妖精の裁判官

高崎 朧

森の妖精

第1話

 燃える街。燃える森林。視界に映る全てが鮮烈な赤であった。


「僕の……せいなのか?」


 一秒毎に、また空から炎が落ちる。

 人々の悲鳴も、立ち昇る黒煙も、炎の発信源からの叫びに掻き消され。


『ギュアアアアアアアッッッ!!!』


 ただそこには地獄があった。

 逃げ惑うことすら許されず。

 灰が山を築き、炎は次の獲物へ食らいつく。

 もはや抵抗する気力もない。

 古からそれは人々の恐怖の象徴であった。


 黒い鱗。頑強な翼。人はそれを竜と呼ぶ。


「ごめん……気づいてあげられなくて。僕は罪深い奴だ。その役割は僕が果たさなければいけないのに」


 彼は立ち上がった。火を吐き暴虐の王となりし怪物を見据えて。


「力を貸してくれ。情けなく自分では何もできない僕に」


 彼の体表を光が走る。そして少年は走り出した。


 安寧は人々の拠り所である。だからもし、それを侵すものが現れたのであれば、私達はそれをと呼ばなければならない。

 たとえそれが、かつての友であったとしても。




 ♢♢♢



「おーい! リオンや!」


 透き通るような緑髪の少年を遠くで呼び止める女性がいた。彼女は腰を折り曲げ、いかにも農家といった姿でシワの広がった顔に笑みを浮かべていた。


「アンおばあちゃん、久しぶり」

「うんうん、リオンもちゃんと食べてるかい? 最近の子はやれダイエットだのやれ美容だのといってものを食わなくて困っているよ」


 首を横に振って、アンお婆さんと呼ばれた女性はやれやれとため息をつく。


「僕は全然身長が伸びなくて困ってるよ」

「本当にリオンは変わらないねえ。私はこんなしわくちゃになっちゃったよ」

「アンおばあちゃんも全然変わんないよ」

「あらやだ、この子お世辞まで得意になっちゃって」


 頬に手を当て彼女は穏やかに笑った。


「ところで今日はどうしたの? いつもは僕から行くのに……」

「それがねえ、最近のことなんだけどね……」


 彼女は困った顔を畑に向けて話し始めた。

 曰く、最近畑に泥棒が忍び込んで野菜や食料が盗まれていると。

 それも単なる泥棒ではなく、ゴブリンにやられているらしい。

 一般的にゴブリンは人に害をなす魔物と捉えられている。

 そのため、害虫のように駆除される。


「──という訳なんだよ。何とかしてくれるかい?」

「それは良いんだけど、普段はこういう依頼は守衛さんとかに任せてるのにどうしたの?」


 不思議そうにリオンはその小さな頭を傾げる。

 それに対して彼女は難しい顔で頷いた。


「そうなんだけどね……」


 歯切れが悪そうに彼女は口を閉ざした。黙って待っているわけにもいかずリオンは問いかける。


「ゴブリンじゃない気がしてね。畑が荒らされてないんだよ。ただ野菜を引っこ抜いた感じで……」

「そっか、じゃあ僕の出番かもね」


 何かを察したリオンが腕を組んで依頼を引き受ける。


「早速行ってみるよ」

「頼んだよ!」


 リオンはその足で鬱蒼とした森へ踏み込んでいく。



「ゴブリンの足跡……ここを通ったのか」


 最低限の知能を有するゴブリンだが、足跡を消すほど頭は良くない。また草木が不自然に折れ曲がっていたりするため、痕跡は見つけやすい。


 リオンは目を閉じて耳を澄ませる。

 虫や鳥の鳴き声、草木の葉擦れ、水の流れる涼やかな音。

 それら全てが同時に耳に入ってくる。


「水場……」


 リオンは水音を頼りに川へと行き着いた。

 そこは動物の水飲み場として利用されているらしく、蹄や足の跡がくっきりと残っていた。


 水質を調べようと水に近づくと、背後の森から何者かの気配を感じた。


「誰だ!」

「ッッッ」


 視線の先で慌てたようにガサガサと動く影が見える。


「姿を見せないなら敵とみなすけど、それでも良い?」

「だ、駄目ですだ! 殺さないで下さい!」


 どもりながら飛び出してきたのは小さな体躯をした者だった。


 150センチもないリオンよりもさらに一回り小さい、緑の肌をした耳長のゴブリン。


 くすんだ灰色の瞳を揺らしてゴブリンは怯えた表情を浮かべる。


「なるほど……君が畑の野菜を盗んだゴブリンだね?」

「ち、違うんですだ! おいらは、その……お腹が空いて仕方なく……」


 目を細めるリオンに萎縮するゴブリン。


「まだ魔物になる前か……どうすべきかどうすべきじゃないか……」


 ブツブツと独り言を呟くリオンに。

 ゴブリンは混乱せざるを得ず、ただ棒立ちする。


「一つ聞こう。君は魔物か?」


 突然顔を上げて問を投げかけてきたリオン。それにどう反応すべきかわからずゴブリンは思ったことを口にした。


「皆はおいらを魔物って言うんだ。だから……」

「他人の意見は聞いていない。君の言葉で答えて欲しい」


 雲で日が隠れ開けた土地に影が差す。


「わからない……おいらはおいらを魔物じゃないと思う。だけど誰もおいらを魔物じゃないとは思わない」

「その答えが聞ければ十分だ。僕は君を退治したりしない。だから安心して」

「本当に?」

「うん、誓って約束する」


 出来る限り優しい口調でリオンは話す。安心させるように。


「──とりあえず君の食糧難を解決しよう」


 アンおばあちゃんの依頼を遂行すべく、リオンは再び森へ歩き出した。


「ごめんなさい……おいらがもっと強ければご飯にも困らないのに」


 リオンの後をついてゴブリンは自分を叱咤しったする。


「魔物なら強くないといけないってこと?」

「そうじゃないんですだ。だけど皆おいらよりも強くなったから。違う。おいらが変わってないから……」


 まるで自己嫌悪の塊のように、ただ鬱々とした暗い感情だけが溢れていた。


「魔物は強いものだよ。動物よりも強い。だから生き残る。だけど……」

「…………?」


 そこでリオンは言うのを止めた。新たな気配を察知したからだ。


「ギャギャッギギギャギッッ」

「え、えっと……」


 新たに現れたゴブリン。しかしそれは人の理解できない言語を話していた。加えて隣の彼よりも身体が大きい。

 対して明らかに戸惑いを見せる先のゴブリン。


「君はあれの言葉を理解できる?」

「はい……『そいつを捕まえておけ。俺がとどめを刺してやる』って言ってますだ」

「なるほど……君はどうしたい?」

『早くしろ!』

?」


 ゴブリンはリオンの言った意味がわからなかった。理解できなかったのではない。

 それではまるで、自分があのゴブリンとは違う生き物だと言っているような気がしたからだ。


『ちっタラタラしてんじゃねーよ! クソ野郎が!』


 我慢できなかったのか、高台に居たゴブリンが飛びかかってきた。


 両手で掴みかかるゴブリンにリオンは為されるがままに押し倒される。鋸のようにギザギザとした歯を見せ、ゴブリンは口を大きく開けた。


「いいか! 君は魔物じゃないっ! 魔物とは、理性を失った化け物のことを言うからだ!」

「────!」


 開いた口を塞ぐために顎を殴り閉じさせる。それに怒りを示してゴブリンは右腕を振り上げる。


「彼が君の知り合いだとしても……もう君の知る彼ではない! 魔物となった者は、全て死んでいるから」


 雷に撃たれたような衝撃を受ける。だけど認めたくなかった。溢れ出す思い出が、それを認めたくなかったのだ。


「彼は君に暴言を吐くような奴だったと本当に思っているのか? どうなんだ!」


 必死に殴打を防ぐリオン。ゴブリンは殺意に満ちた狂気を笑いに混ぜて汚らしい叫びを上げていた。


「う、ぐ…ああああああああああ!!」


 近くに落ちていた木の棒を手に取り、リオンに馬乗りになるゴブリンへ振り下ろす。


「ごめん、ごめん、ごめん……!」

『や、やめろ! 何をするんだ、この野郎!』


 頭から血を吹き出すゴブリン。それでも彼は手を止めない。

 親友をその手にかけることになったとしても。

 彼は最後まで手を止めなかった。


「はあ…はあ…はあ」


 腕をだらんとさせて血濡れの棒を取り落とす。表情は険しく、優れない。


「どうして、どうしてこんなことに……!」


 泣きそうな顔で彼は天を仰いだ。


「おいらが殺した……おいらが殺したんだ!」

「あまり自分を追い詰めない方がいいよ。それにまだやらなきゃいけないことが残っている」

「…………」

「どうしたの?」


 同胞の亡骸を見つめて彼は小さく何事かを発した。


「おいらもこうなるの? いつか理性を失って人を殺し、仲間に殺され、何も残さずに世界の塵となるの?」

「そうなりたくない……もしそうなら君はどうしたい?」


 俯く彼にリオンは答えを待つべく地べたに座った。

 だがリオンの予想に反し、答えはすぐに返ってきた。


「おいらを殺して下さいですだ。このまま化け物になるぐらいなら、いっそ今すぐ死にたい!」


 ゴブリンは真っ直ぐとリオンの目を見た。涙に濡れつつも、ゴブリンの瞳に宿る強い意志はリオンにはくらむほど眩しいものだった。その意志に応えるように、リオンは立ち上がる。


「君は死ぬよりも人を殺す方が怖いんだね。その勇決に免じて僕も君にお礼をしよう」


 涙に濡れたゴブリンの目をしっかりと見返し、リオンは一度空を見上げた。木々の隙間から覗ける太陽は、憎たらしいほど燦燦さんさんと輝いていた。


「今一度問う。ゴブリン。いや、森の妖精よ。君は死を恐れないか?」

「死ぬのは……怖いですだ。でも、誰かを殺すのは……もっと怖い」


 満足いく返答に少年は立ち上がって懐から小さなナイフを取り出した。それを親指に押し付け、斬りつける。

 鮮血が地面に滴り落ちる。ゆっくりと。時間が遅くなるように。水面に弾けるように、空中で放射状に広がる。


「【精霊の裁判官。罪を裁き、罰を与える者よ。応えよ。我が名はリオン。契約に応じ精霊界の門を開けよ。ゴブリンに裁定をくだせ】」


 流れた血は薄く広がり門を築いていく。扉には、天秤とその後ろに立つ女神の装飾。


 盛大な音を立てて扉が開かれる。果たしてそこに居たのは小型の人形ほどの生物。純白の翼を広げてそれは飛翔していた。

 不気味な装飾の目隠しをしてローブを身に纏う、近寄り難い存在。表情からは何も読み取れない。


「これは……?」

「精霊界の門。自然界とは別の世界への入口だね」


 簡易的な説明を済ませると門の中の存在が口を挟んだ。


『またか、リオン。私は忙しいと毎度毎度言っているはずだが……下らないことなら許さぬぞ?』

「下らないことなんて今までなかったはずだけど? それとも君は妖精差別主義になったのかな?」

『失笑。私は平等を生きる精霊だ。妖精も精霊も魂は同じ。同胞はらからには変わらぬ』

「ならいいよね。今回は彼だよ」


 リオンが手で示すとたちまち精霊はゴブリンへ体を向ける。


『なるほど、大罪の民か。だが条件はなかなか重いはずだが……?』

「いったい、さっきから何がどうなってるんですだ? 何を言っているか全くわから──」

『黙れ、今は私がリオンと話している。わからないのならば私達の会話から類推しろ』


 精霊は一言でゴブリンを黙らせた。その態度にリオンは相変わらずだねと呟き、ため息をついた。


「仲間殺しは確かに大罪だ。それに対する罰も重い。だけど彼は精霊界の記憶がない。とはいえ罪は償わなくてはならない。条件は確か命の重さを知ることだったよね? それも複数の」

『そうだ。たかが一度悲しみを覚えただけで仲間殺しの罪は償われない』

「彼は親友の命の重さを理解した。そしてもう一つは、自分の命だ」

『……良いだろう。判断は常に天秤だ』


 精霊が扉絵の天秤に触れる。すると真ん中で分かれた天秤が両側の扉から現れた。


「ゴブリン。今から君の魂を天秤に乗せる。そのためには君を殺さなくてはならない」

「……どうして何も説明してくれないんですだ?」


 ゴブリンが見せるのは懇願の意思か。理解しているようで理解していない、リオンにはそのように映った。


「時間がないから簡潔に説明しよう。まず、妖精とは精霊が堕落した存在だ。具体的に言えば、精霊界の法に違反した存在。それが妖精。罰は罪に応じてこちらの世界の姿に反映される。寿命、容姿、能力、それらが最も低いゴブリンという姿は……仲間殺しの大罪を侵した精霊にのみに与えられる」

「おいらが……仲間を……?」

「そう。そして昇天条件は罪の裏返しをすること。殺しならば生命の尊さを知ること。もうわかったよね?」


 ゴブリンは呆然としていた。自分が仲間を殺すなど到底できることではないと思ったから。


『死を望んだならさっさと始末しろ。時間の無駄だ』

「分かった。最後に聞きたいことはない?」

「…………」


 精霊は分かれた天秤を一つへ繋ぐ。血の色をしたそれは何とも見事な宝飾のように美しかった。

 

 リオンは懐からナイフを取り出してゴブリンへ近づく。そしてそれを振り下ろそうと振り上げたとき、


「妖精は……魔物になったらどうなるんですだ?」


 ピタリとリオンの手が止まる。リオンは真実を話すべきか迷った。だが話さない訳には行かなかった。


「妖精の魂は穢れている。その穢れを落とせなかったものは……魂の力を糧として魔物となる。だから……」


 言うまでもなく、結論は見えた。

 人で言えば死刑が確定し、死刑執行までに無罪を勝ち取れなかったようなものだ。

 訪れるものは、妖精といえど変わらない。

 それが法というものなのだから。


 彼の絶望の表情を見てリオンは苦悶の表情となる。


「もういいでしょ……これ以上長引かせると僕が耐えられない」


 ゴブリンの返答を待たずして、リオンはそのナイフを胸元に突き刺した。


(この瞬間だけは……いつもキツイね……)


 精力が失われていくゴブリンの体。そこから代わりの体を求めて魂が飛び出した。

 精霊の魂だ。


『では、再審を始める。習わしより古代神話の死者の書に基づき裁定を下す。右のはかりには私の羽を。左の秤には妖精の魂を』


 秤はカタカタと動き始め、運命を刻む。


 リオンは見ていた。短い時間だったがゴブリンがとった一挙手一投足を。彼は善い心の持ち主だと。


 精霊の裁判官は見ていた。ゴブリン、改め精霊の魂を。穢れなどとうに落ち、美しく光り輝くその魂を。


 左に僅かに傾いた秤は突如として右へ大きく傾き均衡が崩れる。そして裁判は終わった。


『大罪の民よ、貴様の罪はここに解消された。精霊界への道へ戻るといい』


 光を纏い、精霊の魂は扉の暗闇の奥へと消えていく。そこからはもはや何の感情も読み取ることはできなかった。


「ありがとう、いつも世話をかけるね」

『いい。いつものことだ』

「そうだね。いつもの……ことだ」

『またな、リオン』

「ああ、本当に……ありがとう!」


 ゆっくりと閉じる血塗られた扉。その奥で、暗闇の中でひっそりと彼が小さく笑っているようにリオンは感じた。


 宙に浮いた血は一斉に地面へ落ちる。とはいえ大した量ではなかったため音も立てずに地面へシミをつくったに過ぎなかったが。


「彼は、救われたかな」


 風が木々を揺らし、夕暮れが空を橙色に染めていた。


「救われたといいな」


 西日に背を向けてリオンは帰路に就く。失われた魂へ黙祷を捧げて。

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