第4話 狂気を運ぶもの

 聖教騎士団と南聖騎士団が開戦してから数週間が経とうとしていた

ヴロラ近郊は普段の穏やかな様子とは違い悲惨な光景をさらしていた

両陣営共に兵士数人を騎士が指揮する戦術をとり一進一退の攻防を続けている、当初は圧倒的物量を誇る聖教騎士団が有利かと思われたが、港町ヴロラの海上まで封鎖することは出来なかったようで、補給を切らす心配のない南聖騎士団は堅牢な守備をみせていた

一方、聖教騎士団は攻め手を欠きその焦りから退くべき戦局を見誤るなど直近の勝敗は良くはない

聖教騎士団にとって誤算だったのはラーサーとランスの存在だ、先にも述べたが騎士は兵士達の指揮を執り刻一刻と変わる状況に対応しなければならない

常に部隊に気を配りながら功績をたてるだけの戦いをするなどそう易々と出来るものじゃないのだ

しかし、ラーサー達は傭兵であり騎士団流の基本戦術に縛られず、状況を見て効果的な奇襲を仕掛けていき聖教騎士団を手玉に取っていた

それでいて戦闘力は兵士を遥かに凌ぐ腕の持ち主だ、遊撃隊の如く縦横無尽に戦場に現れるラーサーとランスは聖教騎士団にとって脅威でしかなかった


 ―聖教騎士団陣営―


  開戦から聖教騎士団の総指揮を任されていた騎士ノーマンは苦戦を強いられる状況と、アルバリア聖教会からの圧力により後がない状態に追い込まれていた

元々冷静な判断に乏しい性格が災いして適切なタイミングで撤退を出来ずに敗戦を重ねるノーマンを『無能な指揮官』と兵士達は陰口を叩く始末だ、士気の低下を食い止める為にノーマンは自ら前線に赴き最後の攻勢に出る


 「聖教騎士の誇りを見せてやれ!進むのだ!」


 額が後退を始めたハゲ頭に太陽の光が眩しく輝く、前方に歩み始める兵士達はこれから処刑される罪人の様に生気は感じられず、勝ち目のない戦いに向かっていく儚い憂鬱さを皆顔に浮かべていた

ただ1人ノーマンだけは狂気に駆られた眼と異常なまでに張り上げた声で指示を出し続けるのだ


 「今日こそ賊軍を討ち取るのだ!進めーぃ!」


 裏返る声と首筋に浮き出る血管が今にも倒れてしまいそうな程に興奮気味なのを表している、策などないというのに強気に攻めるのだから兵士達にとっては、たまったものではない、それでも訓練を積んできただけはあり聖教騎士団の兵士達の行軍は、見事なまでに足並みが揃って美しかった


 ―南聖騎士団陣営―


 前進を始めた聖教騎士団を凛々しい姿勢で見据えている女性がいる、南聖騎士団のへリア団長だ

騎士団長自ら前線に立つ姿に兵士達の士気も自然と上がる


 「懲りもせずに、またぶっ倒されに来たのか…」


 へリア騎士団長はため息にも似た言葉を吐き落胆する

いくら敵だとはいえ同じ国の民であり、志は違えどアルバリア教国に忠誠を誓う騎士達を相手にするのは気が退けてしまうのだ

だが、悲しい事にそんな心情など気にも止めずノーマンは全軍を前進させる、否、この男の戦術には『全体前進』以外に何もないのだろう

南聖騎士団は向かってくる相手を順に迎撃していけばいいのだから対応策は立てやすい


 「来たぞ…」


 南聖騎士団の中に傭兵特有の自前の鎧を纏った2人がいるラーサーとランスだ


 「支援は任せるぜロイ」


 そして、ラーサーと部隊を共にする若い兵士達がいる、南聖騎士団の兵士ながらラーサーとランスをサポートする為に編成された勇士たちだ


 「あぁ、任せてくれ」


 首に巻く赤いスカーフがトレードマークの短髪の青年の名はロイという、このロイはラーサーの幼なじみで彼と親しく話すのも納得できる

この親友との再会がラーサー達の遊撃を成功させる鍵となったと言っても良いだろう、ロイは絶妙な連携でラーサー達を支援すると次々と聖教騎士を撃破していった

他の南聖騎士団の兵士達も日を追う毎に連携精度を高めていた、そして今日もその戦術を実施する


 『ガッシャーン!』


 地鳴りに似た足音と共に両陣営の兵士達が激しくぶつかり金属音や叫び声が戦場に響き渡る


 「押せー!たたみかけろ!」


 今日の聖教騎士団は余力を残さず攻めてきているとハッキリ分かる勢いがあった


 「盾兵部隊!堪らえろ!」


しかし、南聖騎士団が敷く防御陣形を突破するには至らず、押しきれずに溢れた兵士が後方に間延びしていく、時間が経つにつれて聖教騎士団兵士の勢いは衰え油断を誘う時間が訪れる

そこを狙った様にラーサー達は聖教騎士団を襲撃し始める


 「現れたぞ!側面を固めろ!」


 聖教騎士団もバカではない、ラーサー達遊撃隊の強襲に合わせて後方の兵士が壁となり側面を固める


 「突破するぞ!」

 「おうッ!」


 それでもラーサーとランスは自分達の役目を分かっている退くわけにはいかない、互いを鼓舞するように檄を飛ばし合い聖教騎士団兵士に突っ込んだ


 「返り討ちにしてくれる!」


 ラーサーを待ち構えていた聖教騎士が剣を振りかぶる、それでもラーサーは止まらずに向かっていく、待ち伏せ状態の相手との戦闘は仕掛ける側が大幅に不利だ、向かって来るラーサーを迎撃しようと周囲の聖教騎士団の兵士も加わり狙いをつけた切っ先が迫る

だが、その刃がラーサーに届くことはなく逆にラーサーに斬り倒されていく、それは単純に熟練の技術が成せる業という訳ではなかった


 「そいつを止めろ!」

 「ダメだ!こいつ早い!」


 ラーサーの動きは言葉では言い表せない反応速度だったのだ、それは、まるで未来を予見して動いているかの様に無駄がなく華麗であった


 「囲め!囲むんだ!」


 ラーサーがこの様な強さを身につけたのはラシッドに倒され、濁流に飲まれながらも生還したあの【奇妙な出来事】の後からだった、初めは相手のやろうとしている事が何となく解る程度だったが

時間と共に戦いの中でも相手の思考を読み取れる様になり、やがてラーサーの戦闘センスも相まって鋭い読みからの攻防は強力な武器となった

更にここ数日の戦闘で動体視力が異常な程に向上した事でギリギリの攻撃さえかわすことができる様になったのだ、近くに居るのに触れることも出来ない素早い反応をみせるラーサーに聖教騎士が口々に叫び出す


 「こいつ!なんて反応速度だ!攻撃が当たらない!」


 鋭い洞察力で予備動作と相手の行動を予測して、優れた動体視力で攻撃を避け即座に反撃をする、この日のラーサーは自分の身体に羽根が生えた様な軽さと反射神経の鋭敏さを感じていた

それは聖教騎士団の兵士や騎士の動きが止まっているかの様に見え、自分だけ加速した時間を進んでいる感覚だった、僅かに、僅かにだがこの時ラーサーの身体から光りの粒子が散っていた事に気づいた者が居ただろうか


 「ラーサーのやつ、調子を更にあげてきたな」


 敵を薙ぎ倒しながらランスが呟く、相棒として数ヶ月傭兵業を共にしてきたランスにはラーサーの動きが日に日に良くなっていくのがみてとれていた

だが、ランスもラーサーに負けてはいない、立ち塞がる敵を突き主体の剣撃で撃破していく、派手さこそないが無駄な動きがない最も効率の良い戦い方だ、開戦当初から数えて多くの敵を倒したのはラーサーを抑えてランスが最多だった


 「死にたくないやつは俺の視界から消えろ!」


 ランスの気迫が籠った怒号に恐れを成した聖教騎士団兵士は隊列を乱して、下がり始める、1人また1人と脱走するのだ

それを脱走兵と見なし切り捨てる騎士がいる、ノーマンの側近をしていた男だ、よく見れば感情が欠落したような人相をしていた、顔に着いた返り血は冷酷な人物だと代わりに答えるかの様だ


 「…味方を殺すのか?」


 ランスの問いに表情をひとつも変えずに男は答える


 「脱走は重罪だ」


 男は答えと同時に攻撃を仕掛ける

 ブォンッ!

力強く太刀筋もなかなかだったが、ランスはそれ以上に強かった数回の攻撃をかわした後に、相手の攻撃に合わせて剣先を弾き連続突きを繰り出した

剣ごと腕を上げられ無防備になった瞬間を突き刺された男は最後の言葉もなく倒れ込んだ

これに、怯んだ聖教騎士団を南聖騎士団の本隊が殲滅していく、本隊だけでなく遊撃隊に参加している兵士達もしっかりと仕事をしていた


 「俺たちも忘れるなよ!」


ラーサーやランスが討ちもらしてもロイ達兵士が雪崩込み仕止める事で背後をカバーしている

非常に良い連携で聖教騎士団にとっては手を焼く相手この上無い事だった、やがて攻め立てるラーサー達は敵の指揮官ノーマンと対峙する

このハゲ頭の男は周りの騎士とは違い少々手強かった、立ち振舞いから一兵卒の騎士とは違う雰囲気を持ち、剣術の心得も確かで勢いだけで倒せる相手ではない事は手合わせして直ぐに理解できた


 「貴様か?好き放題暴れていたやつは?」


 ノーマンは一合組み合うと刃を走らせラーサーの刀剣を押し返し、切っ先を地面に向けさせラーサーの攻撃をいなす、並みの騎士では真似出来ない技術だ


 「その腕前…指揮官だな?」


 ラーサーの問いに鼻で笑いながらノーマンは答える


 「賊に答える義理はない」


 不遜な性格はどこかラシッドに似たものがあった


 「あぁ…そうかよッ」


 こういった連中が聖教騎士に多い事は傭兵として接する機会があったラーサーには解っていた事だった、一言だけ返すと俊敏に踏み込みながらラーサーは攻撃を仕掛ける、手首で刀剣を返し剣を振り抜くと刃が空を切りブオォォンッと凄まじい音が鳴る

当たれば致命傷は避けられない、自然とノーマンの顔は強者と対峙する時のそれになっていた


 「やるな小僧!」


 それでもこの時のノーマンには今までの経験からラーサーに勝てるという自信があった、ラーサーもここまで頼りになっていた洞察力と動体視力を最大限に活用して戦う、対峙した指揮官は決して油断は出来ない相手だった、一級の達人ではないが騎士としての経験と恵まれた訓練施設で得た技術は確かなものがある

それでも今のラーサーにはノーマンの動きは予測も含めて『見えている』状態であり、動作さえ見逃さなければ致命傷は避けれる様な感覚があった、そして、また光りの粒子が確かに身体から散るのだ


 「遅いぜ!」


 ラーサーは攻撃の打ち終わりを狙って横斬りを放つ、間一髪でかわしたノーマンの頬を切っ先が掠める


 「傭兵風情が調子に乗るな!」


 狡猾にも太刀筋をマントで隠し死角を作りながらノーマンは剣で突きを放つ

この予測や反応ではどうにもならない状況でラーサーは更に覚醒をする、今までは見えている世界と自身の身体を動かせる速度(重さ)にズレを感じていていたが、その世界に追い付いたかのように身体が軽く反射的に体が動くのだ

それは人間の瞬発力を超えた様な瞬間だった


 「見える…」


 目の前を通り過ぎる剣先に対して危機感を抱くより驚きが勝っていた、その気になれば剣の細かなキズひとつひとつまで確認出来そうな感覚だった


 「これをよけるのかッ!」


 ノーマンは追撃を続ける突き刺した剣をそのままラーサーを追うように横に払うが、それさえもギリギリでかわすのだ

ノーマンはすぐさま剣を両手で握り下へ、横へ連撃を行う、しかし、その全てが空振りをした

そして、ラーサーが動くたびにハッキリと認識できるくらいの光りの粒子が舞うのだ


 「小僧が動くたびに舞うこの光り…」


 ノーマンは警戒し攻撃の手が緩む


 「今度はこっちの番だ!」


 一旦距離をとったラーサーは刀剣を構え直し仕掛けていく、攻守逆転した戦闘はラーサーの剣術が冴え渡りノーマンは防戦一方だ

先ほどまで聖教騎士団仕込みの剣術で抑え込んでいたとは思えない状況だった


 「ちぃッ!」


 無用心にノーマンが切り払いを放った時だ、それを読んでいたかの様にラーサーは掻い潜ると一閃、刀剣を振り抜きノーマンの右腕を切り落とした


 「ぐぁぁがあぁぁあぅッ!」


 激痛にノーマンの顔が歪む、叫びをあげながら右腕を抑え後退する指揮官を守ろうと、兵士や騎士が壁となり立ちはだかる

その隙にノーマンは部下に付き添われ後方へ下がっていく、それと同時に戦場に退却の号令が鳴り響く

半ば士気が下がっていた兵士は我先にと後方へ逃げていく、南聖騎士団は必要以上の追撃は行わずこの戦いも勝利で終わった、指揮官の負傷という大敗を演じた聖教騎士団は敷いていた陣営を後退させヴロラの町から離れていく


 「我らの勝利だ!勝鬨をあげよ!!」


 ヘリア騎士団長の勝鬨に兵士達が歓声をあげるのだった


 ―聖教騎士団陣営―


 右腕を落とされたノーマンは従軍医師による治療を受けていた、意識を失わない精神力は大したものだが、それ故に痛みを耐え続けなければならない

麻酔としてケシの汁を渡されたが『騎士の恥』と思ったのかノーマンは飲むことを拒んだ


 「はぁはぁ…」


 肩が大きく動くほど身体全体で呼吸をする、顔色は土色で汗で衣服は湿っている、疲弊した顔は骸骨の様なデスマスクと言っていい程に酷い状況だった


 「あの小僧…【神威】を使えるのか」


 ノーマンは一応由緒ある家柄の騎士であり教養もあった、ラーサーが戦闘中にみせた『ちから』が神威と呼ばれるものだと知っていた

神威それは…

人知を超えた神の威光と呼ばれるだけあり神威の発動の際に僅ながら光の粒子が身体から放たれる、この特徴が神威の能力に共通した事象であり古くは旧アルバリア王国時代以前からその存在が確認されている

発現される神威の能力には固有の特徴があり、全く同じ神威は存在しないとされている

ラーサーの能力は自身の身体能力や感覚神経を飛躍的に強化上昇させる効果を持ち、対峙する相手は超人と戦っているかのように感じただろう、その中でもノーマンはラーサーから放たれる光に気づき神威という考えに至ったのだ

激痛に震える身体を制して治療を受け続ける、右腕を失った事よりも名誉を挽回する事に集中する事で痛みを忘れ正気を何とか保っていた


 「これはこれは…随分とひどくやられたものだな」


 ノーマンはこの声に聞き覚えがあった


 「くッ…貴様!ラシッドなぜここにいる!」


 そこには『あの』ラシッドが立っていた、ただ、装いは聖教騎士団の鎧に身を包み、肩には騎士階級を示す勲章が着いている


 「なぜって?騎士団に復帰したんですよ、元・上官どの」


 笑いを浮かべながらラシッドはノーマンを『元・上官』と呼んだ

ラシッドは聖教騎士団に所属していた頃から素行が悪く問題をよく起こしてばかりいた、それでも戦闘センスは高く実戦での腕は聖教騎士団の中でも上位に入っていた為、大目にみられて厳しい処分は免れていた

だが、ラシッドという男は己れの悪い部分を正そうとはせず、規律を乱しては度々査問にかけられていた、それをみかねた直属の上官だったノーマンが不適合者と報告して除名を進言した、彼を庇う者もいたが結果としてラシッドは聖教騎士団から除名された

その後は紆余曲折あり聖教医師団の護衛として雇われる事になる


 「バカな…お前は私が追放したはずだ」


 右腕を押さえながらノーマンは夢でも見ているかの様な顔をする


 「だから言っただろう?『復帰した』と」


 ラシッドは自分の鎧と胸元の勲章を見せながらノーマンに言う、ラシッドに着く勲章には3本の剣が施されている、これは騎士団で副団長に次ぐ階級でありノーマンよりも上であった


 「そんな真似…いったい誰の権限で…」


 除名の承認はアルバリア聖教会の決定でもあり、一度決まった事が覆る事など無いのだ


 「再就職先での働きが評価されてね…グローテス枢機卿からの召集命令さ」


 グローテス枢機卿の名前を聞くとノーマンは黙ってしまった、アルバリア聖教会の意思を変えるなど上層部の人間と関わりがなければ不可能だ、ラシッドをアルバリア聖教会が『必要』と判断したのならば口を挟む余地はない


 「ところで…その腕でまだ戦場に立つつもりか?」


 質問を投げ掛けたラシッドの顔には不敵な笑みが隠れる、興味本意で聞いているのではない何かしらの理由をもって聞いているはずだ、この男はそういう奴なのだ


 「…何が言いたいのだ?」


 ノーマンの言葉と疑う目が2人の関係を物語っていた


 「その身体では満足に指揮は執れ無いだろう?本来なら負傷除隊の対象だ…まぁ、功績を立てずに退却したとなれば責任を追及され最悪貴族位の剥奪もありえるが……」


 脅す様にノーマンの近くに寄り、囁く口振りでラシッドは言う


 「……」


 これには覚悟をしていたノーマンは何も言えない


 「元・上官とはいえ、そんな姿を見るのはさすがに忍びない…」


 そう言って懐からアンプルを取り出した


 「これは聖教医師団で開発された『強化神薬』だ、これを使えば達人の域に達する身体機能と鋭敏さを手に入れられる、まだ製品化前だが…もし望むのなら渡してもいい」


 取り出したガラスに光が反射して『魔法の薬』の様に見えてしまう、魅力的な言葉に乗せられ今のノーマンには喉から手が出るほど欲しい薬だった


 「その薬の効果はどれくらいだ?」


 ノーマンの問いに対してアンプルを大事そうに拳の中に隠しながらラシッドは言う


 「個人差はあるが服用後すぐに効果は出る、持続時間は約24時間だ…効果が切れたあとはしばらく疲労感が残る」


 ラシッドは効力を説明する様に嘯く、その言葉をしっかりと聞き終えたノーマンはゴクリと唾を飲み込む


 「…よこせ!」


 残った左手を出してラシッドにアンプルを催促する、それを確認してラシッドはノーマンにアンプルを手渡した

受け取ったアンプルをノーマンはすぐに割り服用する


 「…今使うのか?」


 ラシッドもすぐに使うとは思ってなかったらしく僅ながら驚く


 「奇襲をかける!ラシッドお前も手を貸せ!」


 服用したノーマンのこめかみに血管が浮き出る


 「熱い、あァァ!アツイ!」


 目は血走り口調が変わり始めていた、ノーマンの指示に兵士達は慌ただしく支度をする、開戦から撤退までが早かった為兵士達に疲弊の色は見られない、確かに『戦える』状況だった、ラシッドはため息混じりに支度を始める


 ―再び戦場― 


 聖教騎士団を退けた南聖騎士団の陣営では勝利を祝い兵士達が互いを労っていた、敵指揮官に深傷を負わせたラーサーは特に注目を浴び、英雄さながらの扱いを受ける、そんな和やかな雰囲気が流れていた時だ見張り役の兵士達が騒がしく何かを叫ぶ


 「敵襲ー!」


 慌てて声にならない声で何とか事態を伝える兵士達、この奇襲は南聖騎士団にとって『寝耳に水』といっていい状況だった

通常なら遺体の引き取りなどで半日~1日程は休戦が結ばれるのだ、ただこのならわしも明確な取り決めがある訳ではなく暗黙の了解という範囲だ

既に身体を休め始めた者も叩き起こされる、鎧を脱いでいない者は武器を取り前に出る、兵士達も何とか隊列を整えるが最悪な状況だ


 「狼狽えるな!隊列を整えながら個別撃破を優先しろ!」


 陣形を敷ききれない状況を見るなりヘリア騎士団長が即座に指示を出す、戦法を切り替える辺りの判断の早さはさすがにである


 「訓練通りでいい!基本陣形を形成しながら迎撃するんだ!」


 ロイが仲間の兵士達に呼び掛け守備陣形を真っ先に敷く、それに習い他の兵士達も小規模な陣形を敷き対応する


 「いい判断だ!行くぞラーサー!」


 ランスとラーサーは前線で食い止めている騎士とベテラン兵士の救援に向かう、2人の加勢によって崩れかけた最前線は何とか持ちこたえ徐々に押し返していく、個々の技量と経験値は伊達ではないのだ


 「ドけッ!」


 濁った様な声が響いた、そこには先ほどまでとは似ても似つかないノーマンが居た、外見は所々異常な隆起をしており『変異体』と思わせる姿で、動作に措いては人間的な理性より獣染みた所作を感じる

本能で戦っているという言葉が最もしっくりくる、欠損した腕には突撃槍を埋め込んだ様な急造の武器を装備している、一回り身体も巨大化しており人間の其とはかけ離れた姿だった


 「なんだこの化け物!」


 ランスは飛び退きながら変異したノーマンを凝視する


 「この顔…あの指揮官か?」


 もはやラーサーの知っていた指揮官としての姿はそこにはなかった

だが、この異形な姿には見覚えがあった『あの洞窟』で見た巨人だ


 「この姿…」


 ラーサーの頭の中にあの時の光景が甦る、巨大さでは以前遭遇した巨人に劣るが知性的な行動を見せている分ノーマンの方がやっかいだった


 「ラーサー!」

 「あぁ!」


 ランスとラーサーは阿吽の呼吸でノーマンを沈黙させるために攻撃を仕掛ける


 「遅イッ!」


 異常な角度まで目がギョロッと動きラーサーを捉えていた、予備動作はなく眼の前の虫でも払うかのように左手の甲でラーサーを弾き飛ばす、目の前から飛ばされたラーサーにランスが叫ぶ


 「ラーサーッ!」


 心配して声をあげたがノーマンの強烈な突き攻撃は風を切り裂く轟音と共にランスを狙う

ブォン!

間一髪でランスは避ける


 「この野郎!」


 ランスは素早く連続突きを放つ

しかし、突き攻撃を主体としているランスには相性が悪かった

手数で仕掛けても効果的な攻撃が通らず逆に一撃の重いノーマンの突きをカウンターで合わされる、それならばと突撃槍に乗り一気にノーマンの顔まで近づき突きを放つが、あと一歩のところで左手に掴まれる


 「つブれろ!」


 力任せに空に放り投げられるランス、ノーマンは狙いをつけて突撃槍を構える、そして強烈な突きをうち放つが狙いとは違う場所に攻撃は反れる、先ほど弾き飛ばされたラーサーが後ろから数度切りつけたのだ

ラーサーは人間としての行動予測から逸脱したノーマンの不意打ちを避けられなかったが、防御は間に合ったようで軽症だ

このラーサーの攻撃はノーマンには致命傷にはならなかったが効果あったようだが少しフラつかせる


 「助かったぜ」


 空中で何とか体勢を立て直して着地をしたランスはラーサーに感謝を述べたが、すぐにその場を離れる、ノーマンが逃すまいと素早く接近して掴もうとしていたのだ、巨体のわりに動きは機敏だった


 「コイツ…」


 ランスは頭にきていた、ノーマンに油断はしていなかったが今の早さは人間の速度と反応を超えた動きだった、ランスにとって敵に掴まれるなど今までなかった事だ、それだけでなく空中に放り投げられ無防備状態で攻撃を受けるところだった、不甲斐ない自分に苛立ち何かを呟く


 「仕方ない…使うぜ、ちからを貸せ」


 その言葉と同時にランスから光の粒子が零れ始める、そうだランスも神威を使えたのだ

そして、光はやがて集まりひとつの姿を形成する、ランスの後ろに現れたのは半透明の女性だった


 「なんダ?それは!」


 ノーマンは恐れ問いかける


 「聖霊さ…見たことないだろう?良かったな死ぬ前に見れて」


 そう言うと聖霊は一瞬消えてノーマンの目の前に現れる、そして握られたガラスの様に透き通った剣で攻撃を繰り出す、優美な姿からは想像のつかない苛烈な一撃でノーマンはたたらを踏む

すぐに体勢を整え反撃をするが聖霊は華麗に避けると連撃を繰り出す、剣術の腕はラーサーやランスよりも上だろう聖霊は率直に強かった


 「いったい彼女は…?」


 ラーサーは聖霊を『彼女』と呼びランスはその言葉に感謝をするように答えた


 「彼女はヴィヴィアン…俺の育ての親で、俺に剣術を教えてくれたのも彼女だ」


 聖霊には名前があった、ラーサーもランスの生い立ちは知らない、傭兵業をしていると色んな経緯を持った人と出会う、ラーサーと同じ境遇の者も少なくない、あまり詮索しないほうが良いと学んで来たのだ


 「ジャまをするな!」


 なおも暴れるノーマンは聖霊を蹴散らすかのように突撃槍を振り回す、しかし、聖霊は煙の様に姿を消すと再びランスの背後に現れる


 「なかなかに頑丈な彼奴じゃ…ほれ?いつまで休んでいるつもりじゃ?動かんか」


 聖霊は古めかしい言葉使いで喋るとランスに『働け』と催促する


 「人使いが荒いぜ…」


 ボヤくランスに聖霊ヴィヴィアンが返す


 「お主は聖霊使いが荒いのじゃ…聖域でも無いこんな場所に喚びおって…」


 ラーサーに目で訴えるような動きをした後ランスは聖霊とノーマンに向かっていく、2対1の状況でも半分怪物となったノーマンは抵抗を続ける、ラーサーも加勢をしようと奇襲をかける

それを横から邪魔をする者がいた、咄嗟に防御をするが相手の顔を見てお互いに衝撃を受ける


 「お前…あの時のガキか?」


 額に三日月形の傷、間違いないこの男は…


 「…ラシッド!」


 ラーサーは憎い仇の名前を腹の底から叫んだ


 「なんだ?俺の名前を覚えてたのかよ?」


 ニタリと笑みを溢す顔は『あの時』と同じだった


 「その格好…聖教騎士団に鞍替えしたのか?」


 ラシッドの姿は以前とは違い聖教騎士のそれであった


 「呼び戻されたのさ……お前ら傭兵を殲滅した功績が認められてなぁ」


 煽るように挑発的な顔と口調でラーサーを刺激する


 「許さない!お前だけは絶対に許さない!」


 堰を切ったような激しい切り込みを繰り出すラーサーを余裕をみせた剣捌きでラシッドは対応する、この男は口先だけではないと思わせる立ち回りを軽くこなすのだ、神威を持ってしてもラーサーは効果的な攻撃を欠いている、それどころかラシッドの変則的な技は健在で油断すれば虚を突いた攻撃が襲ってくる


 「まだか、まだ足りないのか……」


 ラーサーはこの数ヶ月間血の滲むような訓練を続け腕を上げたつもりだった、だがラシッドとの対峙で力量の差を改めて思い知るのだった、それでも心が折れる事はなく立ち向かう、心が退けばそれは姿勢に表れる、攻略方法を探るように刃を交えるラーサーにラシッドは問う


 「どうした?やけに慎重じゃねぇか」


 焦った動きをすればラシッドの思うつぼだとラーサーは分かっている、優れた洞察力で『誘い』と思われる隙には手を出さない辛抱強い戦いを強いられる


 「つまらねぇなぁ!」


 深くラシッドが踏み込んで切りかかる『誘い』か判断に迷うが不用意な攻撃だとも思える、ラーサーの身体が反撃に反応する、ここまで我慢して攻撃を控えてきたのだ攻めに転じようとして当然だ

そのラーサーの視界の端に何かが映り即座に、ラーサーは海老反るかの様にスウェーバックをして間一髪でかわす

シュンッ!

風きり音を奏でて目の前を通り過ぎたのは鋭い短剣だった


 「チッ…勘のいい奴だ」


 完璧なタイミングだったがかわされた事にラシッドは納得いかなそうだった


 「お前……今のが…見えてたのか?」


 完全に視界の外から狙ったはずだった、自分の狙いが狂ったのかと確認を込めてラーサーに問いかける


 「…さぁな」


 軽く質問を流すラーサーにラシッドは小さく舌打ちをした、おそらく以前のラーサーでは致命傷を受けていただろう、対応できるだけのちからを身につけた事を実感できた瞬間だった、それでも『まだ足りない』とラーサーは思うのだ


 ―南聖騎士団陣営―


 場所は変わって一度は大きく突き崩された南聖騎士団の本隊は、ヘリア騎士団長の指示やベテラン兵士達の働きによって攻勢を強めていた、ロイや若い兵士達の奮闘もあり局地戦では騎士と並び立つ功績を立てている


 「今こそ好機!押し返せ!」


 一掃するかのようにすべての兵士が唸りをあげる、実戦を経験した者なら皆が言うだろう『勝負あり』だと、この動きは少し離れた場所にいたラシッドとラーサーにも聞こえていた


 「前線が崩れたか…」


 様子を伺い剣を納めるラシッドにラーサーが叫ぶ


 「逃げるのか!」


 決着をつけられるだけの実力はラーサーにはまだ無い、それも分かった上で苛立ちが爆破した台詞を発する


 「悪いが無駄な働きは御免でね…まぁ、このままやりあっても俺が勝つだろうがな?」


 飄々と言ってのけるラシッドの言葉はあながち間違ってはいない


 「……仲間を置いていくつもりか?」


 ノーマンに視線を向けながらラーサーは言う


 「仲間……あぁ『アレ』の事か、お前らのおかげで良いデータは取れた、後は好きなように始末すればいい」


 そう冷徹な言葉を吐き捨てるとラシッドはその場を離れる、ラーサーは外道の様なラシッドの名を怒りを込めて叫んだが、意に介さずラシッドは笑みを浮かべたまま消えた


 ―少し離れた場所―

  

 ランスとノーマンの戦いも大詰めを迎えていた、変異したノーマンは聖霊ヴィヴィアンとの連携でも楽に勝てるほど甘い相手ではなかった、ダメージを与えても疲弊する様子も見せず攻撃を続けてくるのだ、まるで本能だけで動いている様に…


 「まったく…頑丈な奴だ」


 ランスは呆れた様にノーマンと距離をとる、既に人間らしさは失われ、手を衝いて四足で走りそうな気配すらある、一言で語るなら『獣』とでも言うべきか


 「時間じゃ…」


 ランスの後ろに立つ聖霊ヴィヴィアンが光の粒子となり徐々に消えていく


 「無理やり呼び出して悪かったな…」


 散っていく光に向けてランスは詫びる


 「童子が気にするでない…だが、油断はするなよ…」


 そう言い残し聖霊ヴィヴィアンはランスの刀剣に手を添え姿を消した

神威の能力とはいえ、本来なら神聖な場所にのみ姿を現す聖霊を戦場に呼び出したのだ、想像以上にランスの精神力は消耗していた


 「さて…決着といこうか」


 ランスは先ほど手を添えられた刀剣を前にかざしてそう言うと、刀身が光輝く

そして、ヒビが入ったかのように刃が砕けると、水晶の様に透明なそれはそれは美しい剣が姿を表した


 「な…グぁ?」


 ノーマンが何か発したがそれはもう言葉として捉えられず、理性を失くした哀れな怪物と化していた


 「俺が終わりにしてやる」


 ランスは完全に怪物と化したノーマンに素早く接近する、今までよりも遥かに早く残像でも残しそうなほど俊敏だった、あまりの速さにノーマンは迎撃のタイミングを逃すが、それでもランスの動きは目で追えていた

否、既に残像を見ていたのかもしれない、視線の先にランスの姿はなく、ノーマンの頭上までランスは飛び上がっていたのだ、遅れて空を見上げるノーマンの眉間目掛けてランスは剣を突き刺す、一瞬ノーマンの身体が後ろに押された様なよろめき方をして、そのまま尻から倒れる様に地面に沈んだ

ズゥゥン……

ピクリともしない、ノーマンは即死だった、ランスは苦痛を与えず一瞬で仕止めたのだ

ランスの手にしている剣は神威の実体剣、水晶の様なその美しい見た目から付いた呼び名は

『グラスダイト』

聖霊ヴィヴィアンが振るっていた剣こそが、この聖剣グラスダイトだったのだ

硬化していたノーマンを一撃で沈めたその切れ味は風さえも刃を避けると後に噂される


 「…安らかに眠れ」


 ランスはノーマンに祈りを捧げたあと、グラスダイトに目を向ける


 「俺に託してくれるのか…荷が重いぜ…」


 幼い頃から見守り続けた聖霊ヴィヴィアンが故郷を巣立ったランスに贈った餞別の様にもみえる、ランスは空を見上げ静けさを取り戻していく戦場で故郷に想いを馳せた


 ―数日後―

 

 聖教騎士団を退けたヴロラでは久しぶりに緊張感のある雰囲気が解け、住人達にも笑顔が戻っていた


 「ヘリア騎士団長、そして、戦ってくれた多くの者達に心から感謝する」


 マーゼル卿が深く頭を下げ南聖騎士団と戦没者に感謝を述べる、勝利こそ納めたが南聖騎士団にも被害は当然あり、傷ついた者、命を落とした者など様々だ


 「聖教騎士団…いや、アルバリア聖教会は既にグローテス枢機卿の操り人形と化した……同じ騎士として恥ずかしい思いだ」


 戦没者に花を手向けながらへリア騎士団長は言う


 「ヘリア騎士団長…この老いぼれに、ちからを貸してもらえないだろうか…」


 頭を下げて頼み込むマーゼル卿をヘリア騎士団長が慌てて制止する


 「お止めくださいマーゼル卿、我らの志は同じはず、南聖騎士団はこの先もアルバリアの為にグローテス枢機卿と戦う決意です」


 数百年続いた平和なアルバリア教国の歴史は大きな転換期を迎えていた、それを示すかの様な『はじまりの戦い』

この戦いは後に【ヴロラ防衛戦】という


 ―聖都―


 「そうか……では……」


 人気のない場所に不釣り合いなほど高価な服装に身を包んでいる人物がいる、グローテス枢機卿の補佐官を務めるジュリアス副司祭だ、会話している相手は黒装束で姿を隠して障害物越しに情報を伝えているようだ


 「……以上だ」


 その言葉を終えると黒装束の人物は足早に去っていく、ジュリアスも読書を装っていた本を閉じて城内への道を進む

この路地裏は聖都でもゴロツキが多い場所だ、当然ながら悪人にとってジュリアスの様な格好をした者は身ぐるみ奪うには良い相手と感じるようで、数人の悪人がジュリアスを着け狙い声をかける


 「おい、あんた身ぐるみ全部置いてきな、そうすれば命だけは見逃してやる」


 如何にもな台詞を吐きゴロツキたちは切れ味だけは良さそうな刃物をチラつかせる、ジュリアスは慌てる様子もなく行く手を塞ぐ体格の良い悪人たちに近づいていくのだった…

後日、このゴロツキたちは遺体となって路地裏から発見だれる、こういった連中の死体が転がっている事はよくある事だ、誰の目にも止まらず数日後には記憶にも残らないだろう


 「片付けておけよ」


 聖都を警備する聖教騎士団の兵士が部下に指示を出していた、よく見る類いの死体だ、淡々と処理されていく、ゴロツキ同士の抗争、逆恨みや怨恨、理由などはどうでも良かった

遺体の全てが心臓を一突きにされていた事を気にかける程の仕事熱心な兵士も居らず、聖都に巣食う闇にまだ誰も気づかなかった…

 

         

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