第8話 聖なる輝き

 コルチアは防衛には成功したが『水源の汚染』により東地域全土が受けた被害は甚大だった

毒物流出で亡くなった者こそいなかったが後遺症や障害が残った者などは100人を超えた、農作物や家畜への影響も大きくアルバリア教国にとっても痛みを伴う問題となったのだ

この危機的状況下にあって死者を出さなかったのは医師クレミーの懸命な治療とタイアス騎士団長の迅速な指示があったからだ、対応は完璧だったといってもいいだろう、何よりも元・聖教医師団に所属していたクレミーの存在は大きかった

知識と治療の素早さは各地の厳しい現場を経験して培ったものだろう、それ故にラーサーは【聖教医師団】とは一体どんな組織だったのかクレミーに聞きたいと思っていた、クレミーはひと息ついてスキットルに入れられたウィスキーを飲みながら丸太に腰掛けている、ラーサーはクレミーの隣に座り労いながらそれとなく聖教医師団について問いかけた


 「医師団がどんな組織かって?……そうだなぁ、私が退団したのは何年も前になるが、一言で例えるなら『実験的組織』とでも言うべきかな」


 「実験的組織?それはどういう意味ですか?」


 「組織の主権はアルバリア聖教会が握っているのは知っているね?表向きは各地で慈善的な医療行為を行う、しかし、その実態は患者を被験者として薬品開発、新しい治療方法の開発と実験をする側面もあった」


 クレミーはスキットルを少し揺らしながら中身の量を確認すると、ひとくち飲み込みアルコールの熱い感覚が流れるのを待ってから再び話しを続ける


 「もっとも、アルバリア教国が誇る今日の医療の発展はその歴史があってこそだ、先人たちの犠牲の果てに得た知識を私達は使っているに過ぎない、あの解毒方法だって元を辿れば人体実験から得たものかもしれないしな」


 「私の両親も教会に推薦され聖教医師団に所属していました…と言っても、それから暫くして診療帰りに盗賊に襲われ亡くなっていますが……」


 俯きラーサーはグラスに注がれた蜂蜜酒を見つめる、酒といっても沸騰させアルコールを飛ばした風味豊かな甘い飲み物だ、ラーサーにとってはどこか懐かしい味でもあった、クレミーはラーサーの言葉に思うところがあったのだろう、


 「それはいつ頃の話だね?」


 「8年程前です」


 「何ということだ…君はラインゴット夫妻のご子息か?」


 クレミーはラーサーに体を向けて驚いた


 「クレミー先生は両親知っているのですか?」


 「知っているも何も2人の査定人を務めたのは私だ、2人は優秀な医者だったよ腕も知識も一級品、それだけに惜しいよ…」


 クレミーが肩で大きくため息をするのが分かった


 「もしよければお聞かせ願えませんか?父と母が医者としてどのように人を救ってきたのか」


 「かまわんよ、話そうじゃないか」

 

 スキットルと蜂蜜酒の入ったグラスを交わしながらラーサーとクレミーは遅くまで話し合った

 

 ―患者が運ばれた宿―

 

 汚染された水を飲んでしまった多くの患者が運ばれた宿、その一室にランスが寝ていた

ランス隊の部下3人は瀕死のランスをコルチアまで運び治療を受けさせてもらったのだ、当然ながらゼン、サンチェス、ヒュー達3人は投降して来た捕虜の扱いを受け監視はされる、それでもランスを助けられる唯一の方法に迷いはなかった

ランスの様子を伺いに部屋を訪れていたヒューは見舞いの手土産に持ってきていた花と花瓶の花を取り替えると部屋から出る


 「容態は?」


 部屋の外にはゼンが待っていた、小声でヒューにランスの様子を聞く


 「熱も下がって落ち着いている…処置を担当したクレミーという医者は相当腕が良いようだ」


 4人の中でほぼ無傷のヒューは事情聴取など寝る時間を削り対応をしていた、ゼンも頭に包帯を巻いているが軽症だという


 「あまり動くと傷が開くぞ?」


 ヒューがゼンを心配して声をかけるが、当の本人は笑ってこう答えるのだ


 「頑丈なのが取り柄でね…このくらいじゃ俺は死なないさ」


 ヒューとゼンは歩きながら話しを続けた


 「サンチェスがお前を見たら羨ましがるだろうな」


 サンチェスは折れた肋骨が治るまで出歩くことも出来ないのだ、コルチアに到着した時は殆ど意識も無くそのまま倒れ込んでしまったくらいでそれからずっとベッドの上にいる


 「君らの隊長さんの様子はどうだい?」


 談笑していたヒューに声をかけてきたのはラースだった


 「はい、おかげさまで今はぐっすり寝ています」


 「そうか、それは良かった……君だろう?鏑矢を放ったのは?」


 「はい、追いつく事は無理と判断して誰かに気づいて貰えればと思い放ちました」


 「君の証言では水源に毒を撒いたのは奴だという事だったな」


 「はい、あの人虎…奴はコルチア攻撃の部隊を率いていた騎士カモスです、何故あのような姿になったのかは分かりませんが、いずれにせよ何か途轍もなく大きな陰謀が隠れているように感じます」


 「…ラーサー殿の話しではヴロラ防衛戦でも似たような変異体を確認したそうだ、注意深く警戒するとしよう」


 ―数日後―


 水源汚染の件も一段落がつき北に向けて出発の準備を終えたラーサーはランスの元を訪ねていた

丁度クレミーが診察していたらしく彼から容態については聞く事ができた、未だに意識は戻らず傷も酷い、特に胸の重症は鎧を貫通した後、首飾りに装飾されてあった宝石を破壊し破片が体内に残ったままだという

全てを取り除くにはもうしばらくかかるそうだ、そして、この宝石が魔力を帯びていたらしくランスが意識を戻さない原因のひとつということらしい

戦場で記憶を失ったかのような言動もこの宝石に込められた魔力による影響だといってもいいようだった

 

 「ランス…俺たちは北へ行くよ、早く良くなってくれ…お前のちからが必要なんだ」


 部屋の外ではマーゼル卿とヨシュアが待っていた、2人も寝てるランスに挨拶を告げると揃って門まで向かった、出口ではタイアス騎士団長を初め東天騎士団が揃い踏みで見送りに来ていた


 「マーゼル卿…どうかお気をつけて」


 マーゼル卿とタイアス騎士団長は固く握手をして互いの無事を祈った、この場にはヒューとゼン、看護師に付き添われながらサンチェスも同席していた


 「ランスの事を気にしてやってくれ…あいつは死に急いだ様な生き方をしている」


 ラーサーは3人がランスと信頼関係を築いていたと悟り言葉をかけた、今は捕虜として監視される身ではあるがいずれは解除されるだろう

最も聖教騎士団にもどるつもりもなさそうだが今は真意を知る由もない、ラーサーとヨシュアはマーゼル卿を護衛しながら一路北を目指す

目的地は北聖騎士団の守護する【シュコドラ】だ

 

 ―同じ頃…古都エルバサン―


  コルチア攻撃の為に編成された聖教騎士団の部隊はコルチアからかなり離れた場所まで散り散りに撤退していた

戦死者の数はそれほど多くはなかったが聖教騎士団にとっては手痛い敗北となった

カモスの独断で傭兵と新兵を投入し投石機まで持ち出したことなど、隠蔽したい程の失態や事実に聖教騎士団の副団長ゴバルデルは火消しに追われていた


 「あの馬鹿騎士め!カモスといったか?誰があんなどこの馬の骨かも分からない奴を任命したんだ!」


 相当怒りが浸透しているのだろうゴバルデルは処理しなければならない書類を机に叩きつける


 「あの…誠に申し上げ難いのですがモダス騎士団長が……派遣しています」


 恐る恐る書記官の兵士がゴバルデルに進言をする


 「そうか!流石モダス殿だ、あの馬鹿いや、カモスが適任だと私も思っていたところだよ」


 ゴバルデルは『金魚のフン』と呼ばれるほどにモダス騎士団長に忖度する男だ、こんな人物が副団長なのだ聖教騎士団という組織が本当に大丈夫なのか誰でも心配になる訳だ

そんなゴバルデルも連戦連敗の状況を重くみてコルチアから近い【古都エルバサン】まで出張っている訳だ

この男は前線向きの武闘派的な人物でも参謀方でもないそれでも形上はナンバー2なのだから来ないわけにはいかないのだ

だが『無能』なゴバルデルが出てきてくれた事はある意味好都合だった

ラシッドにとっては…


 「カモスの独断とはいえ農業生産の価値が高いコルチアに火で攻撃を仕掛けるとは馬鹿な奴さ」


 ラシッドは『あの場所』に居なかったという様な態度で話し始める


 「まったくだ、焼かれた土地の復興にどれだけの時間がかかるか考えもしない奴など死んで当然よ」


 ゴバルデルは愚痴とも悪口とも取れる言葉を同調してきたラシッドにかける

ラシッドは『だから扱いやすいのだ』と言い出しそうな言葉を抑えて続けた


 「全てはマーゼル卿1人を捕らえられれば片付く事だ、大挙して攻める必要なんて無いだろう?……そうは思わないか?副団長さん」


 ゴバルデルは狡い男だそれでも今の地位にたどり着いただけの地力はある、ラシッドの存在は不気味で自分を陥れようとしているのか考えるだけの判断力はある

即答はせず無言でラシッドを見つめる、僅かな間が続く

ここでラシッドは更にゴバルデルを押す


 「思えばザンサスも詰めが甘い男だった…俺のように実行力が無い奴は頼りにならないだろう?」


 暗に『俺に投資しろ』とあろうことかゴバルデルを脅迫するかのように顔を近づける

枢機卿やアルバリア聖教会がラシッドを気に入っている事はゴバルデルも把握している、貴族社会のこの国ではこの手の人物は役に立つ

疑いや躊躇の中ゴバルデルはラシッドに一部隊を与えマーゼル卿の追撃を命じた


 「…よかろう、一部隊をお前に預ける」


 「ありがとうございます…必ずや聖教騎士団に勝利を!」


 礼を述べラシッドは去っていく、深いため息とともに椅子に沈むゴバルデルはこのやり取りで感じた思いを吐露する


 「見え透いた世辞を言いおるわ…奴は食えぬ化け物か…殺戮を求める狂人か……まぁ共倒れしてくれればどうでも良いことよ」


 滴る汗を拭い荷の重い仕事をやりきったようにゴバルデルは目を瞑る


 ―ラシッド部隊―


 与えられた部隊を引き連れラシッドは再びコルチア領へ戻っていた

偵察兵から既にマーゼル卿が護衛を連れて北へ向かったとの情報を得て進路を北に変更して追う、北に向かうほどに山が近づき森も深くなる

人の生活圏から遠ざかる程に感じる獣の気配、森に近づく事を拒む人が今もいるというのも納得できる、日の光があまり届かぬ世界は恐怖と不気味さを与えるものだ


 「そろそろ痕跡くらいはあるはずだ見落とすなよ」


 ラシッドは部下に指示を与え周囲を警戒する

コルチアから北に抜けるにはカルパティア山脈の【ユネスコの森】と呼ばれる地域を必ず抜ける必要がある、木々が生い茂る謂わば原生林が立ち並ぶ場所だ

アルバリア教国でも『原初の世界の入口』と神聖化されるだけあり普段から立ち入る者は少ない

それ故に新しい足跡などはすぐに確認できる


 「ありました!」


 ラシッド部隊のレンジャーが馬の新しい足跡を見つけた、辺りには折れたばかりの枝もある


 「よし、この道で間違いない」


 ラシッドは追跡を急がせる、足跡を追えるのはこのユネスコの森だけだと知っていたからだ

この森を抜けると山岳地帯が続き岩や石が露出する大地に変わる、そうなればおのずと足跡は辿れなくなるのだ

更に苛酷な地域が広がる山岳地帯だが逃げる側にとっては一気に有利に働く、北にさえ針路を取れば道はいくらでもあるようなものなのだから

何としても此処で追いつきたいとラシッドは馬の腹を蹴って加速させる

空は漆黒に染まり闇が迫る

間もなく夕暮れだ、夜の進行は危険が伴う足元が暗く動き回るのに適さないというだけではない

野生の獣と出会す確率も高くなるのだ


 「くそ…ここまでだ!野営の準備にかかれ、そこの2人辺りを偵察してこい見張りの交代は1時間毎だ」


 ラシッドはこれ以上の進行は危険と判断して野営の準備を指示する、同時に偵察と見張りを配置して周囲の安全を確保する、この手際の良さは聖教医師団の護衛を請け負っていた頃の経験なのだろうか、周りの兵士達とは違い明らかに場馴れしていた


 「焚き火に使えない生枝は周りに撒いておけよ」


 「どうしてですか?」


 「相手が間抜けなら接近を報せてくれる、生き残りたければ『考えて学べ』だ」


 ラシッドの言葉を聞き手の空いている者は葉がついたままのような枝を拾うと周囲に散らしていく、誰だってこんなところで死にたくはないのだ

休むことより安全を確保する事に必死だ、一行は焚き火を囲み身体を温めながら簡易的な食事をとる

そして、静かな森の佇まいを感じながらそれぞれが眠りについていくのだった


 ―ラーサー達は…―

 

 ラシッド部隊から数キロ先の高くなっている崖を野営地としてラーサーとマーゼル卿は仮眠を取っていた

少し離れた場所ではヨシュアが見張り番をしている、そんなヨシュアも眠気が襲ってきたのかウトウトと船を漕いでいる始末だ

何かを感じてラーサーが目を覚ます、物音を立てないようにゆっくり動きヨシュアの近くに移動をする、気配に気づきヨシュアは一瞬殺気立つがラーサーだと分かると直ぐに構えを解いた


 「何か感じる…」


 「……動きは特にありませんが…何を感じるのです?」


 「……人の…いや…何でもない」


 ラーサーは其処まで言うとその先の言葉を躊躇った、ヨシュアは居眠りをしていたが彼の言う通り視界に入る範囲に敵の気配はない

ではラーサーは何を感じたのか…

ラーサーは神威【マイティフォース】に覚醒してから今までより『感覚』が敏感になっていると感じていた

肉体的にも既に『超人』に匹敵する強靭さを身に着けていると云える


 「明るくなる前に出発しよう…今のうちに食事の準備をしてほしい」


 ラーサーの提案でマーゼル卿は起こされ食事を取る事になった

北に近づく程に寒くなる、辺りは既に氷点下近い気温だろう

この森の中では満足に寝ることも出来ないが温かい食事は疲れた身体を幾分か癒やしてくれた


 「すいませんマーゼル卿、少し早いですが出発します」


 「かまわんよ、君たちのおかげで寝れたからねありがとう」


 厳しい状況でも感謝を述べられれば気持ちは穏やかになる、このやり取りでマーゼル卿の人と成りが分かる

手早く荷物をまとめラーサー達は馬を走らせる、あと少しで高原の山岳地帯に入る、更に厳しい場所になるが追手は巻けるはずだ、灯りを使わず夜目を頼りに進むラーサー達一行

その後を追うラシッド部隊は確実に近づいていた


 「焚き火の痕跡がある…まだ新しい」


 夜が明ける前に行動を開始していたのはラシッド達も同じだった、辺りを警戒しながらラーサー達が野営していた痕跡を見つけラシッド自ら焚き火の跡を触って確かめる

地面はまだ温かく炭も湿気てはいない


 「まだ温かい!そう遠く離れては居ないようだ急ぐぞ!」


 ラシッド指示で更に速度を上げて追走を開始する、距離が詰まるほどに新しい馬の足跡を見つけていく


 「近いぞ」


 森を抜ける前に追いつけるラシッドは確信していた、その時だった視界の端に3人の人影を確認した


 「居た!見つけたぞ!」


 部下たちもラシッドと同じくラーサー達を捉えていた、獲物を見つけた追撃隊は一気に加速する


 「追いつかれた…」


 森を抜けるまでまだ少しかかるだろう、山岳地帯では消耗をなるべく減らしたい、考えを巡らすラーサー達に追撃者から矢が放たれる

ビュン!

ビュンッ!

障害物が多い森ではよほど腕のたつ弓術士じゃなければ当てるのも苦労する、雨のように矢は放たれるが幸い木が壁になっていた

相手は15人程でマーゼル卿を守りながら逃げ切るのは難しいだろうとラーサーは思っていた

その時だった先頭を走らせていたマーゼル卿の馬に矢が当たりマーゼル卿は宙に放り出される

ヒヒィィン!

馬が悲鳴をあげて倒れ込む、落馬したマーゼル卿は起き上がろうとしている一応無事のようだ、倒れた先がぬかるみだらけのおかげで怪我はなかった様だがこれでは逃げ切れない


 「此処で叩く!」


 ラーサーは馬から飛び降りて剣を抜く


 「あぁ、マーゼル卿は隠れていてください」


 ヨシュアも構えをとり準備が出来ている、追撃隊は弓から剣に持ち替え仕掛ける


 「死ねぇぇ!」

 ドッゴ…ン!


 ヨシュアに攻撃をしてきた兵士は剛槍の餌食となり人間の体とは思えない程に有り得ない曲がり方をして地面に叩きのめされた

ラーサーには2人の追撃者が同時に攻撃を仕掛けたが今のラーサーには人数は問題ではなかった


 「見える…攻撃の軌跡がハッキリと…」


 ヴロラ防衛戦で感じ初めた感覚は更に鋭さを増し、攻撃の予測からくる『軌跡』を予見できるのだった

シュッ…

攻撃を避け反撃を入れる

ザンッ!

ザシュッ!

雑兵相手では最早一矢報いる事も出来ないだろう


 「やるな小僧!前よりも更に強くなったか!」


 ラシッドが笑みを浮かべながら仕掛ける


 「ラシッド!」


 憎い互いの顔を確認するや否や激しくぶつかり合う、力強く斬撃を繰り出すラシッドと手返しの良い攻撃を仕掛けるラーサー、戦法は対象的だがどちらも強い

ラシッドの癖の強い攻撃にラーサーの読みの鋭さも些か影を落としているように見える


 「これはどうだ!」

 バサッ!


 悪路での戦いに馴れたラシッドは防寒用のマントでラーサーの視界を遮ると前蹴りを放ち怯ませる

ドンッ!

続けて切っ先に泥を着けラーサーの目潰し狙う、だがラーサーはこれを読んでいた、否、経験があったのだ


 「2度は食らわない!」


 あの忌々しい崖での戦いで目潰し攻撃を受けていた事で虚を衝く攻撃と目潰しには警戒をしていたのだ


 「フン、たかがこれくらいでいい気になるなよ小僧」


 純粋な剣の勝負ならラーサーが優勢、経験からくる総合的な戦闘能力はラシッドに分がある

しばらく一進一退の攻防が続く、雑兵はヨシュアが引き受けてくれているおかげで数的不利は気にならない、むしろヨシュア自身も一体多数の戦いは得意としていた

ラシッドは接近できれば投げや掴みから攻めを展開できるものの、ラーサーが簡単に近づけさせず掴まれるような隙も見せない


 「チッ…やり難くなってやがる…」


 舌打ちをするとラシッドは距離を詰める為に奇策をとる

ビシッ!

袖についていた飾り釦を指弾として弾き、更に腰に隠していた予備の手綱を使いラーサーの足を絡め取ろうとする

シュルルル…

ラーサーは冷静だった、飛んでくる指弾を柄で防ぎ手綱は剣に巻かせラシッドの目論見を挫く

だが、この男は端ッからこの攻撃が成功するかどうかは算段に入れていなかった、左手の手綱を引きながら右手に持った剣で斬撃を繰り出す、剣を捉えられたラーサーは抵抗するかに思われたが、あっさり剣を放し距離を取る


 「…妙だな」


 完全に肩透かしを食った感じのラシッドは危機的状況を脱したラーサーに言葉を吐く


 「何がだ?」


 武器を失い無防備のラーサーは何処か落ち着いた様子で返す

ラーサーは丸腰にしては勝負を諦めていない様な顔をしている、ラシッドは最大限の警戒をして様子を伺う

今までのラシッドであれば警戒をしていてもそれを悟らせない振る舞いをしていた、だが今の彼は明らかに躊躇しているのが分かる程にラーサーを観察している


 「お前…俺に勝てる気でいるな?」


 ラシッドはラーサーが手放した剣を見る、一般的な支給された剣で手入れをしてきて相当草臥れているようだった

高価な武器ではないから棄てても惜しくないとも思ったが、それだけでは無いだろうと勘ぐってしまうのだ、過去に対戦した時のラーサーであればラシッドも此処まで警戒はしなかっただろう

だが、目の前にいるラーサーからは以前とは違う『凄み』を感じるのだ


 「…ったく俺がこんな物を持ち出すなんて柄じゃないんだがな」


 そう言ってラシッドは懐から魔法陣の書かれた一枚の金属の板を取り出した


 「その紋様…魔法陣か?」


 知識程度にはラーサーも『魔術』について知っていた、とはいっても神威と魔術がどのように違うのか説明できるほど詳しくはない


 「魔術を見たことがあるのか?」


 「お前たち聖教騎士団が作り出してるあの化け物がそうだろう!」


 「くっははは…勘違いをするなアレは『科学』の傑作さ」


 ラシッドから出てきた聞き慣れない言葉にラーサーは固まる、物陰から聞き耳を立てていたマーゼル卿でさえ聞いたことがない言葉だった


 *―魔術と科学―*

 まず初めに断っておくが、ここで触れる科学とは我々が知る今の水準には程遠い異質なモノだと言っておこう

魔術とはこの世界に古くから存在する神威を人為的に造り出す事を目的として、アルバリア聖教会の中でも古代アルバリア信仰を持つ者達によって検証と確立がされてきた黒い歴史を秘めた技法だ

発現できる事象や条件が余りにも人の道から逸れたモノであり、教会も魔術の使用自体を禁止している

神威との決定的な違いは発現に至る依代が精神力や神力ではなく、魔法陣に頼った魔力と生命力であることだ

魔術を行使した使用者の寿命は総じて短くなる傾向がありこれは悪魔に魂を差し出すからだと迷信めいた事が語られるが、術式自体が不完全だという研究が既に示されており、暗に体にかかる負担が大きすぎる結果だと云うことだ

そして、医療の発展と共に魔術に似せられて研究が進んだのがこの時代の科学だ、主に薬品開発や人体実験を行いその過程でマッドサイエンティストやサイコパスを生み出す結果となった

 ―*―


 ラシッドは見せつけるように金属の板を触ると妖しく魔法陣が光りだす、紋様が幾重にも見えるように黒や赤に発光すると、ラシッドは自分の剣に板を押し当てる、すると、魔法陣の光は剣へと移り刀身を紅く染め上げた、代わりにちからを失った金属の板は瞬時に錆び、粉を噴きながらボロボロに朽ちて消えてしまった


 「それは…疑似魔法剣か?」


 神威を発現している時に表れる光の粒子のような輝きを見てラーサーは言う、確かに光りのは類似している、だがその揺らめきは神々しいとは言い難く、何処か陰鬱ささえ感じるのだ


 「正解だ……」

 ブンッ!


 ラシッドが無作法に剣を振ると裂かれた空間は圧されたように歪む、殺傷能力が増したというよりは特殊な能力が付与されたというべきだろうか、いずれにせよ戦い難くなったことには変わりない


 「フン…思ったよりも地味な能力だな」


 ラシッドもこの魔術は初めて使ったのだろう実感した事を素直に言葉にした

そして、ラーサーが手放した刀剣に一瞥をくれると宙に放り疑似魔法剣で一閃

キンッ…

高い金属音と共に空中で刀剣は真っ二つに割れた、いや、ゆで卵でも切るかのようにスパッと切られと言ったほうが良いだろう

屑鉄となった剣が地面に転がる、ラシッドは既に勝ちを確信したようにニヤけている


 「さて……何かジョーカーでもあるなら早めに切ったほうが良いぞ?」


 煽るラシッドに対してラーサーは近くの死体が握る剣を拾い上げて構えをとる

それと同時に神威マイティフォースの放つ光の粒子がラーサーを包み込む、その光は以前よりもハッキリと輝き時折七色に染まる


 「またそれか…もう見飽きたぞ」


 ラシッドが切り込む、迎え討つラーサーは先程よりも鋭い読みと反応速度で打ち合いに応じる

しかし、疑似魔法剣の不思議な剣圧に阻まれ思った以上に防御は困難だった、自分の意識より先に壁にぶつかったような感覚を覚える

そのたびにラーサーは間合いを修正していく、この辺りの能力も一流の達人と遜色ない才能をみせるのだ


 「どうしたッ!」


 斬撃の面積が増しただけならラーサーにも対処の仕方はいくらでもある、だが同時に攻撃力も増しているとなれば話は別だ、ラーサーの刀剣を真っ二つに割ったあの攻撃力は軽視できない

ラシッドも剣圧で動きを抑制しながら本命の斬撃を狙っているようだ、下手に剣を交えればまた武器を破壊される、ラーサーの凄まじい身体能力を持ってしても余裕はないのだ


 「これを忘れてるぜ」

 シュルルル…


 剣撃を避ける事に集中したラーサーを再び革の手綱が襲う、左手を絡め取られるが直ぐにラーサーは切り払う

しかし、一瞬動きが止まりラシッドの斬撃がラーサーを掠める、続く攻撃は剣で受け止めるしかなかった、受けた直後剣は割れ防御姿勢をとっていたラーサーを切り裂いた

ズシャッ…


 「ぐぅッ」


 致命傷は避けられたが鎧を裂き血が吹き出す

今の攻撃で武器もなくした

思えばランスと戦った時から武器の差を痛感していたのだ、あの時崖でラシッドと初めて対峙した時と同じ絶望が背中に忍び寄る


 「まだだ!まだ俺は此処で死ねない!」


 覚悟、信念、希望

様々な思いがラーサーの頭を過った

そして、今ここに奇跡が起きる

グッ…

立ち上がる為に何気なく掴んだ木が黄金に輝きを放つ、光に包まれた木は研がれていくかのように姿を変え黄金の飾り柄が表れた

刀身も見事な黄金色に輝き、その佇まいは控えめに言っても聖剣そのものであった

切っ先は地面に刺さり今まさに抜かれるのを待っているかのようだ


 「なんだ…それは…」


 恐れおののきラシッドは無意識に後退りする

この時点で勝負はついていたのかもしれない

ラーサーが地面から剣を引き抜くと辺りに流れ込んでいた風が止む、静けさと同時に視線は黄金の剣に釘付けにされる

ラシッドは疑似魔法剣を持ち出し意気揚々と勝ち誇っていたとは思えない程に青ざめている

神聖さを感じるこの黄金の剣に自分の握る剣が太刀打ち出来るのだろうか、その答えは思いの外すぐに出る


 「ハッ…」


 ラーサーは一気に踏み込み一閃を放った

常人では反応出来ない速度だった神威マイティフォースを効果的に使っていたのだ、ラシッドの剣は先程のラーサーの刀剣のように柔らかい物体を切るかのように真っ二つにされた

そして『お返し』と言わんばかりにラシッドの体にも斬傷を刻み込む

ズ…ザンッ!!!


 「ガぁっ!」


 無様にも思わず尻もちを衝き叫び声を上げてしまう、そして、直ぐに立ち上がると傷口を庇いながら退くのだった


 「退却だ!ひけー!」


 兵士たちは負傷者を担ぎ上げると一目散に元来た方向へ引き上げていく


 「ふぅ…なんとか凌いだな…」


 ラーサーは大きく呼吸をしながら片膝を衝き疲れを見せる、剛槍を振るっていたヨシュアも座り込むかのように腰を下ろした


 「その剣は?」


 マーゼル卿がラーサーに握られた黄金の剣を指さしながら問う、それに対してラーサーは、ただ『わからない』と答えるしか無かった

呆気にとられる3人の元に何時ぞやの『英雄神』に似た神々しさを纏った男の神体が現れた、背後には眼の覚めるような純白の白馬を従えている、しかもその白馬は伝説のペガサスだと云うのだろうか折りたたんでいた羽根を広げ今にも羽ばたきそうだ


 「聖剣を手に入れし運命の子よ…我が名はベレロフォン、古の時代に生きた英雄が一人」


 このベレロフォンという名を聞いてマーゼル卿は古代バビロニア暦に同じ名前の英雄が実在していた事を思い出していた


 「ベレロフォン…たしか旧アルバリア王国の建国に助力した英雄にその様な名があった気がしたな…」


 遠い目をしながら記憶の片隅を突くかのように頭をポンポンと叩きながらマーゼル卿は言う、余り気にした素振りを見せずベレロフォンは続ける


 「それは遥か昔に失われた聖遺物のひとつ聖剣『カリブルヌス』……」


 ラーサーは手に握られた聖剣をじっくりと見つめながらベレロフォンに聞き返す


 「その聖剣が何故俺の手に?」


 ベレロフォンはラーサーの眼を見つめ自分の考えを述べる


 「聖剣は持つべき者にしか与えられない……若きその双肩に大いなる運命が託されていると云う事だ…」


 其処まで語ると光がもう一つ近くに出現する、眩いその光の中から現れたのは何時ぞやの英雄神だった


 「ヘラクレス……きみか」


 知った顔だったようでベレロフォンは名前を呼んだ


 「ベレロフォン…彼が『例の』探し人だ」


 言葉の意味を確かめるかのようにベレロフォンはラーサーの顔をしっかりと確認する


 「そうか…では我らの役目も終わりが来たのだな」


 ベレロフォンの背後に寄り添う白馬は首で慰める仕草をしてベレロフォンに体を寄せる


 「以前逢ったときよりも良い眼をするようになったな…」


 ヘラクレスはラーサーとの再会を喜んでいるようであった

しかし無情にも語り合うほどの時間は待ってくれない、英雄神達の体から神威の様な光の粒子が散り始める、悠久の刻を越えた魂が還る時を迎えたのだ

白馬は羽根を伸ばしペガサスとしての威厳を示す、そして消えるときはベレロフォンの傍でとでも言うかのように彼に近づき静かにその時を待つ、ベレロフォンはペガサスの顔を優しく触り微笑みを見せた


 「さらばだ…」


 ヘラクレスはその屈強な体を正し最後の言葉を残して消えてしまった、別れを惜しむ時間もなく慌ただしく去っていった英雄神達を見送るかのように朝日が聖剣カリブルヌスの刃を輝かせていた

 

 

 


 

 

 

 

  

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