第6話 悪の芽を撒くもの

 東の町コルチアを目指すラーサー、ヨシュア、マーゼル卿は途中で別れたランスを心配していた

ヨシュアに関してはランスとの面識はないが2人の会話からランスという人物に興味があるようだ、歩を進めながらヨシュアはラーサーに聞く


 「そのランスという君たちの仲間は勇敢ですね、1人で複数の追手を相手にするとは…」


 ヨシュアは奪った馬を乗りこなしながらラーサー達に声をかける


 「あぁ俺の3倍は勇気のある男さ、あいつが居なければ今頃どうなってたか分からない」


 ラーサーもランスの話しをする時は嬉しそうだ


 「私も一度会ってみたいものだ…」


 弾んでいた話しは少し気まずい雰囲気になり沈黙が続く


 「彼なら大丈夫だ、ランスの強さは君が一番良く知っているだろう?」


 見かねた様にマーゼル卿が気をしっかり持つようラーサーに語りかかける

湿っぽい会話を拭う様に前を見ると緑色の旗を掲げた警備隊見えたきた、ようやくラーサー達は東天騎士団の管轄へ入ったのだ、警備隊はラーサー達に気づくと駆け寄ってくる

捕まえに来たのかと身構えたが違っていた

既にクラインが鳩を飛ばして事情を説明してくれていたのだ、先を読み手を回す辺り流石である、何はともあれ、これで安全にコルチアへ行くことができる

3人の顔には安堵の笑みが浮かんでいた

 

 ―ランスは―


 ランスを捕らえた聖教騎士団はザンサス達追撃隊の遺体処理を行っていた


 「まったく酷い状態の遺体だったな…」

 「これをあの小僧1人でやったと思うと恐ろしいぜ…」


 ランスに倒された遺体は損傷がひどく悲惨な死に方をしたであろう者が多かった、特にザンサスに至っては顔面にめり込んだ石により誰か判別することさえ困難だった


 「聖都ティラナへの遺体の搬送を急げ、片付き次第出発する」


 この部隊を率いるのは騎士カモス、野心があり今回の出撃に妙案を持ち出し何処か自信有りげだ

急場の野営施設に不釣り合いな科学者とも医者ともとれる装いの男がカモスに声をかける


 「目を覚ましました…」


 その言葉を聞きカモスの目が刺すように次の言葉を催促する


 「成功です」


 カモスの口角があがる、そして、強い口調で指示を出す


 「よし、連れてこい」


 しばらくしてこの場に鎧を脱いだ姿ランスが現れた、いつものランスとは違い目に生命力がなく顔も無表情だ


 「使えるんだろうな?」


 カモスが男に確認をとるように問う

この男は聖教医師団から派遣された研究医師ニュベス

ラーサーが所属していた【第十八方面調査隊】を壊滅に追いやった一連の異形な怪物を作り出した張本人だ

そして、ラシッドに薬を渡しノーマンまでも怪物に変えたマッドサイエンティストだ


 「勿論だ、私を誰だと思っているのかね?君はキミの仕事をしたまえ」


 ニュベスはカイゼル髭を撫でながらカモスを睨むとそう言った、カモスは自分の予定を狂わす可能性がある存在かを疑うかのように観察する

今のランスが自分の駒として使えるのか探っているのだ


 「安心するがいい、薬は最新の実験結果から改良を加えたものを与えている、身体能力はそのままに記憶と意識のみ操作している、ただし、神威は薬の効果を阻害する可能性が高いため封印するアミュレットを装着させてある」


 確かにランスの首には禍々しい首飾りがかけられている、紫色に妖しく光る宝石は邪竜の瞳の様に危険な気配を感じる


 「いいだろ…連れていき仕度をさせろ」


 近くにいた兵士にカモスはランスの出撃準備を指示する、用意された装備は聖教騎士の鎧だった、一切抵抗も見せず教会の印がされた鎧を着用していく

身なりを整えたランスの姿は聖教騎士そのものだった


 「感謝しろお前に相応しい部隊を揃えてある」


 カモスはランスを既に待機している部隊員の所に案内する

集められていたのは3人の戦士だった、拳闘士ゼン、棒術士サンチェス、弓術士ヒュー

彼らは聖都ティラナで雇われた傭兵達で並の兵士以上には腕が立つ

カモスは3人の紹介を手短に済ませるとランスに部隊を任せて去っていった


 「この隊の隊長を任されたランス・ロウ・ガブリエルだ、よろしく頼む」


 ランスが名乗ると皆輝いたような眼で見つめてくる、不思議に思いランスは『自分の顔に何かついているのか』と問いかける


 「いえ、そういう訳ではありませんよ、貴方は傭兵の間では有名人ですから」


 手振りを交えながらそう言うのは褐色肌でなかなかの色男のサンチェスだ


 「そうです、俺たちはランス隊長の隊に配属された事を誇りに思いますよ」


 机の上に座りながら拳闘士とすぐわかる格好をしたゼンは言う


 「改めましてよろしくお願いしますランス隊長」


 3人は起立をしてランスに敬礼をする

尊敬と信頼が織りなす組織は強いものだ、この4人の部隊もそれに漏れることはないだろう

だが、それは同時ラーサーの敵となるという事でもあった


 ―聖都ティラナ― 

 

 ランスが部隊を率いてコルチアに出発した頃、聖都ティラナではグローテス枢機卿が貴族院や評議会に緊急招集をかけていた

集まった面々はアルバリア教国でも有力な権力者ばかりだった、グローテス枢機卿はこの者たちの前で悠々と演説をしていた


 「どうだろう諸君!この国をより良き未来へ導く為には皆の協力とこの法案が必要だ!」


 グローテス枢機卿が論じているのはアルバリア王国時代に王国崩壊の引き金となった【奴隷制度】の復活についてだ

グローテス枢機卿は上流階級に権力を与える事で教国の完全掌握を目論んでいた

『上流階級や貴族位にいる者たちが平民を管理し導く事でより良い国に発展する』

というグローテス枢機卿の語る言葉と思想は、彼に賛同するものたちにとっては甘美であった

心地よいほどに都合のよい話しだというのに自らの地位や名声を維持したいと願うあまりグローテス枢機卿に賛同する者は多かった

マーゼル卿が聖都ティラナを出発してからグローテス枢機卿の影響力は日増しに高まり、教皇不在の現状、唯一抑止力になり得る枢機卿団も機能しておらず独裁政権と成り下がっていた


 「…」


 演説を行う舞台袖に立つジュリアスがつぶやく

『まもなくだ』と…

招集は受けていないがこの会場には自主的に出席している者もいた

神殿騎士団長バランと聖騎士ラディナスだ

無論、グローテス枢機卿の演説を聞きに来た訳ではない様子を探りに来たのだ、その証拠に着席はせず三階席の通路端で様子を伺ってる

同じく、アルバリア教国が誇る『最強の騎士』もこの場に居た【炎帝オルバルド】だ

燃えるような赤色とオレンジ色の鎧と白色のマントを羽織り、珍しい黄色の瞳をもつ、髭と髪の色は朱色とも小豆色とも言い難い深い色をしている、腰に下げる宝剣は見事な紅色の刀身をしているという『昂炎剣』だ

この会場でオルバルドやバランに気づいた者がどれほどいたかは分からない、だが、確かに後の教国の運命を握る者たちがここには居た


 ―コルチア― 

 

 ようやくコルチアへ到着したラーサー達は早速、東天騎士団のタイアス騎士団長と会談していた


 「おぉマーゼル卿よくぞご無事で、事情は伺っています」


 タイアス騎士団長自ら出迎えるとマーゼル卿と固い握手をする、タイアス騎士団長はアルバリア教国では珍しい美しいほどにハッキリとした黒褐色の肌をしている、日の光に照らさらた肌の艶はそれはそれは美しいほどに黒く輝くのだ、顎まで伸びた髭は年相応に白く生えているがそれがまたお洒落にみえる


 「久しいなタイアス」


 マーゼル卿とタイアス騎士団長は久しぶりの再会を喜び合う、タイアス騎士団長は南大陸から渡ってきた元移民者で彼の外見的特長もそれが故だ

そして、人柄を考慮して騎士団長へ強く推薦したのはこのマーゼル卿なのだ


 「早速ですが良い知らせと悪い知らせがあります…どちらからお聞きになりますか?」


 白い髭を弄りながらタイアス騎士団長はマーゼル卿に聞く


 「それは、無論良い知らせからだ」


 マーゼル卿はタイアス騎士団長との会話を愉しむように話す


 「南聖騎士団は傭兵同盟と正式に協力関係を築き、傭兵同盟は拠点をヴロラに集中し共同防衛を開始したそうです」


 タイアス騎士団長報告を聞きマーゼル卿の顔が少し和らぐ


 「そうか、それは良かった…兵力が増えれば十分耐えられるだろう、これで気掛かりが一つ消えたよ」


 マーゼル卿は身振りを交えながら言う


 「それで…悪い知らせはアルバリア聖教会が聖都ティラナに残っていた傭兵を聖教騎士団の配下に加えた事と、グローテス枢機卿が元老院、貴族院などの上流階級を抱き込もうと不穏な動きをしていると言うことです」


 傭兵も一枚岩の精神を持った者たちではない、すべての傭兵が傭兵団に所属はしておらず、元々ギルド協会に加入していなかった者たちは仕事がある聖都ティラナに留まっていた、その傭兵をアルバリア聖教会が正式に雇用したことで拮抗している戦力差のバランスが崩れる事は容易に想像できた

それよりも気がかりなのは上流階級に対して働きかけを強めていることだった

だが、自分が今置かれている状況では確認をすることも調べる事も出来ない、次の情報を待つしか無かった


 「当然、我ら東天騎士団の精神はマーゼル卿と共にあります、訓練兵1人に至るまでアルバリアの為に戦う覚悟はできています」


 タイアス騎士団長は胸に手を当ててマーゼル卿に頭を下げた


 「タイアス騎士団長…心から感謝するよ」


 その場に急ぎ駆け寄ってくる者がいる


 「失礼します」


 現れた男は【教国三名槍】の所有者『緑雷のラース』の呼び名で知られる槍騎士だ

ラーサーやヨシュアでも彼のことを知っている


 「マーゼル卿を追跡してきたとみられる聖教騎士団が現れたと報告が入りました」


 必ず現れると分かっていたラーサーは顔色を変えず報告を受け一言呟く


 「来たか…」


 東天騎士団は既に戦準備はできていると言わんばかりに、ラースの後ろには東天騎士団の兵士や騎士が待機している

ラースの隣には若い女性槍騎士がいた、彼女もまた東天騎士団の一角を成す凄腕の槍騎士だった


 「彼女は?」


 各地の事情に詳しいマーゼル卿も気になったのかタイアス騎士団長に問う


 「あぁ、彼女はシズハ、我ら東天騎士団の頼もしい新戦力だよ」


 紹介されるとシズハは一礼してみせる

名前や外見から東大陸出身であることが伺えた、よく見れば兵士や騎士も様々な人種がいるようだ、人種を問わず採用していくタイアス騎士団長の寛容さの表れのようにも見える


 「ん?その槍は…まさか」


 マーゼル卿はシズハの手に握られていた槍を見て何かに気づく、するとタイアス騎士団長は我が子を自慢するようにこう言うのだ


 「そうだ彼女もまた【教国三名槍】の所有者だ」


 ラースとシズハが持つ槍は【教国三名槍】と呼ばれる神器でアルバリア王国時代以前から存在していたと言い伝えられている

ラースの持つ【雷槍ケルタリウス】、シズハの持つ【蒼槍ブラオエルメ】、アルバリア聖教会が神殿で保管している【神槍ウィンドミル】この3本を指す

マーゼル卿が驚いていた理由はこの【蒼槍ブラオエルメ】が長く行方不明になっていた事だ、シズハが何処で所有者になったのかは不明だが神器に認められた実力者という事だけは確かだった

直ぐにでも出撃しようと意気込む東天騎士団を相手にラーサーは落ち着いていた


 「マーゼル卿、ここは俺たちが外で時間を稼ぎます、その間にタイアス騎士団長と今後の話し合いをしてください、まだ何か考えがあるのでしょう?」


 物量で攻められればコルチアは不利な地形といえる、ラーサーはその事を理解していた、重要な話し合いを済ませ次第マーゼル卿を連れて此処を離れるべきだと直感していたのだ


 「…わかった、外の事は任せる、では、マーゼル卿…中でお話しをお聞かせ願いますかな?今後の『計画』とやらを…」


 タイアス騎士団長がマーゼル卿を連れ立って騎士団本部の館へ入っていく


 「時間を稼ぐというなら力を貸さないわけにはいかぬだろう?」


 ラーサーの人柄を気に入ったのだろうラースが笑みをみせながら歩み寄ってくる

その後ろには同意見なのだろうシズハも着いている


 「東天騎士団の教示は【血の一滴まで祖国のつるぎとせよ】だ…今戦わずしていつ戦うのだ」


 シズハの言葉に他の騎士たちも集まってくる、そして、本来の同行はコルチアまでの予定だったヨシュアも加わっていた


 「アルバリアのために!」


 皆が手に武器を持ち高々と掲げ号令をあげるのだった


 ―コルチアの外―

    

 ヴロラでの大敗後という状況から大部隊を引き連れてくる事は無いと予想していたラーサーは、コルチアから少し離れた平原に待機して聖教騎士団を迎え撃つ事にした

ラーサーの予想は的中し先発隊兼精鋭部隊が現れた、しかし、ラーサーはその部隊編成に驚く事になる

正規兵と区別するために旗の色が違う傭兵や非正規兵を混成した部隊が見られる形式だ、そして聖教騎士団の旗印の下には兵士を含めても10人以下の部隊員が揃う、それを率いていたのはあろうことかランスだったのだ、聖教騎士の鎧を纒って隊長として凛とした立ち姿でラーサーと対峙する


 「ランス?おい!何をやっているんだ!」


 語りかけるラーサーを奇怪な目で見つめながらランスは返す


 「俺を知っているのか?誰だ?お前は…」


 怪訝な顔をするランスにラーサーはさらに安い声をかける


 「何を言っているんだ?わからないのか?俺だラーサーだ」


 「…」


 何も言わず見つめるランスを新しい隊員たちは複雑な気持ちで伺っていた


 「…カモスに聞いてはいたがランス隊長は本当に記憶をなくしてるんだな」


 サンチェスはやり取りを聞いてゼンに哀れむように語りかける


 「それでもランス隊長は俺たちのリーダーだ…やるしかない」


 拳闘士ゼンはどんな内容であれ戦う準備は出来ていた


 「気を抜くな、相手は『あの』ラーサーだ、それに他にもランス隊長と同じくらい有名人の『ストームランサー』ヨシュアと…あれは『緑雷のラース』か?」


 戦力情報に詳しいヒューが気を抜くなと言う


 「そのようだ…」


 ランスの部隊は戦闘態勢をとって距離を詰める


 「どうしたんだランス!」


 尚も説得を試みようとするラーサーを無情のランスが襲う

ザンッ!

グラスダイトの切っ先が目の前を掠める、まだ剣を抜かないラーサーに手加減なしランスはで攻め込む

シュッ!タタッ!

突き攻撃の手数を増やし攻勢を落とすことはない

ラーサーも神威【マイティフォース】を発動して身体能力を強化して対応する

ランスは得意の連続攻撃を繰り出しラーサーを追い込んでいく、飛び込みから身体を回転させて薙ぎ払い突きを繰り出す

ビュンッ!ズザッ!

これには堪らずラーサーも剣を抜かされる

バキィィン…


 「ようやく抜いたか…」

 

 鍔迫り合いの合間にランスが言う


 「…理由は分からないが何か事情がありそうだな」


 ラーサーはランスが正気を失っていると察していた


 「何をブツブツ言っている」


 更に攻めるランスにラーサーも反撃に出る

ギリッ!

ザリッッ!

交えた刃を押し返し強烈な斬撃と蹴りの連続攻撃を繰り出す、パワー負けしたランスは大きく弾かれ空中で追撃を防いでいる


 「驚異的な身体能力だな…だがその剣でどこまで戦える?」


 ランスのグラスダイトをまともに受けたラーサーの剣は大きく刃こぼれをしていた、無理もないだろう此処まで激しい戦いを支給されたこの剣だけで渡り合ってきたのだ、旅の途中は砥石を使い自分で手入れをしていたが鍛冶職人に直して貰う機会はなく痛み切っていた


 「流石にこれで戦い続けるのは厳しいか…」


 よく見れば見るほどボロボロの刃の刀剣に一瞥をくれるとランスに向き直る


 「それにしても、敵に回して改めて実感するぜ…やはりランスは強い!」


 ランスの戦闘センスは明らかに並の騎士を超えていた、いや、現時点ではラーサーよりも格上にみえた、更に身体能力を強化しているラーサーと互角に渡り合える強さは人間離れしているようにも感じていた


 ―サンチェスとラース―


 激しい戦闘は棒術士サンチェスと槍騎士ラースも繰り広げていた

棒術を心得ているサンチェスを【緑雷のラース】は慌てる事なく捌いている


 「チッ、流石は緑雷のラースか…全然当たらねぇ」


 手数はサンチェスが多い、しかし悉く槍で攻撃は逸らされるのだ

ラースは槍を回転させながら牽制攻撃が主体で明らかに本気ではない、それが余計にサンチェスを苛立たせる


 「本気になるまでもないってか…舐めんな!」

シュッ!シュッ!シュッ!


 棒を素早く連続で突きサンチェスはラースの懐まで一気に接近する、間合いを詰めるしなやかな身体の運びはまるで豹のようだった、早く無駄がなく既に次の動作に移っている


 「この動き……躰術か…」


 ラースは槍を持ち替え防御姿勢を取る、そこへサンチェス鋭い蹴りが炸裂する

ダッンッ!

直撃していれば失神の可能性もある強烈な一撃だった、ラースは防いだものの衝撃で地面を滑らされる様に後ろに動かされる

だが、ラースは歴戦の猛者だ既にサンチェスの次の動きを見ていた、攻撃を打ち終えたサンチェスは空かさず追撃を狙っている

今度は棒を地面に挿しその反動を使い左脚で踵落としを見舞う、これをラースは後ろに飛びこれを難なくかわす


 「まだだ!」


 サンチェスは空中で前方に飛び出すように見を投げ出し更に追撃を狙う


 「甘いな!」


 ラースは先程の踵落としを避けながら槍の切っ先をサンチェスに向けていた、自分の攻撃の軌道上に切っ先を出されサンチェスは咄嗟に身体をひねる

 

 「くっ!」


 何とか切っ先はサンチェスの頬を掠めていく、かろうじて避けるとバク転をして一旦距離を取る


 「…くっそ」


 頬の血を拭いながらサンチェスは悔しがる


 「なるほど、本来は躰術を得意としている近接戦闘タイプか」


 槍を触り調子を確認しながらラースは言う


 「脚技にはちょっと自信があるだけさ」


  そう言って謙遜するサンチェスを『嫌いな奴ではない』とラースは笑みを交えて言った

サンチェスの実力はラースも認める程だった、棒術は基礎に忠実で手堅い戦法を取るが蹴り技は掴みどころのない戦法を取る、直前で出す技を変えてくるのか軌道と動作と技がイメージで一致しないのだ、こういう高い動体視力と反射神経を武器に戦う相手は戦闘センスもなかなか高く手を焼かされるものだ


 「敵にしておくには惜しい人材だな」


 素直に誉めるラースにサンチェスは再び構え直す


 「接近すれば勝負にはなりそうだが…もう一度近づかせてくれるか…」


 それでもサンチェスは接近するしかなかった

突きや奇襲の飛び込みなど既に見せた技はラースに悉く潰され繋がらない、小手先芸では埒が明かないとサンチェスは意を決して更に距離を詰める

バババッ!

右足で連続蹴りを放ち豪雨の様な激しい攻めを展開する、サンチェスは蹴り技を主体に棒による薙ぎ払いと柄の両側を握り『面』で突くなど戦法を変えて挑む


 「この気迫…仕留めようという強い意思を感じる」


 棒よりもリーチが短い蹴りを自在に操り、被弾を恐れず攻める姿勢にラースも一瞬動きが止まる、それをサンチェスは見逃さなかった左足でラースの膝に乗り跳び上がる、そして宙で右膝を捻りラースの顔目掛けて膝蹴りの体勢に入る、シャイニングウィザードだ


 「きまった!」


 直撃を確信するサンチェス、跳び上がったサンチェスの右膝はラースを捉えている

しかし、ラースは上半身を捻りながら体を反らしこれを躱す、更に槍の柄尻で後ろからサンチェスを強打する

背後から突かれサンチェスは激しく転がるが勢いそのまま立ち上がる


 「受け身をとるか……本当に良い人材だな」


 ラースはサンチェスの身のこなしを褒めながら槍の調子を確認する


 「今のを躱すのか…こりゃぁ勝てないな」


 サンチェスは体についた土を払いながら諦めた口調でため息を吐いた


 ―ヒューとヨシュア―

 

 一方、弓を使い距離を保ちながら静かに戦っているのはランス隊唯一の遠距離武器を持つヒューだ、隙をみては連射を行いヨシュアの足を止めていく

対するヨシュアも『ストームランサー』の呼び名で通る剛腕の槍使いだが、接近できなければ実力の示しようがない


 「聖都ティラナにここまでの実力者がまだ残っていたとは…」


 ヒューの強さは元聖教騎士のヨシュアでさえ驚く程に高かった、傭兵ギルドが消滅した後は聖都にいた傭兵の殆どが独立傭兵同盟へ参加した

だが、元々ギルドに加入していなかった者や所謂『闇の仕事』を生業とする者などはそのまま聖都に残ったという、このヒューもそういった類の傭兵なのだろうか、そんなことをヨシュアの頭には過ぎっていた


 「まったく、化け物か…全然当たらない」


 矢を射りながらヒューはボヤいていた、数十射放っても命中せず弾かれるか躱されるのだ、それでも距離が取れれば強射を放ち、動きながら連射をして再び距離を取る、接近されては勝ち目がないとヒューも分かっていた


 「弓の腕は確かに優れている連射の精度もなかなかだ、だが、強射以外は威力に乏しいな…それでも距離を取られればこちらが不利か…矢が尽きるのを待つのも良いが、格の違いとやらを見せておくか」


 大きく槍を回転させて勢いそのままにヨシュアは地面が抉れるほどに激しい一撃を大地に叩きつける

ズドンッ!

その衝撃で土煙があがりヨシュアは一瞬姿を消す


 「そこだッ!」


 ヒューは僅かな煙の動きを見逃さず矢を射る

しかし、ヨシュアはそれを読んでいた、飛んできた矢の方向へ向けて再び地面を叩きつける

ドッゴン!

今度は抉った地面ごと飛ばすように叩いていた、捲りあげられた地面から石や砂などがヒュー目掛けて飛んでいく、威力は大したことないが無防備でいられるほど優しい攻撃ではない


 「くそ…こんな子供だまし」


 顔を上げたヒューの前にはヨシュアが迫っていた


 「つッ!」


 姿を晦ましたヨシュアを『見る』為にヒューの足は僅かに止まっていた、今の攻撃に怯み一瞬足が止まっただけで槍が届く間合いまで詰められていたのだ

合計しても3秒もない『隙』だっただろう、これが戦いを経験してきた者の差なのだ、ヒューの速射間に合わない、至近距離の間合いではヒューが大幅に不利だった、それでも弓を打撃武器として使い接近戦に切り替え距離を離そうとする

弓術士と謂えども接近された際の手段として躰術を習得している、ヒューもそれなりには心得があるようだがヨシュア相手に善戦出来るはずもなく逃げる様に戦うのが精一杯だった


 「接近戦はまるで素人…コイツはもしかすると…」


 何とか距離を取る事が出来たヒューはひとまず呼吸を整える、そこにヨシュアが問う


 「お前…傭兵が本職では無いな?……猟師か農民だろう?」


 ヨシュアはヒュー身のこなしや弓術にのみ特化した能力から、獲物を狙うハンターか農民が副業として営むレンジャーではないかと推測していた


 「そんなことまで分かるのか…あぁ、あんたの推測通り俺は元々農民だ」


 正直に答えるヒューにヨシュアが更に問う


 「なぜ傭兵に?」


 この問いに顔を曇らせながらヒューが答える


 「税の取り立てが厳しくなってね…農業だけじゃ食っていけなくなったのさ」


 ヒューの村では重税を課されアルバリア聖教会や聖教騎士団がその事情を汲むことなく回収に来るのだ

そんな状況を変えようと収入を得る為に傭兵の仕事を始めたらしい、それも報酬の良い聖教騎士団に雇われる事になるという何とも皮肉なものだ、税の判断はグローテス枢機卿が決め悪政は留まる事を知らない今回のこれは最たる例だろう

 

 ―ゼンとシズハ―


 拳闘士ゼンの相手は東天騎士団の槍騎士シズハが受けていた、この時点でシズハが何者なのか聖教騎士団側に情報がなく対峙するゼンも油断をしていた


 「お姉さん…東大陸の人?」


 準備運動をしながらゼンがシズハに聞く


 「…そうだとして、何か不都合でもあるか?」


 相手が構えるまでシズハも攻める気はないらしく構えを取らずゼンに問い返す


 「いや…東の大陸には美人が多いって聞くけど、どうやら本当のようだな」


 運動を終えグローブをしっかりと嵌め直してゼンはゆっくりと構えを取る、あまり乗り気ではないゼンとは違いシズハは迷いなく構えた


 「…構えに隙はない、何れにせよ接近して実力を探るしかないか…」


 小さく呟いた後

ドバンッ!

地面を蹴り出し一気に接近する、ゼンが先程まで立っていた足場は蹴られた衝撃で土が抉られている、まさに一瞬でゼンは間合いを詰めたがシズハは冷静に対応をする

ダン!ダスッ!ダス!

槍を短く握り接近戦での防御に反撃など乱打戦上等とばかりにシズハは渡り合う、槍では不利と思われる至近距離で見事な対応をするシズハはゼンの強烈な打撃を防ぐと同時に距離を離す

互いに僅かな傷を負うが此処までは互角といったところだろう、30秒余りの激しい攻防で互いのレベルを確認した両者は次の激突に備える、ゼンは両手をブラブラさせながら屈伸をして身体を更にほぐしていく


 「強いねぇお姉さん」


 体をほぐしながらもゼンは隙は見せない


 「『お姉さん』ではない、東天騎士団所属の槍騎士シズハだ」


 シズハは槍先の調子を確認しながらそう言い構えをとる、シズハの構えは東大陸の流派によるものだろうかアルバリア教国では珍しい脇構えの形だ

ゼンの格闘技は拳を主体とした接近戦をベースとしており、蹴り技主体のサンチェスの躰術とはタイプの違うもののようだ


 「腕に自信があるようだな…その意気は良し、私も本気でやらせてもらう」


 その言葉と同時に槍が蒼く光り切っ先から徐々に氷の刃が生成され偃月刀のような姿に変える


 「なんだよ…それは」


 宝具や魔道具を初めて見たのだろうゼンは驚き慌てる


 「この槍『ブラオエルメ』の能力、大気中の水分を操り行使する」

ベキベキベキッ…


 槍の先端が濡れると同時に凍っていく音が聞こえる、淡々と話すシズハとは対象にゼンは明らかに動揺をしていた


 「……は、ははッ…とんでもない武器じゃねぇか」


 笑うしかない、人間は動揺をした時に往々にして笑ってしまうものだ


 「そして、この槍の形は東の大陸発祥の武器『薙刀』だ」


 槍の切っ先を氷の刃が覆い湾曲した刃が立っていた


 「ナギナタ…刀身の付いた槍って感じだな」


 妙な沈黙があり互いに足位置を変える

そして、動きが止まった瞬間に両者接近を試みる

一瞬シズハが早かった、僅かにゼンの間合いの外から斬り上げると流れる動きで連続攻撃繋げていく

ザンッ!シュッ!

ゼンも優れた動体視力でその攻撃を躱していく、打ち終わりの隙をみては攻守がかわり互いに凄味のある攻防が続く

氷で生成された刃がゼンの顔を掠めていく、油断をすればすぐに勝負がついてしまいそうな鋭い攻撃をゼンは最小限の動きで躱し反撃を伺う

ゼンが攻めに転じれば巧みな連続打撃でシズハ圧倒する、シズハの槍術も相当なものでラースやヨシュアと何ら遜色のない達人レベルの強さだった、激しい打ち合い後再び距離を取り対峙するとシズハ言う


 「その身体能力の高さでなぜ傭兵を生業とする?その強さなら騎士団から引く手あまたであろう」


 打ち合いの動体視力や反射神経などは並の騎士を遥かに凌ぐものがある、その素質を見てシズハは率直に傭兵業を営む理由を聞いた


 「この通り武器の扱いは苦手でね、変わり者は歓迎されないのさ…まぁ、ランス隊長になら仕えてもいいんだけどな」


 ゼンは確かに強いがそれは格闘戦にのみ秀でているだけだ、大多数が武器による集団戦をとる騎士団では爪弾き者として扱われる事を身をもって知っているのだ、そんな肌に合わない組織にいるより自由が利く傭兵業を選んだと云うことだろう


 「どうする?私はお前のことを少し気に入った…タイアス騎士団長は寛容なお方だ、東天騎士団はお前をあたたかく迎えるはずだ」


 ズドォォォォン!


 シズハがそこまで告げると少し離れた場所で爆音が聞こえた

 

 ―後方の一団…―

 

 ヒュゥゥ……ズドォォォォン!

 ラーサーとランス達が激闘を繰り広げる戦場に空から火球が降ってくるのだ、それも間をおかず次から次へと落下してくるのだ


 「何だ?何が起きている?」


 ラーサーもランスも奇襲と思い距離をとる


 「これは…後方からの攻撃?……アイツの仕業か!」


 ランスには心当たりがある真っ先に頭に浮かんだのは騎士カモスの顔だった、その通りカモスは味方のいる戦場にカタパルト式投石機を用いて攻撃を放っていた


 「攻城兵器を引っ張り出してくるとは…」


 ラースもヨシュアも歴史における兵器の種類を学んでいたそれ故にすぐにどのような兵器で攻撃を受けているのか理解できていた


 「休まず撃て!ここが片付き次第このままコルチアまで攻め入る」


 カモスは投石機の近くで指示を出しながら狂喜に満ちた顔をする

この手の者たちはラシッドやザンサスを含め狂ったような顔をするのが共通項のように感じるほどに似ていた

しかし、撃ち始めた投石機は急造の兵器で控え目に言って『出来損ない』であった、精度は悪く、撃つたびに壊れそうな軋む音を立てる

手に入れた木材も組み立てる技術も素人レベルということだ、アルバリア教国を建国以来初めての製造という事もあるだろうが旧時代の設計図をもとに製造したとしてもこの完成度では先人たちも嘆くことだろう

発射する石も火球用に無理矢理改造した為に火炎が砲台にまで延焼し次々に使用不能になっていくのだ、兵士達は消火や次弾の装填など慌ただしく動き回る、撃ち初めてから10分も経たずにまともな状態で残っている投石機は5台もなかった


 「このままでは巻き添えになる撤退するぞ!」


 ランスは部下たちに指示を出し後退していく


 「ラーサーくん!我々も一旦コルチアまで下がろう」


 ラースもこの場を離れる方が得策と考えてコルチアまで引く構えだ


 「そうですね、ここは引きましょう」


 東天騎士団は撤退までの指示が早く両陣営大した被害はなかった


 「よし…敵が戦線を下げた、進め!進軍だ!」


カモスはラーサー達が引き上げていくのを確認すると兵士を進軍させる

ガラ…ガララッシャァン

その後ろでは火炎に包まれた投石機が音を立てて崩れていた、カモスは進んでいく兵士を勝ち誇った顔で見守っている

ただ、東天騎士団も黙っているほど受身ではない、すぐにコルチアから防衛の兵士が出撃して陣形を固める、カモスの指揮で集められた兵士達は殆どが傭兵と経験が浅い兵士ばかりで、大規模戦闘の知識や心得はなく迎え討とうとする東天騎士団に気圧されてしまう、気性が荒く武闘派が多い東天騎士団は此処ぞとばかりに反撃に転じアッサリと防衛してしまう


 「馬鹿者どもが!逃げるな!戦え!」


 1人の逃亡を皮切りに次々と戦線を放棄して離脱していく、こうなってしまっては戦線の維持など難しく穴が空いた隊列を突き崩され一気に崩壊してしまう


 「クソっ!これでは撤退するしか手はないか…」


 カモスが一歩後ろに下がると何かにぶつかった、後ろにいたのはあのラシッドだった


 「いけねぇなぁ…傭兵まで集めて独断専行……挙句の果てに投石機を使い農地も構わず辺りを火の海にしたとくれば…アンタ帰る場所なんてないぜ?」


 いつの間に背後に居たのか、そして誰なのか、今の状況も重なりカモスの思考はパンク寸前だった


 「き、貴様何者だ?」


 ようやく絞り出した声は震え、気の利いた言葉も選べなかった


 「グローテス枢機卿直属の聖教騎士ラシッドだ」


 ラシッドはグローテスの旗標である【十字架に繋がれた虎と獅子】の紋章を見せる


 「俺はアンタみたいな野心家は嫌いじゃない……アンタの覚悟次第だが…まぁ、助けてやってもいい」


 三日月形の傷が特徴的なラシッドは怪しく誘う様に語る


 「どういう意味だ?」


 食い入るようにカモスは聞く


 「なぁに、言葉のままさ…アンタは聖都ティラナから後続の部隊が到着するまで国賊マーゼル枢機卿を逃さなければ良い…それだけだ、簡単だろう?」


 マーゼル卿がコルチアに逃げ込んでいる情報は聖教騎士団も掴んでいる、逃走さえ許さなければ捕らえることも不可能ではない、ラシッドの指示は筋が通っていた


 「マーゼル枢機卿を捕らえることが出来ればアンタの功績も讃えられるだろう、俺が口添えもしてやる悪い話じゃないだろう?」


 カモスも野心的な人物だ功績を立てれば今回の失態を取り返せると計算する


 「…既に士気は落ちている、持ちこたえられるとは思わん」


 真剣に厳しい顔でそう言うカモスにラシッドは厭らしくも優しくこう伝えた


 「大丈夫だ、コレを使え」


 僅かに笑みをみせるラシッドの手には2つの茶色い瓶握られていた、カモスはそれを受け取ると『これは何だ』と聞くのだ


 「アンタを窮地から救う手段だ…むやみに蓋を開けるなよ?危険だ」


 それがどういう物か直ぐに推測ついた


 「これは毒か?私に毒を使えというのか?」


 その瓶に入っている物が何であるかを察しカモスは声を荒げる


 「他に何か手段があるのか?安心しろ致死性の猛毒って訳じゃない、少しの間身体が言うことを効かなくなるだけだ」


 ラシッドはカモスの肩を叩きながら語りかける


 「その2つの液を水源の井戸に入れるだけだ、心配するな土壌への汚染も少ない……できるだろう?」


 しばらく沈黙したあとカモスは近くの兵士数人を呼び馬の支度をさせる


 「約束…忘れるなよ!」


 カモスは決意を固め厳しい顔と目をして水源のある森へ駆けて行った、その姿を最後まで確認することなくラシッドはその場から離れていった

この辺りの薄情な性格も相変わらずいったところだろう

 

 ―コルチア近くの水源―

 

  コルチアから少し離れた森に古い井戸がある、ここには湧き水が豊富に湧く貴重な水源が眠っている、植物が育つには厳しい乾いた大地を潤す恵みの水を蓄えるこの水源は、地下でコルチアだけでなく近くの小さい村にも繋がっている、その生命の源とも云える井戸にカモスが災いの毒を流し込んでいた


 「俺が悪いんじゃない…お前等が悪いんだぞ」


 2つの瓶を空になるまで流し込むと証拠を隠滅するかのように綺麗に透き通る井戸に瓶を投げ捨てた、やりきった様に急いでその場を離れるカモスの顔は酷く興奮しているのだろうか、唇は乾燥し白く血の気を失っているがひび割れた唇の皮からは赤い血が見える、息は荒く瞳孔は開きブツブツ何かを言っていた


 「おい!ここで何をしていた!」


 カモスに声をかけてきたのはランスだった、周囲には部下のサンチェス、ゼン、ヒューもいる、混乱する戦場からここに避難していたのだろう


 「なんだお前らか…」


 精神的に疲れ切ったのかギラリとした顔は『よくない眼』をしていた、その光をなくした眼に何かを気づいたのはヒューだった


 「ランス隊長…」


 ヒューは何かを合図してその場を離れた


 「勝手に戦線を離脱した馬鹿どもがッ!聖都に戻ったら罰を受けさせてやる!」


ギラついた目でカモスはランス達を睨みつける


 「戦場を混乱させたのはそっちでしょうが…」


 ボソッとゼンが言う、これに過剰にカモスが反応する


 「貴様!上官に対する口のきき方をわきまえろ!傭兵風情が調子に乗りおって!」


 カモスの言葉も度が過ぎているがそれを棚に上げ叱責をする態度にランスも苛立ちを隠せない


 「我々はここに潜み反撃の機会を伺っていました、それで『上官さま』は何用でこのような場所に?」


 確かにカモスは一部隊を率いる立場にある人物だ、その人間が部下も連れず1人で訪れる場所ではなかった、カモスは気まずそうな顔をして『それは…』と言い訳を始めた辺りでヒューが慌てて戻ってきた


 「ランス隊長!コイツは…とんでもない事をしましたよ」


 ヒューの報告を聞く前からカモスの顔色が青ざめていく、ヒューの手には縄で括られた魚が3匹下げられている、先程死んだにしては『新鮮ではない』と感じる


 「どういう事だ?報告しろ」


 ランスはヒューに詳細を報告をさせる


 「…おそらく、コイツは毒を水源に撒きました」


 ヒューは魚を見せカモスの目の前に放り投げる

ドサッ…

その魚には触りたくないと本能的に避けた事で疑惑は確信に変わった、カモスは観念したかのようにも見えたが顔を見る限り開き直った眼をしている


 「国賊に正義の鉄槌を下しただけだ!何が悪い!」


 この男もまた『腐った男』なのだ、厭きるくらいこの様な奴はアルバリア教国に溢れかえっている、返す言葉もないない程に大きくため息をした後でランスはこう言う


 「この地に住む何の罪もない人々の前で同じことを言えるのか?」


 苛立ち殴り倒したくなる気持ちを抑えランスが言う


 「フン、この地にいる連中は皆同罪よ…」


 吐き捨てるようにカモスは答えた


 「クズめ…囚えて裁判を受けさせる」


 ランスはグラスダイトを抜き切っ先をカモスに向ける


 「やってみろ雑魚どもが」


 カモスも剣を抜き徹底抗戦の構えだ

数的不利でも挑んでくるだけの実力はあるらしい、互いに構えると先手必勝と読みカモスは切り込む、読み合いや考察などこの男には無いのかもしれない、それほどに場当たり的な攻撃や行動をするのだ

事実、カモスの腕前はと云うと然程優れている訳でもなくサンチェスやゼンも助太刀不要と判断するに至る、それでも生け捕りにできる程弱い訳でもない、この状況に苛立っているのは他でもないカモス自身だった


 「調子に乗るなよ雑魚が!」


 カモスの左手には飴玉くらいの白い結晶が握られていた…

 

 ―時間は少し遡りカモスとニュベスの会話―

 

 ランス隊の出撃前にニュベスがカモスに白い結晶を手渡していた、ランスに投与した薬の成果などを分析するために此処を離れるというのだ


 「何だこれは?」


カモスは渡された結晶をニュベスに聞く、食べ物か何なのかも分からない物体だ、当たり前の反応だろう


 「私からの餞別です…」


 白い結晶を光りに翳すと僅かに濁った様な鈍い輝きをみせる、どちらかといえば美しくもないガラス玉ともいえる、それでも妙に吸い寄せられる何かを感じるのだ


 「その結晶には【疑似神威】とでも謂うべき特殊な神力を封じてあります……もし、力を欲するのであれば私を信じて飲み込みなさい、壮絶な苦しみに耐えきる事が出来れば体に神威が定着するでしょう」


 その時は内心胡散臭いと流していたが、野心深いカモスは万が一に備えその結晶を身に着けておく事にしていた

 

 ―カモスは我に返る―


 戦闘中に物思いに耽るには余りにも相手が悪い、ランスのグラスダイトが目の前をかすめる、迷っている時間はないカモスは左手に持つ結晶を飲み込んだ

二呼吸目にその症状は表れた

グゴゴォォ

気道から何かが生まれてくる様な激烈な痛みと苦しさ

ギィィィ

背骨は奇怪な音を立てて体は反っていく、体中の筋肉が断裂し急速に巨大化していく


 「なんだ…」


 ゼンやサンチェスは奇妙な光景に言葉をなくし立ち尽くしながらも足は後ろに下がっていく


 「これは…どこかで…見たような」


 ランスは失った記憶と目の前の光景が重なり頭痛に襲われる、その記憶の断片にはラーサーが表れる、なぜ彼が記憶の中に居るのか思い出すことは出来ないが忘れてはいけないことだと本能的に感じる

カモスはノーマンと同じように身体が巨大化し人間の姿から遠ざかっていく、ノーマンの時との決定的な違いは身体が白い体毛に覆われていた事だ

更に顔は虎のように鼻と上顎が突出していく、口からは牙が表れ、爪は凶器のように鋭く伸びる、苦しみの絶叫終わる頃にはすっかり人虎として変わり果てていた


 「はぁぁ、なんという高揚感だ……」


 カモスはしっかりと言葉を発していた、人間としての理性をしっかりと保っているようだった、おおよそ実験段階の結晶を与えられたのだろうが、それでも短期間で確実に『進化』していた


 「ちッ!戦闘隊形!絶対にこいつを逃がすな!」


 ランスだけではない、ヒューもゼンもサンチェスも『この化け物は危険だ』とすぐに理解していた

言葉を発しながらも眼は獣そのものだったのだ

すぐに戦闘は始まる…

ドガッ!ドンッ!

カモスだった人虎は信じられない速度と破壊力で優位に立つ、初撃でゼンとサンチェスは弾かれ吹き飛ばされる


 「グッ!なんてちからだ」


 武器は凶器と化した爪と強烈な腕力だった、獣と人間を融合した実に賢い戦い方をするのだ


 「グハハハッ!面白いぞ!チカラが溢れ出てくる!良い気分だ!」


 ヒューは離れた位置から矢を射るが体毛が厚く致命傷には程遠い、刺さったとしても人虎が動くだけで抜けてしまうくらい浅く刺さっているようだ

かろうじてランスだけが互角に渡り合う、ノーマンとの経験を身体が覚えているのだ、初めて戦うはずの体躯相手に最も効果がある攻撃を自然と選択出来ている


 「ただの振り回し攻撃がこの威力…危険すぎる!」


 人虎の凄まじい攻撃を防御しても無傷ではすまない、それでもグラスダイトの刃は毛皮を切り裂けるようで守りに徹するより攻撃に集中して一気に勝負をつけるほうが得策だと感じていた


 「ヒュー!奴に接近する一瞬でも良い隙を作ってくれ」


 余り効果的なダメージは与えられないと分かっていても連射を放ち人虎を引きつけようとヒューは攻撃を続ける、人虎は致命傷にならないと矢を防ごうともしていない


 「これならどうだ!」


 ヒューは人虎の目を目掛けて狙い撃つ、この攻撃は流石に手で防ぐがそれは予測していた、空かさず人虎に矢を放ち人虎の頭上の木に仕掛けてあった罠を狙う、ヒューはこの位置までの誘導と事前の設置などレンジャー技術を此処ぞとばかりに発揮する

解除された罠は落下が始まると網状に大きく広がり人虎に絡まる


 「よしッ」


 ヒューは拳を握り喜びをみせた

しかし、人虎はその網をやすやすと引き千切り脱出を試みる、本来なら腕力で千切れるほど優しい物ではないが、人虎は肥大した胸筋に力を込め身体を大きく開き千切ってしまったのだ


 「くッ」


 ヒューは次の罠までのルートを思案するが人虎は更に早く接近する、ヒューも命の危険を悟ったがゼンが助けに入る、負傷している身体を推して全力で対応し、こう叫ぶのだ


 「かっこいい役をお前一人にやるかよ」


 ゼンは頭部から血を流しながら人虎との間に割って入る

ドッダダダッ!

繰り出す連打は分厚い毛皮の上からでも効果があることが伺える


 「くらえ……この拳を!!」


 連撃でふらついた人虎に腰を落として構えを取りゼンは強烈な打撃打ち込む

ズドンッ!

重い音を響かせる攻撃は人虎の腹に命中し何処かの骨が折れる音がする、間を措かず今度はサンチェスが懐に飛び込み棒術を叩き込む


 「もらった!…これが俺の全力の一撃だ!」


 ドガンッ!

 強烈な打撃で顎を打ち上げると一瞬だけ人虎が硬直する


 「うぉぉぉぉ!」


 ランスが人虎の頭上に飛び上がりそのままグラスダイトを振り下ろす最大のチャンスだ

しかし、人虎は致命傷覚悟で反撃をしてきたのだ、もろに攻撃を受けたランスは装甲の薄い鎧を貫かれ吹き飛ばされてしまう

シュゥッ……ドッゴン!

そして無防備のまま近くの岩に激突するのだった


 「隊長!」


 ゼンが急いでランスのもとに駆けつける、傷は酷く支給された鎧の脆さを見せつけられた、ゼンは何度もランスの名前呼びかけるが反応はない

神威が使える状態ならザンサスとの戦闘後の様に超回復が発動するのかもしれないが、首に掛けられたアミュレットが妖しく光り神威の発動を抑制している

この首飾りがどういった物なのか知らないゼンが取り外す事など有り得ず、弱々しい息づかいのままランスは衰弱していく


 「ぐ……ツッ…油断したか」


 死んでもおかしくない程の傷を負いながら人虎は立っていた、足元はフラつき押せば倒れそうに見える、ゼンもサンチェスも追撃をしなければと思うが身体が動かない

それは恐怖ではないゼンは頭部に怪我をしている、決して軽い傷ではなく出血も止まっていない、興奮状態で意識はハッキリとしているだけで、いつ気絶をしてもおかしくはない、サンチェスは肋骨を庇っている先程の攻撃も命中の瞬間に激痛で急所の顎を僅かに外していたのだ


 「お前ら雑魚にやられるつもりはない…俺には野望がある…こんなところで死んでたまるか!」


 人虎は負傷している身体を庇いながら逃走をはじめた、四足歩行で逃げる相手は流石に早く走って追いつける速度ではない


 「ヒュー!奴を逃がすな!」


 ヒューはカモスが乗ってきていた馬を見つけると飛び乗り人虎を追う、姿が見えずとも血の跡を辿り確実に距離を詰める、これは『狩り』に長けたヒューならではの技術だった


 「見つけたぞ!」


 矢筒に残された矢は多くはない、引き抜いた矢を狙いをつけて放つ、矢は分厚い毛皮に刺さるがやはり足を止めるだけのダメージは与えられない、人虎も高を括っているようで無視をして逃げ続ける


 「俺では倒せないのか…」


 ヒューは自分の非力さを悔やまずにはいられなかった、確かに剛弓は引けないかもしれないがそれ以外にも出来ることはあるはずだと、考えを巡らせる、今こうしている間にも人虎と距離は離れていく、この化け物を逃がすことは何としても阻止しなければならないと、ひとつだけ頭に浮かんだ考えがあった


 「これを…だれか気づいてくれ!」


 笛のつけられた矢をヒューは空に向かって引く誰かに人虎を止めて欲しい気持ちを乗せて

 

 

 

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