英雄の付き人
第2話
アウストリア帝国イーストシティ。
裏通りを抜けた先の寂れた酒屋。
「ただいま」
「帰ったか。おかえり、リオン」
フェードカットに七三分けをした中年が少年を迎える。
「ボズ、今日は疲れた。少し休むよ」
「おう。お疲れ様」
ガタイとは正反対に優しい声でボズは答えた。それを聞いてリオンは階下の部屋へと向かう。
そして数時間後。
「ちょっと、出かけてくるよ」
「ん? もうちょいゆっくりしたらどうだ?」
「今日はリチャードおじさんのところに行くから」
「そうか。いってらっしゃい」
「いってきます」
イーストシティは帝国で最も発展した地域。白いレンガ造りの街並みを特徴として、家の外には色鮮やかな花がそこかしこに飾られている。
別名、白の街と呼ばれるこの街では、歩けば道端には吟遊詩人が詩を
海に面したこの街をさらに東へ抜けると、そこには田畑が広がっていた。
夏前のこの時期はまだ田植えの最中。秋特有の金色の景色はもう少し待つ必要がある。
田舎道に沿って歩くと駅に着く。
「すいません、クリサム駅までお願いします」
「少々お待ち下さい」
仕分けられた引き出しから切符を取り出し、駅員はリオンへ手渡した。
カチャカチャ
切符を手渡すと素早く駅員は切符を鋏で切る。
この時の鋏の音を、リオンは大層気に入っていた。
ローカル電車は大した距離を走らない。それに速度も遅い。だから人が少なかった。
それも相まって、静かな田舎に響くこの音は、心に染み渡る心地良い響きであった。
ベルが鳴り、電車のドアが閉まる。
小気味よい音を奏でながら電車は出発した。
数日前とは比べ物にならない穏やかさだ。
景色はゆっくりと移り変わる。
田んぼや畑から草原へ、草原から花畑へ。
色が豊かになり、遠くにあった山が近づいてくる。
『まもなく〜クリサム、クリサム。お出口は──』
クリサム駅に着くと一面の花畑と湖が見える。
湖に並んで歩いて行くと木で造られた家があった。
「おじさーん! 来たよ!」
戸を叩いてリオンが叫ぶ。するとすぐに返答があった。
「一週間ぶりです。リオンさん」
「一週間ぶり。こんにちは、セネカ」
使用人の格好をした人間の女性が出てきた。家の中からはゆったりとした音楽が聞こえてくる。
「おじさまは奥でお待ちになって居られます」
「うん、ありがとう」
部屋の一番奥まで来れば、目当ての人物がベッドに横たわっていた。
少しばかり黒を残した白髪の老人。老人は老眼鏡をして読書に耽っていた。
「おじさん」
「ん? おお! リオンじゃねえか! そんなところで何しているんだ。こっちへ来い」
入り口の所に立っていたリオンを呼びかけ、隣に据えられた椅子を勧める。
「もうおじさんなんて言われる歳じゃねえんだけどな……」
「僕とおじさんの仲じゃない」
「もう……あれから20年も経つのか。歳を取ると時間が早く感じるってのは本当なんだな」
細くなった手足が老いを表し、リオンにはかつての活力溢れるリチャードを思い起こさせ、哀愁を感じていた。
「そういえばこの曲、讃歌59番だっけ? いつも流しているけど歌は流さないの?」
ピアノの音だけがレコードプレーヤーから流れていた。そこに本来あるはずの歌詞は一度も現れていない。
「ああ、歌は頭の中にある。極上の讃歌がな……」
「何言ってんのやら。そうだ、これアンおばあちゃんからの野菜。お裾分けだよ」
「おお、いつもありがとな。って言っても、もう直接礼を言うこともできねえな」
遠くを見つめる視線。リオンはそれに危うさを感じた。
「もう、長くないの?」
「………………」
長い、長い沈黙。否定しないリチャードに思わず唇を噛みしめる。
「この世で思い残したことはねえ。だけどせめて……せめてもう一度だけ、あの歌が聞きてえ。透き通るような声で、全ての罪を許してくれるような、あの声を」
「歌が上手い人なら沢山居ると思うけど」
「違うんだよ。どれだけ音が合っていようが、どれだけ賛辞されていようが、俺にとってはあの声であの歌が世界一だ」
一週間毎に来るこの家で、リチャードはずっと諦めていた。儚い夢を追うことを。
「そんなに綺麗な歌なら聞いてみたいな。誰なの?」
「もうお亡くなりになられたよ。あの方は以前は街のサントリア大聖堂におられて──」
「──ここに……」
アウストリア帝国中心部、サントリア大聖堂前。
何本もの白い柱で組み立てられた神殿のような建造物。
数十年前から変化することのなく
内側の様相は外とは全く異なるものとなっていた。
西方の国由来のステンドグラスが外光により虹色に輝き、それはため息が漏れるほどの美しさを誇る。
「久しぶりかな……」
ここに来たのは、という言葉を飲み込んで教会の空気に触れる。
「どうなされましたか?」
長椅子にも座らずに立っていると司祭に声をかけられる。
「すいません、やはりここは美しいですね」
「ははは。ありがとうございます。私もこのステンドグラスを見たいがために入信したようなものですから。共感できる方が居るのは大変嬉しいことでございます」
腰の低さが嫌に聞こえない。礼儀正しく達観している。
教会の雰囲気も合わさり落ち着きが得られるのをリオンは肌で感じ取っていた。
「少し話を伺いたいのですが、お時間よろしいでしょうか」
「おや、今からですか? 勿論構いませんが。では、別の部屋に移動しましょう」
そうして二人は二階へ上がり一室に入る。
「随分と生活感のある部屋ですね……ああ、嫌みとかそういう意味ではないです」
「ははは、大丈夫ですよ。ここは私の私室でしてね。休憩やお悩みを抱えた方のお話を聞いたりするときはよく利用しているのですよ」
小さな長方形のテーブル。その正面に置かれた木製の椅子を勧められるままに腰かける。
「飲み物はどうしますか? ミルクと紅茶しかありませんが」
「ありがとうございます。紅茶でお願いします」
湯気の立つカップがテーブルに置かれる。すると司祭はにこやかに体面に座った。
「実は聖女ティラ様の話を聞きたいのです。なんでも歌を得意とされていたとか」
「ティラ様ですか。お懐かしいです。若くしてお亡くりになって、私共も皆つらい思いでした」
そうして司祭は小一時間ほど聖女様の話を聞かせてくれた。
「三十年前は私も若かった。いかに同僚を出し抜いてティラ様と恋仲になろうかと躍起になったものです。それも意味のないことでしたが。なにせ相手にもしていない様子でしたので。皆に同じ優しい顔をしていました。今で言うならアイドルですな」
聖女は全てを持っていた。美しい声、美しい容姿、万民への優しさ。まさに聖女を体現した人物だった。司祭は彼女と同じ時を過ごせたことを誇りに思っていた。
それどころか最高の記憶だとまで言ってのけた。
「どうしてティラ様が死ななければならなかったのか、今でも理解できません」
聖女はある日、足を滑らせて頭を打ったことで急死に至ったらしい。
聖女ティラの代わりはいない。今代も聖女はいるがティラにはどの面でも劣る。
それは覆しようのない事実であった。
「僕は30年前はこの街にいなかったので聖女様がどんな姿をしていたかわかりません。ですが、あなたの話を聞いて聖女様の像が目の前に現れていくのを感じました」
「いやあ、お恥ずかしい。誰かに話すなんてなかったものですから少々興奮してしまいました」
照れたように笑う司祭。リオンは聖女を心から想う司祭を好ましく思う。
「今回はお時間を頂きありがとうございます」
「いや、こちらこそ。久しぶりに話せて楽しかったです」
握手を交わしてリオンは教会を出ていく。確かな収穫はあった。
これを持ち帰って色々と調べてみよう、そうリオンは思った。
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