に頭が下がる思いだよ」


 「北聖騎士団には竜人族の末裔が多く居ると聞きますが…」


 ヨシュアとマーゼル卿が話す会話にラーサーが入る


 「竜人族とはどの様な種族なのですか?」


 傭兵であるラーサーは聖教騎士団以外との関わりが浅く地方の事情に疎かった


 「竜人族は旧アルバリア王国建国以前からこの世界に住む古代種の血族の事です、外見こそ人間と何ら変わりませんが、身体能力、神力、などは人間を遥かに凌駕します」


 ヨシュアがラーサーに竜人族の特徴を詳しく説明する、そして付け加える様にマーゼル卿が口を開く


 「そして…竜人族は総じて眼に特徴が有る」


 「眼…ですか?」


 「あぁ、竜人族の血が流れている者は紅い瞳をしているのだ、まるでドラゴンのような…」


 ラーサーはその話しを聞きながら焚き火の揺らめく炎に目を奪われていた、丁度その様な色をしているのだろうと、まだ見ぬ竜人族の姿を想像してしまうのだ


 「まぁ、竜人族だけじゃなく私たちと同じ普通の人間でも強い騎士はたくさんいますよ、中でも騎士団長のスレアス様は別格の強さを誇る神威の使い手と伺っています」


 「スレアス騎士団長とは一度だけ会ったことがあるが立派な男だったよ、彼が率いる北聖騎士団…彼らの助力が貰えれば状況は大きく変わるだろう」


 マーゼル卿は南聖騎士団の支援やアルバリア聖教会への抵抗だけでは、やがて力尽きるのはこちら側だと気付いていた

打開する為にはもっと大きなちからが必要だと云うことも理解している、コルチアで東天騎士団のタイアス騎士団長と2人で話しをしている時にマーゼル卿はある妙案を思いつき提案していた、自分が手配犯として追い詰められているこの状況で自分の事以上に、この国を案ずるマーゼル卿だからこそ思いつく妙案を…

外の風が更に強まる

ビュォォォ…

ガタガタと音を立てて雪が吹き付ける、そして夜はふけていく

 

 ―追撃するラシッド達は…―


 納屋で雪と風をしのいでいるラーサー達とは対照的にラシッド達追撃隊は苛酷な状況下にいた

岩肌が足跡を残さない為に痕跡を辿れなくなり完全にラーサー達を見失っていたのだ、しかもユネスコの森で部下を何人か失い切り札にしていた自分の武器も失っていた

更に追い打ちをかけるような吹雪だ、風を防げる岩場を見つけると布を風除けとして張り焚き火を起こし暖を取る


 「もっと火を焚け凍えるぞ」


 近くにいても全く暖かさを感じれないほどの極寒だ、ラシッドを含め北部の経験がない者ばかりで凍傷対策もしていない、鎧は冷たく武器は素手で持つことも出来ない

準備不足を痛感しながらもラシッドたちは集落を見つけるまでは進むしかなかった


 「この俺としたことが惨めな姿だな…」


 ラシッドは氷に写る自分の顔を見ると哀れに思えてきてしまうのだ、持ってきていた携帯食の残りも心もとない

ウサギやネズミでもいい、何か肉が手に入れば士気も上がりそうだと祈るように不毛の大地を虚ろな目で眺めてしまう


 「隊長…」


 部下がラシッドを心配して携帯食のビスケットを渡してきた、見ればラーサーと同じか少し若い隊員だ

ラシッドは部下は駒だと名前も顔も憶えようとしてこなかった、戦死する者が多く記憶する必要性を感じてこなかったのだ


 「馬鹿者が!そんな気を回している暇があるならしっかりと休んで戦いの準備をしておけ!」


 叱りつけると若い隊員は申し訳なさそうに一礼をして戻ろうとする、それをラシッドは『おい』と呼び止めて手招きする


 「これもお前が食え」


 自分の分の携帯食と隊長にだけ渡された干し肉を若い隊員に無理やり持たせる

そして、さっさと行けとばかりにお尻を叩き進ませる、若い隊員は深々と一礼をし元の場所へ落ち着いた、ラシッドは木彫りの雑な器でスープを飲み体を温める

北部はアルバリア聖教会の影響力が余り及ばない土地だ、当然傘下である聖教騎士団も活動を広げていない地域でありこのラシッドでさえ初めて訪れる場所なのだ

不安は波及するラシッドは敢えて自信有りげな余裕を見せることで部下を安心させるのだった

 

 ―一夜明け―

  

 明朝まで降り続いた雪は膝下辺りまでに達し、予想通り馬での移動は断念することになった

マーゼル卿は納屋を貸してくれた主人に馬の世話代を上乗せして渡すことにした

 

 「世話になった…」


 「お気をつけて…枢機卿さま」


 3人は仕度を終えると厳しい雪をかき分けながら更に北を目指した

この地方の雪は水分量が多いようで陽が昇る頃には積雪量も半分以下になっていた、歩きやすくなった分靴は水分を含み重くなる

水を通しにくいように馬油や撥水効果のある樹脂を塗ってきたが浸透はする、靴の中が気持ち悪くも前へ進み続けるのだ

そんな3人が同時に足を止める、目の前には3メートルはありそうな大熊がヨダレを垂らしながらこちらを見ていたのだ


 「こいつは…大きいな…」


 竦みそうになるくらいに『野生』と『空腹』を全面に出した姿、草食動物と思われる死体を喰い漁っていた最中に出会したようだ


 「北部の大熊か…これは厄介な…」


 北部に住む大熊は知能や身体能力が高く、加えて毛皮や脂肪の厚さから中途半端な攻撃では致命傷を与えられないという、それ故に並みの騎士では太刀打ちできない離脱対象とされている

ラーサーとヨシュアが強いといってもこの極寒の地で大熊を相手にするのは分が悪いだろう


 「逃がすつもりは…なさそうですね」


 ヨシュアは寒いというのに汗を感じた

回りに飛び散っている血と動物の内臓が生臭い匂いを放っている、つい先程までむさぼり食っていたのだろう食べ残りを咀嚼しながら、新たな獲物を見つめる眼差しでラーサー達を凝視しながら

そして、大熊はゴクリッと音を立てて飲み込むと、咆哮と共に体をひときわ大きく広げるのだ

グォォォォ!!

静かな殺気を放っていた眼は野生の獣としての本能を剝き出しにした瞳に変わっている

ドンッ!!


 「ぐっ!」


 猛烈な速さで突進してくる大熊をヨシュアが槍で受けようと構えるが、ぶつかった衝撃で軽々と宙に浮かされる

だが、ただでやられるほどヨシュアも甘くはない

ブゥゥン!

トッス……

強烈な薙ぎ払いで反撃を試みるが分厚い毛皮と脂肪に阻まれ効果的なダメージは与えられない


 「ヨシュア!」


 駆け寄ろうとするラーサーをヨシュアが止める


 「来るな!マーゼル卿を連れて離れろ!」


 野生の獣は弱い獲物から狙う、ラーサーと比べ劣っているのは理解していたがこの大熊はヨシュアを『狩れる』と思い攻撃を仕掛けている


 「舐められたものだ」


 着地をすると槍をクルクルと回し次の攻撃に備える、此処でヨシュアがやられれば次に狙われるのはマーゼル卿だろう

ラーサーが守っているとはいえ確実に無事で済む保証はない、負けるわけにはいかないのだ


 「来いッ」


 巨体とは思えない速度で大熊がヨシュアに迫る

今度は右腕を大きく振り爪で攻撃を仕掛けてくる

ブオッン!

先程の交戦で体当たりは反撃を受けると学習している


 「でやぁぁぁ!」

 バッスゥ……


 ヨシュアはその腕を跳ね上げるつもりで弾き打つが金剛の大木でも打ったかの様にびくともしない


 「なんと…」


 それどころか器用に槍を掴むと左手も添えてドンドンと押し潰し始める

ドスッ!ドスッ!ドスッ!

およそ400キログラムはあろうかという巨体だ、押し倒されでもしたら即死もあり得る踏ん張り耐えるヨシュアも必死だ、これにはラーサーも助太刀に入ろうとするが直ぐに周囲の気配に気づく


 「くっ…囲まれている!」


 ラーサーは剣を抜き構えをとる


 「なに?何処だ!」


 マーゼル卿は慌てて周囲に目を凝らす、すると森の木々に紛れてこちらを見ている狼を見つけた

狼は1頭2頭ではないようだった、大熊の食べ残しを狙っていたのか、ラーサー達を狙っているのかは判断できない、いずれにしても危険な状況に変わりはない

狼は鼻をヒクヒクさせ様子を伺い耳をピンと立たせ観察する、やがて森の中から無数の狼が姿を現す、まるで『絶好の機会』だとでも云うように


 「多いな…」


 狼の群れは20頭はいる大きな集団だった、完全に囲まれ脱出はまず不可能だろう

激戦をくぐり抜けてきたラーサーといえども苛酷な環境を生き抜く獣達にとっては『獲物』のひとつにしか過ぎないと肌で感じる、それは自然の摂理であり弱肉強食の世界では当たり前の事なのだ

ガウッガウッ!

ラーサーはカリブルヌスを構え牽制を兼ねて襲ってくる狼を斬り捨てる、僅かに掠った程度の感触とは裏腹に狼が地面に転がる、カリブルヌスで斬られた傷口はパックリと広がり白い雪を紅く染めていく


 「すごい…軽く振るっただけでこの斬れ味…」


 聖剣の名は伊達ではないとラーサーは改めて感心する、狼たちはと云うと口々に吠え更に凶暴化して襲いかかろうとする

バウバウッ!

ガウゥゥッ…ガゥ!

ラーサーはマイティフォースを発現させてもマーゼル卿を守りながら戦うのはかなり厳しい状況だ、ヨシュアも大熊の相手をするのに手一杯で余裕はない

この三つ巴ともいえるカオスな状況を少し離れた場所で伺う集団が居る事をラーサー達は知る由もなかった

 

 ―少し離れた岩場―


 雪の降る場所では常に風上に立たない様に自分の位置を確認しておく必要がある、余計な匂いが少ない雪国では食べ物を探している肉食獣に狙われやすい、風上に立てば奴等は容赦なく襲ってくる、この地域の者なら常識の事だった


 「まるで素人ね……このままではあの旅人…死ぬわね」


 北聖騎士団の旗印こそ掲げていないがこの集団が着けているエンブレムは確かに北聖騎士のものだった


 「どうされますか?」


 部隊長らしき女騎士に若い男が問いかける、女騎士は若くラーサーと同じくらいの年齢に感じる

女性にしては短めの淡い赤色の髪と眼の覚めるような紅い瞳をしている、間違いなく竜人族の末裔だろう、彼女が見据える先ではラーサー達が必死に戦っていた…


 ―再びラーサー達―


 「よく統率が執れた群れだ…狼がこんなに賢いとは思わなかった」


 何とかマイティフォースで反応は出来る、だが状況は先程から少しも好転していない、狼は隙があれば大熊さえも狩り取ろうと考えているのかヨシュアと大熊にまで攻撃の手を広げる

大熊は苛立ち狼を追い払うがこれで諦めるほど狼たちも臆病ではない、いよいよ戦場は混沌を極めていく


 「くそ…状況が悪すぎる」


 諦めのような弱音がヨシュアから漏れた時だった

ドドドドッ!!

先程の集団が割って入ってくる、部隊長の女騎士は大斧を振るい飛びかかっていた狼を切り倒して現れた、致命傷は受けたが絶命をしていない狼を直ぐに他の隊員がナイフでとどめを刺す


 「北聖騎士団よ!加勢するわ」


 颯爽と現れた女騎士の口元には特徴的な八重歯が見える、近くで見れば可愛らしい顔をした若い女であった、率いる騎士たちは局地戦を戦い慣れた優秀な隊員達であっという間に狼を蹴散らしていく

狼たちも馬鹿ではない状況が変わったと判断するとリーダーの狼が遠吠えをして退いていく


 「アースナ様!残りは例の大熊だけです!」


 若い隊員が部隊長の名前を呼び狼は退けた事を伝える、アースナと呼ばれた女騎士は自分の身長よりも大きい大斧を構えて大熊の前に立つ、大熊は剛槍の使い手であるヨシュアを圧倒した怪力だ、その大熊相手にアースナはこう言って驚かせる


 「私に任せて下がっていなさい」


 この苛酷な環境で熊がここまでの体躯になるには相当生き続ける必要がある、この大熊はここら辺一帯のボス熊であり、ある意味人間たちと共存してきた獣なのだ


 「無茶だ!あの大熊だぞ」


 ヨシュアは戦うなら加勢するとばかりに一歩踏み出すがアースナはそれを止める


 「あの熊を殺すつもりはない、帰ってもらうだけよ」


 この言葉にヨシュアは『どうやって』と問う


 「簡単よ…ちからを見せつけるだけ、少し醜くなるから離れたほうがいいわ」


 北聖騎士団を初め北部の民は無益な殺生はしない、食料として肉を確保する場合個体数の多い草食動物を狙う

この大熊と対峙するアースナも仕留めるつもりはなく退かせる為に自分の強さを誇示する


 「ドラゴンインストール!」


 アースナの体から光の粒子が散っていく、まさしく神威の輝きだった

しかし、神々しさとは違い目の前には異形の姿に変異にしていくアースナがあった、肌は鱗を纏っていき髪は天に向かって逆立ち、八重歯は牙の様に大きく剥き出しに、眼はドラゴンアイズと呼ばれる獰猛さを帯び、額には光の結晶がツノの様な形を形成する

そして、竜の尻尾と羽が現れると変異は止まった


 「この姿は……ドラゴン!」


 マーゼル卿でさえ伝説のドラゴンは書物でしか見たことがない、それでも今、自分の目の前に確かにドラゴンの姿に近い存在がいる、年甲斐もなく興奮するマーゼル卿に先程の若い隊員が冷静に答える


 「えぇ、アースナ様は竜人族の中でも高位の血筋を持つ御方…そしてあの神威は伝説のドラゴンと同じ肉体をその身に宿すちから…北聖騎士団の次期【竜騎士】はアースナ様を於いて他にはいませんよ」


 アースナに敬意を示すこの男の名は騎士レイル、竜人族の血統ではないが竜人族を尊敬し付き従う事を誇りとしている、【竜騎士】と呼ばれる北部最強の称号に憧れる純粋な心の持ち主だ


 「すごい…ここにいても肌に刺さるような威圧感でビリビリする」


 ラーサーは変異したアースナが放つプレッシャーに敏感に反応していた、そのアースナは羽を広げて少し浮上すると大きく息を吸い込み咆哮をあげる

ウオォォォォォォォ!!!!

咆哮は周囲の山々に反響して物凄い音となり木霊する

ボゥボゥ……

二本足で立っていた大熊は前足を下ろすと低い声で何度か鳴いたあと森の中へ帰っていった

全ての生物の頂点に立つ竜に威嚇されれば流石の大熊も逃げるしか無いのだろう

気がつけば辺りには静けさが戻っていた、冷たい空気と雪が落ちる音だけが残り『終わった』と実感できる

浮上していたアースナは静かに着地すると変異を解いていく、形成されていた尻尾や羽、額のツノなどは光の粒子となり消えていく、アースナの全身から蒸気のように光が散り元の姿に戻っていた


 「ふぅ…」


 アースナは少し疲れた様子をみせたがラーサー達に向き直り


 「ご紹介が遅れました、北聖騎士団が大隊長を務めるアースナ・ドラファルガと申します」


 自己紹介をすませた彼女の顔は年相応の可愛らしい笑顔の女性だった、愛くるしい八重歯が先程のドラゴンの面影を残しつつ一同は北聖騎士団の案内で北部の要塞と称されるシュコドラまで向かうことになった


 ―離れた場所のラシッド隊―


 シュコドラに確実に近づいているラーサー達とは打って変わって、ラシッド隊はようやく小さい集落に辿り着き食事にありついていた

集落にある食糧をまるごと平らげてしまいそうな程にありったけの食べ物を持ってこさせ食べ散らかしていく、挙句の果てに酒まで用意させ『殿さま気分』とでも云うのだろうか、我が物顔で腹を満たしていく


 「早く次の料理を持って来い!」


 「は、はい、ただいま……」


 料理を出す店主も支払って貰えるのかびくびくしながら食事を提供していく

ラシッド隊が辿り着いた此処はラーサー達が立ち寄った集落とは反対方向の場所で『マーゼル卿が来なかったか』と情報を収集したが何も得られなかった

霧と雪と寒さで大きく進路を外れ迷いながら運良く辿り着いた集落でラシッド達は久々に満足のいく寝床を確保し体を休める

実際には高地に順応できない隊員は既に体調が悪そうでラーサー達と遭遇すればたちどころにやられていたのはラシッド達の方だろう

ラシッドは宿屋を営む主人を呼び止めて尋ねる


 「おい、此処に鳩を飛ばせるものはいないか?」


 何気なく聞かれた言葉に主人は直ぐに返す


 「あぁ、それなら灯台守の…」


 其処まで言い終える前にラシッドは主人を掴み割り込んで問いただす


 「そいつを直ぐに此処へ連れてこい」


 凄むラシッドの顔は『お願い』ではなく『威し』に近い頼み方だった

主人は無言で頷きしばらくして灯台守を連れてきた、ラシッドはグローテス枢機卿へ鳩を飛ばしてもらい西の空に消えていく鳩を見守った、状況が好転することを確信するかのように

 

 ―時は少し進み数日後―

  

 聖都ティラナではラシッド放った鳩が無事に到着していた、鳩の伝書係が伝書を外し宛先を文書に起す

そして原本と一緒に宛先の人物に届ける仕組みだ、しかし相手が重要人物の場合は特別な配慮がされる、密書が届くときは渡す側と受け取る側が互いに感じ取り違和感がないように本人に渡す


 「誰からだ?」


 執務をしていたグローテス枢機卿は扉の前でジュリアス副司祭が書類を受け取ったのを感じ取り問いかける


 「グローテス卿に例の男から…ウラノメトリア暗号式を使われています」


 原本に捺印されている指輪印からラシッドがグローテス枢機卿に宛てた物だと判断するとジュリアスはその場で暗号式を解読していく


 「……マーゼルはシュコドラへ到着、我々は出てきたところを襲撃する、援軍を送られたし」


 複雑な暗号を直ぐに解読するジュリアスの異常なまでの能力にグローテス枢機卿も警戒をする、賢すぎる相手は嫌いではないが同時に従順でなくては危険を孕むと知っているからだ


 「予定通り…だな」


 報告に驚く事もなくグローテス枢機卿はため息を吐くだけだった


 「…援軍の手配は如何なさいますか?」


 言葉の真意がつかめなかったジュリアスはグローテス枢機卿に問い返す


 「…予定通りと言ったであろう?そのまま放っておけ」


 冷徹というより無関心な反応をするグローテス枢機卿にジュリアスは確認をとる


 「…この男は用済み…と、いうことでしょうか?」


 あまり深くは語りたくないのだろうグローテス枢機卿の態度からそれを感じ取れる


 「……ジュリアスよ、この世界で最も価値のあることは何だと思う?」


 グローテス枢機卿が畏まるジュリアスに説法でも説くかのように問いかける


 「…権力…ですか?」


 ほぼ即答していたが、ジュリアスはグローテス枢機卿が好みそうな答えを思案したのかもしれない


 「フフッフ、それも良い…だが私が最も価値のあるのは『情報』だと思っている、それも正確で確実な情報だ…起こるべき事を事前に把握出来る情報があれば権力は愚か全ては思いのままだ」


 グローテス枢機卿は表情は変えずも口調はどこか愉悦を帯びている


 「……」


 「情報を制する者こそが何れ世界を征する事になるだろう……その為には犠牲は付き物だ」


 執務室には地図が飾られている、世界の全容など正確な尺度で表されていないが貴重な世界地図だ、それを見つめるグローテス枢機卿の目は確かに野望を持った男の眼差しだった


 「グローテス枢機卿は既に確度の高い情報元を得ている…ということですか?」


 かなり確信めいた発言にグローテス枢機卿は答えずジュリアスをじっと見つめる


 「フフッフ、私に探りを入れるか?……まぁよい、私はお前のそういうところは嫌いではない」


 明確な回答を避けたグローテス枢機卿にジュリアスは深く一礼をして退室する


 「誠に賢い奴よ……」


 一人になった執務室でグローテス枢機卿は独り言をつぶやく、扉を出たジュリアスはある言葉が耳に残っていた『情報を制する者こそ世界を征する』奇しくもこれはジュリアスが予てから持っていた信念と同じ言葉だった


 「…おもしろい事になってきましたね」


 普段見せない様な冷たい目で廊下を歩くジュリアスは先程受け取った密書に一瞥をくれ


 「自力で対処出来なければそれ迄の男と云う事……ガッカリさせないでくださいよ」


 そう呟くと書類の中に畳んで閉じてしまう、助けを求めたラシッドをいとも簡単に切り捨てる、ラシッド自身がノーマンやカモス相手にしてきたことをこの場でやり返されると予想をしていただろうか


 ―シュコドラ―


 北部の要衝シュコドラは周囲を城壁で囲まれ要塞と呼ばれる町だ

東の山脈までの国境を守護する北聖騎士団はアルバリア教国屈指の戦闘集団と呼ばれるだけに、北のローマリア帝国も容易くアルバリア教国に侵攻をしてくることはなかった

そのローマリア帝国はここ数年で勢力を拡大し周辺諸国自国の領土として侵略している、表向き財政援助や民族救済を掲げているが実際には植民地支配である、アルバリア教国の北に接する隣国も反政府組織をローマリア帝国が支援するという名目で武力介入を受けて半年余りで首都が陥落、アルバリア教国との緊張は一層高まった


 「よく休めましたか?」


 身支度を整え部屋から出てきたマーゼル卿にラーサーが声をかける


 「あぁ、やはりベッドは良いものだ」


 マーゼル卿の顔はこの数週間分の疲れが抜けたような活き返った顔をしていた


 「だが……寒いな」


 部屋の外は凍えるように冷たい、緩く羽織った毛皮をしっかりと体に巻き付けマーゼル卿は肌を隠す、若いラーサーでさえ寒いと感じるのだ老体のマーゼル卿はもっと堪えるはずだ


 「そうですね、北部の民は本当にたくましいです」


 「ヨシュア殿の姿が見えぬが何処にいるのかね?」


 「彼なら外で北聖騎士団の訓練に参加していますよ」


 ラーサーの視線の先には兵士たちに混じり一生懸命槍を振っているヨシュアの姿があった、白い息を吐きながら真剣に取り組んでいるのを邪魔するのも悪いと思い2人はスレアス騎士団長に会いに行った


 「失礼するよ」


 マーゼル卿がノックをして団長室に入ると既にスレアス騎士団長は執務に取り掛かっていた


 「これはマーゼル卿お早いですな」


 大柄な男は体に不釣り合いな程に狭い場所で机に向かって筆を取る姿は少々可愛くもある

慣れない雪国に着いたばかりのマーゼル卿を休ませようとスレアス騎士団長の意向で1日休んでからの対談となった


 「休ませてもらったおかげで疲れはすっかり取れたよ」


 「それでは早速本題と参りましょうか」


 マーゼル卿の話しは率直に協力要請から始まった、

要請は即断で協力が得られ、話しは今のアルバリア聖教会の現実を説明に移った

グローテス枢機卿に権力が集中した事で枢機卿団は既に機能を失っており、多くの信者を抱えるアルバリア聖教会もグローテス枢機卿の傀儡として彼の意のままである

そのアルバリア聖教会傘下の聖教騎士団は本来の目的である国の治安維持さえ遂行できていない始末だ

現在はオリアス教皇の所在も分からず独裁国家の様相を呈している、マーゼル卿はこの事態を打開する為に聖教騎士団とアルバリア聖教会を相手にしようとしている事を語る

アルバリア教国に6つ存在する騎士団のうち南聖騎士団と東天騎士団はマーゼル卿の考えに賛同してくれている

これに北聖騎士団も加われば半数の支持は得られた事になる、説得をするマーゼル卿の言葉にも熱が入る


 「なるほど…ある程度の事情は鳩で伺っていたが、事は相当深刻のようだな…」


 立ち上がったスレアス騎士団長は予想よりも大柄だった、そして窓の外に目をやりながら暫し考える

アルバリア聖教会に反旗を翻すと云う事は騎士団員だけでなく北部の民も危険に巻き込むことになる、慎重になるのは当然の反応だろう騎士団長としての責任と正義のせめぎ合いの中で重い口を開く


 「……幸いにも此処、北部は教会の影響力が強く及ばない地域だ、暖かい聖都ティラナとは違いご覧のように過酷な環境だ…我らの信仰も古くからある竜神を崇めるだけだ…アルバリア聖教会も聖教騎士団も断絶されたようなこの地にあまり興味を示さない」


 振り替えるスレアス騎士団長の顔は儚いものを見るかのように優しかった


 「それでも我々北の民は他国からの侵略や侵攻からアルバリア教国を長い間防いできた、その我々に今度は自国に刃を向けろと言うのか……」


 ラーサーは説得は無理かと思っていた、マーゼル卿も説き伏せるには相当の時間を要すると覚悟を強める


 「……昨日までの私であればそう言っていただろうな」


 そう言うとスレアス騎士団長は執務机に置かれた伝書をマーゼル卿に見せた

伝書の発布先はアルバリア聖教会と枢機卿団の連名、そして、承認者はグローテス枢機卿

書かれてある内容は貴族階級及び上流階級が国民の管理と教育をする法律を定めるとある


 「これは…」


 マーゼル卿は絶句する、読み上げられた内容を聞いていたラーサーは思わず声を出す


 「そんな…これでは…」


 其処まで喋ると続きをスレアス騎士団長が代弁する様に続ける


 「そうだ…こんなモノただの奴隷制度でしかない」


 「グローテスめ…」


 マーゼル卿は自分の行動よりも先に動きを起こし状況を更に悪化させるグローテス枢機卿に怒りを隠せない


 「北部の民は元々旧王国時代に奴隷として連れてこられた者達の集まり、そして最も多く奴隷にされた過去を持つ……北の民ほど、この法律に怒りを覚える者はいない、我々の様な者をむやみに増やしてはならん……ちからを貸そう『平和』のために」


 スレアス騎士団長に握手を求められマーゼル卿は快く手を取り合う、これでグローテス枢機卿討伐に賛同する騎士団は3つとなり、残りの西天騎士団と神殿騎士団どちらかを説得できれば戦局はこちらに大きく傾くだろう


 「北聖騎士団の協力心強く思う」


 マーゼル卿の顔には少し笑顔が戻っていた、訓練を終えたヨシュアと合流した後は昼食を兼ねて今後の話しをすることになった

 

 ―会食にて― 


 北部の食事は比較的質素ではあるが温かいスープなどは格別だ、保存に適した水分の少ない固いパンやベーコンやチーズなど、普段とくに気にしない食事がご馳走に感じてしまう

肉も氷点下の中でしっかりと処理をされており臭みなど全く感じなかった、時おり談笑をしながら食事は進んでいく、メインの料理が終わったところでスレアス騎士団長がマーゼル卿に問いかけた


 「次は西天騎士団…イゼルナ騎士団長のところですか?」


 西天騎士団が守護する西の町ドラスは治安が良く貴族も多い、おまけに現在の騎士団長イゼルナは由緒正しい上流階級の出身者だ

協力が得られなければその場で反逆者として囚われる可能性もある、また、聖都ティラナから目と鼻の先にありドラスに向かうだけでも危険が伴うのだ

話しの中で神殿騎士団に協力は得られないのかという話題が上がった、確かに騎士団長のバランは人として信頼できるが会うためには聖都ティラナへ行かなければならない

グローテス枢機卿や聖教騎士団がいる謂わば敵の本拠地だ、『現時点では西に向かうつもりだ』とマーゼル卿は答えルートの策定に入る

ドラスへ抜ける一番近いルートは船で向かう海路だ、海上に出れば2〜3日でドラスまで着ける、だが海上には聖教騎士団の哨戒船も出ている、出くわせば間違いなく沈められるだろう


 「ここは一旦南に下りこの辺りの海岸線を進むのがよかろう」


 マーゼル卿は哨戒船が岩礁の多い海岸へは近づかないことを知っていた、そうなれば気をつけるのは聖教騎士団の巡察隊だけだ


 「道は決まったようだな…」


 方向性が決まり話しが一段落ついたのを確認しスレアス騎士団長が口を開いた


 「あぁ、だがおそらくグローテス枢機卿の息がかかった聖教騎士団が道中仕掛けてくるだろうな…」


 地図の道のりを考え既に困難な旅路だとマーゼル卿大きなため息を吐く


 「スレアス騎士団長…私はひとつ考えている事がある」


 その場にいたものは皆マーゼル卿の言葉に集中し聞き入る


 「残り2つの騎士団がグローテス枢機卿の支持した場合、戦力差では此方側が圧倒的に不利になる…」


 重苦しい話し口調と部屋の蝋燭の揺らめきがまるで怪談話ような雰囲気を纏う


 「其処で中立の立場の者たちを取り込み新たな騎士団を設立したいと思う」


 グローテス枢機卿を支持するアルバリア聖教会と聖教騎士団

マーゼル卿を支持する南聖騎士団と傭兵同盟

現在までにどちらの勢力とも表明していない者たちは自由傭兵や自由騎士など、中流貴族や何かしらの事情がある権力者など、全体の数は把握出来ていないもののそれなりの数はいると考えられる、それを一つの騎士団として勢力を築ければグローテス枢機卿とて無視は出来ない筈だ

仮に枢機卿団やアルバリア聖教会が設立を認めなくても4つ以上の騎士団長が承認すれば新設の宣言は出来る、それに傭兵同盟など既存の騎士団に帰属する事を嫌う者たちを引き込める可能性もある


 「中立の立場を取るものたちにはそれぞれの事情がある故に中立を保っているはず…それを口説き落す策でもお持ちなのですか?」


 確かにスレアス騎士団長の言う通りだ、中立を選んだ者を引き入れるにはそれなりの条件が必要だ


 「うむ、中立を取っている者の中でも最も働きかけやすいのは『大義名分』を見定めている者達だろうな」


 話し続けながらマーゼル卿は戦局を見定めている者

保守的立場から表立って動けない者

大義名分がある側を見定めている者の3つに分類出来ると言う


 「大義ですか…こちら側の掲げる大義名分は『グローテス枢機卿の独裁政権の打倒』だが、其れだけでは弱いということか…」


 スレアス騎士団長が腕を組み大きくため息吐くとテーブルの蝋燭が少し揺らめいた


 「マーゼル卿には現状を打開する案がお有りなのですね?」


 アースナがマーゼル卿に問う


 「あぁ、だがその鍵を握っているのがグローテス本人だ…」


 「どういう事ですか?」


 皆が聞きたかった言葉を真っ先に質問をしたのはラーサーだった


 「グローテスの独裁政権も全てはオリアス教皇の不在から始まっている」


 「だが、オリアス教皇は病床に伏せていると御触れがでていますが…真実では無いのですか?」


 「その事を公に広めたのがグローテスなのだ、現に病床のオリアス教皇を見たものは居ない」


 「なんと…」


 「何らかの理由でオリアス教皇を幽閉しているとしか考えられん」


 「それが事実なら…」


 「オリアス教皇陛下を助け出せれば正当な大義が得られる」


 「では、その為にも聖都ティラナに行く必要が出来ましたな…」


 スレアス騎士団長が顔を触りながら言った言葉を聞いてアースナが発言する


 「…スレアス騎士団長ひとつお願いがございます、私をマーゼル卿の旅に同行させてください」


 「…」


 「マーゼル卿!是非とも私を加えて下さい」


 立ち上がり頭を下げるアースナにマーゼル卿は暫し考え


 「私は構わんが…どうだね?スレアス騎士団長」


 「言っても無駄でしょうな…アースナの頑固なところは母君そっくりだ」


 アースナの母親とスレアス騎士団長は幼い頃からの友人関係だった、アースナの勝ち気なところも頑固な性格も母親によく似ていると思ってしまう


 「では?」


 アースナは八重歯が見える程に嬉しそうだ


 「北聖騎士団の斧騎士アースナ!現時点を持って『竜騎士』の位を授け、マーゼル枢機卿に同行することを命ずる」


 「ハッ!」


 敬礼を終えると優しい笑顔でスレアス騎士団長はアースナに微笑みかけ、アースナも眼が細くなる程に笑ってみせた

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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