第9話 昼休みに友達と喋ったこと明日には忘れてる


 爽やかな風が俺の頬を通り過ぎる。心地のいい気温をキープしている六月ならば、外に出るのも悪くない。


 ということで、俺は今、学校の屋上で空を見上げながら優雅なランチタイムと洒落込しゃれこんでいる。


「空を見ながら食べるメロンパンはサイコーだなぁ」


 俺は口の中いっぱいに甘さを感じながら、雲ひとつない青い空を眺めながら呟く。


 どこまでも続く空というのは見ているだけで、心を浄化していく。俺がどれだけ小さい生き物なのかということを理解させられるこの広大さ……たまらん。


「メロンパンがいつもの二倍美味しい」


 なんていうか爽やかさっていうんですかね。空を見上げて食べるとそれがプラスされるんだよなぁ。やっぱり、空は最高だぜ。


「空なんか見ても味は変わらないでしょ」


 そんな俺が感動しているところに水を差す人間……言わずもがな――ウミウシである。


 俺はウミウシの方向に振り向き、仏頂面のウミウシに詰め寄り、反論する。


「変わる。いつもの二倍は美味い」


「気のせいでしょ」


「いーや、美味しくなってるね。爽やかさがプラスされてるから!」


「意味がわからない」


 ウミウシはタコさんウインナーを口に運び、こちらに目もくれずに無感情に反応してくる。


 ……ムカつく。なによりも淡々と飯を食いながら否定してくるのが腹立つ。


「じゃあ、食ってみろよ! ほら! 空を見上げて!」


 俺はメロンパンを三分の一ほどちぎり、ウミウシの手に乗せ、押しつける。


「いらない」


「いいや、ここまで馬鹿にされて俺は引くわけにはいかない。是が非でも食ってもらおう」


「私に拒否権ないの?」


「あるわけないだろ。そんなもの」


「なんで?」


 ウミウシの疑問を無視し、俺は無言でメロンパンをひたすらにウミウシの口に押し付けた。


 すると観念したのか、ウミウシは俺の手からメロンパンを取り、嫌そうな顔ながらも、メロンパンをかじった。俺はそのタイミングでウミウシに掛け声をする。


「はい! ここで空!」


「……」


 ウミウシは不満顔で空を眺めながら、メロンパンを何回も咀嚼そしゃくし、ごくりと飲み込んで言った。


「普通のメロンパン」


 そう言うと、ウミウシは何事もなかったかのように食事を再開した。


「……そっすか」


 ちょっとぐらいはさ。迷う素振りがあってもいいと思うんだよね。即答って……


 ウミウシの言葉によって、俺は硬直した。そして、屋上に少しの静寂が訪れた。


 ウミウシはそんなこと知るかとばかりに、黙々と口の中に食べ物を運んでいる。


「……」


 なんというか、初対面から随分ずいぶんと無神経になったと思う。初めてご飯を一緒に食べたときは、何あげても美味しいと笑っていたというのに……


 それこそ最初は兄に懐く妹みたいな存在だったが、最近は反抗期に入ってしまい兄を邪険じゃけんに扱うようになっている。いや別に兄じゃないけど。


 俺はなんだか悲しくなった。その思いが強かったのか、気持ちがぽろっと口に出てしまっていた。


「初対面の時の初々しいウミウシが懐かしいよ。真正面から『私と友達になって』とお願いしてきたウミウシはどこにいってしまったんだ……」


 ――シュッ!


「え」


 俺の頬に何かが通り抜け、その場所から血が垂れていく。後ろを振り返るとかちゃりと音を立ててフォークが落ちていた。


「次その話したら――殺す」


 恐る恐るウミウシの方向に顔を向けると、ものすごい形相で俺を睨みながら言った。それこそ、人殺しのような顔で……


 俺はその顔に大和川先生と同じものを見た。


「すいませんでした」


 俺は即座に頭を地面に擦り付けた。その動きは素早く、美しく、極めて洗練された所作だった。


 なぜそんなに怒っているのか、全く分からなかったが、謝らないと死ぬことだけはわかる。


 だから俺は生存本能の赴くままに土下座をした。躊躇ためらいなど皆無だ。相手が友達だろうと関係ない。死ぬのだけはは勘弁して。


「あの時のことは今すぐ忘れて、わかった?」


「はい。完全に記憶から抹消まっしょうします」


 俺はただ何も口答えをせずに、肯定する。否定は死に直結するので絶対にNG。死ぬのだけは勘弁して。


「もう絶対、この話しないので許してください」


 俺はひたすら肯定し、おでこが熱くなるほどに地面にこすり付けた。服従のポーズである。


「絶対だな?」


「はい。絶対に」


 俺がそう誓うと、ウミウシに纏った死神のようなオーラは次第に静まっていき、最後には霧散むさんして消滅した。


 俺はその雰囲気を感じ取ると、ちらりとウミウシを覗き、もう一度大丈夫か確認してから体を起こした。


 どうやら初対面の時の話はウミウシにとって禁句らしい。今後はその話をする時は、ウミウシをからかう時だけにしよう。


 俺はウミウシの弱点とも思える情報をゲットし、若干ウキウキしていると、ウミウシが弁当を食べる手を止め、ボソボソと何か言っていた。


「あれは……私の黒歴史……ごにょごにょ」


「……?」


 何を言っているのだろうか。全く聞き取れないが、聞いてないふりをしよう。ほじくり返したら、殺されるかもしれないからな。


「そんなことはどうでもよくて、これからどうする気なの?」


 俺が黙って焼きそばパンを食っていると、ウミウシが話題を変えようと、他の話を振ってきた。


 そんなに、初対面の時の話したくないのか……まぁいいか。


「どうするって、何が?」


「今回の件で完全に矢沢に目をつけられたじゃん」


「……」


「矢沢に目をつけられてたのは前からだけど、いつも無視してたじゃん。でも今回は……」


 朝のホームルーム。矢沢に突っ掛かられるのはいつものことだが、俺がそれに抵抗してしまった。


 プライドの高い矢沢のことだ。矢沢に恥をかかせた俺に何もしないということは絶対にないだろう。きっと、いじめに拍車がかかる。


 俺は矢沢の件を頭の中で整理したのち、軽く答えた。


「ま、なんとかなるでしょ」


 それを聞くと、ウミウシはでかいため息をついたのち、呆れたような口調で、


「能天気。私に迷惑がかからないようにしてよ」


 俺のことを心配してくれたと思ったけれど、自分の心配だったか……


「俺には矢沢よりも重大なことがあるからな。今はそれしか頭にない」


「……重要なこと? なんかあったっけ」


「……忘れたのか? ウチのクラスに転校生が来るって話」


 ウミウシはハッとしたような表情をしてから、


「あー、すっかり忘れてた。あの後色々ありすぎて」


「俺の『転校生テンプレ』を潰しておきながら忘れるとはな」


 本当に嫌なやつだ。俺から転校生の隣の席という絶好ポジを奪っておいて……


 俺はポケットから手帳を取り出し、『転校生』の項目が記されているところまで、紙をめくる。


 これは俺が中学の頃から書き続けている「ラブコメ絶対ルールのススメ」という人生のバイブル本だ。


 この手帳には俺が何年も調べ、検出されたラブコメの定義とも言うべきものが書き記されており、これの通りに行動すれば間違いなくラブコメのような恋ができること受け売りの本である。


「えーと、一週間内のイベントは……」


 あとこの手帳は、行事予定などを書く予定表としても使っている。作戦を立てるためにその日、何があるのかは重要だからな。


「……ん? 金曜日の取材? なんだこれ」


「テレビ局の取材が来る日でしょ。この高校たまにあるじゃん。忘れたの?」


 俺は「あー」と言いながら、脳の奥深くまでその情報を探し、見つけた途端にため息がこぼれた。


 そうだ、思い出した。この高校、美形が集まる高校としてテレビ局からの取材が年二回ぐらい行われてた。


 まぁテレビ側からしても美形しかいない高校って撮れ高しかないし、そりゃあ取材来るよな。


 だが、なぁ。俺にとってはないにも等しいイベントだ。他のイケメンどもは知らないけど。


「俺、出れないから忘れてた」


「ブスだもんね」


「ブスじゃありましぇん。俺はフツメンです」


 そう、テレビ局は美形しかいない高校を撮るためにこの高校に来るのだ。俺みたいなフツメンを撮りたくてくるわけじゃない。


 よって、俺はテレビに出演することはない。なんなら、テレビが来る間はどっか行ってろって命令されてるので、出ることができない。


「この日はどうする? 屋上集合で良いか?」


「なんで私も行く前提なの」


「え、違うのか?」


 明智原の冷遇対象なのに、どっか行けと命令されていないのか?とは言わない。俺なりの優しさである。


「私はちょっと用事があるから」


「……」


 十中八九嘘だな。


 前の時も用事があるとか言って、はぐらかされてたが、こんな絶妙なタイミングで毎回用事があるわけがない。


 こいつもきっと、学校に取材の日はどっかカメラのいないところに行けと命令されている。俺と同類の冷遇対象だし。


 しかし、それを言ってしまえば、自分はテレビに出られないくらいブスだと認めることになるからな。


 それだけはウミウシのプライド的にも許されなかったのだろう。格好をつけたいお年頃というわけか……


 俺はウミウシの考えを察しつつ、気づかないふりをすることにした。


「頑張れよ」


「え、うん。……なんでそんな憐れみの目で見てくるの?」


 きっと、どこかの空き教室で一人ゆっくり過ごす用事でも入っているのだろう。


 俺もこの前は屋上で一人ぽつんと過ごした。下から生徒たちが盛り上がっている声を聞きながら…………泣。


 どうやら俺は忘れていたわけではなく、頑張って苦い記憶を脳の奥底に隠していただけらしい。


「ウミウシ、本当に頑張れよっ」


「頑張るけど、……なんで泣いてんの?」


 俺はお前の味方だからな!


「あ、やべ。ウミウシに気を使ってる場合じゃねぇ。俺は転校生への対策で忙しいんだった」


「……気を使う?」


 ウミウシの怪訝けげんな表情を無視し、俺は準備期間の締切として、手帳に転校生ちゃんがくる日を書き込ん……


「……あれ、何日だっけ? 転校生ちゃんが来るの」


 まずい。俺としたことが、転校生がいつ来るのか聞くのを忘れていた。明日来るのか、一週間後来るのかでだいぶ対応が立ち回りが変わってくるというのに……


 ウミウシに聞いても……だめだろうな。こいつは転校生のことなんてどーでもいい、みたいなやつだし。


「一週間後来るって言ってたよ」


「……やるじゃん」


「なんで上から?」

 

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