第7話 希望をつなぐために
瀕死の重症を負ったランスは依然意識はなく、付き添っているゼンも十分に動けるだけの状態ではない
ふと目を向ければ少し離れた場所でサンチェスが膝を着き大きく息をしている姿が見える、負傷したであろう肋骨を押さえ痛みを我慢しているようだ
人虎を追っていったヒューの状況は不明と、かろうじて戦死者は出ていないがカモスの『人間をやめる覚悟』の前にランス隊は惨敗したのだ
「なにか聞こえる…」
サンチェスが遠くから僅かにだが確かに高い音を聞き分けた
「音?………本当だ確かに聞こえる」
ゼンは頭の怪我で耳鳴りがする状態だが集中して何とか聞き取る事ができた
「これは笛…鏑矢の音か」
「ヒューが鳴らしたのか?俺たちに向けたものじゃないだろう?……本隊がまだ留まっているのか?」
「その可能性は低い総隊長のカモスがあの状態だ」
「では誰に…」
2人は木々の合間から見える空に視線を向けた
空は雲一つなく澄み切った青色をしていた
―少し離れた場所―
馬で人虎と化したカモスを追走していたヒューはかなりの距離を離されていた、無理もないのだ彼を乗せたこの馬は駄馬の部類で痩せており乗馬には適さない
カモスがなぜこの馬に乗っていたのかと云えば、混乱する陣営の中でカモスが兵士に馬の支度を頼んだ訳だが、逃走や戦場に駆り出されていた為、既に使えそうな馬はおらずたまたま余っていた荷を引く馬に鞍を着けてカモスに渡した次第だった
そんな馬では人虎追うなど到底出来ず笛のついた鏑矢を射ったという訳だ
「駄目だ完全に見失った…くそ!逃げ足の早い奴め」
ヒューは馬を止めて辺りを見回した、あまり東天騎士団に近づけば捕まるか攻撃を受けてしまう、戦場では常に気は抜けないのだ
「…気にするな、お前のことを怒ったわけじゃないよ、さぁ…敵に見つかる前に戻ろう」
ヒューは振り向こうとする馬を撫でながらそう言うと、もと来た方向へ戻っていった
―更に離れた場所―
人虎は必死に逃げていた
ランスに切られた傷は浅くはない治療が必要だった、しかし、この姿では味方から攻撃を受けかねない、幸い聖教騎士団の鎧は脱げていないのである程度の説明は出来る、相手が話しを聞いてくれればだが
「くそぅ…奴等め…絶対に皆殺しにしてやる」
人虎はランス達に対する復讐心にかられ身体を必死に動かしている、壮絶な痛みもこの身体の変化によって抑えられているようだ、興奮で人間であった時の数倍は感覚が研ぎ澄まされていると感じる
方向感覚も鋭敏で風から何処にいるのか把握できてる、人虎はただ走っているのではない
「あの男…絶対に約束を守らせてやるぞ!」
人虎はラシッドが居た場所に戻ろうとしていたのだ、既にラシッドがその場に居ないとも知らずに全力で走っていた
目的地に確実に近付いている確信はある、走り続ける人虎の視線の先に人の姿が見えた、聖教騎士団の兵士達だと思い速度を落としはじめる
ハッキリと相手の姿を確認できる距離に近づくと、それが東天騎士団の集団だと解り足が止まってしまう
「く…味方は完全に撤退したのか!情けない奴等だ」
人虎がそう口走った時声をかけられる
「驚いたな……人語を話す獣か?」
人虎は声の方を見る
其処には『緑雷のラース』が立っていた、東天騎士団と一戦を交えるに当たり総隊長であったカモスは要注意人物の報告を受けていた
その中でも最も強敵と判断された男それがこのラースだった
「緑雷のラースか…」
「獣にまで知られているとはな…否、その鎧…聖教騎士団の物か?お前…人間か?」
「フン、答える義理はない」
人虎は爪を剥き出し戦闘態勢に入る
ラースも槍を構え迎え撃つ姿勢だ、人虎はラースを警戒して正面から攻めずジグザグに動き翻弄する
ザッザッザッ
手負いとはいえカモスは人外に果てた事で圧倒的な腕力得ており、その腕を振り回すだけで強烈な攻撃になる、対するラースは落ち着き払い防御に反撃と的確に対処している
両者の戦闘センスには埋め難い差が明らかにあった、ラースは槍騎士筆頭として東天騎士団に席を置いているが聖騎士として叙勲されてもおかしくはない腕を持つ、そして『緑雷』の二つ名は伊達ではないとカモスは身をもって痛感するのだ
「やるじゃないか!人間の身体でよく耐える!」
「難しい話じゃないさ…お前はただのちから馬鹿だ、この手合いとの戦い方は心得ている」
「ほざけ!」
ドンッ!
激昂した人虎は吹き飛ばそうと激しく体当たりを仕掛ける
しかし、ラースは受け流し攻撃を反らせると柄で反撃を入れる、戦闘技術とセンスでは敵わないと認めたくなくても人虎は実力の差を実感していた
「あきらめろ…解るだろう?お前では勝てない」
ラースは諭すように語る
「お前が何者かは知らないが大人しく捕まれば悪いようにはしない、それに……その傷の手当もしてやる」
人虎は既に誰かとの戦闘で傷を負っている事を指摘し登降を促す
「ちくしょう…またか…また『その目』で俺を見やがって!ウンザリだ!俺の野望を邪魔する連中はみんな『その目』をして俺を見下しやがる!」
人虎…いや、カモスは自身に向けられる『見下された目』を何よりも嫌っていた、野心がある人間は往々にして自尊心が高いものだが、カモスは他者と一線を画す程に自負が強かった
「絶対に俺は負けん!」
変異した身体に力を入れ爪を更に鋭く剥き出しにする、腕の血管は浮き出て筋肉は肥大し強靭な凶器と化す
ラースはただ落ち着いて構える、そして『来い』とひとこと放つ、人虎のカモスは驚異的な瞬発力で一気に接近し切り裂こうと腕を振り下ろす
ブォンッ!
確実に攻撃が決まったかと思われたがラースの身体を稲妻が覆いカモスを弾き返した
バチバチッィ!
「何だと!」
予期せぬ出来事に退いたカモスは無防備だった
ラースはこれを見逃さず強烈な突きを放つ
「雷光閃!」
バリバリッバリィィッ!
槍先から再び稲妻が迸ると眩い雷となりカモスの身体を貫いた
いくら人間以上の身体能力や強靭さを持っていたとしても不意に撃たれた稲妻を誰が避けることが出来るだろうか、あるいは予想をしていれば何かしらの対処は可能かもしれない
槍で突かれたのではなく、雷に貫かれ電撃で身体を焼かれたのだ即死していてもおかしくはない、むしろ即死したほうが苦しみは少なかっただろう
「ぬ……ぐっ……」
気絶を拒み耐えたのか高い生命力が故に意識を保てているのか、倒れることなく立っている
「お前はよくやった…もう休め……」
ラースの言葉はカモスには届いていない、電撃で鼓膜が破れ耳鳴りと雨音の様なノイズしか聞こえないのだ
今にも意識をなくしてしまいそうな程に目は焦点が定まっていない、そして、胸にはポッカリと穴が空いて向こう側の景色が顔を覗かせていた
ラースの強烈な電撃によって生きている事が不思議なくらいな致命傷を負っていた、カモスは静かに震えるような小さい息を吐いて固まったように動かなくなった
「……逝ったか、敵ながら見事な奴だったな」
ラースは構えを解き息を引き取ったカモスを見て最後の言葉を贈った、しばらくするとラースのもとに東天騎士団の兵士達が集まってくる、兵士達は電撃の巻き添えを受けないように敢えて距離をとって待機していたのだ
「お疲れ様でした」
シズハも参じて現れると部下の兵士に立ち尽くす人虎の処理を促す
「手厚く葬ってやってくて」
「…強敵でしたか?」
「…あぁ、彼はもの凄い覚悟を持った強敵だったよ」
シズハも【教国三名槍】を持つ一人だ相手の力量が分からない筈がない、ラースの実力からすればカモスは格下の相手であったのは明白だ
それが例え変異して強靭な肉体を手に入れたとしてもだ
それでもラースは戦った相手への敬意と弔いを込めて賛辞を述べたのだとシズハは理解して魂が旅立った人虎を見つめていた
シズハの【アメノヌレソデ】は大気中の水分を操つる事で、氷を生成して武器を強化したり攻撃として活用する事が可能だ、一方、ラースの持つ【ケルタリウス】は電撃を操る事で攻防一体の戦い方が出来き、特に体に稲妻を纏った守りは物理的な攻撃を寄せ付けない鉄壁の構えと云われるのだ
「先程の鏑矢は誰が放ったのでしょうか?あれが無ければ我々は後ろからこの人虎に奇襲を受けていたかもしれません」
「分からぬ…手負いだった事を踏まえて何者から逃げていたのは事実だろう」
ラースたち東天騎士団は聖教騎士団の部隊を叩くために総攻撃を仕掛けたが、本陣は既に撤退した後で残党の討伐にあたっていた
其処へヒューが射った鏑矢が鳴り警戒と対応の為にラースが笛が鳴った方角へ打って出た云う次第であった、全てを終えたラース達は人虎を敵兵とともに塹壕に埋めその場を撤収する、本来ならば自軍の遺体は責任を持って引き取り自軍で弔うのが鉄則だが、聖教騎士団の部隊は完全に敗走し姿も見えない
やむなく東天騎士団が処理をしたという運びだ
―その頃ラーサーは―
運命の神が残す命と摘み取る命を選別するかのようにひとつの戦いを巡り合わせていた頃、ラーサーは一足先にコルチアへ帰還していた
目的はなるべく早くこの地を離脱するためだった、コルチアは籠城戦には不向きな地形で補給を受け難い、それに敵はマーゼル卿を狙っている、留まればコルチアの住民にまで被害が拡大する恐れがあったのだ
ここまで十分な休息は取れていなかったマーゼル卿の顔には少し疲れが見えるがそれでも巻き添えを避けることが最良の判断だと事前に相談していたのだ
「よく戻ったラーサー」
既にタイアス騎士団長とマーゼル卿の対談は終わり、マーゼル卿自らラーサーを出迎えていた
「外はラース殿と東天騎士団の精鋭が掃討しています、対談は無事に終わりましたか?」
ラーサーは外の状況を簡単に説明をしてマーゼル卿に話しが終わったのかを確認する
「あぁ、滞りなく終わったよ」
「それは良かったです、ヨシュアが旅支度を始めています」
出発の準備を整えようとヨシュアが食糧の手配を進めていた、どうやらヨシュアはこの先もラーサー達に同行するつもりらしい
東天騎士団は槍騎士にとっては憧れる組織だ、現状『最強の槍騎士』と名高いラースが居るだけでも所属する魅力は十分あるはずだ
それでも苦境の旅に着いてきてくれるという侠気にラーサーもマーゼル卿も素直に感謝をしていた、出発の為にマーゼル卿も支度をしようと鞄を受け取った時だった、正面とは違う水源のある門から兵士が走り込んできた
「た、大変だ!」
余りにも血相をかいていたので皆が心配して集まるが兵士は気が動転しているのか話すことが支離滅裂だった
「先ずは落ち着け!どうしたというのだ?」
タイアス騎士団長が兵士を落ち着かせる為に水を飲まそうとすると激しく抵抗してグラスを跳ね除けた
「み、水はだめだー!」
このやり取りを見て嫌な予感がしたラーサーは水源がある門へ馬を走らせる
「これは…」
ラーサーがそこで見た光景は飲み水を汲みに来た兵士や住民が力尽きたように、あちらこちらで倒れている姿だった
泡を吹いている者、痙攣をしている者、既に意識を失い生命の危険を感じる者など様々だ、遅れてマーゼル卿やタイアス騎士団長が現れる
「どうしたというのだ!衛生兵!だれか医者はいなのか!」
殆どの兵士達は戦場だこの場に居るのは経験の浅い者ばかりだ、倒れている者を運び出したり手当て程度の処置ならできてもこの状況に対応できるものなど居ないのだ、一同に絶望的結末が過るがそれを救う人物が現れた
「私が診よう」
メガネをかけた男が小走りに近寄ってくる、顔にはシワが刻まれ苦労から元々そうなのか見た目以上に草臥れて見える
「私はクレミー、見ての通りただの医者だ」
腕の良い医者のようで素早く適切に処置をしていく、それもそのはずでクレミーは元・聖教医師団の医師で現在はコルチアに身を寄せている、文字通り善良な医者なのだ
「この症状……皆なにかの毒に当たったようだ…致死量に達してはいなそうだがこのままでは危険だ」
症状から正確に原因を分析をしたクレミーは軽症の者をベッドがある場所へ運ばせる、患者を救う為に奔走する姿は何時ぞやの『マッドサイエンティスト』ニュベスとは比べることもはばかられる医者の鑑なのだ
するとクレミーは倒れてい者たちの傍に木の器が落ちていることに気づいた、そして器の臭いを嗅ぎすぐに声を上げる
「水だ!水に毒が含まれている!口につけてはならん!否、絶対に触るな!」
「水だと?……水源から運んだ水の使用を直ちにやめさせろ!少なくても昨日以降に運んだ水はすぐに捨てるんだ!」
タイアス騎士団長は兵士に指示を出し対応を急がせる
「毒とは…卑劣な事をするッ」
拳を握りしめマーゼル卿は歯ぎしりを殺すかのように低い声で怒りの篭った言葉を吐く
「とにかく重症者の処置を手伝いましょう」
ラーサーは目の前の重症者を助ける事を優先しようとクレミーの手伝いを始めた
―水源の森―
ラーサー達が水源が汚染された事に気付く少し前、ランスの容態が悪く早く治療する必要性があった
「血が止まらない…この傷相当深い」
ゼンが必死にランスの傷口を圧迫し止血を試みている、サンチェスも折れた肋骨を庇いながら手伝うが手当て程度の訓練しか受けていない二人には手段が限られていた、其処へヒューが戻りひとつ方法を取ることになった
「コルチアへ運ぼう…このままでは死んでしまう」
投降をすることでランスに治療を受けさせようとヒューは言うのだ、味方は逃走し当てにできない、ましてやこの傷は人虎となったカモスがつけたものだ、サンチェスやゼンも決断は早かった、意識がないランスを馬に乗せ4人はコルチアを目指した
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