第8話
氷槍が心臓を貫いた。それは間違いなかった。だからリオンの命は確かにこのとき失われた。
『騒がしい……騒がしい。静まれ、精霊ども。この魂は精霊界には訪れない。哀しき生き物よ。使命はまだ果たされていない』
時が止まる。否、遅くなる。その極めて短い時間の中で、事は進み続ける。
『裁定を進めよう。何、やることはいつもと変わらんさ。死は不平等に訪れるのだから』
現れた天秤。右手の秤には魂を、左手の秤には──。
「かぁ…えぇ…るぅ…ぞぉ、ピィ…ルゥ…ウゥ…厶ゥ!」
そして時は加速する。
「バシレウス様!!」
リオンに突き刺さった氷は四方へ放たれる。
「ちっ」
男は氷の盾を展開する暇はないと悟り、氷槍を全て回避する。
そのうちのいくつかは少年の傍へ向かいつつ、少年は何とかギリギリ避ける。
異様な雰囲気を醸し出しながらリオンは立ち上がる。
死者の蘇りの如く、青白い顔で白い息を吐きながら足を引きずり前に一歩踏み込む。
「時間の操作、ではないな。反射が現状最有力か」
再度確認のため氷槍を放つ男。衝撃のあまりリオンの体は吹き飛ぶ。
しかし、一秒と経たず突き刺さった氷槍は飛び出す。
(なんだ、この時間の差は? 何故刺さった瞬間に反射されない? あれのときは指向性すら操れたというのに……)
高速で状況を整理するが、男は未だ魔法の正体を掴めずにいた。
とはいえ魔法を扱うためには魔力を要する。すなわち、魔力を限界値まで消費させればよい、そう考えた。
そう、自身の中で完結させてしまった。それが現状に綻びを生んでしまった。
何度目かの施行の末、後方から悲痛な声が聞こえてきた。
「ぐう……っ!」
全身に擦り傷をつくり、破けた鞄から零れ落ちた少女の体を庇うように立つ少年の姿。
それを見た男は自分の過ちを理解した。足手まといを計算に含んでいなかったことだ。
「俺様の悪い癖だ。自分ができると他人もできると考えてしまう。すまんな、ピルウム」
「いい……え、バシレウス様。これは僕の実力不足です」
助かった少年だが、同様に間が生まれたことでリオンが正気を取り戻す時間ができた。
「サルビア!」
走ればすぐ近くに少女の体がある。だが、その距離はあまりにも遠かった。
「魔力切れを待つのはこちらの分が悪いな。ハエを見逃すのは腹立たしいが致し方ない」
そして、男は両者の間に巨大な氷の壁を生み出す。
「小虫をこっちに寄越せ、ピルウム。けが人には荷が重い」
「ですが……」
「余計な会話は控えろ。体力が保たないぞ」
少女を背負い、男は少年を引き連れ立ち去ろうとする。
「待てっ……!」
氷の壁越しに遠ざかる後ろ姿。そして氷に映る己の醜い姿。
怒りすら通り越し、絶望が我が身に降りかかる。
「待てええええ!!」
壁に頭を打ちつける。ヒビも入らない。
それでも打ちつける。何度も、何度も。
次第に壁は色を帯びていく。リオンの体を巡る鮮血の色に。
頭蓋にヒビが入ろうとも。
血液不足で視界が定まらなくとも。
彼は命を振り絞る。
そうした思いは天には届かない。
しかし、精霊界には届き得る。
駅に向かう男には、それは奇行と映った。
「ピルウム、一つアドバイスをやろう」
「何でしょう?」
疲れ果てたピルウムは気弱に返答する。
「強者は大抵戦闘の最中、複数の作業をこなしている。それは戦術の先読みに限らず、防御や詠唱なども含まれる」
そう、つまり。
二人の頭上を巨大な影が覆っていようと、彼は動揺などしないのである。
「意味のわからぬ事象も片手間で片付けられることもあるということだ」
目の前に氷塊が落ちる。
それは先程生み出した氷壁の一部であり。
さらにおぞましさを増したリオンの方角から飛んできたものだった。
陸に揚げられた魚の口元に似て、少年は唖然とするしかなかった。
「これは予想外だったが……なるほど。攻撃反転までの時間差で何らかのプロセスを踏んでいるのか」
無感情に推測を進める男。対して一切の怪我が治った少年だが、意識は朦朧としていた。頭の端で遠くから声が聞こえる。それでも無意識に足を進める。
「何故そこまでこいつを欲する? 力が欲しいわけではあるまい」
力は欲しい。ずっと求めていた。今もたまらなく欲しい。それは変わらない。
だが、
「僕が今欲しいのは力じゃない。声だ」
「何……?」
距離は離れていようとも、通りやすいリオンの言葉ははっきりと聞き取れた。
「親友との約束なんだ。生きて、帰って、必ず彼女の声を届ける。口にはしていなくとも、僕は必ずそれを実行しないといけない」
俯き加減でぼそぼそと独り言を呟く。
「喧嘩をしても」
何度も口論になった。その度に仲直りをした。
「嘘を隠しても」
強がった。秘密も話せなかった。それは彼もまた、同じことだった。
「僕たちは親友と心友であり続けた」
今までの人生で、一番生活を共にしたのはリチャードだ。
苦楽を共有できたのはリチャードだ。
あの酒場の親父でさえもそれは当てはまらない。
「だから僕は友のために、痛みを伴う死を恐れない」
親友の最後の願いだ。我慢耐久なら誰にも負けない。
そのための数十年なのだから。
はっきりとし始めた思考を現状へと向ける。すると、驚いたことに金髪の男はリオンの方へ歩いてきていた。
「約束、と言ったな。その言葉に偽りはないか?」
「ない」
即答。それを確認して男は表情を崩した。
「俺様も約束は命を懸けても守る。で、あるならば貴様と心根は同じだろう」
何もかもが正反対の二人だったが、その心の底には類似するものを秘めている。
「貴様は死なないと、いや俺様には殺せないと言ったな」
長身から見下ろされ、気圧されそうになる。
「今までの状況を鑑みるに、貴様は死の瞬間に魔法を使用している。それが蘇生か時間の部分反転かはわからない。だが、少なくとも死ななければ魔法は発動しない」
予想以上に眼前の男は聡明だった。手の内をこんなにも早く暴かれるとは思わなかった。
「概ね足を切り落とせば貴様は何もできないのだろう。タネが分かれば大したことのない魔法だ」
彼の言うとおりだ。全て正しい。正しいが、何故それを口にしたのだろうか。まだ何か持っていると疑っているのか。
「この種明かしは決して貴様の反応を確認するためではない。ただの余興だ」
いつの間にか日は随分と傾いていた。もはや水平線の下に隠れる寸前に近づいて。
男は日を見て鼻で笑う。
「なあ、同類よ。俺様を殺せるか?」
「無理だ。少なくとも今の僕では」
「なら、あの小虫を使えば話は変わるか?」
「彼女の魔法はまだ見たことがない」
「俺様はこの国に来てから氷雪の魔法しか使わなかったが、数多の精霊と契約している。その中でもあれは一際輝く才能を持っていた。だからここまで追いかけてきたのだ」
今の言葉から、男の出身は我が国ではないことがわかった。だからといって何か変わるわけでもないが。
「使いこなし、俺様を殺せるほどの力を持てるのならば、譲っても良い」
男にとっては最大の譲歩であった。これを受け入れない理由などプライド以外になかった。
「わかった。必ず君をこの手で滅してあげよう。たとえ何千回死んだとしても」
リオンを見てバシレウスは頷いた。
「今回の旅はいずれにせよ無駄足とはならなかった。だから良しとしよう」
手に入らずとも収穫はある。それを再確認してまた一つ成長を実感する。最強の自負ある自分にも成長の余地はあることに僅かばかりの喜びを覚えていた。
「ああそうだ。おもしれえ奴は名前を覚えておくことにしてんだ。俺様はバシレウス。お前の名前は?」
「……リオン」
「……そうか……覚えておこう。【
そう言って彼は傷だらけの少年を引き連れ、この場を去っていく。ようやくサルビアの楔は外れたのだ。
「本当に……無事で良かった」
空を見上げれば澄んだ星空が見えた。精霊はもう静か。雪はとうに止んでいた。
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